それぞれのスタンス
『フェリックス・フォーサイス。他国へのチェス留学から先日戻ったばかり。子爵家の長男で、一歳下に妹のアメリアがいる。妹出産時に母を亡くしており、父の後妻は、ミザリー・ハスラーの叔母にあたり、チェス界では「狂戦車サリー」の名で知られるサリバン・ハスラー』
学園に通うの生徒の顔と簡単なプロフィールは全て頭に入っている筈のラルフであったが、先程見た顔には適合する人物がいなかった。急ぎ素性を調べて、それが留学していた為だと知り、ひとまず納得する。しかし、嫌な予感の出所はそこだけでは無い。
クラウディアは基本的には人見知りで、出会ったばかりの相手には壁を作って心を開かないし、目も見ない。が、それはプライベートでのこと。仕事となるとその限りではない。フェリックスの目を見て堂々と握手していたクラウディアは、仕事モードだったのだ。「ミザリーさん経由で、オセロを商品化するお話をいただいたの」とのことであったが、仕事を理由に近付いてきた相手を簡単に懐に潜り込ませてしまうのは、クラウディアの悪い癖だとラルフは思う。
事実、放課後になって再び一年の教室を訪れたフェリックスは、首尾の良いことに外国の菓子という賄賂持参で、「次は、家の方にも足をお運びください。珍しい外国の品物がたくさんありますよ」などと、どこで知ったのか、クラウディアの興味を引く提案をしてきた。それを言葉通りに受け取り、目を輝かせて「わあ、素敵! 是非、お邪魔させてください」などとクラウディアが言うものだから、ラルフも黙っていられなくなる。クラウディアのしたいことはなるべく尊重し、陰から見守りたいのだが、無防備過ぎて放っておけない。しかし、しびれを切らしたのは、ラルフだけではなかった。
「知り合ったばかりの男の家に上がり込むなんて、正気とは思えませんが」
二人の傍で話を聞いていたカインが、割って入って、いつもの無表情で突き放したように言う。
「ははは。カインは手厳しいな。それじゃあ、僕に下心があるみたいじゃない? 僕は純粋に仕事の話がしたいんだけどな。誰かさんと違って」
フェリックスがにこやかに切り返す。表面は穏やかであるが、その実、牽制しあう両者を、クラウディアは何も知らずに微笑んで見つめる。
「カインはフェリックスさんと親しいのね」
「フェリックスと呼んでください。僕も呼び捨てにしますね、クラウディア」
「はい。フェリックス」
急速な距離の詰め方に、再びカインが割って入る。
「オセロを商品化する話なら、私も聞かせていただいてよろしいでしょうか。以前から興味がありましたので」
「そうね、商品化した場合の販売戦略などについて、カインとは話をしていたの。今後も一緒にやっていきたいわ」
「そういうことでしたら。カインは母を通した兄弟のような間柄ですから」
「男装の麗人、サリーさんね!」
「母をご存知ですか?」
「ええ。一度、チェスのサロンでお会いしたの。素敵な方ですわね」
「カインと僕は、母の兄弟弟子なんです」
「そういえば、兄弟子殿は留学していたんでしたね。少しは強くなりましたか?」
無表情で煽るカインと、挑発に次ぐ挑発に笑顔を貼り付けたまま静かに怒るフェリックス、「それで仲が良いのね」などと呑気に頷くクラウディアを、やっぱり危なっかしいと思いつつ、今はまだ、少し離れた所から見守るラルフである。