殺されるようなこと
ギョー公爵邸に着く頃、カインはクラウディアの肩を軽く叩いて起こした。
「ん? 朝? あれ? ここどこ? カイン? ……え、やだ! ごめんなさい。送ってくださったのですね」
寝ぼけてはいるが、大分酔いは醒めたようだ。
「ひ、膝枕させてしまうなんて…… な、な、なんたること! 重かったでしょう? 邪魔だったでしょう? お酒臭くなかったですか? まさか、涎垂らしてないですよね?! 酔っていないつもりで、酔っていたのだわ。そうか、私は、飲むと眠たくなるタイプなのですね。今後この様なことのなきよう尽力いたします!」
所々で声が裏返っている。寧ろ、パニックで酔いが醒めたと言うべきだろうか。身体を起こし、状況を理解すると同時に酔いとは別の理由で頬を赤く染め、猛烈な勢いで反省の弁を述べ始めた。泣き出しそうな潤んだ目で狼狽えるクラウディアが可愛くて、思わず意地悪したくなる。
「落ち着いてください。涎は付いていません。顔の下にハンカチを噛ませておきましたので」
「垂らしてはいたのね!」
「酔いは醒めたようですね。良かった。あなたを酩酊させたとあっては、私が公爵に殺されます」
「本当に申し訳ありません。自分の足で歩けますし、父には自分で説明できますのでご安心ください」
深々と頭を下げるクラウディアの耳が真っ赤なのが、いじらしくて好ましい。が、あまり虐めると嫌われそうなのでその辺りで止める。
「冗談です。着きましたよ。足元に気を付けてください」
馬車が止まり、先に降りて手を差し出すと、かの人はすんなりと手を取る。それが、「目の前の男は自分を何とも思っていない」と安心しきっているからだと、カインは知っている。
「本当になんと申して良いか……」
「気にしないで下さい。私にはあなたを連れ出した責任がありますので」
「いいえ。お酒を飲み過ぎたのは私の責任です。ううう…… お父様に怒られませんように」
隣で恥ずかしそうに困ったように呻く美しい人をちらりと見る。
「大丈夫です。そんな顔をなさっていると、疚しいことがあるように思われますよ。私が説明いたしますので、あなたは堂々と開き直っていてください」
その言葉を素直に聞き入れ、襟を正すクラウディアに、思わず頬が緩んだ。
翌朝、登校したカインは教室前でラルフに捕まると、人気のない中庭に連れ出された。
「昨日、変なことしなかったよねぇ?」
「何もしていませんので、ダダ漏れの殺気を引っ込めてください」
「さっきクラウディアに『昨日サロン行ったんでしょ?』って聞いたら、真っ赤になって『何にもありません!』って否定されたんだけど。あれ、何かあったやつでしょ。ううう…… やっぱりオレが送れば良かった」
呻きだしたラルフを、ちょっとクラウディアと似ているな、と思ったが、言うと喜びそうなので言わない。
「あの場にいなかった筈のラルフ様が突然現れたらおかしいですよ。何もありません。あの方はそういう、誤解を生むような態度をとる人です」
「そうだけどさ。指一本触れてない?」
「起こすときに肩は叩きましたが」
「寝てたの?!」
口を滑らせた。
「大丈夫ですよ。私は窓の外を眺めていましたから。見てもいません。大方、涎垂らして寝ていたのが恥ずかしかったとか、そんな所でしょう」
「やっぱりオレが送れば良かった」
「ラルフ様は駄目です。昨日は髪を触っていましたし、先日はさり気なく手を取っていましたし。以前から気になっていたのですが、触りますよね、すぐ」
「オレは良いの。やらしい気持ちはないから。犬がじゃれるのと一緒」
見透かすような刺すようなカインの視線に射抜かれて、ラルフが目を泳がせる。
「……だと、クラウディアは思ってるから大丈夫だよぉ」
「全然大丈夫じゃありません。今後は気を付けてください。見ていますので」
「はい……」
うまく論点をずらせたことに、カインは安堵した。まさか、言えまい。ラルフに見送られ馬車が動き始めてすぐにクラウディアが自分の膝の上に転がってきて、本当の枕とでも思ったのか寝入る前に数度、太腿に軽く頬ずりされたとか。不意に見下ろした肩からウエストまでのラインが細過ぎたので、「この人、ちゃんと食べてるのかな?」と心配でうっかり見てしまったそこから先、ウエストからヒップにかけての山は驚くほど煽情的であったとか。酒のせいか眠っているせいか、体温が上昇しているらしく、普段は感じない良い匂いがふんわりと立ち上ってきて鼻腔を擽ったとか。その結果、意図せず危うい状態になりかけ、「膝枕でそれはマズい」と、萎えることを必死で考えながら窓の外を凝視していたとか。
(言ったら本気で殺しにきますよね、この人)
教室に戻る道すがら、ラルフの背を見て小さく独り言ちるカインであった。