王子の切り札を考察する
「あれ、襲われてますよね」
「カインって、身も蓋もない言い方するよねぇ」
クラウディアがお花摘みに一人で学食を出て行くとすぐ、向かいの席から身を乗り出したカインが、テーブル越しにラルフに顔を寄せて切り出した。
学食にきたラルフとクラウディアは、既に食事を終えようとしていたカインが一人でいるところを捕まえた。そして、止める間もなく、クラウディアが先程の会話を掻い摘まんで無邪気に話してしまい、結果、今度はカインがたこ殴りの被害にあったわけだ。
「ごめんね。先に口止めしておくべきだったね」
「まぁ、全然わかってないようなので仕方ないです。良かったじゃないですか。言った相手が他の人間だったら大事故ですよ」
心の中で賛同する。取り敢えず、ルイスがカインと一緒に居なくて良かった。強姦未遂事件(但し、被害者本人が全く気付いていない)などあったと知れたら、ギョー公爵に進言し、クラウディアは学園を辞めさせられ、家に閉じ込められてしまうだろう。その方が安全かもしれないとすら思うが。
「しかし、意外すぎてさぁ。クラウディアって、物凄く博識だったりするのにね」
「ああ、そう言えばあの方、そういうことは閨でしかしないものだと思い込んでる節がありますね」
「ねえ、クラウディアと何の話をしてるの?」
「先日のチェスサロンで、どなたかとの会話の中に、路地裏で客を取る最下層の娼婦の話が出てきたそうです。後からこっそり『路地裏にベッドがあるの?』って不思議そうに聞かれました」
「うわぁ…… で、教えたの?」
「いえ、面倒なので説明しませんでしたけど」
「うん。止めたげて。知らなくても良いことってあると思う」
そこまで話した所で、カインが何か思いついたように首を捻った。
「王子はどうするつもりでしょう。まさか、自分が犯しかけた相手が、全くそのことに気付いてないなんて、知らないのですよね?」
「知る筈が無いよねぇ。あと、ちょっと言葉選ぼうか。心臓に悪い」
カインと話していると、自分がとても常識人であると感じるラルフである。
「実は先程までルイス様と食事していたんです。珍しくお一人でしたので。今日、王子は休んでおいでだそうです。……そして、ギョー公爵に大事な話をしに今夜、館を訪ねてくると。朝、使いの者が来たと話しておいででした」
「やば……。切り札、出す気だ。それ」
「政略結婚、ですか」
「気付いてた?」
「はい。王子とあの方は幼少の頃に一時期婚約なさっていたとか。その噂が本当なら、の話ですが。この国の王族は他国から正妻を娶ることが多いのに、国内から最初の妻を娶り、更に、その相手が『海王』ギョー家の令嬢とあっては、邪推もします」
「どこまで知ってるの?」
「憶測の域は出ませんが。祖父が生前、よく言っていたのです。マクスウェル領は、深く国の内地にありながら、マキシ湖へ注ぐ河川により他国とも通ずる、戦乱時には国の心臓ともなり得る要所であると。そこに、最近になって近付いてきた者がおります。……ビューラー辺境伯の狙いは、国内の軍事拠点としてのマクスウェル領の掌握。つまり、この国の権力中枢への台頭。或いは、王位の強奪」
カインから出た予想以上の食い込んだ答えに、思わず笑ってしまう。
「うは。いきなりすっ飛んで核心を突いたね。いつ気付いた?」
「失礼ですが、あのレオン・ビューラーという人に領地経営は無理です。折角手に入れた土地と事業を任せる訳がありません。なら、土地にもレオン様にも、別の使い道があるのでは、と思いました。あの人は幼少より城に預けられ、軍略や武術を習っておいでだったようですし、怪我で前線に出られなくとも、軍師として軍を率いることは適うのではないでしょうか」
「すごい! いいね。カインは賢い。つまり、こういうこと……」
そもそも、入学早々の一女生徒に関する噂が、驚くほどの速さで広まったことが異様であった。政治的な意図を感じたクリスは噂の発信源であるレオンを泳がせ、噂の広がる様を観察した。それにより、クラウディアに関わる幾つかの噂について、新しい出所となる者を発見。その者達の家を見張らせた。
結果、わかったのは、これがビューラー辺境伯を中心とした幾つかの貴族家による軍事クーデターに準ずる計略の一部であるということ。よからぬ噂を広める狙いは、ギョー公爵家の令嬢と王子との再度の婚約の阻止。あわよくば両家に溝を作って、『海王』ギョー公爵と王家が手を携えてクーデターに対処する事態を阻む、或いは対処を遅らせることにあった。
「最初に婚約が成った時には、既にクーデターの動きは察知されていたわけですね」
「そう。ギョー家と王家が手を取ることは、戦争したい他国への牽制になると同時に、他国の手を取り、国を乗っ取ろうとしている者への牽制にもなるからねぇ」
「その時点では、クーデターの動きはあっても黒幕がわからなかったということですか?」
「そうそう。そういうこと。カインは察しが良くて話がさくさく進むねぇ。で、問題はここからだ。レオンをああしたのは、オレなんだ。その場にクリス様もいたんだけどさぁ、あの人、止めもせず腕を組んだまま、じっと見てたんだよ? その上、オレはバレても良いやと思ってレオンにそういうことしたわけだけど、王子の権限で後片付けはきっちりしてくれて、全然明るみに出なかった。おかしいよね? それってつまり、さぁ、もう不要になったレオンの始末を、しれっとオレにさせたんじゃない? 王族って本当、人の使い方を心得過ぎてて怖いよね。傀儡にされちゃったよぉ」
「王子、汚くないですか」
「そう言うなって。争いから離れて久しい太平の世では、王族って、そうあるべきなんだよ。汚いことは信頼する別の者に任せて、自分は綺麗でいなくちゃいけないの。じゃないと、臣民が不安になるでしょ。あの人は王に向いてると思うよぉ」
薄く笑うラルフはどことなく楽しそうで、嬉しそうで、それが尚不服なカインは長い息を吐く。
「まぁ、ラルフ様が良いなら良いですけど。……レオン様を始末するということは、既にクーデターを潰すだけの証拠を、王子は掴んでいるわけですか。なのに、まだ黒幕を泳がせ続ける理由は……」
「政略結婚の効力は、クーデターが鎮圧される前だけ」
「敢えて黒幕を泳がせて、王を含む国の上層部には未だ国の危機だと思わせておき、その間に政略結婚を成立させてしまうつもりだと?」
「考えられないことじゃないよ。オレの知ってるクリス様って、そんな人だもん」
珍しく笑みの無いラルフの顔に、カインは言葉を失った。と、そこに呑気な声が降ってくる。
「お待たせして申し訳ありません。もうデザートは済んでしまいました?」
暗澹たる気持ちも知らずに光を撒き散らすクラウディアの登場に、強制的に和まされる二人である。
一報が入ったのは、その日の授業終了間際であった。