僕が 歯科医師としての新人時代の頃の話
僕が 歯科医師としての新人時代の頃の話
僕が歯科医師国家試験に合格して
1年目は 月の給料 3万円の 大学病院で口腔外科に所属して
働いていました
2年目は 先輩の紹介で ある田舎の一般開業の歯科医院に
働きました
その頃 その歯科医院で 勤務している先生は 僕をのぞいて 6人
そこで働いている時 めちゃ怖いお局さんと
厳しい先輩たちがたくさんいて
1日100人以上 患者さんがきていて
一日中 立ち診療で 毎日運動会のようで
僕の体は いつも筋肉痛で
その病院は 礼節にとても厳しく 超~ブラックで有名な歯科医院で
下の人たちがなかなか入ってきませんでした
たまに 僕より 年が上の先生が 入社したと思ったら
あまりにもしんどすぎて すぐに退社されるという始末
僕は 修業と思って
頑張りまくりました
なので 僕は その歯科医院に 勤め始めてから
2年くらい ずっと 一番 下っ端で
皆から {永遠の一年生} と呼ばれていました
なので 狭い病院内で 毎日 常に忙しく
皆 疲れ果て いつも イライラしていて
ストレスのたまった先輩たちの標的になって
毎日怒鳴られいじめられまくり
2年 アシスタント生活をおくり
まったく治療はさせてもらえませんでした
上の先輩たちが 皆 歩合 で働いていたのも原因です
自分の担当になった患者さんを たくさん診れば診るほど
自分の 給料に反映するのです
なので なるべく ドクターの数が少ない方が
担当の患者さんを 受けもつことができます
なのでいつまでたっても いろんな理不尽なことを理由にされ 僕は
患者さんを持たせてもらえませんでした
毎年 春に 新入社員として入ってくる
高卒のかわいい助手さんも お局さんに ことごとくいじめられ
すぐにやめていく始末
トロそうなおばさんが入ってきた時は
皆が眉間にしわを寄せるほどの いじめを行い
すぐにやめていきました
ただ そのお局さんが 理事長さんがいないときの
その病院の実権を握っていたので
おかしいと思っても誰も何も言いませんでした
いえ 言えませんでした・・・
その頃の その病院は
数年働いている 20代のふてぶてしい助手さんと
30代のお局さんで 回っていました
ただ二人とも恐ろしく 仕事ができる人たちでした
僕は毎日 朝から晩まで
下働きを繰り返す毎日だったので
次第に スーパーハイスピードで動きまくるようになり おかげで 皆から
スーパードクターではなく スーパーアシスタント
と言われていました
でも 毎日毎日
繰り返し繰り返し 下働きを繰り返していたので
基礎は叩き込まれました
ただ その病院に関しては
いろんなことで労働基準で矛盾を感じて悔しくて
僕は社会保険労務士 を勉強ました
でも 労働基準の矛盾に関して言えば
「それならば 辞めれば」と言われるので
その頃は 我慢して安月給で 働きまくりました
ただ自分の病院を独立した時に
経営者になってから とてもその知識が 役に立ちました
その病院は 結果 3年務めたのですが
それだけ濃ゆい忘れられない激動の3年間でした
ある先輩には 髪の毛を 思いっきり 引っ張られ
殴られ蹴られ 2年くらいたったある時
100枚レポート書いてこい と言われ 書いて
仕事が終わり 夜10時過ぎに 彼に持っていくと
1ページだけ見て 「なんやこのレポートは!!! 真面目に書いたんか?」
と罵られ 下に落として足で踏んづけられました
(結局は 陰湿な いじめ・・・)
その理不尽な嫌がらせの行為を見た僕は
走馬灯のように 今まで 彼にされたいろんなむかつく内容の 恨みつらみが湧き出て
胸ぐらをつかんで怒鳴りながら突っかかっていきました
それを見た 皆に 「やめなさい~~~!!!」と とめられたことがありました
彼と僕は 犬猿の仲でした
あの頃は 皆が 熱い濃い人たちの集まりでした
ただ彼には 超~~~話術 を盗まさせていただきました
彼には敵意むき出しでしたが
彼がその医院を辞めるとき 彼が担当の患者のお婆さんが
彼がその医院を辞めることに 泣いて とても残念がっていたのを見て
歯科医師としての彼には 僕は とても尊敬していました
また その歯科医院はたくさん チェーン展開をしていて
理事長さん(社長)は 大成功されていて スタっフも 総勢 100人以上いる
でかいグループ だったのですが
その中でも僕は 理事長さんに とても気に入られ
お調子者で野心家だったその頃の僕は 理事長さんに 完全服従して
仕事が終わった10時過ぎに ほぼ毎日
理事長さんに 飲み屋街(繁華街) に呼ばれ 朝5時に解散
車で少し寝て そのまま 長距離運転して(約50km)仕事
毎日睡眠時間 2時間 の生活を送っていました
ある時は 異常に眠く
運転中 つい ウトウトして 死にそうになった時もありました
ただ その病院で 代理院長になると
月給が100万円以上になるので
頑張っていました
今 考えると 恐ろしい生活スタイルです
なので 僕は異常に お水の世界 が大嫌いになったのです
僕は お水の世界 より 仲の良い友人たちと
居酒屋でワイワイしたほうが 楽しいです
お水の世界に行くと 綺麗なお姉さまを見ることができるのはうれしいが
あの頃の 理事長に ぺこぺこと 気を使いまくっていた
きつかったころの トラウマ を思い出して
胸が苦しくなります・・・
そして 朝の渋滞に巻き込まれ
病院に たどり着くのが 遅くなり 朝 1分でも 遅刻したら
1日休み返上
また 理事長さんにも 理不尽にも
ことあるごとに 殴られ蹴られ・・・
グー で思いっきり顔を 殴られ 金〇 を蹴り上げられたこともあります
その生活が 約3年間
ある時なんて カバン持ちで京都に日帰りでお供させていただいたこともあります
よくあんな生活をしていたな~と思います
ただ理事長さんに
「お前は 熱い男で 腕も早くて 口も達者で 人にも好かれるだろう
が お前が開業しようとしている田舎では
スタッフはいくら給料をはずんでも ついてこないぞ
(僕が独立開業させてからの スタッフの病院の時給は
歯科衛生士も助手さんも 一律 最初から 1900円 でした)
だから お前は一人で何でもできるようにならなくてはいけない!!!
と理事長さんに いわれ
その頃は 下働きから何まで 何でもさせられ 毎日毎日
滅茶苦茶 働きまくりました
いつも 夜9時になると お局さんが
「はぁ~い 先生の皆さん 集まってくださ~い」
といわれ 一列にならばされ タイムカードを押す
皆がタイムカードを無事に押し終わると
お局さんが
「はぁ~い 先生の皆さん 残業頑張って下さぁ~い」と言って
お掃除の続きやいろんなお仕事の続きを皆
疲れた顔で 黙って 黙々と続ける
ある時なんて 僕が きついのを我慢して
掃除機を かけていると (夜 9時30分すぎ)
先輩がスタスタと僕の前に来て
「先生 もう掃除はしなくていいです 俺がします」
と言って僕の手から 掃除機を奪い取って
先輩が 黙々と掃除機をかけだした
僕は「!?」
となり
「先輩 どういうことですか?
僕に掃除機を使わせてください!!!」
とお願いしたが 無視された
そのまま ぼ~っ としていると
「お前~~~ 何さぼってんだぁ~~~!!!」
と他の 上の先輩 に殴られる おそれがある・・・
しつこく先輩に掃除機を譲ってくれるように お願いしていると
「###さん(お局の名前)が
もう掃除はしなくていいそうです とおっしゃいました」
と言ったので ふとお局を見ると
腕を組んで 眉間にしわ を寄せて 僕をじっと睨んでいる
彼女のもとに行くと
「すいません 僕が何かしましたか?」
ときくと 彼女は 怖い顔で
「嫌な顔しながら 掃除するなら
もうせんでよか!!!(掃除をしなくてよい)」
と怒鳴られた・・・
『ちょっと待ってくれぇぇぇ~~~
ただ疲れ果てているだけの顔やん・・・
にやにや笑いながら るんるん 気分で
掃除しろというのかぁぁぁ~~~』 と心の中で叫んでいた。。。
そんなこんなで そのお局さんにも
色々と理不尽な理由で しごかれた・・・
彼女は ベンツに乗って 仕事中でも
ロレックスをつけて 仕事をしていた
彼女は 元ヤンぽく 女性なのに
どしどしと がにまた で歩く。。。
あまり そういう女性は見たことがなかった・・・
最初の頃は 理事長の愛人 かと思ったが
違った・・・
ある日 激しく言い合いになって お局が
「あんたは どうして私に向かっていつも
激しく切れて 反抗するのよ=(怒)」
というので 僕は ###さん(お局の名前)
あなたの前には 大きな鏡があって
僕の写し鏡になっているんですよ=
あなたと同じ顔が 表情が 発言が写っているんですよ=(怒)」
というと
「どういうことよ=(怒)」
といってきたので
「そのまんま の話ですよ=(怒)」
とだけ言ってその時だけは無視した
それから少しずつ 僕もいろいろと上達して
怒られなくなった
最後の方は 僕を認めてくれていたらしくて
優しく接してくれていた
しかし もともとがヤンキー体質で
超~気分屋 なので 時々は理不尽な思いをさせられていた
でも性根は悪い人ではないと僕は感じていました
ある時など あまりにも
この病院はおかしい と思い
僕の同期で 仲間だと思っていた人に
「この病院 おかしすぎるよね~ 狂っているよね~」
と気軽に 愚痴を吐いたら
ある日 理事長にいきなり 呼ばれ
「お前 色々と かわいがっているのに
うちの悪口を 陰で こそこそ と 言っているらしいのぉ~~~」
と言われ
その頃 僕は その病院で
交通費 無し 残業代 無し で
給料 月に 30万円 でした
それが 10万円 いきなり 減俸にされた・・・
しかも 月の締め日 が25日で
次の月の 5日 くらいに給料が支払われる
その理事長に呼ばれた日が
おそらく 月末の 29日くらい
そして 減俸を言われた 数日後の
給料日にはすでに 10万円 引かれた
手取り 15万円 になっていた。。。
それを見た僕は ほぼ泣きそうになりながら
事務長さんに 「この金額は おかしい
今月は まだ給料30万円のはずです!!!」
僕は内心 30万円の給料をもらって その病院を飛ぼう(辞める)
と考えていた・・・
そして事務長が戻ってきて
「理事長が それで納得できないなら 『今すぐ辞めろ!!!』
とおっしゃっていました」
と言ってきた
僕はあまりにもムカつき
辞表を泣きながら書いていると
お局が飛んできて
「先生!!! なんで今 辞めるの!!!
今は目先のお金じゃないよ!!!
このグループで どんな治療もできるようになれば
そのあとでもどこでも ガンガン 働けるようになるのよ!!!
今 辞めたら あんたなんかどこにも 雇ってもらえないわよ!!!
今は 歯を食いしばって 踏ん張りなさいよ!!!
頑張っていれば 理事長も 認めてくれて
すぐにでもまた 元の給料にあげてくれるわよ!!!」
と励まされた
僕が 泣きながら辞表を書いていると いつもは怖い先輩たちも
「そうだよ お前 辞めるなよ
ここで俺たちと頑張ろうや」と励ましてくれた
でも その頃 精神的に病んでいた めちゃ ひねくれていた僕は
『こいつら 下働きする奴がいなくなるからだろう・・・』
と心の中で 皮肉を言っていた・・・
けれども その安月給で 頑張って働くことにした・・・
その日の夜も 理事長さんから 電話があり
数回ムカつきすぎて 無視したが
しつこくかかってくるので 電話に出ると
「お前どこにいるんや すぐに 繁華街へ こいや」
と言われた
しょうがなく 繁華街に向かった
いつものように 駆けつけ3杯 飲みほしたが
いつものように おちゃらける こと ができなかった
しかし 理事長は 何も言わず いつものように
普通に僕に接していた
僕は内心 『なんや こいつは!!!(怒)
なぜ 人の給料 いきなり10万円も下げやがって
平然と 僕に接しているんや!!!(怒)』
と思っていたが 『もしかしたら 給料 元の金額に戻してくれるかも』
と思ったが その後 ずっと 15万円 のままだった・・・
その後 お局に呼ばれて
「あんた 今回 なんであんたの給料が
いきなり 10万円 減らされたのか 理由は知っているの?」
と聞かれた
その頃の僕は 結構 アホ で
心を許した人には 病院の悪口を所かまわず 愚痴っていた
でも先輩たちも 同じで
夜 仕事が終わり 皆 無口で
外で たばこをふかしていた・・・
僕はその姿を ホタル族 と呼んでいた
僕はタバコは吸いません
僕は正直に 「わかりません・・・」
とお局に言うと 彼女は
「&&&&&(僕の同期) が理事長に
あんたがうちの病院の悪口を 陰で言っていると
告げ口したのよ あんたは口が軽すぎるのよ
あんたにとっては 友達と思っても
あっちは あんたのことを 友達なんて
これっぽっち も思ってないからね
だからこんなことになるのよ
あんたの自業自得よ
これからは たとえ仲の良い人にでも 注意しなさいよ
自分の身は自分で守らないと
うちのグループでは 生き残ってはいけないわよ!!!」
と教えてくださった・・・
つい最近 かつて僕が働いていた
この病院の ホームページを見ると
その中の一つのグループで 代理院長をしていて
幹部になっていた
新入社員の面接もしている 彼の写真も公開されていて
今でも 頑張っているようだった
つまりは 彼は 最初から
このグループで 頑張って生き残って 幹部になろうと
思っていたという事
それなのに アホな僕は 彼を信用して
何も考えずに 安易に 病院の悪口等
愚痴を吐いていたのだ・・・
そのことを お局さんが 優しくも
僕に教えてくださっていたのだ
気分野で すぐに切れる お局さんではあったが
ただ 彼女に鍛えられた面も多々あって
お局さんの機嫌で いつも僕は激しく怒られてはいるが
ある時は 患者さんのいない時間にかわいい助手さん としゃべっていたら
耳を強く引っ張られて 怒られ
「何 べちゃくちゃ しゃべってんのよ
患者のいない時間もあんたには しっかりと給料が 払われているのよ!!!
患者さんのいない時間も 自分で なにか仕事を探して働け!!
あんたに ぼ~っ と してる時間はないのよ!!!」と怒鳴られていました
なので今でも じっとできなくなりました
経営者になった今でも 僕は患者さんのいない時間帯は
ふとした時間でも 何か作業をしたくなります
雇われの時の勤務医時代は
患者さんがいない夜の時間帯は
カルテチェック お会計 掃除 器材の滅菌
補綴や入れ歯 マウスピースの歯型を採ったものに石膏を流し込む
その印象材をはがす
技工指示書の作製
後日の治療準備 治療内容の把握
歯科についての勉強
患者さんから抜歯した歯の 模型を使った 歯科治療の練習
先輩たちの小間使いのような下働き など
色々 していました
経営者となった 今ではこれらに 細かい絵を描き
こうして文章を書き 歌を歌い
動画を作る という作業ができるようになりました
勤務医時代の その頃は 毎日辞めたい と思っていましたが
今では 土日祝日でも 急患対応の深夜でも
僕ひとり で 何でもこなせるので 良かったな~ と
思っています
僕はスタッフに 強く命令できなくて
優しすぎて舐められるので
数年前に 借金がおわり 僕の奥さんが
「もう仕事はほどほどにして 食べられるだけでいいよ
体の方が大切よ」
と言ってくれ ふと気がづいて
人件費を稼がなければ ひとりで何でもすれば
一日に たくさん患者さんを診る必要 なくない?
もっと気楽に楽しく仕事できるやん
患者さんといろんな深い話できるやん
ひとりひとり 今まで以上に時間をかけて丁寧にできるやん
と思って 今の状況に落ち着きました
僕の自分の歯科医院を 独立開業させる直前の
新規スタッフ募集の面接では 約50人 の応募があり
僕の決めたルールで
絶対に頑張って 長期間 働ける という
精鋭 5人 を雇いました
月に 日曜日 は 4回 あります
なので シフトを組んで 日曜は 女の子 ひとり
働いてもらい 月 1回 出るか出ないか
そして働く時間は 朝AM9時からお昼PM15時
夕方 PM18時 から 夜のPM21時 の 8時間
(週休2日)
それでも皆 続きませんでした
僕は 開業資金 6千万円 の借金が重くのしかかり
朝7時から 夜中3時くらいまで 1年目は 毎日休みなく
働いていました
ただ田舎で開業したので
患者さんが来なかったら
「24時間 休みなく働いてやる!!!」
と思ったいたので 院長室には シャワールーム も作りました
ただ 開業当初から 軌道に乗ったので
一度も使わず ゴキブリ があがってこないように
排水溝に ガムテープをつけて
一度も使っていません
今では 物置になっています
その頃は 患者さんを 1日 100人以上 診ていて
歯科のお仕事は 今では好きなのだが
開業当初は 借金が怖く 少し 医療倫理感が狂っていて
いかに たくさんの患者さんを診て 保険点数をあげて
自費率も上げることに がむしゃら になっていました
そんな生活で 半年くらいから
マシンガントークでしゃべりまくる{歯科界のさんまさん}
と呼ばれていた僕が 精神的なものか
声が出なくなり それでも頑張ってしゃべりまくって
体中にガタが来て 年商や 年収は すさまじかったが
治療も ガンガン 勢いに任せて やっていたのと
少し 天狗にもなり 少しでもムカついた 理不尽だと思われた
モンスター的な患者さんとは
激しい喧嘩になることもあり
病院のうわさも少し 悪くなり
まず 僕の奥さんが 倒れた
病院に なかなか 来ないな~
と思って お昼に自宅に帰ると
げぇ~ げぇ~ トイレで ゲロを吐いていた・・・
そして スタッフの一人が
「先生 うちの主人が
子供も小さいし(小学生) 平日は 夕方5時で
土曜日 はお昼まで
日曜日は 勤務しなくていいようにしてください」
と言ってきた。。。
その頃 毎日しんどくて
心に余裕のなかった僕は
「あのですね~~~
面接時に この働き方を 絶対に ずっと できるという人たちを
雇ったのですよ
だから時給が 歯科衛生士 じゃなく
助手さんも 最初から 1900円 なんですよ
うちに来ている ほっともっと (弁当屋さん)で働いている
患者さんを 思い出してくださいよ
彼女は ある日曜なんて サッカー教室の子供倶楽部で
唐揚げ弁当 50個 ひたすら作って 腱鞘炎になっても
労災 もおりないけど 我慢して 必死で 頑張って働いているでしょ
それに比べたら まだ時間の関係ぐらいで ましでしょう
そりゃあ 僕の病院だけど
僕の決めたルールだけど 君たちは 夜9時までの勤務でしょ
でも僕は 朝7時から深夜3時くらいまで 休みなしで働いて
この病院を守るために頑張ってるんですよ!!!
君が 平日5時まで 土曜半日 日曜出ない
となるとリストラと一緒で 日曜日を
残った4人で回していくことになって 他のスタッフ
からクレームが入りじゃないですか!!!
僕は命を懸けて この病院を守っているのですから
あなたも命を懸けて 頑張って働いて下さい!!!」
と半ば 泣きそうになりながら 激しく 力説したのですが
その日のうちに 電話で
そのスタッフ からは 「命はかけられません!!!(怒)」
とだけ言われ 電話を切られ やめられてしまいました・・・
そして案の定 他のスタッフから
「月に 一回 日曜日に出ないといけなくなるなんて
話が違います!!!」と ブーイングの嵐が・・・
その時は まじ 泣きそうになりました・・・
そして 手間と時間とお金をかけて
また面接をして採用していったのですが
やはり皆 続かない・・・
そして悪循環で 病院の評判も悪くなる
フリーペーパーの求人を毎月出していると
面接する人たちは 無料の求人案内なのだが
求人を出している 僕たち経営者には お金(経費)がかかります
しかも毎月ずっと 求人を出していると
病院の近所で よからぬうわさが発生していきます
「あそこの病院 従業員の入れ替わりが激しいよね
おそらく 病院の労働条件が悪いのか
院長先生の性格に問題があるのかもね・・・」
ある時 かわいい20歳の女の子が
面接に来た
「私は 結婚しても続けます
この病院で ずっと長く働かせてください!!!」
即採用!!!
2週間の試用期間で いろんなことを教え込む
たくさんの患者さんを診ながら
歯科のことを何も知らない女の子に丁寧に教える
異常にしんどい毎日・・・
で 試用期間が終わった 2週間後に
彼女を呼んで 「ハイ 君 明日から ひとりだち~
当院のために 頑張って働いて下さいね」
というと 彼女が
「院長先生 ちょっと お話があります」
「何かな?」
「あのぉ~ すいませんが 私は
近々(ちかぢか) 外国に 留学に行くのです
なので この病院を辞めさせてください」
それを聞いて 僕は 心の中で はらわたが煮えくり返った・・・
当院には 高額な 時給 1900円の 目先の 日銭を稼ぎに
留学のために少しでも足しにするために
お金を稼ぎに来ていたのだ
ただ 僕の頭の中の回転率は速すぎて
if (もし) の二つの言動が
僕の頭の中を横切ります
一つ目は
「はぁ~~~あ!? 何 言ってんの?
君は 面接のときに
結婚しても 長期で当院で働きたい と言ってたじゃないですか!!!
だから 即採用で 歯科衛生士でもない資格のない君でも
初めから 時給 1900円 何ですよ
何もできない君が たった2週間で 当院を辞めるとわかっていたら
僕は毎日 精神的にも肉体的にも しんどくて きついのに
こんなに手間暇かけて
君に毎日コツコツと 優しく 指導なんてしないですよ~」
しかし 彼女は 近所のひと・・・
どうせこの病院を 今日で辞めるとわかっているのならば
ここで罵って ぎゃんぎゃん 説教してはいけない
めちゃ 激しく 怒ってしまうと
あの子は自宅に帰り 彼女の両親に
「今日 院長に辞めることを伝えたら
激しく怒られた 院長は 患者さんには優しいけど
私たちスタッフにはボロカスに怒るよ
あの人の性格は 裏表が激しいよ」
と訴えて 彼女の両親から 僕の病院の悪評が広まる恐れがある・・・
なので僕はもう一つの if
「そうなんですか それは残念です
そうよね 語学勉強の 留学は 若いうちに経験しておいた方がいいよね
羨ましいなぁ~
どの国に 留学するの? アメリカ?
すごいなぁ~
まあ 頑張って勉強しておいで 応援してるから」
と言って
きちんと 2週間分の給料に
1万円を 餞別と称して プレゼント
そうすれば 彼女がうちに帰って
両親に 「私 結婚しても ずっと長期間働くと
院長をだまして 入社したけど 2週間で辞めたけど
怒りもせずに きちんと給料を払ってくれて
餞別の 1万円 も くれたよ
あの院長は 本当に 優しい いい先生よ~」
と言ってくれて 病院の評判も 良くなればいいなぁ~
と ムカムカ来る気持ちをおさえて
彼女を笑顔で 見送った・・・
そんな努力を コツコツと続けて
今年で 独立開業して 今年でおかげさまで
18年目~~~
今では 無借金経営で
Eクラスの おベンツに乗れて
1億2千万円の 豪邸を キャッシュで購入して
コロナ前は 春夏は アジア方面
秋冬は ヨーロッパ方面に海外旅行に いけて
18年 毎年こんな生活をしていたので
ほぼ有名な国には 行っております
ただ今は コロナなので
毎週 お休みの日には 1泊2日で温泉旅行に行っております
この生活を 約 半年 続けています
毎週 御馳走食べています~
最近 歯科医師国家試験に合格して
歯科医師になった 新人のことをふと思い出し
この内容の話を書き出すと めちゃ 興奮するので 今日
頑張って こんな長文を書きました~~~
2021年12月15日 AM2時42分
僕が 歯科医師としての新人時代の頃の話




