愛しのアンジェリカ
ギョー公爵夫人は、目の前の少女を無心で見つめていた。
娘のクラウディアと同じ歳と聞いたが、姿も態度も、「少女」と言いたくなる。社交界デビューを済ませた結婚適齢期の女性とは思えない幼さ、或いは拙さであった。そのくせ、どこか擦れたような、はすっぱな仕草や物言いをするのも不思議で、目を奪われた。
「随分面白い女性を選んだのね」
ギョー公爵邸での初対面を済ませ、一旦、寮へ帰るアンジェリカを見送った後、隣に立つ息子ルイスに微笑んで言った。
「全てお任せ致します。お好きになさってください」
ルイスの言葉に、母は軽く眉を吊り上げた。
「あなたらしい物言いですが、事情があるにせよ、仮にもあなたの妻となる女性ですよ。慈しんで差し上げなさい」
「はい。肝に銘じます」
「行儀については、お任せなさい。縁あって我が家で預かることになったお嬢さんです。この母が、公爵家の名に恥じぬ貴婦人にして差し上げます」
「ありがとうございます」
普段は温厚で、夫の一歩後ろに俯いて控える女性だが、侯爵家に生まれ育ち公爵家に嫁いだ生粋の貴婦人である。怒ると凄みがある。
「腕が鳴るわあ」
あまり見ることの無い母の不敵な笑みに、少々、アンジェリカが不憫になるルイスであった。
しかし、翌日、ギョー公爵邸に入ったアンジェリカの、貴族の娘としては随分と少ない荷を解く手伝いをした母は、あるものを見て急激に態度を軟化させた。
◇
ギョー公爵邸を訪れたカインは、以前とは違う館の雰囲気に息を呑んだ。飾られた花瓶、生けられた花、カーテン、絨毯、そういった物が成金趣味で統一されていた。言葉にこそしなかったが、まるで、高級を謳う娼館の内装である。
その場所に似つかわしくない上品な雰囲気を纏った公爵夫人が、二人を見つけて寄ってくる。
「あら、カインね。よく来てくださったわ。またお仕事の話ですか? 色気のない娘でごめんなさいね」
いえ、とだけ言って言葉を失ったままのカインに、公爵夫人は苦笑いする。
「……凄いでしょう? まずは好きにやらせてみようと思ったら、こうなったの。教育のしがいがあるわね」
「お母様、アンジェリカさんは?」
「今、家庭教師が帰ったところだから、部屋で伸びているんじゃないかしら」
「では、もう少ししたらお茶に誘ってみることにします」
「あ、厨房に美味しいお菓子があるから、持って行かせるわ。アンジェリカさんが自分で厨房に入って作ったの。あの子、お菓子作りの才能があるみたい。王太子殿下も絶賛なさっていたわよ」
「クリス様が?」
「いま、ルイスの部屋にいらしてるわよ」
その一言でカインの纏う空気が張り詰めたことに、公爵夫人は気付く。
「そろそろお帰りだと思うけど。カインはゆっくりしていってください」
訳知り顔で言われたカインが、気まずそうに礼を言う。そんな二人を気にかける様子もなく「カイン、こちらにどうぞ」と、ずんずんと廊下を進み応接室に陣取ったクラウディアは、帰りの道中にあらかた話したアンジェリカの事情や、これからの段取りについて、疑問点などないかとカインに尋ねた。
「私があの人と話している間、あなたはどうしているのですか?」
「自室におります。あそこなら、話し声も届かないし」
「あなたの部屋とルイス様の部屋とは近いのでしょうね」
「そうですね。幾つか間を開けてですが、同じ並びです」
クリスが密室でクラウディアにしたことを考えると、カインは心中穏やかになれなかった。自分がアンジェリカの相手をしている間に、二人は顔を合わせるかもしれない。こんな風に、どこかの部屋で二人になるかもしれないと思うと、背中がざわざわと粟立つ。
「今日はあなたも同席してください。いえ、いっそ、ルイス様の提案ということにして、ルイス様と王子にも同席していただきましょう。それが最も自然です」
鶴の一声であった。クラウディアはすぐにルイスの部屋へ行き、段取りをつけてきた。
次回からアンジェリカの過去を追います。