蔵書庫にて【クラウディア】
クラウディア視点です。
七歳の時に訪れたのと同じ光景。同じ匂い。少し年をとったが司書の顔ぶれまで同じであることにクラウディアは感動していた。
クリスに許しをもらい、再び訪れた城の蔵書庫。記憶を頼りに貴族年鑑を見つけ出すと、自分が生まれた年のものを取り出し、その場でページを捲り始める。目当ての物を数冊見つけたら持って机に行こうと思っていたのに、気付けば、その場で座り込み、本の山に囲まれていた。
日がな一日そうしていて、ふと喉が渇いたなと本から目を上げると、背中の違和感に気付いた。何だろうと振り返って、あっ! と声を上げる。いつの間にか寄りかかっていたのは、本の山でも本棚でもなく、ラルフの背中であった。
「ラルフ! いつからそうしていたのですか? 重たかったでしょう? 疲れませんでしたか? 声をかけてくれれば良かったのに!」
「いいえ。集中していたので、邪魔したくなくて。大丈夫です。いつ気付くかなぁとワクワクしていたから、あっという間でしたよぉ」
慌てて姿勢を正すが、背中に残る温もりが恥ずかしい。
「なんだか、前にも同じこと言った憶えが……」
「同じこと?」
「はい。前にカインとチェスサロンへ行ったのですが、帰りの馬車で、ひ……」
膝枕を、と言いかけて止める。酷くだらしのないことをしたと、今更ながらに実感が湧いてきて、なぜだか、そんな自分をラルフに知られたくなかった。
「いいえ、なんでもありません」
「カインのやつ。何も無かったって言ってたのに」
ラルフが舌打ちする。
「調べものは終わったのですか?」
「まだ途中。先日、フェリックスの…… フォーサイス家にお呼ばれしたのだけれど、行くなとカインに言われて気付いたの。確かにそうだわ。アンジェリカが居る今、ギョー家の人間に近付いてくる人物は全て怪しんだ方が良いのよ」
「ああ、そっちに受け取ったんだ」
「それで、フォーサイス家を調べてみたんだけど……」
「何かあった?」
「何も」
読んでいた本をぱたんと閉じて、適当に山の上に乗せる。
「あとは、クリス様からの課題が少しあるのよね」
「課題?」
「そう。武器を扱う商人以外で、自国を戦場にしてまでも儲けたいと思う者は誰か……」
「自国を戦場にしてまでも、となると、どうだろう。単純な戦争特需なら色々ありそうだけど、どれも一時的なものだろうしねぇ」
「儲かる、ではなく、得する、ならありそうだけど……。多分それが答えなんだわ。戦争を仕組んでまでも商売したい者は居ない。少なくとも、国内には」
「国外ですかねぇ」
「でも、その割には、捕まった顔ぶれが……」
うーん、と、本の山に囲まれた中、膝を突き合わせて二人して頭を抱える。
「はぁ、もう駄目。可能性を考えると一向に範囲が狭まらない。疲れちゃったのね。今日はここまでにするわ」
ひとつ伸びをすると、ラルフが「ちょっと待ってて」と言って、本の間を抜け、すぐに水の入ったコップを持って帰ってくる。
「本当は飲食物持ち込み禁止なんだけどね」
「どこで調達して来たの?」
「知ると共犯になっちゃうから内緒」
その惜しみない優しさが嬉しい。
「ありがとう。喉がからからだったの。いただきます」
手渡して、ラルフはまた背後に回り、「寄りかかって良いよ」とばかりに背中を合わせてくる。クラウディアは遠慮なしにラルフの背に寄りかかり、コップに入った水を一気に飲み干した。
「はぁ、生き返った」
背後でラルフが嬉しそうに笑う。
「コップを受け取った時の、さっきの笑顔、子供の頃と同じだった」
「子供の頃かぁ…… ラルフが城中にトラップをしかけてくれたわよね。この蔵書庫にも。あれは楽しかったわ」
ラルフがクスクス笑う。
「いいえ。それではなく、初めて訪れた公爵邸の庭で、オレが落とし穴に嵌められた時のことです。穴の中から見上げたクラウディアの心底嬉しそうな笑顔は、生涯忘れませんよぉ」
「それは忘れてください。でも、確かに、他の罠にまったく引っかかってくれなくて、最後の最後に…… だったから、あれは最高に嬉しかったわ!」
「ああ、もう、本当に悔しかったですよぉ。こっちは」
二人して笑って、ふと静かになった瞬間、床の上に投げ出されていたクラウディアの左手に、ラルフの手が重なった。
「オレはあの時からずっと好きですよ」
背中合わせでお互いに表情は分からないけれど、触れている背中と手が熱い。
「クラウディアだけ、ずっと好きです」
静かに、思いを噛みしめるような声。触れ合う背中から伝わる振動が波紋のように胸に広がるのを、クラウディアは心地良く感じていた。
「私、そう言われたら、応えなくてはいけないのだと思っていました。クリス様は応えることを求めます。……でも、思い返すと、いつも、ラルフは何も求めていませんでした」
背中を離し、ラルフの横に移動してその顔を見据える。
「どうしてですか?」
身体を離しても、大人しく自分に預けられたままになっているクラウディアの左手に、ラルフは視線を落とした。
「クラウディアが他の誰かを選んでも、オレが好きなのはクラウディアだけで、そのことはずっと変わらないからですよ。それでも思いを伝えてしまうのは、」
不意に視線を上げたラルフと目が合う。淡い緑と茶の入り混じったヘーゼルの瞳。こんなに綺麗な瞳をしていたんだなあ、と見入った瞬間、クラウディアの首の後ろにラルフの手が回され、ぐいと引き寄せられる。
「ちょっとでも意識してほしいからです」
バランスを崩したクラウディアは、ラルフの両腕の中に倒れ込んだ。
「好きです」
追い討ちのように何度も降ってくる言葉と、抱き留められた胸の硬さに、クラウディアはそれ以上思考するのを諦めた。
次話、この続きはラルフ視点でお送りするかもしれません。