クリス・ラインベルグは、かく語りき【王子様視点】
週に一度の剣術指南の日。ラインベルグ王国王太子クリス・ラインベルグは、城の中庭で騎士団総長に滅多打ちにされていた。
「本日はここまでに致しましょう。殿下、来週まで毎日腹筋1000、スクワット1000です」
ぜぇぜぇと荒い息で芝生の上に大の字になるクリスを、上から覗き込んでくる顔があった。
「お前の父君に手加減しろと言っておいてくれないか」
「恐いからご自分で言ってくださいよ。『手加減して襲う狼藉者はいませんが』って睨まれるだけだと思いますけどね」
「だよな」
「ところで、どうでした? 『魔王』は」
顔を覗き込んで来た垂れ目の少年に手を引っ張ってもらい上体を起こす。
「それだが。メルティローズ、お前、俺を騙したな」
「家名で呼ばないでください。恥ずかしいんで」
「おまえはもうちょっと、その名に誇りを持った方が良いと思うぞ」
クリスの隣に腰掛け、顔をしかめて「おえーっ」と言っている少年は、ラインベルグ王国騎士団総長メルティローズ伯爵令息ラルフ・メルティローズ。見事な赤毛と、溶けやすい薔薇というこの上なくロマンティックな名前を持つ、武力において国内最強の家を継ぐ少年である。クリスとは乳兄弟として育っているため、お互い、二人だけの時は公的な態度は捨てた気安い間柄だ。
「どこが魔王なものか。清楚で可憐で、雪のように儚くて、繊細で。……王家は海に興味があるかと聞いてきた。七歳と思えない賢さだな」
「海! 行きたい! 行きたい!」
「おまえはもうちょっと、政治を勉強した方が良いと思うぞ」
「先生方の話より、クリス様の説明の方がわかりやすいんですよ」
「我が国は地理的に、公爵領の海……つまり港を押さえられると、地続きの他国とも戦争ができないんだ。生命線なんだよ」
「??」
「この国が戦争しようと思ったら、ギョー公爵家の承諾が不可欠であり、無闇な戦争を回避するために、王家とギョー公爵家は馴れ合うことがなかったんだ。これまでは。……なのに、なんで今回は? って言ったわけだよ。クラウディア嬢は」
「へぇー」
せっかく説明してやったのに、大して興味なさそうに流される。戦争になったらおまえの父君が全軍の指揮を取るんだぞ、と思いつつ、他人事のようなラルフに安堵もする。
「よくわかんないけど、凄いね」
「うん。尋ね方も、話の流れから自然に不意を突いて来るものだから、受け流すことしかできなかった。本当に凄い」
「いや、そうじゃなくて。クリス様がそんなに誰かに入れ込むのなんて初めて見たからさあ」
「なっ!」
「本当に凄いねえ、クラウディア嬢は。あ、ルイスもか」
「会ってみたかったな。ルイス」
「残念でしたね。……で?」
「え?」
………………?
「え? それだけ? 『魔王』に何もされませんでした?」
「何をするというんだ?」
「木に縛られて泥投げの的にされたり……」
「するわけないだろう」
「汚れたからと下着姿にさせられて脱いだ服を燃やされたり……」
「するわけない……よな?」
「『私が作った服よ!』と言って、厨房からくすねてきたウサギを投げつけられたり」
「たちが悪すぎるだろ!」
「いや、噂ですけどね」
「良家の子女というのは、あれこれ尾ひれがついて噂されるものだろう。その類いだ。………………だよな?」
「そうですね。オレは穴に落とされただけで済みましたし」
「落とされたのか!?」
けらけらと笑うラルフと、頭を抱えるクリスである。
「まあ、凄い令嬢なのは確かですよ。メルティローズ家の人間を罠にはめて穴に落としたんですからね」
はたと気付いてぞくりと背中が寒くなる。そう言えばそうだ。ラルフは父親から古今東西あらゆる武術、武道、戦術を仕込まれている。簡単に穴に落とされたりする訳がない。
「うちの親父殿などは、『あの方は我が家にこそ相応しい。ぜひ嫁に!』って鼻息荒くしてたけどね。たぶん、手元に置いて軍略家として育てたかったんだろね。凄く残念がってたよ。相手が王子じゃ諦めるしかないって」
「ああ、それで。今日はやたらと指導に殺気が……いや、熱がこもっているなと思った」
「久しぶりに会いたいな」
「クラウディアに興味を持つなよ」
「あ、妬いてるんですね。大丈夫ですよ。興味無いです」
「その言い方はどうかと思うが。いずれ会うこともあると思うぞ。何かプレゼントしたいと言ったら、城の蔵書庫に入らせてくれないかと言われたので許可したから」
「へえ。魔王がねえ。何を企んでいるんでしょうねえ……」
「脅すなよ」
「あはは。大丈夫ですよ。たぶん、本当は、噂ほどには悪くないって思います」
「根拠は?」
「んー……。メルティローズの、勘?」
「なら信用できそうだ」
笑い合っていると、居館二階の窓から顔を出した誰かが、金切り声で叫んでいるのに気付いた。
「やばっ。次はマゼンタ先生の授業だった。また怒られる」
「『ルイス様は授業に遅れたりなさいません!』って?」
クリスは苦笑いすると立ち上がって、「また」と言い残し駆けて行った。
「ふうん。蔵書庫ね。良いこと聞いちゃった」
小声で呟くラルフの物騒な笑顔にも気付かずに。