擽りの刑なわけあるかい
いつも通りに過ごしているようで、時折、そっと溜め息をつくクラウディアに、気付かぬラルフでは無い。
「どうしたの?」
昼休みになってもぼんやりと頬杖をついたまま、窓の外を眺めて席を立たないクラウディアに話しかける。
「ラルフ…… 私は、何もわかっていないのかもしれません」
今更? と、思わないでもないが、聞くことにする。
「私は…… からかわれているのだと思っていたのですが…… 嫌われていたのでしょうか」
わかるようなわからないようなことを言い出したので、空いていたクラウディアの前の席に後を向いて座り、「その話、じっくり聞きますよ」の体勢を取る。
「何があったの?」
「噛まれました。怖くて、擽ったかったです」
まさか実際に噛まれたなど思いもしないラルフは、抽象的な例え話だと思う。
「誰? クリス様?」
「はい……」
意識していなくとも、やはりこの人の心はクリス様の占める割合が高いのだと思うと、クラウディアを戸惑わせ悩ませる原因が自分でないことに、胸の奥がチリチリと傷む。
「私、……傲慢な物言いですが、クリス様は私を好いてくださっていると思っておりました」
「うん。それはそうだろうねぇ」
「でしたら、どうして私が嫌がっているのに、手を離してくださらなかったのでしょう」
「掴まれたの?」
「はい。痛かったです」
理由はさておき、どうやらクリスがクラウディアの手を掴んで、嫌がっても離さなかった、ということだけはわかった。そして、クリスが手を離さなかった理由は、自分に対する戒めであるとか、嫌がらせのようなものだと、クラウディアが勘違いしているのも。
「そうだなぁ。クラウディアは、大好きな異性がいたら、どうしたいって思う?」
「わかりません。……私は、どうもしたくありません。たぶん。おかしな事はしたくない。好きな方には、嫌われたくないと思います」
思い通りの答え過ぎて、どう攻めるべきか悩む。なぜ他人とのことで自分がクラウディアにわからせてあげなくてはいけないのかと、妬ける気持ちもありはするが。
「そっかぁ。括っちゃいけないけど、大概の男は、好きな人にはまず触れたいと思うかな」
「嫌われてもですか?」
「嫌われようとしてする奴はいないと思うよ。上手いやり方が分からずに結果的に嫌われるだけじゃない? オレは、嫌われるのもだけど、怖がらせるのがヤだからしないけど。触れたいと思ってるよ。隙あらば、いつでも、髪でも、爪でも良いから」
そう言って、机の上に無防備に乗せられたクラウディアの両手の指を取り、大事な宝物を扱うように、両手でゆっくりと持ち上げる。「ほらね?」とでも言いたそうな悪戯っぽい表情をすると、一転させて、今度は縋るような熱っぽい目でクラウディアの瞳を見据えたまま、その爪先にラルフが唇を落とす。
緊張した指先が、熱を帯びて脈打つ。たぶん、今初めて、ラルフに触られて意識したのであろう。流れるような一連の行為に、目を逸らすことも忘れ、手を取られたまま頬を紅潮させるクラウディアに、笑いかけた。
「今、結構凄いこと言ってるし、してると思うんだけど。人目のある場所を狙ってやってるって知ってた? 深刻になりすぎないように。それと、クラウディアがちゃんと逃げられるように」
ふるふると、クラウディアが首を横に振る。
「オレは怖がりだし、慎重だから。嫌われるって思ったら何もできないけど、無駄に自信のある奴とか、傲慢になって良いだけの実力なり実績のある奴は、強引になる場合もあるよね。あ、あと、占有欲の強いタイプね。それはもう、クラウディアの問題じゃなくて、相手側の問題だから」
握っていた指先を解放し、いつもの人懐こい笑顔に戻ると、クラウディアも一気に溶けたような緩んだ笑顔になる。
「ありがとう。ラルフがいてくれて良かった」
「いいえ。オレで良ければ、いつでも何でも聞きますよぉ」
「私、首を触れられるのがとても苦手で。髪を結うときも、なるべく触らないでやってもらうの。擽ったいんだもん」
ん? と突然の話題の転換について行けず頭上にハテナが浮かんだが、そのまま黙って聞く。
「だから、クリス様が怒って首を擽ってきたのが、とても辛くて苦しくて。……だって、本当に、とっても、擽ったかったんですもの。叱られている最中に笑っては失礼だと思って我慢したのですが、駄目だと思うと余計に我慢できなくて。せめて顔を隠したかったのですが、両手を押さえられていたのでそれも出来なくて。擽ったいのに笑えなくて辛いし、笑いと声を噛み潰すのに必死な、変な顔を見られたのも恥ずかしくて、涙が出てしまいました。あ、でも、今考えると、薄暗かったから見えてなかったかも……」
「え、ごめん」
二人の状態を想像して、話を遮る。頭の中が真っ白で、言葉が出てこない。
「薄暗……? え、ちょっと状況が全然理解できてない。両手を押さえて、擽る?」
「えっと、ですから、両手を両手でこう、掴むというか机に押し付けて……」
「押し倒っ……! え、両手塞がっててどうやって擽るの?」
「口で」
いつも通り笑顔のラルフだったが、頭の血管が数本切れた音がした。クラウディアお得意の必殺技「無意識ノールックたこ殴り」が炸裂した瞬間であった。
(あんの、糞王子ーーーーーー!)
「どうかしましたか?」
「ううん。ちょっと、初めての方向からの攻撃だったから、まともに食らっただけ」
額に青筋をたてながらも、にこやかに返す。きょとんとするクラウディアに、この人の頭の中は一体どうなっているのかと、途方に暮れた。
「クリス様がクラウディアを好きなのは知ってる?」
「知ってます。ことあるごとに好きって言ってくれますし」
「じゃあ、オレがクラウディアを好きなのは?」
「知ってます。だって、そう言うから……」
駄目だ。この子、何にもわかってない。脱力感、無力感、そして、途方もない疲労感と敗北感が押し寄せる。椅子に座ってがっくりと肩を落としたまま、一応追加で聞いてみる。
「えっと、じゃぁ、他にクラウディアを好きな奴は……」
「いません」
(言い切ったぁ……)
なぜこんなにも自分が愛されないことに自信を持っているのか、理解に苦しむ。しかし、許せないながらも、男としてはクリスに少なからず同情した。それだけのことをしておいて、まさか何にも伝わっていないなんて……
「ほっとしたらお腹がすきました。学食に行きましょうか」
晴れ晴れとした顔で立ち上がるクラウディアを呆然と見上げる。
(さすがは魔王……)
しかし、そんな彼女が誇らしい。クラウディアがクリスを箸にも棒にも引っ掛けていないことに、腹の底から笑いがこみ上げた。
「あら、行かないの?」
「いいえ。どこまでもお供いたしますよぉ」
「大袈裟ね。今日の日替わりメニューは何かしら」
憑き物が落ちたように軽やかに笑うクラウディアの一歩後ろを歩く学食への道中、気付かれないよう、流れるような白金の毛先をほんの少し摘まむ。
(いつでも、触れたいんですよ。本当に……)
ラルフは、叶わないであろう自分の思いが少しでも伝われば良いのにと、摘まんだ髪に口づけた。
(糞王子を殺しに行こうかと思ったけど、毒気抜かれちゃったなぁ)
思わず緩む。が、そんな訳にはいかないのである。