エピローグ
「え。卒業したら二人で東国へ新婚旅行に行く?」
「ねぇ、ちゃんとオレの話聞いてた?」
卒業生を送り出して、既に一つの季節が過ぎていた。学年の上がった新しい教室。人待ち顔のラルフを捕まえたのはカインであった。
「クラウディアが東国の文化に興味があるって言うから、国王陛下から打診されていた東国との国交交渉の役目をお受けしようかと思う…… って言ったんだけど」
何が違うと言うのか、とは敢えてつっこまない。
「今すぐ一人で行って良いですよ。あの方のことは私にお任せください。変な虫がつかないように側に控えて見張っていてさしあげますから」
お前が一番油断ならない虫だよ、とは敢えてつっこまない。
「まあ、しかし、納得です。それで最近、二人にしか分からない聞き慣れない異国の言葉で、こそこそと内緒話していたわけですね」
「カインってば、言い方に棘があるよねぇ。必要な時までに言葉を習得したいってクラウディアが言うから、簡単な日常会話に東国の言葉を使ってるだけだよぉ」
「二人の世界を作って、周囲を牽制してるのかと思っていました。今も、惚気て私を牽制してるのですよね」
「えー? 気のせいじゃない?」
わざとらしく目を逸らすラルフに、カインは軽く殺意が湧く。
恋仲になったと二人から報告を受けた時には、気落ちしながらも受け入れようとしたカインであったが、一時のショックが過ぎると今度は、なかなか婚約しない二人に業を煮やし始めた。
「早く婚約すれば良いんですよ」
「政治的な理由で、なかなかお許しが出ないんだよね」
「政治的? メルティローズ家とギョー家は政敵ではないはずでは?」
「うちは父上がもう、昔からクラウディアを嫁に!って言っていたし、手放しで大歓迎なんだけど」
「では、ギョー公爵に反対されているんですか? ラルフ様、何か粗相でも?」
「いやそれも違う。オレ個人がどうのと言うより、オレが王家と近過ぎるのが気掛かりみたいだよ。それと……」
「それと?」
「いや、やっぱりいいや」
ギョー公爵はカインを推しているから、とは言わずにおいた。正直、公爵の気持ちも察するに余りある。クラウディアをなんとか異国に送り込もうとする国王と、実際の指示を受け実行役となるラルフは、公爵にとっては娘を奪う敵なのだろう。それより、共通の目標を持ち国内にとどまってくれる、カインに嫁がせる方が良いに決まっている。そもそも、元からカインは公爵のお気に入りだ。
「じゃあ、物理的な距離が開いたのは何なんですか」
「え」
「以前のラルフ様は、隙を見ては触ってましたよね。髪とか、指とか。このところ、しなくなったようですが。というか、なんなんですか? ぎくしゃくし過ぎです。先日など、二人並んで歩いていて不意に指が触れただけで、二人して慌てて手を引っ込めて、頬を染めていましたよね。そこから、意識し過ぎて、一言も発せなくなって、お互いそっぽ向いたまま無言で歩き続けてましたよね。で、別れ際に手を振った後、視界に入った自分の中指…… 触れた指ですか? を、見つめてまた頬を染めてにやにやしてましたよね。もう、甘酸っぱ過ぎて、見ているこっちが恥ずかしかったのですが」
「な、な、なな…… み、見てるなよ! そんなの!」
「なんだか残念です。ラルフ様はもっとガツガツしたタイプかと思っておりました」
「ガツガツしてるよ! ガツガツしたいよ! でも駄目でしょう。腹減ってる時に目の前に大好物のご馳走出されて『あなたのものです』って言われたら、我慢できないでしょ? どれだけ我慢してきたと思ってるの? 一旦手を出したら、満足するまで貪り尽くすでしょ? だから駄目。クラウディアは大事にしたいの。見ないようにしてるんだから、ほっといてよぉ」
「貪り尽くせば良いじゃないですか」
「クラウディアと同じこと言わないでくれる? あの子、本当に怖い…… 全然分かってないで、そういうこと言うんだから……」
やっぱり惚気じゃないか、とカインは半ば呆れながら尚も付き合う。
「せいぜいあと二年、頑張って我慢してください。……それだけあればラルフ様の暗殺部隊も後継の隊長が育ちますね。それも見越しての二年ですか?」
「暗殺じゃなくて、諜報な。だが、そうだな。今まだ、オレが抜けると統率が取れないんだよね。元々、はみ出しものの寄せ集め隊だからねぇ。ただ、まあ、二年あれば下が育ちそうかなとは思うんだ」
「アリシアはどうしています?」
「ああ。よくやってくれている、と言うか、嬉々として朝から晩まで新しい毒薬の研究している、と言うか。うちの隊に入れたのは、もはやご褒美だったよね、あの子にとっては」
ははは、と乾いた笑いで茶を濁しつつ、カインの頭にあったのは、二年でマクスウェル家の借金を返済し切る算段と、自分不在で当面の間マクスウェル家の事業をまわすための算段であった。脳中で、かち、かち、かち、とパズルのピースがはまっていく。
「……いけるな。ラルフ様、私にも東国の言葉を教えてください」
「なんで?」
「いえ、お二人を邪魔するつもりは無いのですが、東国では真珠の粉末に薬効があるとされ珍重されているそうなのです。以前から、新たな輸出先を開拓するために東国に行きたいと考えていましたので、ご一緒できないかと。お二人を邪魔するつもりはないのですが」
「え。それ、邪魔する気満々だよねぇ」
「いえ、お二人を邪魔するつもりはないのですが、私はあの方に思いを伝えておりませんでしたので。一度も、何も動かないままでは諦めることもなかなか難しいなぁと日々後悔していたり、どうやらお二人の間にはまだ入り込む隙がありそうだと思ったりはします」
「邪魔する気どころか、隙あらばかっさらう気満々だね!?」
「ラルフ様が駄目なら、……いいですよ」
「オレが駄目ならクラウディアに頼むからいいですよ、の『いい』だよね、それ。怖っ! 汚っ!」
「それで、あの方はどちらに行かれたのですか?」
「ん? 生徒会を発足するって言って、学園長に直談判しに行ったよぉ」
「生徒会、ですか?」
「うん。なんでも、結局は男尊女卑云々に先んじるのはミンシュシュギなんじゃないか、とか。ミンシュシュギを学生時代に体験させてやれば、その世代から思想が育つのでは、とか。サリーはやり方が性急過ぎたのよ、とか。私ならもっと上手くやるわ、とか言っていたけど。ちょっと何言ってるか分からなかったし、面倒だから聞き流しちゃったよねぇ」
………………
「あの方、ちょっと変わりましたよね」
「そうだね。少し魔王が戻ったねぇ」
「結婚、考え直した方が良いんじゃないですか?」
「考え直しません。本当にカインは隙あらば、だね」
「ちっ。早く諦めてください」
「なんでオレが諦める流れになってるの!?」
二人が漫才のような掛け合いをする教室の外に、学園長を見事説き伏せ、生徒会発足の許可を得て跳ねるように廊下を駆けて来るクラウディアの楽しげな足音が響いてきた。
了
本編はこれにて終演ですが、書ききれなかった部分を番外編として少し、不定期で更新していきます。
次回作準備中ですが、がっつりRー18になる予定です。大人な方だけ、ムーンライトで会いましょう☆