事件
王都の一角、チェスサロンと併設されたカフェを、クラウディアは再び訪れていた。
「こちらにはアリシアとフェリックスに会いに?」
「ええ。まあ、主にフェリックスに釘を刺しに、かしらね」
テーブルを挟んで向かいに座る男装の麗人が、屈託なく言って笑う。
「あの子たちが心配…… クラウディアさんがアリシアの友達になってくれたと聞いて、ほっとしてるのよ。あの子が楽しそうにお友達の話をするのなんて初めて。娘をよろしくね。でも、フェリックスとは仲良くしないで。あの子のことだから好青年を演じているんでしょうけれど、騙されちゃ駄目よ。まったく、女性にだらしなくて……」
溜め息をつくサリーに「知っています」とも言えず、笑って流す。
「ところで、私に話って何かしら?」
「いえ、話といっても、特別な用件があるわけではないんです。迷っていることがあって。サリーさんのお話を聞けたらなぁと……」
「あら。若い人の悩みを聞くのは好きよ。私が何か役に立つかしら?」
「私、結婚するのが怖いんです。誰か一人の男性を頼って、寄りかかって生きていくなんて、リスクが、高すぎると思うんです。愛され続けなければいけない、男子を産まなければいけない、捨てられたら肩身の狭い思いをして実家を頼るしかないなんて、怖すぎます。大体、結婚する年齢が低過ぎではないですか!? 在学中に半数の女子生徒が嫁ぎ先を決め、決まらなかった者たちも二十歳までには殆どが嫁いでいくと聞きます。家庭に入るのが悪いとは申しませんが、それしか選択肢が無いのは辛いです! 自立する暇を与えず、嫁がされるなんておかしいわ!」
お行儀が良いはずの令嬢の熱弁に、サリーがぽかんと呆気に取られた様子でクラウディアを見つめ、一拍おいて吹き出す。
「なるほどね。それでわかったわ」
「サリーさんは侯爵家の令嬢でありながら、他国にまで足をのばしてチェスの大会で名を馳せ、二十歳を過ぎてから子供のいるフォーサイス子爵に嫁いだと聞きました」
「二十三歳よ。おばさんよね。周囲からは恥ずかしがることを強要されたし、哀れみの目を向けられた。本当に腹立たしかったわ。嫁ぐまではね。で、嫁いだら今度は、『それ見たことか。虚勢を張っていても、結局男性に守ってもらうんじゃない』って言われるのよ! 腹立たしいったらないわよぉ。……でも、前妻との間に跡継ぎのいるフォーサイスに嫁いだのは正解だったなって思っているの。私は子供を産まない!って、堂々と宣言して、その通りにしてやったんだもの」
胸を張るサリーに、クラウディアは目を輝かせて感心した。
「素敵です。私、こんな考えを持っていること、女友達には言えないんです。その人の生き方や理想を否定してしまうようで。でも、隠していても所々で思想の片鱗が出てしまうのでしょうね。驚かせて…… 弾き出されてしまうのです。被害妄想かもしれませんが」
「仕方がないわ。先駆者とはそういうものよ」
異端者でなく先駆者と言い切った辺りに、サリーの誇りが伺い知れた。
「でも、あなたは私以上に大変よ。公爵家の令嬢となれば、結婚して他家と結びつく役目があるでしょう。ルイス様にそれができなくなった今、余計に期待されているのではなくて?」
「兄の事情をご存知なのですね」
「それと…… 単純に、あなたを思っている人もいるんじゃない? 応えなくて良いの? それとも、答えを出すのが嫌で逃げ出したいのかしら」
図星をさされたクラウディアの顔が赤くなる。返す言葉もなく俯くと、すぐにサリーの優しい声が降ってきた。
「ごめんなさい、意地悪だったわね。フェリックスに聞いたのよ。何人かの男性から求愛されているんでしょ? 迷っているのね。でも、女性論を逃げ道にしては駄目よ。不純な理想に従う者はいない」
「はい。仰るとおりですわ。純粋な理想を持つ方には欺瞞などお見通しですわね。恥ずかしい…… サリーさんのような人なら、社会を変えていけるのでしょうね」
「どうかしら?」
サリーが、心底残念そうに溜め息をつく。
「そもそも、当の女性達が変わることを望んでいないわ。正確には、『声を上げるような女性は』ね。力のある女は、夫の庇護下での安穏とした生活を甘受している、恵まれた女だから。変えようとなどしたら、全力で潰そうとしてくるでしょうね。公爵夫人…… あなたのお母様もそうなのではなくて?」
沈黙を肯定と受け取り、サリーが続ける。
「女性が社会進出するための一番の敵は、『男に守られ、甘えた生活を送るための言い訳』を守りたい女。まずは、甘ったれた女どもの意識の改革が必要なのよ」
クラウディアが、きらきらと目を輝かせて、店の邪魔にならないよう小さくぱちぱちと拍手する。
「その通りですわ!」
「熱く語っちゃったわ。いやぁね」
「いいえ。サリーさんとお話しできて勉強になりました。ありがとうございます」
「私も楽しかったわ。あなたとは気が合うわね。またお話ししましょう?」
「はい!」
にこやかに笑い合う二人を幾つか先のテーブルから見ていたカインが、興味なさそうに声をかける。
「終わりましたか? 遅くならない内に帰りますよ。師匠、酒を頼もうとしないでください。飲む気なのはわかってますよ。あなたも喜ばないでください」
カインに促されたクラウディアは、サリーに丁寧な挨拶をしてしぶしぶカフェを後にした。
「それで?」
帰りの馬車に乗ってすぐ、カインが切り出す。
「色々わかったわ。確証は無いけれど、線が見えた。カイン、今日は連れてきてくれてありがとう」
「いいえ。構いません」
「でも、サリーさんを騙すようなことをしました。カインの恩師なのに申し訳ありません」
「いいえ。サリーはチェスの師匠ですが、必ずしも尊敬する人生の師というわけではありません。……アンジェリカさんの容体は?」
その問いに、クラウディアは声を詰まらせる。
「まだ、意識が戻りません」
「そうですか」
カインも、多くは尋ねなかった。
ギョー公爵家の面々が揃った夕食の席、突然アンジェリカが不調を訴え、立ち上がるのと同時に膝から崩れ落ちた。それが二日前。原因不明のまま意識が混濁し、時折、苦しそうにうわごとを呟く。心配して枕元に控える公爵夫人に聞き取れたのは、二つの単語のみであった。
「でも、きっと、『ルーク』にたどり着けると思う」
「それは良いのですが、危ないことはしないでください」
カインの言葉にぎくりとする。「危険なことや悪いことは、全部こちらに押し付けて」というラルフの言葉が、再び蘇ったのだ。
「声をかけてください。ご一緒しますから」
虚を突かれた。
「止めないのね」
「? 止めても無駄でしょう?」
思わず笑い出す。この公正な人は、相手が恩師であろうと友人であろうと、正しい時には共にいてくれるし、道を踏み外したら切り捨ててくれる。カインに頼ってしまうのは、この、近過ぎない距離感が心地良いからだろうと納得してしまった。
「カインがそう言ってくれると、進んでも良いのだと思えるわ」
「進めとは言っておりませんので。責任転嫁は止してくださいね」
憎まれ口も心地良く感じるクラウディアであった。
が、翌日、事態は急変する。ギョー公爵邸を訪れていたクリスのティーカップに毒が盛られた。クリスが生死の境をさまよい続けている間に、部屋から毒物の入った瓶が押収され容疑者として捕らえられたのは、クリスの元婚約者、クラウディアであった。
次話から、最終章になります。