ヒリヒリとした あの過去の勤務医の日々
ヒリヒリとした あの過去の勤務医の日々
今日 夜9時すぎに
平成19年 2007年 に
僕の歯科医院に治療に来ていた
8歳 の少年だった子が
来院された。。。
今は 2023年
16年前!?
僕は自分の歯科医院を
独立家業させたから
今年ではや 19年目!!!
つくづく 今まで
朝から深夜まで
平日はもちろんのこと
土・日・祝日も
よくやってきたですよ~~~。。。
今 彼は 24歳
彼 曰くいわく)
昔 僕はゲームセンターの
UFOキャッチャーに はまっていて
(総額 300万 使っていた
今はもう やめている 全くしなくなった)
あるゲームセンターで
ぬいぐるみを 2つ 僕から もらったそうだ。。。
彼曰く 僕はたくさん
景品をとっていたそうだ。。。
昔から サービス精神のある
僕だったんだな~~~
彼は 白い綺麗な顔をして超~イケメンに育ったが
斜視で 僕のスーパーコンピューターの 脳が
彼が 8歳の頃の顔や姿の映像を
僕の脳裏によみがえらせていた。。。
一気に 8歳だった少年が
24歳になって 僕の目の前に現れて
僕は 時の流れの速さに
少し 怖くなった。。。
彼は 頑張って 勉強して
高校の時は 3年間
学年 1位だったそうだ
本当は 医学部や薬学部に行きたかったそうだが
彼の両親が共働きで忙しく
ちょうど 高校3年生の頃
ひとりっ子だった彼の
面倒をよく見てくれていた お婆ちゃんが
末期ガンで そのお婆ちゃんの世話をするために
大学進学をあきらめて
自宅 近くの4年生の専門学校で 理学療法士
を選択し
来週 令和5年3月23日
合格発表だそうだ
国家試験は
総得点 280点
168点以上 で 合格だそうだ
彼の 自己採点では
250点を超えて 無事 合格しているそうだ
すでに 就職先の病院も
決まっているそうだ
そんな彼の話を
聞いていると
ふと 僕の昔の過去のことを
思い出した。。。
今 しみじみ 思うことが
どんなに 大好きな
心の底から愛している女性がいても
その女性によって
自分の進むべき人生を 変えてはいけないと
僕は 自分の人生を振り返ってみて
強く そう思います
自分の信じた道に
ついてこないような女性は
そもそも
自分にとって 一生を共にする
本当に 大切な女性ではないと
僕は断言できます!!!
(僕は 別に 男女差別を推奨
して書いているのではなく
歯科医師として
大きな借金を背負って
自分の歯科医院を独立開業させて
頑張り抜いて来た自分の人生を振り返って
そう感じているので
人生観は
人ぞれぞれだと思われますので
御了承ください。。。)
しかし 僕の奥さんには
今まで こんな頑固者の僕を
応援し続けてくれて
感謝しかありません!!!
ちなみに僕は
独立開業する前に
無医村地区の離島で
{ドクターコトー}
をしていたのですが
独身の時に
勝手にそのことを独断で自分で決めて
今の僕の奥さんに
「俺 もう 2週間後に
ドクターコトーをするために 離島に
渡ることになった
10年 向こうに行って
1億円 貯めて 無借金で
独立開業する!!!
お前はどうする?」 と聞くと
(ドクターコトーの条件が
月給 120万円
歩合 3割
いつかこの物語 をここに書こうと思うが
島に渡ると 一日 100人以上きてくださって
1年間 毎月 800万円 の売り上げをあげたが
固定給 120万円 はもらえたが
歩合 240万円は なかなかもらえなくて
ひたすら 文句を言うと 3人の幹部
{理事長・副理事長・事務長}
から 激しいパワハラで
1年で 追い出される結果になった。。。{泣く}
結果 やはり
人に人生預けるのはダメ
僕の 勤務医人生で
心から信頼、尊敬出来る経営者(社長・理事長)
は正直 いなかった。。。
将来の独立開業させた後の自分の明るい未来の
ためだけに どんなに 滅茶苦茶な理不尽な扱いをされようとも
歯を食いしばって 耐え抜きました。。。
結局 いろんな理事長たちが
彼らの病院への就職前の面接の時点で
口では
「ここで修行する間に
お前を 一人前の
立派な歯医者に育ててやる!!!」
と 皆 言ってくださったが
結局は 自分たちが生き残るためであったり
経営者の自分とその家族だけが
いい生活を続けたいだけで
勤務医なんて大切にしてくれない。。。
だから 皆 リスクをしょって
独立開業していくから
今 巷 で言われているように
全国的に見て 歯科医院は
コンビニの
1.5倍以上あると 言われている
そういう裏の話があるのです。。。
僕は どこのイケイケどんどんの
歯科医院に 潜り込んでも
結果 経営にうるさい先生ばかりでした。。。
成功している金持ちほど
お金に 極端に けち臭いのです。。。
結局
他人に 自分の人生
生殺与奪の権利
を預けてはいけない
他人を信用してはいけない
これはもう 大きなリスクをしょって
独立開業するしかない!!!
俺は 必ず 大成功できる!!!」
と 思うに至り
必ず 大成功できるという
根拠も確証も理由も何もなかったが
なぜか {俺は 必ず 大成功できる!!!}
と 強く本気で信じていて 決心して
独立開業させたのが 19年前。。。)
すると まだ結婚していなかった
今では僕の奥さんが
「離島にドクターコトーをしに行くけど
お前はどうする?」
と聞くと 即座に
「ついていく!!!」
と 返答した
奥さんは もともと
三越で 高級なブランドの洋服を売る
アパレルの店員さんだったのだが
僕が
「じゃあ 仕事はどうするの?」
と聞き返すと
「仕事は すぐに やめて ついていく」
というので
その頃 必死で貯めた
300万円 を元手に
天神のJTB に行き
「すいません
今度 結婚することになりまして
海外で 結婚式をあげたいんです」
というと 店員さんが
「おめでとうございます
御式の予定はいつ頃ですか?」
と聞くので
「今週の週末がいいです」
というと 驚いていた。。。
「それでは
どちらの国がよろしいですか?」
と聞かれたので
「う~~ん イタリア がいいです」
というと
僕たちの 結婚記念日は 3月 なのだが
(先日 結婚記念日で
温泉旅行に行ってきました!!!)
「今ですと イタリアは雨季でございます」
というので
「じゃあ どこの国が 今の季節
いいと思われます?」
ときくと
「ハワイ など いかがでしょうか?」
と言われたので ハワイで
挙式で即決
それからすぐに
父親に電話
「今度の週末 ハワイで結婚式するから
お金は全部 俺が出すから
急やけど 休みをとって!!!」
その頃
僕は 3ヶ月~半年 間隔で
いろんな病院で修行していた
その頃 僕は30歳
{歯科治療の技術の腕が 最高潮に達した!!!}
という 27歳の頃に
ある歯科医院の代理院長になる予定だったが
あるお世話になった先生に
「今はまだ 目先のお金を追ってはいけない
(その時 代理院長になると 100万円は固かった。。。)
歯科は奥が深い
まだ 勤務医で コツコツと経験を積み
勉強会に たくさん行って
いろんな歯科医院で勤務して
それぞれの病院のやり方を学ぶべき
しかも お前が代理院長を勤めようとしている
あの病院の場所の周辺は けっこう いわくつきだ
調べてみろ
しかも 聞くところによると
お前の理事長は パワハラなど
力や暴力 など
恐怖で支配してるそうじゃないか。。。
もし失敗したら
どやされて 脅されて
その失敗した 病院を買い取らされるぞ。。。
あそこのグループの代理院長をしたら
忙しすぎて なかなか勉強会にも行けないぞ
もう一度言うが
今は 目先のお金の欲に
振り回されるな。。。
飛びつくな!!!」
(その時の代理院長の条件が
朝9時から 深夜0時まで
1年間は 軌道に乗るまで
休みなし。。。
その後は 状況による。。。
給料もいくらいただけるかはわからない。。。
歩合もどれくらいかわからない。。。
女性スタッフは 自分で雇うこと
もし来なかったら
1人で頑張ること
という 条件。。。
僕は 「これだ!!!」
と思ったら 後先 何も考えずに
まず行動!!!
という感じで
その時の 理事長に声をかけられたとき
即座に 手をあげた。。。
その頃 そのグループは波に乗りまくっていて
僕の同級生は 1年で 軌道に乗り
アルマーニのスーツを着て
ロレックスをつけて 850万くらいの
黒塗りのEクラスの おベンツに乗って
月イチの 幹部会の ミーティングに来ていた。。。)
実際調べると
その病院(新規開業)
の周りを市場調査すると
滅茶苦茶 治安 が悪く
ごろつき や やばい奴
やくざや反社など が
いっぱいいる場所だった。。。
やくざマンション
というのも 近くにたくさんあった。。。
夜間に行くと 目の前の国道は
めちゃくちゃ 暴走族が走り回り
結構よく見ると
ゴミがたくさん道端に落ちていた
人通りは 激しいけど
そこは オフィス街っぽく
夜間は 人がいなさそう。。。
色々考えて
殴られるのを覚悟で
代理院長オープン 1週間前に
その理事長(社長)に
土下座して 代理院長の席 をはずさせてほしい
と願い出た。。。
すると
「きさま~~~!!!
なにぬかしよんじゃ!!! ボケ!!!
開業は 来週ぞ!!!」
と怒鳴られ
恐怖のあまり 震えて
僕は 涙も流した。。。
ただ ICレコードは 隠し持って
録音していた・・・
「ほ ほ 他の人に
代理院長は 譲らせていただきます・・・」
すると理事長が
「なんで この時期に いきなり
辞めると言い出すんや!!!
お前 あんなに張り切ってたやんか」
「いゃぁぁ~~~
その後 色々と調べたら
今度新規オープンさせる場所が
治安が悪すぎて 夜間
もし僕が一人で 診療していたら
いろんなやばい奴に 絡まれ脅されるかと・・・」
というと
いきなり理事地が
ばっ と立ち上がって
「そんなこともあるから
何がおこってももいいように
すぐに対応できるように
俺は高い金を払って 色々と裏で
手をまわしてるんじゃい!!!
ボケっっっ!!!」
と叫んで 土下座している僕の前に
数枚の名刺を投げ飛ばした。。。
「それを拾って 見てみろよっっっ!!!」
見ると 警察署長 や高名な政治家
弁護士 の名刺だった。。。
数件 いろんな系列病院を持ち
理事長の 経営している 一番でかい病院は
近隣の患者を奪いすぎて
他の歯科医院の恨みを買い
その人たちが 雇ったのか
お見えになる 患者さん達を怖がらせる目的か
理事長の病院の前に昼間から 堂々と
黒塗りの でかいロールスロイスが停められて
ガラの悪そうな 派手な格好の構成員が 数人
談笑しながら タバコをすぱすぱ 吸っていた。。。
患者さんが多すぎて
さばききれなくて 100メートル先に
もう一軒 歯科医院を新しく 開業するくらい
繁盛しまくっていた。。。
その頃 僕は理事長に気に入られて
2年間 ほぼ毎日 近くのでかい繁華街の
お水のクラブに連れて行ってもらい
(僕はその頃 そのグループの本店で勤務
田舎 山奥にある。。。
繁華街まで 2時間くらいかかる
夜間 診療が終わると
その地域はどこも店が閉店し
夜ご飯は 先輩と
24時間開いている 餃子の王将か ジョイフルしかなかった。。。
そこで 先輩に毎日 説教されながら
ご飯を食べることを繰り返していたが
その後 夜11時すぎくらい毎日 理事長から電話があり
「いまどこか? 今すぐここに飛んで来い!!!」
といわれ 僕は 必ず「はいっっ すぐに参ります!!!」
と一日 100人以上来る 病院で
座る時間も もったいないということで
立ち診療で 超~厳しい病院で 超~ド田舎ということで
変なうわさが流れ
後輩が まったく入ってこず
2年間 下働き で
(僕は 皆から 永遠の一年生 と呼ばれていた)
上の先生たちから 理不尽な内容で 殴られ蹴られされ
髪の毛を引っ張られ
毎日 緊張とストレスと筋肉痛と腰の痛みで
ヘロヘロで眠いのに
(僕は お金がなく 部屋は借りていなくて
実家から 40キロかけて
山を越えて {イニシャルD の世界}
朝早く 起きて 病院まで通ったり
(まれに 実家から 朝4時~5時に起きて
車で 山越え をしても
前に でかいトラックが 20キロで
のそのそ と坂をのぼり
追い越そうにも くねくねした山道で
追い越せず 結果 ギリギリ イライラしながらも
1分 遅刻すると
月 4回の休み 1日返上 される
もちろん 遅刻した日も
みっちりと 朝9時から夜10時まで
立ち診療で 働きまくります
そこの病院の雇われ
歯科技工士は もっとひどい状況下で働いていて
朝4時~5時までやっていて 次の日も
普通に朝から 仕事で
その 技工室の電気がついた下で
眠らせてもらったり
仲良くなった 同期の歯科技工士は
周りの先輩が 歩合で働いていて
メタルボンド などは 上の先輩が
作って 自分は インレーやテック(プラスティックの仮の歯)
しか 作らせてもらえず
給料は 1ヶ月 頑張っても 8万円くらい。。。
ある日 休みの次の日に
その病院に行くと 僕の先輩が興奮して
僕のところに飛んできて
ある技工士の年配のおじさんが
「昨日の夜 スタッフルームに
ヨロヨロとしてやってきて
いきなり 皆の前で ぶっ倒れて
脱糞したから
あわてて 救急車を呼んだよ!!!」
と教えてくれたこともあった。。。
僕が辞めた後 その新米歯科技工士の
彼も辞めて 引越センターで
勤めていると言っていた。。。
そんな技工士の彼の部屋にとめさせてもらったり
先輩の部屋にとめさせてもらっていたが
僕が ペイペイのころの2年間の ほとんどは
理事長に 繁華街に呼ばれ
朝5時くらいまで飲んで ラーメンを食べて
車で2時間睡眠 2時間かけて
田舎の山奥の病院にもどり仕事
(あまり 威張って話す 褒められた内容ではない
飲酒運転は 絶対に行けません!!!)
その頃の 睡眠時間 2時間くらい。。。
今 考えると
『よく やってたなぁぁ~~~』
と思う。。。
繁華街で飲んでいて
次のクラブのお店に行こうとすると
その理事長を知っている 他の敵対する病院の理事長先生に
ばったり会うと 理事長に 怖い顔して
(おそらく 酔っ払っているのだろう。。。)
「お前 調子こいてると 5 露 す ぞ!!!(怒)」
と言われて 僕はビビりました。。。
その頃 理事長の病院の周りの患者を全部 奪う勢い。。。
ある日は
治療室の 診療チェアーの合皮の
座る部分が カッターか何かで
スパっと切り裂かれていた。。。
誰かやばい人が
患者のふりして 来院されたのだろう。。。
それから 全ての診療チェアーの前に
防犯カメラがつき
なんだか 物々しくなっていた。。。
~~~~~~~~~~~~~
かなり 話が脱線したが
元に戻すが
新規開業の 代理院長に
なる前に ある先生から諭されて
代理院長を辞退させてもらいに行き
土下座 をしていたが
理事長が
「ほかに何か あるなら言えや!!!」
というので
「ちょっと病院が小さすぎて
病院の中が狭すぎて
待合室も 狭すぎて
患者さんを たくさん
診れないのじゃないかと・・・
周りにも たくさん競合がいて
けっこう 患者さんをとられていると思います
それを今の新米の僕が 引き寄せるのは
けっこう 難しいかと。。。
多く 診ても 一日20人くらいかと。。。
そして ある人に言われたのですが
失礼ながら もしこの開業が 失敗したら
あの病院を 高額で 買い取らされるぞ
と言われまして。。。
怖くなって。。。」
「誰に言われたんじゃ!!!
まあ そんなことはどうでもいい
ただ お前は 俺に何度も
{僕は自信があります!!!
絶対に成功させて見せます!!!
僕に任せてください!!!}
と自信満々 に いつも 言ってたじゃないか!!!
だから あの病院を 建てたんや!!!
あの発言は ホラ やったんか?
嘘やったんか?
お前はうそつきか?
お前にとって
それだけの 決意やったんか?
自信があるなら
周りの病院の患者を
お前の人柄と べしゃりと
歯科の技術で 全部 引きぬけや!!!
それぐらいの覚悟がないと
もしお前が 自分で歯科医院を
独立開業させても 今の時代
つぶれはせずとも
借金を返すだけで いい夢は見れないぞ!!!」
と言ってきたとき
何かを察したであろう
こわい お局さんが
このお局さんは 恐ろしいほど
ガラは悪いが 頭の回転が速くて
憎たらしいが 仕事はできる。。。
金のロレックスをつけて 古い
でかいベンツに乗って 病院に来ていた。。。
歩き方が 後ろから見ると
ヤンキーみたいだった。。。
「あんた!!!
理事長先生は
これまでの あんたの努力や歯科治療の腕
やる気 を見込んで
うちのグループには 100人以上
ドクターがいる中で
あんたに 白羽の矢 を
立ててくださったのよ
今からでも遅くない
今までの発言は撤回して
{あの病院の代理院長にさせてください
命を懸けて 頑張ります!!!}
とお願いしなさい!!!」
と言われたが
僕も頑固者なので
「すいません!!!
理事長!!! もう少しだけ
このグループを抜けさせていただいて
外の病院で いろんな病院で
修業させてください!!!」
と頭を地面にこすりつけて
泣き叫びながら
土下座して お願いした。。。
すると理事長が
「そうか そこまで お前が
頼みこむ なら しょうがなか(しょうがない)
この話は 白紙にしちゃる
その代り 外でみっちり修行して
お前が {絶対に自信をもってできる}
となった時は
今日のことは 遠慮せずに
また 気軽に 折れに直接
相談しに来い!!!
いつでも 気軽に うちのグループに
戻ってこい!!!
でも お前を ずっと今まで見てきて
いつも 思っていたけど
お前は 人の下で 働く人間じゃない!!!
いつも お前に言ってきたけど
1日でも 1秒でも早く
大きなリスク(借金)をしょって
自分の理想の歯科医院を
独立開業させろ!!!
年をとればとるほど
銀行は 金は貸さなくなるし
借金も返せなくなるぞ!!!
お前にはもう
自分の力で 自分自身で
独立開業させるしか
それしか道はない
明日から 死ぬ気で
独立開業に向けて 速攻
動きだせよ!!!
命を懸けて 頑張れよ!!!
でももし 少しでも
うちに戻ってきたいと思ったら
迷わず 俺にじきじきに
電話してこい!!!」
と言われた。。。
なんか文章で書きだすと
理事長先生は 凄い人だな~
と 今ではそう思えます
あの頃を思い出すと
苦しい毎日だったけど
無性に 熱い ヒリヒリとした日々で
なぜか 涙が出そうになる。。。
あの時は 毎日
『ここはブラック企業だ
やばすぎる 早く辞めたい。。。』
とばっかり思っていた。。。
その後 数年間
僕が代理院長になるはずだった
病院の前を走ると 胸が痛んでいた。。。
うわさでは
その1~2年後
ある女医さんが そこの病院の代理院長
になったという うわさ を聞いたが
その1~2年後 閉院していて
他の分院は ネット検索すると
今でも存在しているが
僕が代理院長になるはずだった
病院は 無くなってしまっていた。。。
いま ふと思い出したが
繁華街の クラブで
理事長が
「お前!!! 東京の銀座の
一等地に 将来 新規オープンさせるから
お前 そんなに自分に自信があるなら
銀座で 代理院長しろ!!!」
と言われたことがあった。。。
ついでに
「俺は東京に行った時
銀座のクラブに 飲みに行った帰りに
お前の病院に顔を出すからな!!!」
と言ったので すかさず 僕は
「理事長 僕も銀座で飲みたいですっっっ!!!」
というと
「あほか!!!お前は 遊ばず
患者の治療をしまくれ!!!」
と怒鳴られた。。。
なんか懐かしい 思い出です。。。
2023年3月21日(火曜日)
本日 祝日も
僕は うんこをしないために
朝から深夜まで
ご飯を食べずに ぶっ通しで
お仕事です!!!
深夜 AM3:02
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
誰もが脳を持っているが
誰もが知恵を持っているわけではない
誰もが目を持っているが
誰もが真実が見えているわけではない
誰もが両手を持っているが
誰もが成功を手に入れることができるわけではない
→ ネット上に
違う言葉が書いてあって
2番目と3番目は
僕が作りました~~~
ヒリヒリとした あの過去の勤務医の日々




