三つ巴のお茶会
「では、マクスウェル卿はその提案を受け入れたわけですね」
クリス王子が素晴らしく優美な仕草でティーカップを口へ運びながら、私の話に耳を傾けてくれている。うっかり直視すると眩しい。
蔵書庫へ好き勝手出入りさせていただいた御礼を言いに城へ上がったのだが、お茶の誘いをいただいて、今、こうして同じテーブルについている。幸せ。ちょこちょこ盗み見て、その麗しいお姿を目に焼き付けておこう。後でこっそり楽しむのだ。
「どうかなさいました?」
「いいえ、何でも。……既に実際の池蝶貝の生息状況を確認するための調査団を組織し、マキシ湖に派遣いたしました」
「それにしても、凄い企画力と行動力ですね。我が真珠姫は。この資料も素晴らしく良くできている」
ふわぁぁぁ……。褒められたことよりも、「我が真珠姫」の文言に顔が熱くなる。自分が誰かのものって、そんなこと前世でも言われたこと無いし! 物凄くこそばゆい。恥ずかしい。馴れない。
こんな時は特に強く感じるのだけれど、この身体の中には、前世の『わたし』と、『わたし』が顕れる以前の悪鬼クラウディア、そして、二人を知り、調停するための私、という三人の人格がいるようだ。決して多重人格というわけではないけれど、その時々で表舞台に立つ感情が入れ替わる。
例えば、プレゼンの準備の時は『わたし』のこの世界に対する知識欲と入念さが働き、実際にプレゼンテーションする時にはクラウディアの大胆不敵さが現れ、普段は私が二人の間に入って喧嘩しないようにしている。仕事に関しては、そんな風にそれぞれの得意なところを役割分担して成功を掴めるかもしれないけれど、それが、恋愛や外見に関することとなると、どうにも『わたし』の瞬発力が高い。劣等感やトラウマなんかが魂に刻み込まれているんだろう。クラウディアの感情が湧くより先に『わたし』が自分を否定する。
クリス王子の言葉も、嬉しいけれど、嬉しくなりきれない。「真摯な人だから婚約者という立場上、言ってくれているだけ。わたしなんか愛されるわけない。今は『我が真珠姫』と言ってくれるクリス王子も、アンジェリカが現れたらそちらの方が良くなってしまうんだ。わたしなんかがヒロインに勝てるわけない」……と言う卑屈な思いが、錆びのように頑固に心にこびりついて、剥がれない。
しかし、今、それよりも問題なのは……
「人前でよくそんな恥ずかしいこと言えますねぇ。王子ぃ」
何故、この席にメルティローズ伯爵の御令息であり攻略対象者の一人である、ラルフ・メルティローズ様もいらっしゃるんでしょうね!? ってことだ。
一つテーブルで三つ巴に座る顔ぶれに、一人怯えて縮こまる。
「あのぉ、メルティローズ様、あの……」
「ダメですよ。姓で呼ばないでください」
被せてきた。メルティローズ姓が余程嫌なのだろう。
「あ、はい。えっと、私、ラルフ様に謝りたくて。先日メルティローズ邸にこれまでの狼藉について謝罪に伺ったのですが……」
「え、そうなの? オレ、居なかった?」
「いえ。そうではなくて、お父様のメルティローズ伯爵が、『倅の落ち度ですから、捨て置いて結構。穴に落ちるのも勉強、勉強!』と仰られて……」
「ああ、あの人は言うね」
「いつぞやは、本当に申し訳ありませんでした」
「いいのいいの。勉強、勉強!」
ふふふあははと二人で笑い合う。ラルフ様とは幼い頃から何度となく顔を合わせたことはあったが、こんな風に落ち着いて話すのは初めてだ。知らなかったが、さらっとしていてベタつかない、楽しい人だったんだな。
「それに、オレも罠に嵌めようとしちゃったし」
「………………? あぁ。先日の優しい罠はラルフ様でしたのね」
「優しい罠?」
ティーカップに視線を落としていたクリス王子が顔を上げる。うっ。眩しい。
「はい。怪我をさせないよう気遣われた罠です。先日、庭園を中心にあちこち……」
「なっ! あれはおまえの仕業か。あれから城の警備が厳重になって、自由に散歩もできなくなったんだぞ」
ラルフ様がわざとらしくそっぽ向いて口笛を吹いたりするものだから、クリス王子も私も、思わず笑ってしまう。
「でも、私が確認したものは全て、ちょっと困らせたりびっくりさせるだけの罠でしたので、随分性格の良い方がお作りになった罠だなぁと楽しんでおりましたの」
「ちぇっ。余裕綽々かぁ。どこでわかりました?」
「ええと、中庭の……近衛兵さんが落ちた穴です」
「それ、最初のやつじゃん!」
「掘り方が浅そうだったので。最後の、庭師のお爺さんが落ちたものは、深そうだけど音がしなかったので見に行ったら、底に藁が敷いてありましたね」
ふふふ、と笑うと「全部お見通しかよぉ」と地団駄を踏んで悔しがる。ラルフ様ってゲームではひたすら飄々としているキャラだった気がするけれど、実は凄く負けず嫌いなのだな。可愛い。
「ふふ。ご安心ください、ラルフ様。私が以前、あなたのために用意した罠は、全部で十個です。九つは気付かれもせず突破されてしまいましたのよ」
「まさか……!」
こくりと頷くと、ラルフ様の顔がみるみる赤くなった。怒らせてしまったようだ。
「申し訳ありません。現在は改心しております。もうあのようなことはいたしません」
「そうなの? それは残念。できればトラップ合戦したかった」
「……やりますか?」
テーブルを挟んで顔を見合わせ、ニヤリと笑う。二人の視線のぶつかるところで、火花が散った。
「ちょっと待て。二人で寄ってたかって城を穴だらけにするつもりか?」
あ、王子も居たんでした。うっ。眩しい。
「クリス様、トラップというのは落とし穴だけじゃありませんのよ」
「そうです。しかし、相手を傷つけないように、という条件をつけると各段に難しくなるんだよなぁ」
「私も『誰も傷つけないトラップ』勉強しておきますわ。あの日も……」
何か思い出し、口を付いて出そうになったところで固まる。あの日……?
「どうしました?」
様子を窺う心配そうな王子の目と声に、はっとする。
「……いいえ。何でもありません。クリス様とラルフ様は罠猟はなさらないのですか?」
「私は知識としては知っているが、機会がなかったな。ラルフは?」
「勿論出来ますよ。やりますか?」
テーブル越しに、三人がそれぞれ交互に顔を見合わせ、好奇心に満ちた視線を交わす。
「やろう」
「やります!」
こうして、罠猟合戦が催されることが決まったのである。
……って。あれ? 私、攻略対象者とこんなふうに親しくして良いんだっけ?