夜会にて
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リンドブルムとの国交を結ぶ調印式があったその日の夜、ラインベルグ城で大きな夜会が催された。小さな夜会はあちこちで開催され、クラウディアも顔を出すことはあったが、国賓を招く規模のものは初めてで、さすがに気圧され、父の横で小さくなる。が、リンドブルムの姫君達は入場して早々にクラウディアの姿を見つけ、遠目ながらも特別な笑顔で会釈したり、小さく手を振ったりしてきたものだから、当然、注目を浴びることとなった。更に、会が始まると両国の国王に呼ばれ、二人の間で競うように功績を讃えられたり、挙げ句は断ったはずの縁談をリンドブルム国王から再び持ち出されたり、解放されたらされたで、名を売りたい貴族連中に取り囲まれてしまった。一対一の交渉事はお手のもののクラウディアであったが、多人数に囲まれるのは不慣れなこともあり苦手で、愛想笑いと相槌で乗り切る。そこへ、後ろから手を引く者があった。
「夜会にいらした令嬢を一曲も踊らせずに帰すおつもりですか? 失礼」
取り巻く貴族たちにそれだけ言って、輪の中からクラウディアを救い出したのは、クリスであった。
「余計でしたか?」
「いいえ。助かりました。とても困っていたので」
「ええ。そのように見えました」
くすくすと笑い、クラウディアの手を引いてホールの真ん中まで進み出る。
「隅で踊ってもどうせ注目の的だ。いっそ一番目立つ所で見せつけてやりましょう」
クリスの言葉通り、大勢の視線が絡みついてくるのを重たく感じながらも、音楽に合わせて振り切るようにステップを踏む。二人とも慣れたもので、一々考えずとも次の動作は身体が憶え込んでいたから、遠慮なく話ができる。
「あなたの案が採用されましたよ」
「どれのことでしょう?」
「拘束されていた罪人たちの処遇についての提案です」
「サリーに唆された貴族達から所領を取り上げる代わりに、溜め込んでいた財産を国境の街作りのために差し出させるというやつですか? やった!」
「各家、相当溜め込んでいましたから、工事費はそれだけで賄えそうです」
「足が出たら我が家の蔵を開けるつもりもあったのだけど」
「必要無いでしょうね。寧ろ、恨まれますよ。出資したい貴族は多いでしょうから」
「募集してみたら面白そうですわね。今ある貴族家を、旨味を嗅ぎつける能力で選別できるわ。……今回の件で、貴族の勢力図は変わる。上手く手綱を取らないと、王家の今後を左右する大勢力を作りかねません」
「その、最も油断ならないのはギョー公爵家だけれどね」
「そうですよ。ギョー公爵家を推す貴族は増えるでしょう」
「しかし、ギョー家は貴族には靡かないのでしょう?」
核心を突く言葉に、クラウディアが目をぱちくりさせる。
「所領を没収された貴族は王家への反感を募らせ、溜めていた金に余計に縋る。王家としても管理せねばならない領地が増えるだけ。手間を考えると利は少ない。誰も得しない。その点、工事費として金を出させれば、貴族からは反旗を翻す力を削ぎ、王家は国庫を開くこと無しに街を創建でき、雇用が生まれて民が潤う。あなたの提案は、国が溜め込む予定の財を民に還元させるための…… 経済を回すためのものですね」
「さすがに、見え見えでしたわよね」
「あなたの事業は、貴族から金を引っ張り出し、労賃として民に還元することを目的としているようだと、以前から思っていました。ほら、女生徒たちの間で流行した革靴は、すぐに権利を店や工場に譲ってしまった。それも、独占できないやり方で。それと、オセロでしたっけ、最近流行らせようとしているでしょう? あれも企画と最初の販売だけ請け負って、軌道に乗ったら方々に権利を切り売りして、誰でも作り、誰でも売れるようにと手引きしている」
「何でもお見通しですのね。少し驚きました」
「真珠の養殖に力を入れているのは、安全に入手できる宝石だからですね」
「そこまで…… そうです。鉱石を掘る作業は危険がつきものですし、ほぼ男性の独壇場。真珠は違います。女性の雇用を生みますし、何より安全。貴族の道楽の為に、民の身を危険に晒すのは心苦しいの」
既に曲は変わっていたが、踊り続ける。もう周囲の視線も気にならないのは、ただ、この会話が楽しいからであった。
「こんなに民を…… 国を思って尽くしてくれている臣を持つのは幸運なことですね。あなたは、この先もずっと、そうしていくつもりなのでしょう?」
「私には野望がありますの」
「野望、ですか?」
「はい。もっと、もっと、民が娯楽に目覚めるよう、生活を豊かにしてさしあげたいのです」
「娯楽? 闘技場や酒場や色街なら……」
「女性や子供は楽しめませんでしょう? もっと多様な目的の絵画、もっと様々な対象に向けた文学、見るための踊り、歌うための音楽だって欲しいし、それらを誰でも楽しめる場が欲しい。娯楽は文化です。私は貴族の着飾った文化ではなく、もっと、庶民の文化を楽しみたいのです」
クリスが呆気に取られた顔をする。それもそのはず、民に尽くすのは国のためでなく自分の趣味のためだと言い切ったのである。
「がっかりなさいました?」
ぷっと吹き出したクリスは、これまでに見せたことのない、屈託のない少年のような笑顔で笑い出した。
「惚れ直しました。……いえ、私はこれまで、あなたの何を見ていたのだろうと、目が覚める思いです」
クリスが言おうとしていることを朧気に察したクラウディアは、何か言いかけた口を噤んで次の言葉を待った。
「あの夜、あなたにあんな顔をさせたのは、私ではないのでしょう?」
動揺して、思わず足を止める。
「分かってしまいました。あなたの目は私を通り越して別の誰かを見ていた。……あなたに、気付かせた男がいたのでしょう?」
「それは……」
「またそんな、泣きそうな顔をする。良いのですよ。気にしないで。私では、あなたに気付かせることができなかったのだから」
「クリス様、私……」
「私には新しい目標ができました。あなたという忠臣に愛想を尽かされない、強い国王になります。これからも、ラインベルグの為に働いてくださいますか?」
クラウディアが頷くと、クリスは取り合った手に力を込めて握り締め、そっと身体を離した。
「……曲が終わった。行ってください。立ち尽くしたままなのを、皆心配そうに見ていますよ」
「クリス様。ありがとうございます」
顔を見たまま後ずさるように数歩下がった後、踵を返してその場を去る。その背中から目を逸らすことまではできないクリスであったけれど、すぐに人混みに紛れたのを確認して、諦めと安堵の混じった心地で息をついた。