衝撃のあれこれ
フォーサイス家の屋敷は、こじんまりとしてはいたが調度品は趣味の良い物ばかりで、手入れが行き届いていた。今はフェリックスとアリシアが学園に通うためだけに使っている別邸であり、両親は領地の本邸にいるのだという。王都のチェスサロンで以前サリーと会ったことを話すと、「母はアリシアの様子を見に、たまに来ているようです。ついでに趣味も満喫して帰られるのでしょう。あの人はもともと王都で生まれ育ったお嬢さんですからね」とのことであった。
小さな応接室に通される。紅茶を淹れてくれた若い侍女に、「アリシアを呼んで」とフェリックスが声をかけた。仕える者もあまり多くはないようだ。
クラウディアはふと、壁の絵に目を留めた。
「これは、北方の民間信仰の神話の一部を描いたものですね。近くで観てもよろしいかしら」
「どうぞ」
席を立ち、テーブルに背を向けて絵画に見入る。
「とても繊細な筆遣い…… まだ破壊神になる前の太陽神と湖水の妖精の恋の場面ですね」
「お詳しいのですね。僕は初めて見たとき、何の物語のどの場面を切り取ったものかさっぱりで、ただ写実的でロマンチックな絵だとしか分かりませんでした」
フェリックスは席を立たずに、声だけで対応する。
「絵画が好きなので、モチーフになりやすい神話や物語は一通り勉強したんです。北方の神々はロマンスが多いけれど、太陽神が失恋を機に破壊の神に変じてしまうというのも、ロマンチックですよね。私、この神が一番好きなのです。人間臭いと思いません?」
くるりと振り返り、テーブルの方を向く。何事もないように座ったままのフェリックスであったが、紅茶には手を着けていない。そこでドアが開き、先程の侍女が一人で戻ってきた。
「アリシア様は、フェリックス様が呼びに来ないのであれば部屋を出ないとおっしゃって……」
「仕方のない妹だな。ちょっと失礼します」
溜め息混じりにフェリックスが部屋を出ていく。クラウディアは残された侍女ににこりと笑いかけた。
「ごめんなさい。ミルクをいただけるかしら」
「あ、はい! 申し訳ございません」
侍女が部屋を出て行く。一人になった隙に、クラウディアは急いでテーブルに戻るとフェリックスの紅茶と自分のを入れ換えた。
侍女が戻ってすぐ、ドアが開かれ、よく似た兄妹が入ってきた。
「アリシア・フォーサイスです……」
小さな声で辛うじてそれだけ言うと、黙り込んでしまう。フェリックスと同じ金の髪を肩の辺りでふんわりと揺らした、控えめで俯きがちなアリシアは、水仙の花のようであった。
「クラウディア・ギョーです。お休みのところをお呼び立てしてごめんなさい。突然で驚かれましたよね」
「い…… いいえ!」
ぶんぶんと首を横に振り、焦って否定する様子が可愛らしい。小動物系というやつだ。
「アリシアはクラウディアに憧れていたのだそうですよ。恥ずかしがって、部屋を出ないと言い張りまして」
「お兄さま!」
頬を膨らまし、顔を真っ赤にしてフェリックスを睨むが、全く恐くない。そんなアリシアの様子が微笑ましくて、思わず笑みがこぼれる。
「アリシアさんもご一緒しませんか? 今、あの絵画を見せていただいていたのですが、北方の国の作法に則って、ミルクティーにしてしまったの。勝手してごめんなさい」
「わたしも好きです。ミルクティー」
「じゃあ、僕もそうしようかな」
そんな小さなことでもなんとなく打ち解け、和気あいあいと会は進む。話の中心はアリシアとクラウディアになり、学園の話からアリシアの不登校の話、アンジェリカとの関係に至る。
「教室で一人でいたわたしに、アンジェリカさんが話しかけてくれたんです。とっても良い方なんです。人懐っこくて、気遣いがあって、わたしのリボンや持ち物をいつも可愛いと褒めてくれるので、プレゼントしてさしあげたら、とっても喜んでくださいました」
ん? と、少し引っかかる。
「うちの料理人の作ったものも絶品だと気に入ってくれて、毎日昼食をご一緒していましたの」
どうりで、殆ど学食でアンジェリカの顔を見なかったわけだ、と納得がいった。アリシアにたかっていたわけだ。
「お元気にしていらっしゃるのでしょうか」
「ええ、とても。最近は母と打ち解けて、本当の母子か、姉妹のようにしています」
「そうですか……」
ほっとしたような寂しいような顔をするアリシアに、心が痛む。
「なんだか、奪ってしまったようで申し訳ありません」
「そんな! 結婚が決まって退学なさっていく方は少なくありませんし、アンジェリカさんが幸せならそれが一番ですから」
眉を下げ、困ったように笑うアリシアに、クラウディアも釣られて眉を下げる。
「ところで、ビューラーさんの怪我ですけど……」
「ああ、メルティローズ様に負わされた怪我のことですね」
ずばりと言われてしまい、「フェリックスの聞き間違いかもしれない」という希望が打ち砕かれる。
「事実なのですね……」
「そう、聞いています。その場には王太子殿下もいらっしゃったとか」
知らなかったことが次々と出てくる。腹立たしかったが、それが、何も言わないラルフに対してか、クリスに対してか、気付けなかった自分に対してか、分からなかった。
「クリス様がもみ消したのですね」
答えがないのを肯定ととる。
「そんなことまで話すなんて、ビューラーさんは随分アンジェリカさんを信頼していますのね」
「アンジェリカさんは、どなたともすぐに親しくなられますから」
「男性とは」と言わないところに、アリシアのアンジェリカに対する確かな友情を感じる。
「そうですね。そうだ! アリシアさんも我が家にいらしてください。アンジェリカさんも喜びます」
「あ…… でも、一人では……」
「フェリックスと一緒に来れば良いわ」
「お兄さま……」
ほったらかしの兄にちらりと目をやったアリシアが、呆れ顔になる。
「お兄さま? お客様を招いておいて眠りこけるなんて! お兄さまったら!」
「女同士のお喋りなんて、殿方には退屈なものですよね。そのまま寝かせてあげてください。私も、そろそろ迎えが来る頃と思いますから」
「申し訳ありません! またいつでもいらしてください」
にこりと笑うと、アリシアは真っ赤になって俯く。その顔が、迎えにきたルイスを見ると青くなるのであった。
◇
「そうとう怖がられていましたね」
ルイスと馬車で向かい合うとすぐ、クラウディアがくすくす笑い出した。
「そのようだな」
「アリシアさんがおっしゃっていました。あのお冷たいルイス様を恋に落としてしまうなんて、アンジェリカさんを尊敬するって」
「馬鹿なことを。それより、兄の方は見送りに出なかったようだが」
「ええ。熟睡なさっておいででした」
「睡眠薬か」
皆まで言わずとも分かるのは、当然のように一服盛られることを想定して動く二人だからである。今回は、わざと隙を見せて、何を盛るのかを確認したわけだが。
「私を眠らせてどうするつもりだったんでしょうね? 屋敷に送って、誰かと会いたかったのかしら。お兄様……なら、学園内で会えますわね。アンジェリカさん……とは、面識がありませんわよね。お父様かしら。公爵様に取り入りたかったとか?」
「既成事実を作って、お前をカインから奪おうとしたのかもな」
「既成事実? カインから、奪う?」
兄の言った言葉の意味が分からず、ハテナを飛ばしながら小首を傾げる。
「随分前から、思われているだろ」
呆けたまま口が利けないでいると、ルイスが心底呆れたように溜め息をつく。
「一応言っておくが、カインに、だからな。いい加減に気付いてやれ」
衝撃的な事実をあれこれ聞かされた後のトドメの兄の一言に、クラウディアは静かにパニックに陥った。