堕天【3】
思うが早いか、アンジェリカは走り出していた。以前から顔見知りであった金物屋へ行くと、丁度に、クラウディアら一行もその店に入る所であった。アンジェリカは、普段から髪色を隠すために被っているフードを、更に目深に引き下ろし、一行の後ろからさり気なく入店すると、店の奥にいる店主に声をかけた。
「おじさん。あの子供を攫って」
「あの、ラルフ様のお友達の女の子をかい? ははは。何の遊びかな?」
アンジェリカがクラウディアをこっそり指差すと、店主は何を言っているのか分からないと言った風に、気軽に答えた。
「あの子なら、高く売れるんじゃない? おじさん、『外国の金持ちに売れそうな女の子供を見繕え』って、お願いされているんでしょう?」
「なんでそのことを……!」
今やアンジェリカは、男達が「どうせ何も理解できない子供だ」と油断して彼女を膝の上に乗せたまま呟いた、全ての話を理解していた。
「借金が返せなくなっちゃったんだよね? アンジェリカ、おじさんが借金取りさんに殺されちゃうの嫌だもん」
顔を強ばらせた店主が、自分の首を押さえて武者震いする。丁度その時、何か探して店主に話しかけてきた二人組の旅人がいた。まだ商品を物色している貴族の子供達を見て、小声で物騒なことを言い合うその二人を、金物屋の店主は店の奥で待たせたまま、アンジェリカに目配せした。察したアンジェリカは、ルイスが選んだ商品の会計をする店主に代わって、店の奥へと進む。
「あの貴族の女の子なら、高く買ってくれる人知ってるよ」
会計を済ませた子供達が店外へ出たのを確認してから、アンジェリカは二人に話しかけ、フードを取る。現れた顔は可愛らしいのに、表情は子供のようでなく妖しげで、店のランプに照らされた髪は普段以上に鮮やかなピンクに見えた。
旅人たちは、顔を見合わせて頷いた。
成功した時に落ち合う予定だった酒場に待機したのは金物屋の店主であったが、結局、二人は現れなかった。元から計画など無い犯行である。失敗するのは目に見えていたが、それでも、クラウディアの心か身体かに傷がついただろうと想像すると笑えた。
翌日になると、街を訪れていた子供の内の一人が遭難したらしく、山で夜通し大規模な捜索が行われていたと噂になっていた。結局、大した怪我もなく見つかったと聞いてアンジェリカは少々物足りなさを感じたが、幾日か経つ内にどうでもよくなった。それよりも、思い出した前世の記憶をどうすれば活かせるかと考えるのに忙しかったのだ。
重要参考人としてピンクの髪の少女の捜索は続けられていたが、街の者は誰も、それとアンジェリカとを結びつけられなかった。彼女は普段、前髪以外はきっちりとフードや帽子で頭を覆っていたし、前髪だけではただの金髪に見えた。実際にはストロベリーブロンドであると知っているのは、彼女を部屋に連れ込んだ者だけであり、その者達は一層強く「そんな子供は知らない」と言い切った。
アンジェリカは自分に捜査の手が及ばないと知っていたが、しかし、この突発的な行いが、その後の彼女の運命を狂わせることとなる。