55 パトロヌス教の成立と現状
大聖堂での講義はその後も続き、次はパトロヌス教の話に移っていった。
「パトロヌス教の成立は早く、聖女神様のご長男であるインノケンティウスが初代教皇として即位されたことで成立したとされています」
「長男が教皇か。しかし、アストリッド猊下はさっきこう仰った。メルティーナ・カエキリアは『世界樹と繋がりのある全ての世界は我が子孫が皇帝となってこれらを治めるべし』との神勅を残し、その言葉通り民衆も彼女の子孫を皇帝として奉じたと」
「その通りです」
「しかし長男が教皇となった以上、世俗的な皇帝も別にいたはずではないのか? もしくは、パトロヌス教の教皇は独身でなければならないという決まりはないということなのか?」
「良い質問ですね。もちろん聖職者たるもの、神々に仕える以上は独身でなければなりません。それは教皇とて例外ではない。皇帝の座には聖女神様の次男であるファウストゥスがお就きになりました」
次男が皇帝に即位したのか。この神話を聞く限り、パトロヌス教では世俗権威である皇帝よりも宗教的権威である教皇のほうが上という価値観が読み取れるな。
「その後、教皇には代々聖女神様の子孫がお就きになりました。その過程で男性の教皇の次は女性、女性の教皇の次は男性が就くという原則も作られました。現在の教皇コンスタンティヌス15世もメルティーニ家の分家であるセナンクール家出身であり聖女神様の末裔にあたります。さらに彼は男性なので、次の教皇は女性となります」
「となると、次期教皇はシスター・アストリッドという可能性もあるわけだな」
アストリッドが司教であることからも、キリスト教に比べて女性聖職者の地位が高いと思われるパトロヌス教。女性教皇の存在も、この世界では結構当たり前なんだろうな。
そもそも開祖である最高神が女性という時点で、女性だけ冷遇するのもおかしい話か。
「……次の教皇選挙までに私めが枢機卿に選出されていればそれも有り得るでしょう。しかし枢機卿は現在定員に達しており、誰かが昇天するか、退任を表明するまで新たな枢機卿が任命されることはありません」
「もしかして、枢機卿は終身制なのか?」
「その通りです。ただ教皇さえ認めれば途中退任は認められているので、生前離任する枢機卿もたまにいますが」
枢機卿に任期がないのと、教皇選挙があるのはキリスト教と同じか。しかし枢機卿を離任した聖職者はその後、どのような生活を送っているのだろうか。
「とはいえ、聖女神様が再び世界樹の幹に入りお眠りについてから既に1万年が過ぎました。今や聖女神様の血筋を受け継ぐものは、王侯貴族から平民など幅広い身分に及んでいます。さらには、人間だけでなくエルフやドワーフ、獣人などありとあらゆる種族にも聖女神様の血が流れているとも」
「つまり、メルティーナ・カエキリアの血筋が云々の話は、事実上無視しても良い話ということか」
「そうなりますね」
人類は皆、最高神の子孫ということか。つまりメルティーナ・カエキリアはミズガルズの人間にとって遠い存在でもあり身近な存在でもあると言えそうだな。
「ところで、そのぱとろぬす教とやらの教えには経典の類はござるのか?」
「もちろんございます。中でも最も重要とされるのが、聖女神様の教えと御活躍を記した『ドロトニンイェンス・サーガ』と呼ばれる教典です」
「ドロトニンイェンス・サーガ……」
「直訳すると『女王の物語』。女王とは当然、聖女神様のことです。聖女神様のエピソードと教えは非常に多岐にわたりますので、ここで教えるのはなかなかの重労働です。なので、皆様にはこの『ドロトニンイェンス・サーガ』を是非一度読んでみることをオススメします」
「この世界を理解するにはうってつけの文書ということだな」
「もっとも教典は約70巻にも及ぶ長大なものなので、一気読みはオススメしません。少しずつ聖女神様のお言葉を噛み締めながら読むと理解が進むと思います。それでお時間がかかるのでしたら、聖女神様もお許しになることでしょう」
70巻か。日本の漫画にはそれ以上に長い作品があるとはいえ、なかなか読み終えるには骨が折れそうなシロモノだな。
「そこで今日は聖女神様のお言葉を一つだけここでご紹介します。『異教と異文化に寛容たれ』」
「異教と異文化に寛容たれ……」
「聖女神様がお眠りについてから1万年、世界には各民族が知恵と工夫をこらして作り上げた多くの宗教や文化が存在します。それらはその地の環境や歴史に裏打ちされたもの。自分たちの文化と違うからといって頭ごなしに否定し、無理に同化を進めても上手くいくはずがありません」
「これは、余たちには耳が痛い話だな……」
日本人は古代からアイヌを含む奥羽や蝦夷地の人間を「毛人」や「蝦夷」と呼んで盛んに討伐を行ってきた。今やその征服軍のトップであった「征夷大将軍」を日本の事実上の支配者として崇敬している。
今も和人の中にはアイヌを差別的に見ている人間も珍しくないし、その逆も然りだ。だが世界征服をするなら異文化との接触は避けられない。メルティーナ・カエキリアは実にいい言葉を残してくれているな。
「その割には、戦場でのアンタの態度は随分と頑なだった気がしたけど」
「私は宣教の戦乙女、布教のためならあらゆる手を使います。あのような態度を取っておけば部下の鼓舞にもつながりますからね」
悪びれる様子もなく堂々と弁解するアストリッド。確かに中野館の彼女は、強引に現地の文化を破壊しようと企むステレオタイプの宣教者というべき態度だった。『異教と異文化に寛容たれ』という言葉、アンタこそもっと胸に刻んで行動するべきじゃないだろうか。
「ともかく、このお言葉はミュルクヴィズラント王国軍の基本理念となっています。いずれ我が国は世界中の土地と文化を手にする絶対王者として君臨します。手に入れる以上、破壊は許しません。あなた方もこの言葉を胸に刻んで私めとともに征服活動に励むのです」
この言葉、俺や慶広はもちろん念頭に置くべきだが、季貞やレスノテクたちにはどう映っただろうか。
「ちなみに、パトロヌス教には異教徒に対する人頭税が課されたり……はしないよな?」
「なんですかその風習は? 私めは初めて耳にしましたよ。そもそも教えというものは個人の心の問題なのに、そんなものを課して改宗したところで真の信仰には繋がりません。無駄です」
どうやら改宗しないことによるペナルティはないようで安心した。これで、接触して間もないパトロヌス教の教会組織の動きを注視する時間が出来て何よりだ。
「さて、そろそろお時間のようですね。これからも聖女神様の御威光と我が国の繁栄ぶりを心行くまでお楽しみください」
こうしてパトロヌス教の視察はひとまず終了し、俺たちはクヌーテボリ大聖堂を出て次の視察に向かうこととなった。




