8 熊殺しの珍妙丸
洞窟から脱出すると、俺はたえを連れて急いで山を降りた。
「はっ……はっ……ここまでくれば大丈夫だろう」
洞窟にいた野盗の仲間はあらかた成敗したが、他にも仲間がいるかもしれない。父の家来は間もなく到着する。あとはたえを家来に預ければ安心だろう。
しかし、そんな俺たちを阻む強敵が突如目の前に現れた。
「グルルルルルルルルルッ……!」
立ち塞がったのは、体長十尺(約3メートル)はある巨大な熊。涎を垂らしながら、俺たちを狩ろうと虎視眈々とこちらを狙っていた。
「く、熊……熊よぉ!」
怯えるたえ。俺は彼女を庇いながら、熊の戦闘能力のステータスを表示させた。
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名前 名も無き熊
HP 5310/5310
MP 88/88
攻撃 468
防御 425
魔攻 0
魔防 87
敏捷性 101
名声 0
状態異常 なし
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さすがに熊の強さは伊達じゃない。この俺と同等の戦闘能力を持っている。一般人なら正面切って戦うなど以ての外だろう。
だが俺には女神たちから貰った能力がある。ここまで来たんだ。この子をここで死なせるわけにはいかない!
「盗賊だろうが、熊だろうが、俺がすべてやっつけてやる!」
俺はたえを守るように、彼女の前にたち熊と真っ正面に対峙する。そして俺は刀を構え、熊に向かって突撃を開始した。
「うおおおおおおおおおおお……!」
そして熊も、そんな俺の命を狩ろうと全速力で俺に向かって突進する。
「グオオオオオオオオ!」
ガキイイィン……! 刀が熊の体に当たるのと同時に、凄まじい音が俺の前から響き渡る。刀は折れ、俺は熊の体の横をすり抜けそのまま正面に倒れる。
まさか、刀が折れるなんて……。って、そんなことを言っている場合じゃない! 俺が熊を避けてしまった以上、熊は次にたえを狙うに違いない。早く助けないと!
案の定、熊は今にもたえを襲う体勢に入っていた。
「この子だけは絶対に守る……!」
俺は熊の突進を防ごうと、すぐに立ち上がり熊を後ろから取り押さえようと飛びかかる。だが、熊は思いの外あっさりと俺のほうに倒れてきた。
「ぐえへっ……!」
くっ……なんて重さなんだ! 早くどかさないと……どかさ……ない……と……。
俺はなんとか熊の体をどかそうとするが、熊の体重は非常に重く、口や鼻が塞がれて息が出来ない俺はそのまま意識を失ったのであった。
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目が覚めると、俺は布団の中で仰向けになった状態で寝かされていることに気がついた。そういえば、俺は女の子を助けるために熊を退治しようとし、そのまま熊の体に押し潰されたんだっけ。
いくら戦闘能力が高いとは言え、俺の体はまだ6歳児。あの状態で圧死は免れないだろう。しかし、肝心の世界征服の一歩を踏み出すことなく、しかも女の子1人ろくに守れずに死ぬとは我ながら情けない。せめて、同じ戦国時代の日本のどこかに転生しているとよいのだがーー
「おお、珍妙丸! 目が覚めたか、心配したぞ!」
だが、俺の視界に入ってきたのは父・武治の顔であった。死んだと思ったのに、生きている? 俺は訳がわからず、父に場所を尋ねた。
「ここは……?」
「何を言っておるのじゃ? ここは茂別館のお前の部屋。熊の下敷きになっていたお前を、某と家来が一緒になってここまで運んできたのじゃ」
「え? じゃあ、丸は助かったということですか……?」
「その通りじゃ。某も最初は信じられなかったが、熊の屍をどかすと、横になって気絶してはいたものの、お前は息をしながらその場に寝ておったのじゃ。さすがに傷は負っていたから、小姓にお前を手当させたがの」
これは驚いた。まさかあの非常に重い熊の体に耐えられるほどの力がこの小さい体に備わっていたなんて。でも頬をつねると痛みはしっかり感じる。夢じゃない、夢じゃないんだ! 俺は生きているんだ!
「そうだったのですか……。ところで、たえさんは?」
「ん? ああ。例の娘なら息災じゃぞ」
そういって武治は、隣の部屋からたえを連れて入ってきた。
「珍妙丸様……」
「よかった……キミが無事で」
泣き顔で部屋に入るたえ。
野盗に縛られたり、熊に襲われそうになっていた彼女であったが、幸いにも無傷のようであった。
「わたしこそ、わたしのせいで珍妙丸様がお亡くなりになるのではないかと、心配で心配で……」
「はっはっは。あいにく俺は丈夫なんでね。熊に潰されたくらいで死にはしないさ」
本当はもうダメかと諦めていたけどな。これが転生前の体なら、そもそも熊に潰される以前にたえともどもあの山で食い殺されていたことだろう。
「ありがとうございます……珍妙丸様……」
一方、たえは俺の手を握って、涙を流しながら感謝の言葉を述べた。彼女を救えただけでもこの怪我の価値はあるというものだ。
「しかし、珍妙丸様が斯様にお強いとは露ほども思いませんでしたぞ。たった1人でこの辺りを荒らしていた悪名高い野盗を全員斬り伏せただけでなく、熊をも叩き斬ったのですからな」
「左様! 手練れの武人でも、ここまでの活躍はできますまい」
「これぞまさしく武辺者! 蠣崎家一の武辺者でござる!」
武辺者とは、この時代の言葉で武勇に長けた人のことを指す。
蠣崎家一の武辺者? 俺が? いやいや、いくら俺がチート能力の持ち主だからって、それはいくらなんでも褒めすぎじゃないか?
「では早速、珍妙丸様の武功、皆に知らせて参る!」
「え? ちょ、ちょっと待って……!」
「皆の者ぉ! 珍妙丸様が盗賊と熊をお一人で退治なさったぞぉ……!」
父の家来の一人が、俺の制止も聞かずに突然屋敷を出て大声で俺の活躍を宣伝しに向かう。
この一件で「不破珍妙丸」の名は、7歳にして野盗と熊を退治した子どもとして蝦夷地じゅうに知れ渡ることになった。そこでついたあだ名が『熊殺しの珍妙丸』。俺は初めて「珍妙丸」の名前を誇ることができたのだ。
「珍妙丸! 某の制止も聞かずに1人で盗人も熊も倒してしまうとは、やはりお主は珍妙じゃのう!」
「わーはっはっは!」
……前言撤回。やっぱり「珍妙丸」なんて名前、恥ずかしくてしょうがない。早いところ元服してこの名前ともオサラバしたいものだぜ。