五者五様の思い
目が覚めたら、いつものベッドの上で。いつもの枕、いつもの布団、いつもの私の部屋の匂いがした。違うのは、既に日が高いことくらいか。「ああ、随分朝寝坊してしまったなぁ」と何でもなく起きあがろうとして、身体のあちこちが鈍く痛んだ。
忘れていたわけではない。忘れようとしていただけ。身体の痛みも恐怖も夢だったのだと、思い込もうとしただけ。
「お嬢様、目が覚められたのですね!」
ベッドに座ったままぼんやりと窓の外を見ていると、いつぞやの朝、私に洗顔用の水をぶっかけられた侍女が部屋に入ってきて私を見つけ、本心から心配そうに駆け寄ってきた。あの時は、ごめんなさい。受け止めてもらえると思って甘えたの。もっと可愛い甘え方できれば良かったのにね。
「ベッドから起きずに食べてください」
そう言って、軽く摘まめる朝食と紅茶を運んできたのは、私にパンを投げつけられた給仕係だ。
皆の私を気遣う温かい笑顔に、ポロポロと涙が零れた。
クラウディアがただ悪いだけで、愛されていなかったなら、どんなに『わたし』が謝ったところでこんな笑顔は貰えなかったように思う。私は、ずっと、ちゃんと大切にされていた。『わたし』に押しつぶされ、消される前に、クラウディアが愛されていたと気付けて良かった。クラウディアが本当の悪役令嬢になってしまう前に『わたし』を思い出して良かった。温かい場所に帰ってこられて良かった。
「ごめんなさい」と「ありがとう」を繰り返す私に、屋敷中の者が集まってきて代わる代わる慰め、帰還を喜んでくれた。
漸くクラウディアと『わたし』とが溶け合った私は、子供らしく怖がり、怒っても、三十路女子らしく感情の処理ができるようになった。変化といったらその程度だけれど、クラウディアには踏み出せなかった大きな一歩を踏み出せた。
そして、この時はまだ知らなかったのだけれど、この事件をきっかけに大きな動きがあった。
私に狼藉を働いた二人の男は、隣国の下級軍人だったそうだ。我が国と隣国とは長い間境界線を奪い合う領土問題を抱えている。今のところ戦争になってはいないが、最近、隣国が境界線を越えて勝手に森を切り開いたことで、一触即発と言えなくもない。
そう言った間柄の国の軍人という公人が、王太子殿下の婚約者、未来の国母を傷付け、誘拐しようとしたのだ。これは国家として抗議せねばならない案件であり、国際問題になりかねない。更に、被害者が、通常であれば戦争の抑止力であるギョー家の娘であるというのが、より事態を悪くしていた。
国内でも武闘派の貴族などは、これを機に隣国に攻め入り、武力で押し戻そうと言い出しかねない。ギョー家としても、娘を傷付けられては戦争を支持するしかなく、王家とギョー家が意見を一にするということは、戦争を回避する理由がないということであり……。
今回の事件については、既に大規模な聞き込み調査や山狩りを行っており、事件の存在自体を秘密裏に処理することは難しい。となると、まだ正式な発表がされていなかった「婚約」の方を無かったことにして、国際問題に発展するのを防ごうという運びとなった。隣国に報復したいギョー家を、王家が制した形を取ったわけだ。
つまり、婚約破棄でなく、婚約解消という、より穏便な形での王子との関係の打ち消しが成ったのだ。
このことについて、お父様は「あくまでも一時的にだ。ほとぼりが冷めるまでだ」と言っていたけれど、その後、ご挨拶に城へ上がった時に、そうでないと実感した。クリス王子はこちらをチラリと見て、「息災でな」と別れの挨拶を投げ、顔を背けると、もうこちらを見てもくれなかった。やはり婚約者だから親しくしてくださっていたのか、事件のことで私が面倒になってしまったのか……。何にせよ、以前のような砕けた様子はもう、見せて貰えないようだった。
このことで少し落ち込んだけれど、いずれくるその時が早まっただけだ、と受け止めた。
事件の後、変わったのは王子だけではない。まず、お兄様が気持ち悪くなった。
「おはよう、クラウ。今日も美しいね」
「クラウ、階段に気をつけて。手を引いてあげよう」
「クラウ、今日は風が冷たいから一枚何か羽織った方が良い。お前の美しさをより際立たせるものを、僕が見繕ってあげよう」
え、何? 過保護なお母さんですか? ってくらい、一日中つきまとってあれこれ世話をしたがるし、とにかく褒める。聞くところによると、自分が妹のそばを離れたためにあんな事件が起きたのだと自責の念に捕らわれ過保護を発症し、妹の死が頭を過り絶望しかけたことで、「伝えたい思いは隠したりせずその場で素直に伝えなくては、その人に伝える機会を永遠に失ってしまうかもしれない」と悟ったとのこと。
そんなわけで、包みも隠しもせぬ超過保護なシスコンになってしまった。クールなお兄様はどこへ……。
それから、ラルフ様は「今はまだ、あなたをお守りする力が無いと思い知りました。きっと、強くなって帰って参ります」との手紙をメルティローズ伯爵に託して、遠い極東の島国へ修行へ出てしまわれたそうだ。
極東の島国って……。忍術でも学んで帰ってくるんだろうか?
王子の態度には寂しい思いをしたし、事件に関して引っかかる部分もあるけれど、とにかく今は、ゲームのシナリオから大きく外れたことを喜び、新しいクラウディアとして生きていっても良いのかなと思うのだった。
これにて、第一章幼少期編は終わりです。
続けて第二章デビュタント編もお楽しみください。