66 不気味な鷹姫
1561年(永禄4年)12月、蝦夷地。
遠く異界の地に武親ら使節団が赴いた後も、蝦夷地では変わらずアイヌや本州等との交易が盛んであった。
変わった点があるとすれば、異界の兵が領内に大勢常駐したことと、異界からも交易商人が訪れるようになったこと。大海原を渡るのに往復で1ヶ月ほどかかることから異界の交易商人が来る回数は少ないものの、日本・中華・天竺の三国をはじめアイヌや山丹などの異民族の地いずれにもない珍しい文物を齎らすことから彼らの商品は高値で取引され大きな利益をあげている。
それらの事情も相まって、今の蝦夷地は、和人とアイヌ、そして異世界人が雑居する土地となっている。
しかし戦争によって各地の集落が破壊され、さらに異世界人が大量に移住したこともあり、渡島半島では住居不足が深刻であった。
そのため、戦後復興とも相まって、蝦夷地を治める蠣崎家と家臣一同は政務に忙殺されていた。
これは、その合間に訪れた平穏な一時の話――
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評定が終わった後の徳山館。この日は交易で入手した異界の品を肴に、蠣崎家当主・季広主催で家臣一同ともども酒を酌み交わしていた。
オルゴールや魔法のランプ、ワインなどそれまでの蝦夷地にはなかった珍しい品の数々に一同は興味津々の様子で眺めている。
そんな中、使節団の副使である不破武親の父・武治は、どこか落ち着かない様子でソワソワしていた。
「お、お館様……新三郎様や倅の五郎は達者で御座りましょうか?」
「兵部少輔、お主は心配性じゃのう。武親が愛おしいのは重々心得ておるが、あの熊殺しの五郎と名高い武親が異国の地でそうそうやられることもあるまい」
「とは仰りますが……」
武親を溺愛する武治にとって、長い間武親と離れることは相当不安な出来事であった。
「兵部少輔殿! あんな小童のことは忘れて、今宵は酒宴を楽しもうぞ!」
「そうですよ武治様。あたしとしては豆坊主が留守でせいせいしているところです」
そんな武治とは対照的に、長門広益と鷹姫は武親がいないことをいいことに、思う存分騒いでいた。
「長門殿、鷹姫。口を慎むべきでござる」
「む……越中守殿」
「も、守継様」
その2人を戒めるように、南条守継が広益と鷹姫の間に割って入る。そして守継は、武治のほうに向けてそっと指差した。
「ご、五郎……五郎……」
「あ……」
元来、泣き上戸である武治は、他の家臣の目もくれず寂しさから余計に涙を流していた。
そもそも武治は武親が王国に旅だってからというもの、居城の茂別館でも妻のお凛とともに毎晩泣きながら酒浸りの日々を送っていた。
これにはさすがの広益と鷹姫も、ばつが悪くなり、武治の目の前からそっと去っていった。
「しかしてお館様。異国の王からの書状の件は、結局如何なされるおつもりで?」
武治たちのゴタゴタには付き合わず、下国重季は季広に“ある件”について質問した。その“ある件”とは、季広の嫡男・舜広と異国・ミュルクヴィズラント王国の第1王女、イングリッド・ティルダ・ミュルクヴィズラントの婚約についてである。
季広はこの質問に「うーむ」と大きく唸りながら答えた。
「ああ、その件は……今は保留じゃ」
「保留、でござりまするか」
「現状、我らは出羽の檜山屋形様に臣従しておる一方で、同盟と銘打っておきながら実質は異国にも服属しておる。その上で蝦夷とも対等以上であらねばならぬ。これで異国の姫を迎え入れようものなら、当家の立場はどうなる?」
「間違いなく窮地に陥りましょうな。これ以上当家が異国に依存することになれば、蝦夷は当家を軽んじるようになり、檜山のお屋形様は我らに逆心ありとみて手切れを言い渡すやもしれませぬ。檜山のお屋形様と蝦夷の長の両方が認めたからこそ、家臣たちも当家の支配に服しているというもの。もし双方が当家を見限ることになれば、我らは蝦夷地支配の大義を失いかねませぬ」
「うむ……そうなるのは儂も避けたいところじゃ」
蠣崎氏の主家、安東氏の系譜に連なる下国家の当主である重季。下国家はもともと安東家の一門であり、かつては蝦夷地の和人を支配する家柄であった。
だが下国家は戦国の世に突入してから、同族争いやアイヌとの騒乱の中で次第にその勢力を縮小させていった。
特に重季の父・師季の代の凋落ぶりは凄まじく、本来は下国家代々の拠点である茂別館をアイヌによってあっさり追い出されてしまったぐらいである。実際、師季も季広が蝦夷地の覇者として君臨することに不満を見せることもあった。
つまり重季にしてみれば、蠣崎家の影響力が小さくなれば、季広から蝦夷地に対する影響力を奪還することも夢ではなかった。
だが今の重季にそのような野心はない。下国家の復権を夢見る師季と違い、落ち目の下国家が今さら蠣崎家に取って代わるまでには至らないと彼は考えていた。
おまけに安東家も勢力を盛り返しつつあるものの、全盛期である室町時代前期のような強さを取り戻せてはおらず、出羽の本領における一族どうしの争いを鎮めるのに精一杯であった。とても下国家による蝦夷地奪還に協力してくれる余裕はない。
下剋上の空気が重季にそう悟らせたのである。
「そもそも蝦夷地には、安東家の歴代当主から“季”の偏諱を賜っている者が多い。何を隠そう、この儂もそうじゃ」
「蝦夷と交わされた法度も、安東家先代の当主・舜季様のお力添えあってのものですからな」
「その状況で異国の姫を断りも無く勝手に迎え入れようものなら、愛季様に逆心ありと疑われて攻め滅ぼされる危険もある。領内に常駐している異国の兵が、必ずしも儂に協力するとは限らぬしのう」
「異国の者には、我らと安東宗家との関係を如何にお伝え申し上げましたか?」
「……実は、詳しく伝えておらぬ」
ミュルクヴィズラント王国と和睦を結ぶ時、季広は蝦夷地に対する覇権を維持するため安東宗家との関係を敢えて明かさなかった。
戦の時、救援には駆け付けたが呆気なく討ち取られた安東水軍のことを訊かれた時は、「知らぬ、存ぜぬ」とシラを切っていた。
もし安東宗家との本当の関係性が王国に伝わってしまうと、蠣崎家を差し置いて王国側が直接安東宗家と蝦夷地に関する取り決めを交わす事態に発展しかねない。
更に言うならば、安東宗家に攻められることがあれば、結局は王国側が弱小の蠣崎家を見限って安東宗家につくことも十分に考えられる。
祖父の代から蝦夷地の大名となるべく懸命に働き、「あわよくば安東家から独立を」と狙っている季広にとって、それは都合の悪い展開と言える。
「されど何れは露見するでしょうな。愛季様にも、異国にも」
「我ながら、あまりに脆い謀であると思うておる。それに儂は、蝦夷地の全てを揺るがす大きな騒動が再び起こるような気がしてならん。そうなれば、さすがの当家も滅亡するやもしれん」
「縁起でもないことを仰せになるものではありませぬぞ。しかし騒動……何が起こるのでござりましょうか?」
「そこまではわからん。されど嫌な予感がするのじゃ」
酒の席であるにも関わらず、心配のあまり何杯飲んでも酔えない季広。普段は老いてなお盛んな当主も、アイヌの動乱や王国との戦争による国力の低下から、すっかり弱気になっていた。
そんな季広を尻目に、宴会は進む。
「う、うえええ……五郎、早く帰ってきておくれ五郎……おろろろろろろ……」
「兵部少輔殿、具合が悪そうじゃのう。某が厠まで連れて行こうかの?」
「かたじけのう御座る……う、うえええ……」
蠣崎家臣の中では厚谷季貞に次いで酒に強いと評される武治も、さすがにアルコール度数の高い異国の酒には敵わない。酔いつぶれて酩酊状態の武治は、広益に連れられるままに席を外した。
「さすがの兵部殿も、備中殿のようにはいかないでござるか」
「豆坊主の一族ごときを案ずることはありませんよ、守継様」
「……鷹姫、何か兵部殿や五郎に恨みでもあるのか?」
「ええ、守継様の邪魔立てをする輩はこのあたしが許しませんからね。特にあの豆坊主は守継様の足を引っ張ることに飽き足らず、あたしから守継様の寵愛をも奪わんとしている、実に迷惑な小僧です」
「しかし鷹姫、五郎もまた蠣崎を支えるべく奮闘している者の一人。五郎がいなくなれば、そなたにとっても不利益が生じるのではないか?」
「そんなこと、あたしには関係ございません。あたしにはただ守継様さえいてくれればいいのですから」
「……」
「一番邪魔立てしているのは鷹姫、そなたではないか?」と守継は思わずにはいられなかったが、それを口に出すことはしなかった。言えば、鷹姫が懐から小刀を出しかねないからである。
「……まあいい。他の者と一献傾けてこようか」
「お供します、守継様♡」
こうして、まだ飲み明かしていない同僚の元へ向かう守継と鷹姫。
まだ日が沈むには時間がある。これからが踏ん張りどころの主家を支えるためにも、守継は酒の席で他の家臣との団結をさらに深めようと心に誓う。
だからこそ彼は気づかなかった。彼女が内に秘めたるその陰謀に……。
「――そう、たとえあなたが、あたしの父や弟たちを弑することになったとしても……」
守継の耳に入らないほどの小声でそう呟く鷹姫。その彼女の口元は、微かに妖しく笑っていた――




