男性は何やら勘違いするらしい
すみません。王子が面倒臭くて、アンジェリカが出てくるとこまでいけませんでした。
ついにデビュタントボールの日がやってきた。
この日、社交界デビューする令嬢たちは、母親と共に会場へ入り、控えの間に通される。そこで娘をエスコート役の男性に引き渡した母親達は、そのまま会場へ流れていく。
というわけで、今、目の前には正装したクリス王子が立っていて、淡い若草色のドレスを着たお母様がこちらを見ながら顔を綻ばせて去っていく。
今日のために用意したドレスは、身体の上を絹が流れるようなデザインの、飾りの少ない物だ。ただ、裾に繊細なレースがたっぷりと付き、様々な形と大きさの真珠をふんだんに縫い付けてある。髪はふんわりとアップに纏め、真珠の髪飾りで飾った。他の装飾品は、雫型の真珠が揺れるイヤリングと、同じく雫型の真珠と数粒のダイヤが付いた金の鎖のネックレスのみ。これは、ナイトガウンパーティーの時に皆が選んでくれたものだ。「クラウディア様は余計な物で飾って胸元を隠さない方が絶対良いです! 鎖骨が! デコルテが! 美しいので!!」と、特にミザリー嬢は力説していた。
「クラウディア……」
クリス様が立ち尽くしたまま、黙り込んでしまう。感想を言うなら、早く何か言って欲しい。なにせ、この所はお兄様以外の男性には、男子の制服姿しか見せていないのだ。
美しく着飾った令嬢達の中で、なんだか自分だけが慣れないドレスを着せられ浮いているようで、背中がむずむずする。
「あの……! クリス様、今日の装い、素敵です。王子様みたい。あ、いえ、王子様なんですけど。何言ってるんだろう……」
我慢しきれず、自分から口火を切った。そして失敗した。クリス様が面食らっている。
「ふふっ。ありがとう。クラウディアは本当に可愛い」
「可愛いですか? ちょっと大人っぽ過ぎるかなと思っていたのですが」
「いや、似合っているよ。とても。ごめん、ちょっと美し過ぎてまともに見れない……」
うわぁ。感想を言われたら言われたで、やっぱり恥ずかしい。
頬が熱くなるのを感じながら、ミザリー嬢たちの言葉が蘇った。私が、男性と目を合わせないとかいうやつ。確かにその通りだった。気が付けば、私はクリス様の口元ばかりを見つめている。
その口元を手で隠され、思わず目線を上げて、瞳を覗き込む。
「ごめん……。あんまり見ないで。恥ずかしい」
目を見られるより恥ずかしくないと思うのだけど、と腑に落ちないながらも素直に従って、口元に目がいかないよう瞳を見つめる。と、今度は顔を背けて目を隠された。
「ごめん。やっぱりそれも駄目だ」
「私にどうしろとおっしゃるのです?」
「いや、本当にごめんね。……ちょっと、私はあなたについて、思い込みがあったようです。初めて会った時の、清楚そのもので、無邪気で、妖精のような、小さなクラウディアのイメージから抜けていなかったのかな。……すみません。レオンに絡まれて、おかしな噂になっているのも知っていましたが、私のイメージのあなたと噂の内容とが重ならなくて。実際、ほんの小さな事故があっただけですし。すぐに消えるものと思い込んでいました。あなたを見れば、そんなのデマだとわかるじゃないか、と。……しかし、私が間違っていました。子供の頃のイメージから離れて、大人になったあなたと、今、初めて向かい合って……理解しました」
こっちは、全く理解できない。何を言いたいのだろう。
困って無言でいると、相変わらず口元を隠したままのクリス様が、空いた方の手で私の手を取った。そして、きょとんとしたままの私をチラリと見て、深い溜め息をひとつついた。
「あの、ですね……。取り敢えず……。今日、これから、たくさんの男性に話しかけられたりダンスを申し込まれるでしょうけれど、口元を見つめては駄目ですよ」
「なぜです?」
「……とにかく駄目です」
「理由がわからないことには、承諾できかねます」
「そうですね……。たぶん、癖なのでしょうけれど、あなたは唇をうっすらと開いていることが多いようです。その上、御自分の唇に指を乗せたり、なぞったり、しますね。それをしながら口元を見られると、男は、ちょっと……勘違いします」
「勘違いですか? 何を?」
「あの……ですね……」
再び深い深い、魂の抜けるような溜め息をつかれてしまった。何が言いたいんだ。こっちが溜め息つきたい。
「とにかく、絶対駄目です」
なんなんだこの人は。目を見るのは恥ずかしいんだってば。
「あ、また指で唇をなぞった。それも禁止です」
いちいち細かいな。癖なんだから禁止されても出ちゃうよ。小姑か!……しかし、まぁ、
「わかりました。……わからないけど。善処します」
「唇を尖らせるのも禁止です」
そんな会話の後は、ずっと手を握られたまま、方々廻って顔見知りの令嬢に挨拶する羽目になった。恥ずかしいし、女子同士の話をしたかったのだけれど、結局、全ての令嬢達の最後に私の名を呼ばれて会場入りするその時まで、クリス様は私の手をしっかりと握ったまま、離してくれなかった。