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{第143話}大雨特別警報  作者: 健白歯
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僕の描いた絵を 僕の大切な人たちに プレゼント~

僕の描いた絵を 僕の大切な人たちに プレゼント~

この絵は 

{ 覇王純 フランス }で Youtube で検索すると

観ることができますよ~


(今回は僕が描いた 精密画 についての内容です)


2013年11月17日に 神名純 というアーティスト名で

イラストコミュニケーションサービス「pixiv」{ピクシブ}で

患者さんのいない深夜の時間帯に 毎日コツコツと描いていたころ

超~集中 で 2週間かけて コツコツと描いた絵です

フランスのパリの 風景画で画面 

手前の建物は ルーブル美術館 左奥は エッフェル塔


そしてこの絵のデータを今までに大切に保管して

プレゼントしたいと思う人が現れるたびに

額を買いに行き 写真屋さんで この絵のデータをもとに 

現像していただき プリントアウトして 

せっせと 額縁にセットし 僕の大切な人たちに 

プレゼントしてきました


この絵は

めちゃ仲の良い友人たちにプレゼントしている 友情の証の品 です 


今回 作成した品は 大学卒業以来に 超~久しぶりに再会する

美女 友人二人 のために プレゼントする品です


数週間前に 僕のフェイスブックにメールが入り

久しぶりに皆で会って飲もう という話になりました

僕の病院から約400kmくらい先で集合なのだが

僕は最近遊びすぎていて

なるべく休みなく病院を開けるようにして働いているので 

日帰りで ノンアルコールビールで乾杯しようと思っていたが

その友人が 「久しぶりに会うんだし もう一人の子は

わざわざ あなたに会うために 沖縄から来てくれるんだよ~

ゆっくり いっぱいお酒を飲んで 楽しもうよ~~ 

なので もうすでに宿泊する旅館をあなたたち夫婦の分も

予約取ったよ~」とメールに書いてあったので

確認すると 4つ星ホテルの高級温泉旅館だった

1泊2日 一人 約2万5千円だった


奥さんに相談すると 「たまにはいいんじゃない

大学卒業以来に 久しぶりに会うんでしょ

楽しんできたらいいじゃない」

と言ってくれたので 「お前も一緒に楽しめばいいやん」といって

僕の奥さんも一緒に行くことになった 


僕は ここ4ヶ月くらい 毎週 病院がお休みの日を利用して

1泊2日で 温泉旅行に行きまくっている

年内まで 毎週 1泊2日で いろんな温泉宿 を 予約しまくっている


2週間前にも 色々な温泉旅館に行く中で

特に気に入ってよく宿泊する旅館の女将さんに 

(先日で 5回目!? 温泉も料理もいいんです!!!)


最後のチェツク時の お会計時 に僕の正体がばれて

「え!?歯医者さんなんですか!?」

と滅茶苦茶 驚かれ そのあと 極端に 愛想がよくなり

先日も 宿泊しに行ったのだが

僕がトイレに行ってる間に 僕の奥さんに 食事の世話をしてくださっている

仲居さんが 僕たちのことに興味があるのか 色々と質問してきたとのこと


「毎週 どこか温泉に泊まられているんですか?

いい御身分ですね~ そんな人 なかなかいませんよ~

コロナ前には 海外旅行まで毎年 2,3回 行かれてたんですか~

うらやましい~ 

え? この前は あの有名な石川県の高級旅館の加賀屋 

にも行かれたんですか? うらやましい生活ですね~」

と いわれたそう


料理も いつもより 内容をはずんでくださって

めちゃめちゃ 豪華だった

なかいっぱい いただきました


絵の話に戻しますが

昔は 仲良くなった患者さんや 

高額な自費診療をしてくださった患者さん

入院された患者さんの見舞い時

(僕はただ歯科治療するだけでなく 仲良くなった患者さんに対しては

彼らの お見舞いや葬式に できるだけ 行くようにしている)

に この絵を 額に入れて プレゼントしていました


また当院には来院されなくなった御老人が入居された老人ホームに

遊びに行った際に これを作成してプレゼントしたこともある


「え!? 歯医者さんが わざわざ 私

(僕を気に入ってくださった優しいおばあちゃん 94歳)

のお見舞いに来てくださって こんなプレゼントまで!? ありがたや~」

と僕に向かって 冗談ではなく 真面目に

手を合わせて 祈られたこともあります


僕は基本 人に 損得なしで 何かサービスしてあげたい人なのです


時々 空いた時間を見つけては 車を走らせ 

そのお婆ちゃんのところに 遊びに行ってたんですが

コロナが発生してからは いけなくなり その娘さんも

当院に月々 歯ぐきの掃除に来てくださるんですが

この2年間 親族でさえも まともに会えていないのだそう


そのお婆ちゃんは 時々 達筆な字で 僕宛に手紙をくださいます

その内容は「優しい先生の顔が時々 思い浮かんで

涙が出ます 私は先生に会いたいです 毎日 先生がくださった絵に

手を合わせて先生の御健康を祈っています 先生 お体を大切に」

という風に 数回 毎回 便箋3,4枚に 涙が出るような内容で

頑張って お手紙を書いてくださいます


その手紙を 時々 肉体的・精神的につらくなった時に

読み返しては 明日の診療への活力とさせていただいております


お手紙をくださって それを読んだ僕は感動して うれしくなり

喜んでくださるならばと 時間を見つけては 

ちょっと遠いけど 数回 老人ホームに遊びに行ったりもしていました 

その時の手土産に ケーキとこの絵を額に入れて プレゼントしました


また 過去にとてもお世話になった高校の時の僕の先生(恩師)や

僕の親 妹夫婦 僕の病院の近くにある 障害者施設 

などに プレゼントしたりもしました


ただ 額を買いに行ったり カメラ屋に現像しに行ったりして

時間も結構取られ

多少 経費 もかかるので 通常の当院の患者さんへの

この絵のプレゼントは中止して 最近は 

似顔絵を色紙に描いてプレゼントしています


数年前に おベンツ Eクラス を 新車で 購入した時

ヤナセの 営業マンの ディーラーが 

「この絵が欲しい!!!」 と言ってきたので

僕は 「似顔絵ならいいですよ」 と提案したら

「いや 似顔絵はいらないんで この絵をください」

といわれたことがある


僕は内心 

『あつかましぃ~~~

なんで 客の僕が ディーラーにプレゼントしないとあかんねん・・・』

と思ったが この絵が欲しい と強く何度も 言ってくださったんで

『きっとこの人は この絵を 大切にしてくれるだろう』

と思い すぐに 色々と飛び回って 作成し

プレゼントすると とても喜んでくださった


昔 勤務医の時に ドクターコトー(離島診療)

をしていた時 僕は 雇われ院長 で 

僕の上に理事長(社長) 副理事長 事務長

がいて 夏のお中元に 理事長が ビール を好きだったので

スーパードライ 5千円分 を それぞれ3人に 贈った


すると理事長に呼ばれた

その時の僕は 給料が 120万円 だった


そして理事長は言った

「お前は高給取りだろうが!!!

それなのになんだこの 安物の お中元は!!!

どうせ人にプレゼントするなら

人が想像するよりも はるかに上をいく 極端なもの 

びっくりするような 驚きと感動を与えるほどの 贈り物をしろ!!!


せっかく贈り物をしても こんな チンケなもの だと

もらった人の気持ちは 揺さぶれない

結果 何も残らんぞ

結局 お金をどぶに捨てるようなもんだ!!!」

といわれた


その時の僕は 内心 『お中元は 気持ちだろ・・・』

と思ったが 結局ムカついて

一人 10万 の商品券を 贈った


しかしそれからは いつの間にか僕は 

事あるごとに 人に何かしてあげたい

何かサービスしてあげたい と考えるようになって

当院にお見えになる 患者さんにも 損得抜きで

「たくさんある歯科医院の中で 当院を選んで下さって

ありがとうございます!!!」

といって 何かサービスや プレゼントをしている


患者さんが御結婚すると聞けば 

結婚する相手のひとにはあったことがなくても

当院にお見えになった患者さんのみではなく 

そのパートナーになる人の分も含めて


「御結婚 おめでとうございます!!!

夫婦(めおと歯ブラシ と 歯磨き粉 をプレゼントするので

新婚旅行に もっていってください」


また 仲良くなった患者さんには 来院時

誕生日の日には 何か わざわざ デパートまで行って 買ってきて

プレゼントしたりしている


先記の理事長は カッコよくて 大金持ち

3回離婚されて 4人愛人がいると 豪語していた


ジープ型やSクラスのベンツを数台 所有し

マンションは 高級マンション エレベーターが開くと

すぐ目の前は 自分の玄関で お邪魔すると

いい香水のにおいがする 妖艶な愛人が 通してくださって

部屋はブランド尽くし

なんか ドラマの中の かっこいい木村拓哉さんが

この部屋から出てきそうな 豪華な内装の広い 高級マンションのお部屋

超~ど貧乏 だったその頃の僕には とても羨望な光景だった


ただ その理事長のもと

ドクターコトーになる直前に

理事長と愛人が 僕のために 

豪華な お食事を開いてくださったのだが

会も進み 僕は少し お酒に酔い 尿意をもよおし

トイレに行って 用を足し リビングに戻るとき

中から 理事長と愛人さんの こそこそ話 が聞こえて


「確かに今回の離島行きの 給料は高いが 

よく どこの離島に行くかもわからないのに

あいつはすぐに手をあげて 変わった奴だ」と馬鹿にされていた


それでもそんな話に乗ったのは

開業資金をため できるだけ早く 1日でも早く 独立開業するため

に必要だと 僕は直感で判断したのだ

のちに散々な目にあったのだが・・・


その頃の僕は

勤務医では 全然 だめだ と散々 悩んでいた


その頃の僕は どんなに頑張っても頑張っても

働きまくっても ボーナス無し 交通費無 残業代無し

で 給料最高30万円

手取り 25万円


僕が働き先を決める条件が

お金持ちの先生 大成功している先生 高名な先生

技術が素晴らしいと言われる先生 患者さんの多い病院

のところを積極的に働かせていただいていた


しかし そういうイケイケガンガン なところは

井の中の(カワズ的な ワンマンな威張った理事長さんが多く

時には手が出る 怒鳴り散らす パワハラ的な経営者も多かった

いや ほぼ そんな感じの人たちだった



給料の面で

これ以上を求めると 怪しい代理院長になり

高点数と多くの患者さんの処置を求められ

ガンガン働かされまくりの毎日になるか 

誰も行かないような すごい僻地へきちに行くしかなく

それでも 月給 40万が限度だった


歯科医師国家試験に合格して 大学病院で研修医をした時なんて

月給 3万円 だった

歯医者になっても お金がなさ過ぎて 僕は塾講師や家庭教師をしていた

それを知った お金持ちの友人が

「お前は 何やってんの? 歯医者としてのプライドはないんか!?」

と馬鹿にされたが 彼は まだ研修医の身分でありながら

総本革張り など 改造費を含めて 

1千万円以上はする BMW を乗り回し 手にはロレックスをつけて

ロング白衣 をひるがえしていた


僕は どの病院に勤務しても 面接で説明された条件とは違い

最初の条件とは かけ離れ 搾取されまくり 

その劣悪な条件を飲んで 我慢して働き続けるか

嫌なら 速攻 辞めろ といわんばかりの 傲慢な発言や態度


開業医の理事長(社長)なんて 自分のことしか考えていない

勤務医なんて いつかは独立する人種なので

(近くで開業され 顧客である患者さんを奪われるリスクも もちろんある)

立派に一人前に 育てようとも思っていないし 

できるだけ安い給料でこき使い

歯向かってきたり 年を取って 用が済めば ポイ捨て

簡単に切り捨てられる


僕の親はサラリーマンで いつも僕に

「うちには金がないし お前の保証人になるのも怖い

高額な借金を抱える 大きなリスクのある 独立 開業 なんかしないで

一生勤務医でいろ」 といわれていたが 

僕は 納得できなかった


親の力を借りずに 人に頼らずに

自分の力で 絶対に独立開業して見せる

とギラギラしたすさんだ目で 

あの頃の僕は 日々 生きていたような気がします


またひどい話で ある病院に勤務した時なんか

気づけば 月火水木金土 と 

その病院が 分院展開している(コンビニで言えば チェーン展開)

100キロ圏内 という広範囲で 分院展開されていて

ひとつ ひとつの病院の距離間が 約20Km の病院を

毎日 違う病院に

(その病院はすぐに先生が離職すると有名だった 僕はそれを知らず就職してしまった)

自分の車で 交通費無し 残業代無し で働かされる始末


渋滞に巻き込まれないように 朝5時くらいに起きて 

お金がないので 下道の国道を (ある曜日なんて 100キロ先になってしまう)

ガンガン車で走って 働き(毎日 治療器具も その置き場所も

患者さんも 治療内容も スタッフたちも 激しく変わるので 超~大変)

仕事が終わると 帰宅時に ほっともっと(弁当屋さん)でお弁当を買い

コンビニの駐車場に車をとめ 車の中で コンビニの光の下で 食事をして

「俺の人生 どうなるんだろうか・・・」と日々 

不安に押しつぶされそうになっていました


ある病院では ドクターエージェントを介して決めて

年俸で 400万 だったのに 

いざ 就職する直前に前の職場勤を辞めて

住居になる お部屋も新しく決めて 

いざ新しい職場で働こうとすると

ドクターエージェントから電話がなり 

「300万に変更してもいいですか?」とのこと


「非常識だ 最初からそのつもりだったのか!!!」と

ムカついた僕は ドクターエージェントに 「やはり辞退します」

というと 400万円 に戻してもらったが 働き始めると ことあるごとに

僕の 治療・処置内容 に因縁を吹っかけてきて

色々ねちねち言われ 「今のお前の価値は やはり300万」

といわれ いきなり減俸になったこともあった


1分 遅刻して 1日 休み返上 にされたこともあった


また 夜9時に お局に呼ばれ 出勤記録のタイマーのカードに

退室時間の印記 を指示され そのあと夜11時まで普通に後片付け

の残業 いろんな雑務 会議等 を強要

もちろん残業代無し


ある時は 月給30万を いきなり 理不尽な理由で 減俸10万 にされ

手取り 15万円 になり

あまりの理不尽さに 納得できず 「辞めます」

というと お局が飛んできて 

「あんた 今は 目先の利益 じゃないよ

ここで 我慢して働いて なんでも処置できる技術を習得すれば 

どこの病院に行ってもでもガンガン働けるスキルを手に入れられるよ」

と諭され 1年踏ん張った時もあった

その時の助手や衛生士に 普通に 馬鹿にされる毎日で 屈辱的だった・・・


そんなこんなで どこに行っても そんなありさまで

あまりにも悔しすぎて 理不尽すぎて

社会保険労務士 の勉強まで 

仕事終わりに 頑張っていた


ただ知識を得ても 勤務医の立場では

何も言えず 我慢して働くしかなかった

その知識をもって 反旗を翻し 反抗すれば 最後

激しいパワハラが待っていて 

「嫌なら辞めれば お前の変わりはいくらでもいる」

と仕事を取り上げられて 1週間 事務室に押し込まれ

不安で恥辱的な日々を過ごしていたこともあった

事務室で 勉強していると 歯科助手の女の子たちから

「うわぁ~ いいなぁ~ 遊んで給料もらえるなんて」と馬鹿にされていました


また ある いい人 だと思っていた バツイチ 小学生2人の子持ちの

シングルマザーの歯科衛生士には 

「先生は なんであんなすごい経営者の理事長(社長)の

反抗するんですか? あの理事長について行ったら 間違いないのに」

といわれ 僕は内心

『自分の立場を守ろうとする おべっか野郎 太鼓持ち野郎

洗脳されやがって』 

とムカついておりました


ただ だんだん歯科技術の腕がつくと楽しくなってきて

歯科の世界にどっぷりはまった

まるでゲームでレベルが上がるかの如く きつくて大変だが

給料もガンガン上がっていき

楽しい日々でもあった


僕は何でも深くはまる性格で

過去には 女の子 ブランドもの UFOキャッチャーにはまり

その頃 歯医者さん というブランド力もあり

滅茶苦茶 もててはいたが すぐにお金がないことを見透かされ 

何度もあっさりと振られたりもして そのたびに

僕は内心『今に見とれよ~』と

反抗精神で 踏ん張りまくり

勤務医先に出入りする業者に 僕のことを宣伝して


「ただ働き でいいので ガンガン いろんな先生をご紹介ください」と伝え

{大成功している先生 お金持ちの先生 腕が上手な先生

患者さんがいっぱい来るところの先生}を紹介していただき

車の中で寝泊まりして 一日 100kmは軽く運転して

いろんな病院へ修業しまくっていた

腕がつくと どこへ行っても だんだん 高給取り になっていった

(歯科は 歩合制 というものもあるのです)


ドクターコトーの話に戻るが

給料日に 離島に 名ばかりの 何もしていない爺さんの事務長が

高額な給料をもらうために 仕事をしているという名目で

給料を 手渡しで持ってきた

診療中に呼ばれ 税抜き 97万円 を手渡しされ

白衣のポケット に突っ込んで 仕事が終わると

その束を 僕の奥さんのほっぺに ぺちぺち と叩き

全額渡していた


本当は その島に10年いて 1億の現金 を貯めたら

ドクターコトーを辞めて 無借金で独立開業しようと計画していたが

離島に行く直前に 奥さんとハワイで結婚式をして

帰国後 すぐに離島にわたった


離島に行く前には きちんと 正式的な 雇用条件の契約書を交わし

滅茶苦茶 いい条件で ハンコを押したが

120万の給料は もらえたが 歩合3割 という契約にも判を押していたのに

毎月 精神も肉体もボロボロになりながら 離島にわたった直後から

800万を稼ぎ出していたが(本来は 3割負担で 240万の給料)

どんなにお願いしても 結局 120万円 のままだった


最後の方は あまりにも僕がしつこいので

理事長が切れて 自分の給料明細を地面に投げつけてきた

「俺の給料明細をみてみろや!!!」

床に落ちている 彼の給料明細をを拾って確認すると 

医療法人の名義で 彼の月給は 80万円 だった


理事長は「今でも 社長 の俺より お前の給料は 高いだろうが!!!

あんまりガタガタ言ってると ここから追い出すぞ!!!」

とすごまれた

それでもめげずに 正当な給料を請求していると

上の幹部 3人と もめまくって 1年で 一方的に 辞めさせられた


最後は 泣きながら悔しがっていると

「俺の前で泣くな!!!

明日から お前 この病院に一歩でも 立ちいったら 蹴り倒すぞ!!!」

と すごまれた


結局 1年では お金もあまりたまらず

ハワイでの結婚式で 僕が なんとか貯金していた200万円も

すべて使ってほぼ無一文で 夢と希望だけを携えて

新婚さんだった僕の奥さんと離島にわたったのに

たった一年で撤退


ただ 僕がドクターコトを辞めた1年後

あるうわさを耳にした

確認すると 結果 

理事長は 以前より やくざと付き合っていたが 

最後は 裏切られて 追われて 夜逃げしたとのこと


彼の都会で開業していた2億円のお城のような豪邸の歯科医院は 

差し押さえになっていた

少し遠かったが 事の真相を確認するために

わざわざ 見に行ってみると

進入禁止の網が張られ 病院の門に 差し押さえの紙が貼られ

敷地は 雑草だらけになっていた

その後 しばらくしてから 焼肉屋さんになっていた

その病院は もともと患者さんも いっぱいいたのに・・・

一時期 僕はそこでも修行させてもらったのだが

そこで働いていたスタッフたちも 

ほぼ全員が 性格がめちゃくちゃ悪かった

僕は『罰が当たったんだ』と 心の中で思った


僕が働いていた 離島の病院は その後ネットで確認すると

病院名が変わって 経営者・管理責任者の名義も変わっていて

お年寄りの先生が院長になっていた

(その離島には 今でも ここ一件しか 歯科医院しかない)



理事長は 僕がドクターコトーで頑張っている間

都会から ガンガン電話をかけてきて 

「もっと点数 稼げ もっと患者をみろ」といわれていた


毎日 受付の女性から 「院長先生 理事長先生からのお電話です」

といわれると 胃が キュ~~~ と痛み

働くことが苦痛になっていた・・・

 

僕の奥さんも 理事長に呼び出され 2時間以上も 

「なんで あいつと結婚したの? 歯医者だから?

もう今の時代 歯科の業界は終わってるよ」

などと ねちねち と陰湿な会話を強いられていたと言っていた


僕は 田舎向きで お爺さんお婆さんに

気に入られ 台風直撃でも スタッフは来てなくても

「先生と約束したからと」外は暴風雨の嵐なのに律儀に 待合室に

5人ほど待ってくださっていた すぐに停電になり

歯科は 電気がないと何もできず 


僕は「こんな日にわざわざ来ていただいてすいませんね」

といって歯ぐきの掃除を 無償で スケーラーでコツコツとしてあげてた

というふうに いい信頼関係を気付いていたが

心理的に圧迫され 激しいパワハラにあい

今では超プラス思考だったが その頃は うつ状態になり

朝になると決まって 心臓が痛くなり 「仕事に行きたくない・・・」

と奥さんに言うと 「頑張って行っておいで」と応援してくれた


そんな感じで 島での 僕のうわさがよくて

ある患者さんから 「先生の評判は いい評判しか聞きませんよ~

先生に対して 誰も悪いことは言いませんよ~」とほめられて

うれしかった記憶があります


一日 100人 を 毎日 頑張ってこなしていたが

ドクターコトーに赴任するとき 最初の僕の歓迎パーティーで

島のみんな 幹部 働いて下さるスタッフ

皆の前で 理事長が 歓迎会の 閉めの言葉 で  


「この若い先生は 性格もよく 口も達者で 明るくて 

腕もよくて おそらく すぐに島の皆様と仲良くなり

皆様にかわいがっていただけると思います

しかし この何もない離島で 今日まで

なかなか若い先生を探すのは困難でしたが 

彼が即座に手をあげてくれました


彼は この島に10年は 頑張りたいと申しております

しかし 彼がここに来るのを了承したのは

月120万円 の給料を私が出すからです」

とあっさり言い放ちやがった


僕は酔っぱらっていたが 一気に異様な雰囲気になったのは

今でもはっきりと覚えている


それから フレンドリーだった雰囲気は 一気に冷めて シーンと 静まり返り

その後 スタッフには 理事長が 残業代を出さないと言ったおかげで

患者さんは 待合室にあふれているのに 皆 スタッフは 夕方5時になると

さっさと帰宅してしまう


そのあと僕は 一人で黙々と治療し 後片付け 掃除

カルテチェック 明日の準備 お会計のチェック

印象材(型を採ったもの)に石膏を流す 技工指示書作成

と毎日 深夜0時過ぎまで 頑張っていたが

1年くらいたって さすがに 理事長のパワハラもあり

正当な給料ももらえなくて スタッフに 「このままで 僕は

ここで続けていけません 理事長は 残業代出さないと

言っているけれど 無償にはなるけど

30分か1時間でも 何とか 僕の応援をしてくださいませんか」

というと あるスタッフが 「何を言ってるの?

院長は 私たちの 10倍 給料もらってるんだから

10倍 働け!!!」といわれた


毎日のお昼3時の休憩時間 おやつタイムのモグモグタイム

も 僕が毎回 3千円出して 理事長の命令で

毎月 数回は 慰安と称し お食事処がなく

旅館の波浜御膳 のような ひとり7千円のお食事会も僕持ち

町長さんとの食事も僕持ち 島に金を落とせと言われ

仕事で疲れ果てているのに 

行きたくもないスナックに金を落としに行き

島はガソリン代(運送費代)が高く 全ての物価が高く

最初は 家賃も無料 だと言っていたのに

汚い古い家を高い賃貸料で 契約させられた

ガンガン お金が湯水のように 流れていき

貯金がまったくできなかった


それも 1年でドクターコトーを辞めた理由


島を出るとき 仲良くなっていた町長さんが

「先生 辞めるそうですね 残念です」

と寂しがってくれました


でも 島から離れるとき

お世話になった人たちに 菓子折りをもって

お別れの挨拶を して回ったが

よくドラマとかであるような 最後 フェリーに乗り込んで

島を離れるとき 島の人たちが集まって

涙を流しながら 「先生~ありがとう~」などという

お見送りをしてくれる ということもなく

寂しい撤退だった・・・


今現在時刻 11月12日(金曜)

早朝 AM4時37分

明日も普通に朝から仕事です

朦朧としながら ガンガンと書いたので

話の流れ がおかしいかもしれません

すいません

これにて帰宅します

では=====









僕の描いた絵を 僕の大切な人たちに プレゼント~

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