悪役令嬢と第一の落とし穴
アンジェリカ・クレイルは高等学園一年の途中から編入してくる。元々男爵の庶子であったのだが、嫉妬深い本妻が亡くなったことで、母親共々、男爵の館に入ることを許される。七歳の現在は、どこか、クレイル男爵の正妻の手の届かない田舎町でひっそりと暮らしているはずだ。名前もクレイル姓ではない。……つまり、捜し当てられなかった。
もし、今からアンジェリカと出会い、転生者同士名乗りを上げることができれば、自分は無害であると訴える機会が得られるのではと考えたのだ。転生者でなかった場合は……悪役令嬢らしく資金援助やらなにやらで恩を売っておこうかなと……。
とにかく、断頭台は嫌だ。想像するだけで首がゾクゾクする。
アンジェリカは、見つからない。ならば、学園で出会った後に彼女の信頼を得るか、或いは全く関わらないようにしたいのだが、なにせ、私はもう王子と婚約している。アンジェリカが王子に興味を示さないなら、私は他の攻略対象者にさえ近付かないよう気をつければ良さそうだが、カイン・マクスウェルという不確定要素の存在があるからには、そうは問屋が卸すまい。
ならば、私が出来ることは二つ。一つ目は、アンジェリカの敵にならないこと。
これについては、アンジェリカが見つからない以上、学園入学後のことになってしまう。考え抜いた方法は……
『目立たず、地味に、ひっそりと。男性に興味を持ってもらおうなんて思っておりません。私、一人で生きていきますから! 作戦』
えーと、つまり、前世の私そのままである。攻略対象者のみならず全男性のストライクゾーンから離脱し、自力で生計を立て生活することを目指す。アンジェリカと王子が接近したら早々に自ら婚約破棄を進言し、受け入れる。そしてもし、彼女に転生者である兆候が見られたなら、自分もそうであると伝えて白旗を揚げる。それ以外の場合は、アンジェリカには近付かないのが良いであろう。なにせ、男性が絡むことが前提の間柄である。女同士の友情が育める気がしない。まぁ、前世では恋愛経験ゼロなので、男性関係で女同士の友情が壊れた経験もゼロなわけだけれど……。
二つ目は、なるべく早め、できれば学園入学前にカインの怒りを解くこと。今もあれこれ頑張ってはいるのだけれど、正直、手応えが無い。なにせ、謝ろうにも、会ってもらえない。手紙は読んでもらえているのかわからない。プレゼントは、安直な賄賂のようで避けている。悪役令嬢じゃあるまいし。いや、悪役令嬢なんだけれども。
そこで思いついたのが、
『マクスウェル伯爵家の役に立って、悪役の汚名返上しちゃうぞ! 作戦』
……というわけで、早速、我が家の素破(※忍者みたいなもの。諜報員)を動員しマクスウェル伯爵家の内情について秘密裏に探らせた。悪役令嬢の本領発揮である。
そこで受け取った情報により、私のすべきことの方向性は決まった。後は、入念に下調べをし、説得力のある情報を揃え、計画書を作り、できれば専門家を呼んで、お父様にプレゼンしお金を用立ててもらうだけだ。……「だけ」とは一体何なのか。
前置きが長くなったが、そんなわけで私は今、資料集めに奔走している。クリス王子から城の蔵書庫への入室許可を戴けたのは僥倖だった。城に通い始めて数週間、欲しい資料はあらかた揃った。
あとはプレゼン用にまとめれば計画は大きく前進するはず、とウキウキで今日も一人、既に勝手知ったる蔵書庫へ向かう。その道程には、対面式の日にクリス王子と立ち止まって話をした植え込みの庭園もあり、そこを通るときは、いつも、つないだ手の感触を思い出して顔が熱くなった。
まだ、恋愛感情なんていうものではない。ただ、憧れていた人に会って、話し、触れた。それだけのことが、自分の心を温かく強くしてくれる。
………………
………………
………………?
いつものようにそこに差し掛かると、ふいに、何とも言えない違和感を持つ。立ち止まり、暫しその場で思案した後、遠回りだけれど普段通らないテラスを通って行こうと思い立った。
踵を返して歩き出す。と、すぐ後ろで、
ズボッ
ドザザッ
「大丈夫か!?」
「いったーー!! 誰だよこんなとこに落とし穴作った奴は!!」
という、加害者側としてよく聞き知ったドタバタ劇が始まった。一瞬振り返って、「ああ、あのまま進むと私が落ちていたかもしれないなぁ」と思ったが、すぐまた別のところに意識が持って行かれて、忘れてしまった。