ぎくしゃく
◇
リンドブルムの王家一行も引き上げた穏やかな昼下がり。城に隣接する広大な軍事演習場の奥まった一角で草の上に座り込み、ラルフは東国から持ち帰った暗器を磨きながら小首を捻っていた。自分の隊に入ったばかりの新人に持たせる武具を吟味していたのだ。彼女の専門は毒の精製であるが、最低限に自身を守る術くらいは持たせておきたい。手の中に収まる卍型の刃物や鎖のついた小さな鉄球などをひとつひとつ取り上げてみるが、一向に考えがまとまらない。
(心に淀みがあるからかな……)
独り言ちて諦め、仕事を放り出してその場に寝転がる。見上げた空が高い。クリスやルイスが卒業して学園を去る日も近いのだ、と意識すると心がざわついた。何事もなければ、自分も当たり前にその仲間にいたはずが、実際にはまだあと二年、クラウディアとカインと共に過ごすのだ。
(気付いているかどうか分からないけれど、クラウディアはカインを好きなのだろうな……)
二人を見ていたくなかった。相手がクリスなら、見守る覚悟ができていたものを。否、キスなどしてしまったからであろうか。要らぬ嫉妬心がちりちりと心の尻尾を焦がす。
あのキスがなぜ受け入れられたのか、ラルフはクラウディアの気持ちを図りかねずにいた。あれから何日も経ち、色々な事があった。二人とも忙しく、このところは顔を合わせる機会も殆ど無い。実際には、ラルフ自身がクラウディアの現れそうな場を避けていたのだけれど。そうする理由が恐れであるのを、認めたくなかった。
焦げた胸がじくじくと膿んでいくような感覚に襲われ、目を瞑る。
クラウディアが誰を選ぼうと自分は彼女の忠実な騎士であると、もう公言などできない。他の男の隣で笑うクラウディアに、いじましい思い無く添うことができないのだから。
「はあ。切ない」
「どうしたの? お腹でも空いた?」
漏らした独り言に頭上から返答され、その声に驚いて飛び起きた。
「クラウディア。どう、やって…… ここまで来るんですか。あなたは」
「普通に歩いてきたわよ。先日、お城で女子だけのパーティーをさせていただいたから、王妃様のところへお礼に伺ってきたの」
「いや、そうではなくて……」
この一帯は隠密隊の演習用の、そこかしこにトラップが仕掛けられているはずであった。まさか、そのトラップ全てを避けて歩いてきたと言うのか。
半ば呆れながらちらりと横を見ると、スカートが汚れるのも気にせず隣に座るクラウディアと目が合い、にこりと微笑まれる。久しぶりに触れる柔らかい視線に、さっきまでの切羽詰まった心が緩んだ。
「そんなに易々と王妃殿下に会えるのですか」
「王妃様もナイトガウンパーティーに混ざりたかったのですって。寝間にお菓子の差し入れをいただいて、少しの時間だけ楽しくお喋りさせていただいたの。もうすっかり仲良しだわ。ところで、それはなあに? 武器?」
草の上に散らばった物騒な品々に目を輝かせ、手を伸ばそうとする令嬢の姿に苦笑う。
「ええ。他人を傷つけるための道具です。あなたはこんな物に触れなくて良いのですよ」
ラルフの言葉にクラウディアは眉をひそめ、頬を膨らませて不機嫌を示す。
「私、ラルフは過保護だと思うわ。どうやって使うのかしら。これはみんな、あなたの物?」
「東国から持ち帰ったものですが、新人に護身具として使わせてみるつもりです」
「新人って、アリシアよね」
「ええ。あの娘は毒に対する耐性を身につけていますしね。このあたりの物に毒を塗って隠し持たせれば……」
「アリシアには触らせるのね」
先程までより更に膨れるクラウディアに、ラルフは戸惑った。何を不満なのかが分からない。
「アリシアは、同じ隊で、同じ方向を見て、共に歩かせるのね」
「ええと? 凶状持ちになった彼女の身は、表に出ることの無い我が隊で引き受けましたので」
「そうだけれど。そうじゃなくて。私のことは知らぬ間に陰から守るだけなのに」
「それは……」
「彼女だって元は子爵家の令嬢だし、得物は不釣り合いだわ」
「はぁ」
「それに、ラルフの私物でしょ? それを護身用に常に身に着けるなんて、」
話が逸れても気にせず不満が止まらないクラウディアを、ラルフが「あはは」と笑って制止する。
「笑い事じゃないわよ」
尚も膨れるクラウディアに、ラルフは意地悪したくなる。
「だって、今のクラウディアって、オレを取られたのが嫌でアリシアに嫉妬してるみたいだよぉ」
ほんの軽口のつもりだった。「何を言ってるのよ」と、或いは「本当ね」と笑うものだと思っていた。しかし、実際に目の前あったのは、固まったまま、泣きそうな顔で耳まで真っ赤にするクラウディアの姿であった。
予想外過ぎる状況で、咄嗟に頭が働かない。実際には何秒という短い時間であったが、時が止まったように動けなくなる。
そんな時間を終わらせたのはクラウディアであった。急に立ち上がると、ラルフにフォローする暇も与えず一目散に逃げ出したのだ。
「待って!」
追いかけようと走り出してすぐ、ラルフは落とし穴にはまった。そう言えば隠密隊の演習場だったと呆れつつ自分の掘った穴から這い出してみれば、既に彼の人は、来た時と同じように全ての罠をすり抜けて去った後であった。
残り二話です。(たぶん)