毒と火花とのほほん
翌日、ラルフが城を訪れると、机に突っ伏したまま動くこともできない、白く燃え尽き、灰のようになるクリスの姿があった。
「手遅れだったかぁ」
わざと手遅れを狙っておいて、楽しそうに笑うラルフである。
「ラルフ、お前、知っていたのか?」
「ええ。知っていましたし、ギョー公爵邸で何があったのかも大体想像出来ます」
「教えてくれても良かったのに……」
「教えませんよ。ご自分のなさったことを反省してください。自業自得です。ざまぁみろです」
昨夜、ギョー公爵と話した後、クラウディアと話す機会を得たクリスは、前日の行為について謝罪した。部屋には二人であったが、距離をおき、障害物を間に挟み、ドアの外には従者を控えさせる配慮もしてであった。なじられ、その場で絶縁を宣言される覚悟であった。が、クラウディアから出た言葉は意外なものだった。
「大丈夫です。私、クリス様に擽られたことなど、何とも思っておりませんから」
屈託も恥じらいも無い、清々しいほどの純真な笑顔で、言い切られた。
(え? くすぐ……? 何とも?)
「確かに、擽ったくて苦しかったですけど、もとは私がいけなかったのですし、クリス様はただ教えてくださっただけですから。気に病まないでください」
(え、この子、自分がどういう思いで何をされたのか、全然分かっていない?!)
その瞬間、理解した。あの日、クラウディアは世界史準備室を出て行く前に、クリスに向かってお辞儀をした。それは、自分が欲望の対象として良いようにされたことになど全く気付かず、自分の態度を注意してくれたクリスに、感謝の礼を取ったからであった。
つまり、ギョー公爵にクラウディアとの恋愛結婚を宣言するところまでの、前日からの一連の行動は全て、クリスの独り相撲であったのだ。
「こんな辱めになどあったことがない……」
「そうですね。性欲丸出しで襲ったのに、相手がまさか全く何とも感じてくれずに、無邪気にくすぐったくて泣いてたとか。婚約の機会を捨ててまで、ギョー公爵に格好付けたのにねぇ。恥ずかしくて余裕で死ねますね」
言い返すこともできず再び死に体になるクリスを、ラルフは机に腰掛けて見下ろす。その口元には邪悪な笑みが浮かんでいた。
「それと、このことはカインも知ってますよぉ」
机に突っ伏すクリスの肩がびくっと跳ねた後、力無く崩れ落ちる。
「これ以上虐めるとオレの身が危うくなりそうなので、そろそろ黙りますねぇ。でも、クリス様は、ちょっと自信喪失していてください。クラウディアの魔性に対して抵抗力なさ過ぎですから」
「……いっそ、清々した」
打ちひしがれたクリスを置いてその場を立ち去ろうとするラルフが、背中へ投げかけられた言葉に振り向く。
「清々したよ。もう本当に、格好悪く言い寄れる。肩の荷が下りた」
顔を上げたクリスが、椅子に寄りかかって机に足を乗せる。その仕草や表情には、若干のやさぐれ感が漂っていた。
「あれぇ? ふっきれちゃったんですか?」
「もう、なりふり構ってられないからな。大体、あの状況をそんな風に誤解できるなんて、どうすればクラウディアに分からせられるのか、さっぱり分からん。お前らもそんなところじゃないのか?」
「一緒にしないでくれます? まあねぇ。なかなか道のりは遠いかなぁ。でも、クリス様は今後二度とクラウディアと二人にはさせませんよ」
冷淡な目をしたラルフに言い渡されて、クリスは言葉に詰まる。
「それは、もう、自分でも何するか分からなくて、怖くて無理だ。案ずるな」
耳まで赤くするバツの悪そうなクリスを見て、ラルフは今度こそ部屋を後にした。
◇
「じゃあ、晴れて独り身になった真珠姫に乾杯!」
「あなたは飲まないでください。迷惑です」
「カインの言い方には棘があると思うの」
取り調べはまだまだこれからであったが、ビューラー辺境伯の反乱に関わる大捕り物が一段落つき、メルティローズ邸では慰労の小さな夜会が開かれていた。招かれたのは主に騎士団に属する者とその家族だが、それに混じってカインとクラウディアと、そして、クリスの姿もあった。
「ねぇ、なんでクリス様もいるの? オレ、呼んだ覚え無いけど」
「案ずるな。父君のメルティローズ伯より直々に呼んでもらった」
「脅したか強請ったんでしょ。カインも何とか言ってやってよぉ」
「いえ、私は王太子殿下に意見出来るような大貴族ではありませんので、ご容赦ください」
「クリス様。一時的でなく婚約を解消してくださったということは、自立して一人で生きていきたいという私の思いに賛同してくださったということですよね。改めてお礼を申し上げます。ありがとうございます」
ドレスをちょこんとを摘まみ、ふんわりとお辞儀するクラウディアに、周囲に居合わせた皆が思わず見とれる。
「あぁ、もう、本当にあなたは……。全然そういうことではないけれど、嬉しそうなので、まぁ良いです」
「そうそう。全然一人でなんかいさせるわけないけど、一人になったのはめでたい。というか、ありがたいよねぇ」
「これで、瑣事に煩わされず事業に専念出来ますね。私と二人で」
皆が自分を応援してくれているらしいと、ほんわり喜ぶクラウディアの周囲で、男共が毒と火花を散らしながら、宴の夜は更けていくのであった。