生きる意味
生きる意味
{なんのために生きているのか}
を 考えながら生きるのではなく
何かにチャレンジして悩み
苦しみながらも 成功したときの喜び
「自分のやりたいことは 何だろう?」と
自問自答する過程で
「生きている実感」を味わえる。。。
とはいえ
「生きている実感」は そうすぐには味わえない。。。
ようやく それが分かったと思っても
それが正解かは 誰にも分からないもの。。。
一生をかけて ようやく たどりつくのが
「生きる意味」である
その意味を考え 行動し 悩むことに
大きな意味があり
自己成長 が起こる。。。
「生きる意味」より「ビジョン」
「こうありたい」という ビジョン は
自分で決めることができる
自分で人生の舵 をとり 行動することで
「生きる意味」にようやくたどり着ける
と考えれば
ストレスを 感じることなく
楽しい人生を 生きることができる。。。
僕は 歯科医師 という仕事をし
自分の歯科医院を 独立開業してから
経営者 として
大きな借金を返すために
戦略を練り 実行・行動に 即座に移してきた。。。
僕の戦略が
うまくいけば もっと それを練り上げ
失敗すれば 即座に また戦略を練りなおし
改善し また 実行に移す
今までに いいことも 悪いことも
色々とあったけど
けっこう 面白い
半年前 50代半ば のおばちゃんに
本当は 30万円の自費の治療をしたが
「必ず 後日 全額払う」と約束したので
お金をいただかずに 難しい治療を
時間をかけて 頑張ってやったのに
約束の日に 支払いに来なくて
一度 催促の電話をしたが
結構 しゃべりまくる おばちゃんで
スーパーマンシンガントークの
超~話術 を手に入れている僕が
押し負けていた。。。
ああだ こうだ と グダグダと
言い訳 や 僕が頑張って行った処置に対する
屁理屈 揚げ足 などの 難癖 をつけてきた。。。
しかし 僕の病院の 口コミには
最高評価の 星5
をつけて 褒めちぎった内容で
投稿しておいたよ と言われ
あとで確認すると
けっこう うれしいことが書かれていた。。。
うわさ好きで 情報発信元的な おばちゃんだったので
無理やりごり押しで
未払金の請求を 押し通してしまい
おばちゃんの機嫌を損ね
あとで 当院の悪口を
近所の人たちに しゃべりまくられたら 困ると判断し
電話での 長い話し合いの末に
しょうがなく 2万円 にしてあげた
その売掛け(未払い)
2万円 も約束の日に 支払い に来なかった。。。
それが 半年前 にされていて
その後 しつこく 催促の電話 を するべきか否か
悩んだ。。。
色々 脳内で シュミレーション してみた。。。
しつこく電話をかけて 支払いを催促するか
2万円とはいえ
それをすれば その後 どうなるか。。。
思い起こせば
僕の病院を 独立開業したてのとき
そのおばちゃんの家族が 全員 来ていた
20歳くらいの 可愛い女の子(娘)も来ていて
よく楽しいおしゃべりをしました。。。
その頃 遅く生まれた 子供 男の子3歳(息子)
が 僕に とても なついてくれていた。。。
しかし 治療が ひと段落すると
当院に 来なくなって 1年後くらいに
ある日 僕の奥さんと デパートの地下の(デパ地下)の
物産展 (北海道展 だったかな?)
滅茶苦茶 お客さんがいる中で
ある商品の試食をしていたら
ふと気づくと 僕のズボンを
見知らぬ 幼い男の子が
ちょんちょん と引っ張っていた。。。
僕は
『なんや この ガキんちょ は・・・
迷子かな?』
と思っていたが なんかニコニコしながら
まだ しつこく 僕のズボンを 引っ張ってくるので
僕は 「君のお父ちゃん じゃないよ」とついつい
言ってしまうと 人ごみの中から
前記のおばちゃん
つまりは この子の母親が
「すいませ~~~ん うちの子が。。。
あっ 歯医者さんの先生!!!」
といわれ 僕も思い出しました。。。
『ああ あの子か。。。』
その頃 滅茶苦茶 忙しくて
一日 100人以上 患者さんを診ていて
疲れ果てていました。。。
なので この子の顔も 忘れていました。。。
その後 別れ際
「先生 僕のこと ずっと 忘れないでね!!!」
と かわいらしく言ってくれた記憶が僕の脳内に
強く印象に 残っている。。。
(この男の子も 数年前に 高校を卒業して
社会人として働いているそう)
『しょうがない あの かわいい男の子に免じて
もう この家族には
ぎゃーぎゃー 言わないでおこう』
と思ったら
数日前の 11月3日の祝日の 夜10時すぎ
歯の激痛 とのことで
そのおばちゃん から 当院に電話。。。
僕は
『自分の都合で 以前のお金も払っていないのに
よくもあつかましくも 電話してくるのか!?』
と 少しむかついた。。。
よくよく 未払いのことについて
おばちゃん側の話を聞くと
2万円の支払い期限を きちんと決めていたのに
そのおばちゃん いわく
「先生が {お金ができてからでいいよ} と言ったやん」
と言われた。。。
このおばちゃんは ビジネスホテルで働いている。。。
口癖が 「お金がない」
だった。。。
その時も 電話口で
「先生はお金持ち だからいいけど 私は貧乏よ
2万円でも うちら 庶民にとっては 大金よ
いろいろと支払いが重なったのよ」と
ぼそぼそと つぶやいていた。。。
『じゃあ 30万円の いい
贅沢な治療 しなけりゃ いいじゃん』
と僕は心の中で思ったが
ついつい 半年前は 欲に目がくらんで
『これはいけるぞ!!!』と
営業トークを このおばちゃんに
してしまっていた。。。
明らかに 僕の失敗。。。
まあ そのおばちゃんは そんなに怖くない人なので
ぐちゃぐちゃ 僕は
普通の人には言わないような
愚痴や嫌味を 電話口で ネチネチと 言っていたが
おばちゃんは 痛みがあるとのことで
どうしても僕の治療を 今から 受けたい とのこと。。。
まず 「いつから痛みがあるんですか?」
と聞くと 2週間前から痛んでいて
今日の お昼くらいからだんだん 痛みが激しくなり
先ほどから 激痛に変わったとのこと。。。
僕は思わず
「なんで 祝日の 夜に
治療を希望してくるんですか!?
平日のお昼に 電話してきてくださいよ!!!」
というと おばちゃんは
「だって仕事で忙しくて来れなかったんですよ!!!」
と言い返してきた。。。
超~~~わがままな人 だ。。。
「じゃあ 失礼ですけど
今回は売掛はできません!!!
というか あなたの治療は
これからは 売掛では できませんよ!!!
お金が今 手元にないからと言って
ローンも クレジットカードも 使えません!!!
ニコニコ現金払い でしか 本日も
そして今後 これから先も
絶対に あなたの治療は
現金でのみしか 僕は 致しません!!!
それでいいのならば 僕は
喜んで あなたの治療を いつでも行いますよ!!!
しかし 今日は 前の売掛分の 2万円と
今日の処置費用 1万円 で
合計 3万円
それを今日 治療前に
きちんと 支払っていただけるのでしたら
どんな痛みでも 応急処置ではなく
しっかりじっくりと
祝日の夜だけど
痛みが楽になるまで対応しますよ!!!
でも この僕の提案に納得できず
今回もお金がないというのならば
残念ながら 治療はできません
僕は あなたの息子さんが 昔
デパ地下で
『先生 僕のこと ずっと 忘れないでね!!!』
と かわいく 言ってくれていたので
前回 あなたと治療は頑張って行ったのですが
あんまり あなたたち家族から
無理やり お金を回収しようとはせずに
半年前の 自費治療 30万円を
2万円にしてあげたけど その支払いも
今まで 連絡もなく 支払いにも来なかったけど
あきらめよう 追いこまないでおこう
と思って
2万円も自体も あきらめようと思っていたのですよ。。。
でも 今日 前の分も合わせて
3万円 お支払いできなければ
もう 前の2万円も 支払わなくて結構ですよ
僕は忘れ去ります。。。
でも 今後一切 僕はあなたの治療は致しかねますよ。。。」
というと
このおばちゃんは 3万円の 支払いに 納得して
すぐさま 来ることになった。。。
で 3万円 ゲット!!!
無事 回収できました!!!
その日の夜 きちんと時間をかけて
痛みが楽になるまで
対応しました!!!
患者さんのいない 深夜の時間帯
僕は いろんなことを考えている
変なやばい患者に悩まされ
あまりにも しんどい 深刻な内容が
僕の頭の脳内を占めるときは
激しい歌を歌って
全てを歌に集中して
考えられないようにする時もある。。。
そうやって今まで
なるべく ストレスを軽減するように
努めてきました。。。
細かい絵を描くときも
歌を歌う時と同じ。。。
ガシガシ ゴリゴリ
細かい絵を描きまくると
集中力が 考え事に勝り
ストレスが減る。。。
ネットで ドラマや 映画を観たり
Youtubeで動画を ぼ~っ と見ていると
僕の 脳の スーパーコンピューターが
勝手に 色々なことを考え出し
気づくと ドラマなどの内容が
まったく 頭に入ってこないときがあり
どんな些細なことも 気になる僕は
何度も見返すときも ある
(巻き戻して 見返しても
すぐに 僕は悩みのことを 考えだして
気づくと 話の内容が頭に入ってこない。。。
なので また巻き戻し 何度も見返すことがある。。。)
で 歯科の仕事の時は
僕は患者さんに ふざけて話すのだが
患者さんとの しゃべりが 8割
処置・治療 が 2割
の時間を割く
と言っています
それだけ かなり患者さんと かなり
しゃべりまくっています
それが結構
僕のストレス発散となっている時がある。。。
(性格のいい患者さんと判断したら
その人を捕まえて
僕はずっと おしゃべりしています。。。
時々 「先生 おしゃべりはいいから
早く治療してください」と言われることがあります。。。
それだけ僕はよくしゃべります。。。
歯科界の 明石家さんまさん
と 結構いろんな患者さんから言われています。。。
変なやばい性格の悪い患者さんには
当たり障りのない 対応。。。
しかも話術を使い 今後
当院に来させないようにする。。。
僕は極力 変なやばい人物とは
かかわりあいたくない。。。)
それがあるから
いろんな人との出会いがあるから
僕は歯科という仕事
を今まで続けてこられたと思います
僕は歯科のお仕事が 天職だと
思っています
勤務医時代 雇われの時は
最悪でした
独立開業してから
自分で考え 挑戦し
失敗しても あきらめずに
今まで日々 コツコツと頑張ってきて
今の自分がいると思っています
それは僕の奥さんの
協力もあってです
僕の奥さんに感謝!!!
僕は 毎日 だいたい
深夜の3時 4時 くらいに仕事を終え
自宅に帰宅するのですが
それまで 僕の奥さんは
ずっと起きて 待っていてくれます。。。
寝る前に 奥さんは入念に
僕の体をマッサージしてくれます。。。
最近 整骨院に行ったのですが
プロのマッサージよりも
僕の奥さんに マッサージしてもらう方が
とても 気持ちいいような気がしました。。。
そんなこんなんで
生きる意味とは。。。
と 考えて悩む人は多いと思うのですが
昔は僕も 思春期の頃とか
考えたことはあったのですが
考えても なんだかんだ言っても
結局 人は生きていかないといけません。。。
生きていくには お金 がいる
ならば 楽しく生きていくためには
どうしても お金 がいるのならば
稼げるお仕事
僕の祖父が歯科医師で
僕は幼稚園の頃から その祖父の
後ろ姿 をみて 育ち
将来は 祖父のように歯科医師 になろうと
思って 小学2年生の頃から
公文 をしたおかげで 算数・数学は
勉強しなくても 小・中・高校の時は
いつも テストは 満点でした
それから中学の時に 塾に行きはじめ
勉強が楽しくなり その頃
脳みそが発達して 目をつぶると
見た教科書が 目の前に 映像で
見ることができるというような
特殊能力 を発揮させて
通信簿 は オール5 でした。。。
中学まで 通信簿は オール5 で
成績もよく
高校受験の時
高校受験対策は
将来 大学は 最高峰
東京大学 (東大) に行くわけではなく
歯科大学 を 狙っていたので
そう必死さ はなく
気軽に 楽しく勉強していた感じでした。。。
小学生のころまで
僕の父は 祖父の後をつかず
サラリーマンになって 営業マンをしていたのですが
妹と 父と母 そして僕の
4人家族で 市営住宅(県営住宅)
月 家賃が 4万円 のところに住んでいました
周りは ガラが悪く
周りは だいたい ヤンキーや不良
その中で僕は ガリ勉 で 真面目な子供 でした
中学の時は ビーバップハイスクールのような
不良ばかりで 滅茶苦茶 荒れていて
廊下をバイクは走るは 校舎の壁は
赤いスプレーで「夜露死苦」
と 落書きが 書かれているは
窓ガラスは割られまくっているは
トイレの手洗い場は
タバコのカスで盛り上がっているは
滅茶苦茶だった。。。
その中で 昼休みに
友人が 「サッカーしよう!!!」
と誘ってきても
「ごめん この数学の公式 覚えたいんで。。。
この英単語を覚えたいんで。。。」
と断るくらい ガリ勉で
皆から 「勉強マシーン」と呼ばれていました。。。
今 これを書いていて
ふと思い出したんですが
僕が幼稚園生の頃
僕は市営住宅の3階に住んでいたのですが
その住んでいた 下の階のおじさんは
めちゃ やばそうな人で ガラが悪く
離婚していて アルコール中毒で
妹との 2段ベッド の僕が 2段上で
いつも 階段を使わず 飛び降り
ドンっ という音で
時々 下の階の おじさんが うちに怒鳴り込んできて
僕の幼いころの 記憶では
僕の母親が そのおじさんの前で
土下座しながら 泣きながら 謝っていた記憶があります
(まあ 僕が悪いのですが。。。)
小さい時は 何のことかよくわからず
それでも 2段ベッドから飛び降りていて
母から
「こらっ!!!下の人に怒られるやろ!!!」
と 何度 注意されても
飛び降りてました。。。(反省)
高校受験の時
うちは貧乏で 将来 国立歯学部 に行く気持ちで
その地域の 一番 学力が上の高校 を目指していたのですが
その時の 優しい女の担任の先生が 受験対策のための
3者面談で 「地域のトップの 公立高校ではなく
レベルを下げて 一つ下の 高校に行きなさい」
と提案してきた
理由は {鶏頭牛尾・鶏口牛後} といって
「学力が トップの進学校の高校に進み
成績が 尻尾の方にいるよりは
レベルを 1段階 下げた高校に進学し
そこのトップになって
内申書をあげて
劣等感・挫折を味あわないで
国立歯学部 を目指しなさい」
と 担任の教師に
中学3年生の 進路指導時 に言われて
その助言どうり レベルを 1個 下げた。。。
それでも かなりの進学校に 進学したけど
2番目のレベルでも 皆 頭がよくて
高校1年生の頃から 国立理系クラス を選んだら
11クラスあるのに
(普段は10クラスだが 僕の年は第2次ベビーブームの頂点
で 1クラス 多く 11クラスだった。。。)
で 1クラス多く 僕のクラスの教室は通常
前年まで 理科室だったのを改造した
部屋 になっていた。。。)
それから 3年間 クラスも変わらず 教室も
ずっと同じだった。。。
男女共学 の高校だったが 国立理系クラス を選んだら
3年間 男子クラス (通称;男クラ)
になり 大学に進むころには
女の子と
しゃべることが できなくなっていました。。。
(今では 老若男女 誰とでもすぐに
しゃべりまくり 打ち解ける技 を身につけているが
大学を卒業した後 結婚を約束していた
元彼女に裏切られ 歯科医師国家試験にも落ち
{真面目なだけでは いけない!!!}
と 強く感じて
いろんな職業を経験し
人との接し方 超~話術 を鍛え上げました)
なので 今でも その影響からか
車を走らせている時に
学生服を着た 男女のカップルが
仲良く 帰っている姿を見ると
胸が 少し苦しくなります。。。
僕には 高校時代の
甘酸っぱい 青春の記憶が
まったくありません。。。
高校の時 レベルは2番目だけど
超~進学校 で すべての教科に
理系文系関係なく
その高校の全校生徒の
上位100番まで成績表
つまり 中間・期末テストの結果を
一斉に バンっと
廊下の窓に 張られ
小学生から公文をしてた僕は
数学はいつも100点だったけど
他の成績が 徐々に落ち始め
結果 2年生になると 成績ガタ落ち。。。
でも毎日 頑張って 学校には通い
卒業時 皆勤賞は とりました。。。
でも歯科医師だった祖父が
僕が高校2年の秋に
末期癌 で亡くなりました。。。
祖父が亡くなる最後の方に
入院している病院に お見舞いに行くと
僕の父が
「お爺ちゃんの足を揉んでやれ」
といわれ揉むと
今まで さわったことも 見たこともないような
かよわい 今にも折れそうなほどの細い足で
筋肉が まったくない状態で
僕は少し たじろいだ。。。
しかし 気を取り直して
恐る恐る 祖父の足を優しく揉むと
気持ち悪いくらい むにょむにょ していて
僕は 内心
『お爺ちゃんが もうすぐ死んでしまう・・・』
と思うと 涙が出そうになったけど
我慢して 頑張って 足を揉んでいた。。。
すると 祖父から か細い声 で
「お前は将来何になりたいんだ?」
と聞かれ
成績が落ち始め 高2の夏に受けた全国模試で
高1の時は 歯科大学の中でも 頂点の
国立の東京医科歯科大学 でも
全て A判定だったのが
高2の秋には 私立歯科大も
全て 評価D になっていた。。。
高校3年生になると
益々 焦るばかりで
高3の夏の全国模試は 全ての歯科大学が
評価 オールE の判定・・・
その頃 高校の 進路相談の 3者面談があっても
成績が昔と違い ガタ落ちしてきたので
僕の将来を楽しみにしていた 僕の母親が
精神的に 不安定になってきていて
「どこも受からんて言われるの嫌だから 私は行かない!!!」
と いつも泣き叫んでいて
中学まで ずっと 通信簿が
オール5 で 皆から {神童}
と呼ばれていて
高校の頃との格差に 絶望して
その頃の僕は 挫折感から
人生すべてに 絶望していて
燃え尽き症候群になっていた。。。
夕方 いつも学校から帰ると
全てにやる気がなく 精神的にいつも
疲れ果てていて すぐに寝ていて
夜ご飯も食べずに
そのまま 朝までずっと眠りっぱなしの時もあった。。。
今はその逆で あまり睡眠時間がとれていない。。。
それでも独立開業してから今までずっと
朝から深夜まで ひたすら働きまくり
走り続けてきて 肉体的精神的疲労はあるが
そんなに睡眠に対して欲はない。。。
短い睡眠時間でも寝れば 多少は復活する。。。
そうやって今でも元気に楽しく毎日を過ごせている。。。
成績がガタ落ちした高校時代は
今から思い返しても なぜか いつも
異常に 眠たかった。。。
そして いつも 朝起きると やつれはてた母が
「昨日は 家の外から 2階のお前の部屋を見ると
もう夜の9時には 電気が消えていたぁ~~~
まったく勉強せんで 何 考えてるのよぉォぉ~~~(怒)」
と 泣き叫ばれ
また別の日には 学校から帰宅後
夜7時くらいには 早々と ベッドで寝ていると
階段を どんどん と
激しく踏み鳴らしながら
かけ登ってくる 激しい足音 が聞こえてきて
怒り狂った父親が
僕の部屋を バンっ と開けて
「勉強もせんで(しないで)
いつまで ずっと 寝とっとカァ===(怒)」
と大きな声で 叫びながら
グー で思いっきり
眠っている僕の顔を殴ってきて
僕は ふっ飛んでいました。。。
まったく勉強しなくなった僕にむかって
両親が ギャーギャー 毎日 わめきちらし
父からは 殴られ
母からは毎日 泣きながら罵倒される日々が 続いていた。。。
僕は内心 野球のバット で
『家じゅう 叩き壊してやる!!!』
と思っていも 実行する勇気はなく
でも将来は歯科医師にはなりたいが
成績が 一度下がると 転がるように下がりまくり
なかなか 復活できなくなる悪循環。。。
その頃 目も悪くなりだして
黒板も見えずらくなり
その時通っていた
薬院の河合塾もさぼりだし
近くの小さな塾だけは行くけど
黒板を写すだけで 目が疲れ果て
覇気もなくなり 記憶力もなくなって
(あんだけ 中学の時は 見た教科書が
目をつむると 目の前に 綺麗に見えていた
能力もなくなっていた。。。)
やる気もなくなって 勉強をするふりをして
ただ 親に隠れて
漫画や絵 ばかり描いてました。。。
高校3年生の 大学受験も差し迫っていた秋
僕が頑張って描いた漫画を学校に持っていき
友人たちに見せると
ちょっと冷静でクールな ある友人が
「こんな大学受験で 大切な時期に
こんなマンガばっかり描いて あほやん・・・」
と 言われたのが
今でも心に 強く残っています。。。
長くなったけど
こういうことがあっていた中で
末期がんで 余命いくばくもない祖父に将来の夢を聞かれ
「おじいちゃんの様な
は 、は、 歯医者になりたい。。。」
と高校2年の秋に
自信満々の今の僕とは違って
高校の成績が下がりまくり
自信がまったく無かった僕 がつぶやくと
祖父は 少し強い はっきりとした口調で
「そうよな!!!一国一城の主よな!!!
頑張って勉強しろよ」
といわれ 泣きそうになっていました。。。
結局 高校2年生の 冬前に
祖父は亡くなった。。。
祖父が亡くなった その日
その時 僕は 高校にいて
お世話になった 男の担任の先生に
呼び出され こう言われた。。。
「落ち着いて聞けよ 先ほど
歯医者のお前のお爺さんが
亡くなったそうだ。。。
今から帰宅する準備をしろ!!!
お前の母親が 自宅で待ってるそうだ
事故を起こさずに 気をつけて帰ろよ!!!」
そう言われた時
僕は わなわなと震え
全身の体の力が一気に抜けた。。。
そして 今までの僕のお爺ちゃんとの思い出が
ぶわ~っ と 僕の脳裏を
走馬灯のように走り
過去には 天才・神童 と言われていた自分が
高校2年時のその時
中間・期末試験は ほぼすべて 赤点で
僕の高校の赤点は たしか 50点以下だったかな。。。)
病室で 祖父に 「歯科医師になる!!!」
と約束したものの
その時の 今の自分のふがいなさに
自分自身 滅茶苦茶 はがゆくて 情けなく感じて
激しく涙が 流れ落ちていった。。。
それを見た 僕の担任の先生は
(先生は僕が歯科医師を目指していることなど
僕のことを すべてを知っていました)
「その涙を 悔しい気持ちを
ばねにして お爺ちゃんの様に
立派な歯科医師になれるように
頑張って 勉強しろ!!!
でもまずは
早く 亡くなったお爺ちゃんに会いに行け!!!
さあ 手洗い場で 涙を洗い流してこい!!!」
といわれ 「ふえっ ふえっ」 と
嗚咽 し
あふれ出る涙を
手洗い場の 水道水のお水で 洗い流していると
隣のクラスの 女の子が
泣いてる僕を見て
「あれ? なんか この人 泣いてる。。。
大丈夫?」
と大きな声 で 言っていた。。。
僕は 何も言わず むせび泣きしながら
落ち着くまで
あふれ出る 涙を 洗い流していた。。。
その頃 母親の精神が不安定になり やせこけ
その頃の高校の時の恩師の担任の先生から
「お前のお母さん
晩年のオードリーヘップバーンみたいに痩せこけているぞ
この前見て 俺はびっくりしたぞ
お前のお母さん 大丈夫か?
お前も 亡くなったお爺ちゃんの跡を継ぐために
死ぬ気で頑張って勉強して
歯科大学に 無事合格して
お前の両親を はやく安心させてあげろ」
と叱咤激励を受けていました
そんなことを僕は 今でも鮮明な映像として
僕の脳裏に残っています
僕はすさまじい記憶力 があるのです。。。
昔のことは 目をつぶると
どんな内容でも
目の前で 今 起こっているかのように
映像として 見ること 思い出すことができます。。。
この能力 僕は結構 気に入っていますよ。。。
それでも 高校の時
大学受験は 現役ではすべて 落ちて 全滅。。。
医学部歯学部薬学部 を目指す
医歯薬大学を目指す 予備校に
一千万円 親に 払ってもらい
一浪した
しかし次の年も 結果 国立はダメで
結局 私立歯学部 に行きました。。。
この前 ぼくの母親に ぽつりと 言われたけど
「今まで言うのは 避けていたけど
死んだお爺ちゃんに感謝せないかんよ。。。
本当はこんな言い方はしてはいけないと思うけど
ちょうどお前が 私立歯科大に行けたのは
たまたま いい時期に お爺ちゃんが 亡くなって
運よく お爺ちゃんの
莫大な遺産 が入ってきたからよ。。。
(僕が 歯科医師国家試験に合格して
歯科医師 になった時に 母親から
「合格 おめでとう!!!」といわれ
大学ノート 1冊 を渡された
その中身を見ると
高校を卒業してから
医学予備校
歯科大学に合格してから 卒業するまでの
入学金 大学の学費や 教科書代
歯科大学 6年間の食事代 洋服代 などの生活費
自家用車購入費
(スズキ ジムニー を新車で買ってもらいました)
寮 や 元彼女と同棲した時にかかったお金
それから 歯科医師国家試験に 2回落ちて
東京の 歯科医師国家試験予備校にかよい
その学費(約1千万)や
東京での生活費 も含めて
それまで今までに かかった費用が
事細かに 書き込まれ
総額 7千万円 と書かれていた。。。
「いつまでかかってもいいから
これ全額 返して頂戴ね!!!」
と言われた。。。)
それが無かったら(祖父の遺産が無かったら)
うちには お金がなかったから
お前は 国立に行けなかったんだから
私立歯科大 には到底行けなかったから
今 歯医者さんにはなれていなかったよ。。。」
と ボソッ と言われました。。。
また 母親から
「よかったね 歯医者になれて おめでとう。。。
でも一時期は 高校の時 もうだめ と思い
お前を殺して お母さん も
死のう と思っていたよ」
といわれ ゾッ としました・・・
未来は どうなるかは わからない。。。
最近 ある本を読んで
こんなことがかかれていました
ジャニーズ 元スマップの中居正広さんの
「どんな仕事でも、成功は約束されていないけど
成長は絶対に約束されている」
岡田准一の「天職とは自分でつかむもの
とにかく何かを続けることが
天職とか才能と呼ばれるものに
変わっていくのだと思います」
井ノ原快彦の「自分を鼓舞する姿勢」
「コンサートで1日2回公演があって
体力的にしんどいときも
無理矢理『やったー! 2回公演!!』」
どんな職種でも何かしら成功を収めた後もなお
「努力を怠らない姿勢」の方は 少数派ですが
確実に います!!!
大成しても それに甘えない姿勢はやがて
共感や共鳴
したわれたり 尊敬されたり と様々な形で
また自身に返ってくることを知っているからだろう
こういう方々は相応にして自宅に戻っても
ゴロゴロとはせず 次なる勉強をしていたりする
自らが進んで努力する姿勢が重要!!!
普通に考えて
何事も言われないと出来ないような輩は
そうそうたいした結果も残せないでしょう。。。
~~~~~~~~~~~~~~~
最近 僕の歯科医師の友人(女性)の息子さんの
大学受験に悩んでおられる 人生の岐路に触れて
僕もよく 今までの自分の人生 を振り返っています。。。
その頃の 僕の母親の悩みが その友人と
重なるようで ふと 僕も
友人のお子さんの今後のことを 心配してしまい
今日の文章を書きあげました。。。
ふぃぃぃ~~~ 疲れ果てました。。。
今日はこれにて終了
自宅に帰宅します
皆様 お疲れさまでした!!!
2022年11月5日(土曜日)
朝 AM5:12
外は まだ 真っ暗です。。。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
孤立無援で戦っている
と感じているときも
見ている人は見ているものですよ。。。
ただ「私は味方です」と
すぐに名乗り出てくれるわけじゃない。。。
一方、攻撃する人は我慢せず攻撃してくる
「みんなもそう思っている」と
自分を大きく見せながら。。。
信念があるのなら
サイレントな味方を信じて続けてみて。。。
生きる意味




