二人の転生者
冷たく言い放たれた「出て行って」の言葉に、素直に従った。その語気に怯んだのは、アンジェリカの闇が、私の想像など及ばないほどに深いと知ったから。
どうしてそこまで私が憎まれるのか、本当のところは、本人でなければわからないけれど、何となく、ほんの入り口程度は理解できる。
『同じ転生者なのに』『ズルい』と、彼女は言った。私が転生者であると知ったのは、七歳。既に自分の二つ名が「魔王」である、という問題はあったが、前世の知識を活かせるだけの財力や、周囲の理解には恵まれていた。そもそも、高位貴族の令嬢として、何不自由無く育ったのだ。それだけでも、きっと、彼女にとっては憎むに足る、十分なズルであろう。
ゲームの設定のままなら、アンジェリカは男爵からの支援も得られず、母と二人、貧しい町娘として過ごしていたはずなのだ。彼女もまた七歳程度で前世の記憶が戻っていたとして、その知識を活かす方法など、無かったのだろう。それより、日々の糧を得る方法を模索するのに、心を砕く必要があったかもしれない。
アンジェリカはどう生きてきたのだろうかと、実際のところは何も知ろうとしなかったくせに、何も知らずに勝手に怖がっていた自分が恥ずかしい。もっと恥ずかしいのは、アンジェリカを見て、周囲からの悪評を知って、安心していた自分の傲慢さだ。アンジェリカに出し抜かれる危険がないと安堵して、私に対する気持ちを知っていながらクリス王子やラルフを、友達だなどと線を引いた。誰も選ばず、誰も手放さないで済むように……。
きっと、アンジェリカには見透かされていた。それが物凄く恥ずかしくて、更に、気付かされた自分の醜さに涙が零れた。
それでも、この点では、私は間違えていない。きっと、アンジェリカは何か問題を抱えている。それは確かだ。でなければ、折角、前世の知識が活かせる場に出たのに、おかしな行動ばかり取るはずがない。
絶対、助ける。嫌がられようと、見過ごせない。目の前に困った人がいて、それを助けられるだけの力が悪役令嬢にはあるのだから。
「どうしたんですか?」
医務室のドアの前で立ち竦んでいると、いつの間にか、カインがそばにいた。
「校医の先生、呼んできましたよ。もう来ます」
「ありがとうございます。急いでくださったのですか? 早かったですね」
「使ってください」
惰性の会話を遮るように、ハンカチを差し出される。決意したつもりで、涙腺だけは壊れた蛇口みたいにだらだらと涙を漏らし続けていて、それが止まらないものだから、自分でも焦る。
「わわ。ごめんなさい。お借りします。ごめんなさい。本当に。泣いたりして、ごめんなさい。ごめんなさい……」
クリス王子ごめんなさい。ラルフごめんなさい。アンジェリカごめんなさい。謝りながら、どんどん惨めになって、わんわん泣いた。わんわん泣いて、ふと、何の反応もないと気付いて顔を上げると、無感情な目とぶつかった。
「謝らなくて大丈夫です。私が泣かせた訳ではないので、何とも思ってませんから」
何も言わずに待ってくれた優しさと、あまりに素っ気ない物言いに、気が抜けた。
「本当に、その通りね」
借りたハンカチで涙を拭いながら、思わず笑いが込み上げる。私なんかが泣いたところで心に波風立たない、との内容を易々と言い放ったカインが、小気味良かった 。
「怪我人は!?」
そこへのんびり現れた校医の先生が、涙に濡れる私を見て焦ったのか、大急ぎで医務室に駆け込んで行った。そして、その足で戻ってくる。
「えっと、……怪我人は?」
「え?」
言われて、慌てて医務室のドアを開けると、そこには既に誰もおらず、ただ、開いた窓に吸い込まれるようにカーテンが揺らめいていた。