34 湯ノ岱温泉
「なに? 温泉とな?」
「はい。煙の正体は温泉の湯気でした」
俺は温泉があることを皆に知らせた。
いい加減長いこと歩いたんだ。休息するなら、王国軍の追っ手が来ていない今が好機。さあ、どうしますか皆さん。
「それは良いことを聞いた。どのみち此処で休むことになったのだ。異論は御座らん」
即断即決。父の一声で全員で温泉に入ることが決まった。俺たちは温泉に浸かりに行くべく、湧き出ている場所の近くで着ていたものを畳んで、静かに入っていった。
温泉はちょうど2ヵ所から湧いており、その2ヵ所の間にはこれまたちょうどいい具合に岩があり、視界を塞ぐには格好のシロモノであった。
そこで俺たちは男と女に別れて、それぞれ別々に入浴することになった。
「戦の最中ではありますが、身も心も休まりますな」
「ああ。これぞ秘湯と言うに相応しき所」
秘湯、か。そのキーワードを聞いた俺は、この場所が何処であるかを推測した。
温泉が出てるうえに温度も若干ぬるめ。木古内山道の途中にあって峠を越えたばかりということを考えると、ここは恐らく湯ノ岱温泉(現・北海道檜山郡上ノ国町)。
と言うことは、中野館から見てもう半分は歩いたわけか。思ったより早かったな。
でも意外だったな、温泉がちゃんと湧き出てるなんて。確かここは、前世の世界では江戸時代の後半に開湯された場所のはず。つまり俺もまた、歴史を塗り替えたって訳か。
この戦が終わったら和人とアイヌの交流の場として紹介するのもアリかな。よし、そうしよう。
俺がそう思案していると、横のほうで広治と季治がソワソワして落ち着かない様子が見えた。
「兄上? どうなされましたか?」
「ゆ、湯煙で見えぬとは申せ、女子が裸ですぐ裏で入浴しているというのが少々気になってしまってな……」
「拙者も違わず」
今、俺たちが入浴している後ろでは、母のお凛やレスノテク、リシヌンテをはじめとした女性陣がお湯に浸かっている。
実はアイヌ兵の中には女性が何人かいて、運よく生き延びたものが数名いた。そして一緒に勝山館を目指しているという所だ。
「なんじゃお主ら? もしや、まだ女人の体を知らぬと申すか?」
「うむむ、申し訳ありませぬ。まだ妻というものをめとったことがないものでして……」
「拙者も違わず」
「そういえば、息子たちの縁談がまだで御座ったのう。五郎も元服して1年、そろそろ全員の縁談を考えねばならぬ時がきたかのう」
縁談か。おそらく長兄の広治や次兄の季治は季広の娘か、もしくは蠣崎家一族の誰かの娘をめとることだろう。
一方で末っ子である俺の場合はそんな縛りはないし……一体誰がお嫁さんになるだろう?
お嫁さんお嫁さん……何故だろう、心当たりの人物がいる気が凄くする。そう例えば、ときさんやたえさん……いや、年齢が相当離れているからな、それはないだろう。たえさんはおれより7つ年上、ときさんに至っては10歳も年上だからな。そのような縁談、父が許すはずがないだろう。
俺個人としては、年上の女性が結構好みのタイプなんだけどな……。
「……そおれ!」
「やん、リシヌンテ! このー!」
その頃、岩の向こう側では、おそらくお湯をかけあったりして楽しく遊んでいる女の子の声が聞こえてきた。
女の子は元気なものだ。さっきまであんなにボロボロのヘトヘトだったのに、温泉に入った瞬間生き返っちゃって。もし戦の最中でなければ、俺もお湯の掛け合いとかして遊びたいものだ。
「ぐぬぬぬぬ……」
一方で男湯の側では、鬼の如き形相の広益のオッサンが腕を組んでいた。
顔を赤くし、目を閉じて厳しい表情を見せる。まさかオッサン、中野館の敗戦がよっぽど悔しかったのか?
「……ぬるい」
俺は思わず体をひっくり返した。
オッサン、誤解させるような顔色するなよ。てか、感想が意外すぎるわ。それに温泉でしかめっ面をするなら、普通は水温がやたら高い時にするものじゃないのか?
「……はーっ、はっはっはっ!」
すると、俺たちと向かい合わせに座っていた父が突然大きな声で笑った。
「父上?」
「ハッハッハ! すまぬすまぬ。藤六殿といい、女子といい、実に愉快なひと時じゃ。のう、五郎?」
「は、はぁ……」
「かように愉しい時は、近頃は皆無に御座ったからな。まさか斯様な時が戦の最中に現れるとは誠に不思議なものよ」
言われてみれば、元服してから戦や政治、交易などで忙しく、家族でゆっくり過ごすという時間は無かったかもな。確かにこういう時間は久しぶりだったかもしれない。
そこで現れたのが、湯ノ岱温泉という名のこのオアシス。適度な泉温が俺達の荒んだ心身を温めてくれる。
しかしその平和な時間は、間もなく終わりを告げた。
「レスノテク~! や~め~て~よ~!」
「いいじゃない。ちょっとぐらい」
なんだ? 裏のほうで例のアイヌコンビが騒いでいるぞ。いくら休憩中だからって、羽目外しすぎなんじゃないのか?
「ええ~い! ”黒烏の矢”!」
瞬間、突如として呪文を唱えるリシヌンテの声が聞こえた。するとその直後、俺たちの後ろにある男湯と女湯を仕切っていた岩が凄い轟音を立てて崩壊。
いきなりの事態に、みんな一斉に安全な場所に避難する。
「て、敵襲か!」
「皆の者! 構えよ!」
緊急事態と判断し、臨戦態勢に入れと命令する父。ほかの皆も一斉に続く。
でも父上、これ多分敵襲なんかじゃないと思いますよ? しかも流れ的に、お約束の展開が待っているような……
「……え?」
「……!」
「あれれ~?」
女性陣のいる方角にあった煙が消えると、そこには数人の人影があった。そう、俺たちと行動を共にしていた女性の皆様方である。
岩が砕かれたのも敵襲などではなく、レスノテクがおふざけでリシヌンテの体を触っていたところ、リシヌンテが魔法で応戦して後ろの岩を破壊してしまったものだと推測される。
一瞬動きが止まる現場。な、何やってんだよ皆。早く逃げ……
「い、いやあああああああああ!!」
「ぶほっ!」
「こっち、見ないでよ!」
「ゆ、許してくれー!」
「な、なんと破廉恥な! そ、それが殿方のとる態度ですか!?」
「故意では御座らん! どうか、誤解は……ぐほっ……」
様々な物が(物理的に)飛び交う現場。こうして平穏なオアシスは瞬く間に戦場と化した。
これまでの戦場と一つ違うのは、これが内輪もめであるという点。
さっきまで快方に向かっていた傷が、女性陣の理不尽にして容赦ない攻撃によって、悪化の一途を辿る。
「和人の男って変態ばかりね!」
「そ、それは偏見……」
「だから、こっち見んなー! このパウチカムイめ!」
「ぬおおっ……!」
なんか、この温泉を見つけた意味が無くなってきたな。傷を癒すはずが、味方からの攻撃で余計に酷くなってしまうとは……。
女性陣に散々に撃退され森に逃げ込む男たちの様子を、俺は近く木の陰からそっと見つめるばかりであった。
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「ふう、やれやれ。とんでもない目にあったわい」
心なしか、温泉に入る前よりもボロボロになっている男たち。
仕方ないか。あんな場面に出くわしては、撃退されるのはお決まりの展開だ。
「おのれ! 蝦夷の女どもめ……。後で叩き斬ってくれるわあ!」
「な、長門殿! それだけは御自愛を!」
「うるさいわあ! どけい!」
「ひぃっ!」
ただ、広益のオッサンの怒りだけはなかなか止まらない。目を血走らせながら、その場で刀を振り回して暴走し出す。
「ぐ、ぐおお……」
しかし怪我をしているにもかかわらず、無理をして得物を振り回したため、肩が外れる広益。うめき声が森じゅうに響き渡る。
「まったくもう……」
一方のレスノテクも、未だに温泉での出来事について怒っている様子。
いやいや、そもそもの原因はリシヌンテの魔法が原因だろう? つまり、俺たちも被害者だ。そんな俺たちに怒りの矛先向けられてもな……。
「なんで皆怒ってるの~?」
一方で、そもそもの原因であるリシヌンテは他の女性陣が何故怒っているのか全くわかっていない様子であった。
リシヌンテ。純真なアンタにはわからんでしょうな、この状況が。
それに、なんであそこで魔法を発動させたんだ? おかげでこっちは一方的に悪人にされてしまったんだぞ。
でも彼女の綺麗な瞳を見ていると、反論する気にもなれなくなるな……。
「す、すみません。驚いてつい……」
唯一反省の意を示したのは母であった。
でも謝るのが目上の人だけだと、こっちも気が引けてくるな……。それにさっきの攻撃はある種の反射なのだろうか? だとしたら、嫌な反射だ。
「何はともあれ、もうじき日も暮れる。今宵はここを寝床としよう」
2日連続で野宿か。本当はしっかりとした屋根や壁のある建物で寝たいところだが、そんな贅沢なこと言ってられんな。
せめて体が痛くならないよう、寝方を工夫するしかない。あとは熊に襲われないことを祈るばかりだ。
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「眠れぬ……」
「同じく」
日が暮れてしばらく経った戌の刻(夜8時頃)。
体はクタクタのハズなのに、皆一様に目が冴えてしまっている。そして俺も例外ではなかった。
「他の蠣崎軍の皆は大丈夫なのかな……?」
「ううむ、此度の敵は相当な大軍。いくら諸将を生け捕りにしようとしているとは申せ、毎度成功するとは限らんからのう……」
「他の館の守兵も数は相当少ない。伝令を受けて、松前や羽州に逃れていると良いのだが……」
全員、あの圧倒的兵力と技術を所持する王国軍を前に、遠方でも戦っている仲間を心配していた。
今なお館に籠って奮戦している将兵のみならず、捕虜になっている人たちの安否も気になる。なにより、慶広が今どうなっているのか結構気になっていたりする。
そういえば、徳山館からの伝令は来てないな。途中で王国軍に占領されたりして、連絡路が遮断されたのか? 今の状況では確かめようもない。
「……致し方なし。眠れぬなら、寝つけるまで語らおうではないか」
「語らう? 何をですか?」
「とぼけるでない、五郎よ。中野館で申したあの奇怪な言葉、よもや忘れたわけでは御座らんな?」
……ああ。俺をこの世界に転生させた、あの2人の女神の話か。そういえば、「戦の後で説明します」とかなんとか言ってたな。
でも、いざ話すとなるとどこから説明しよう? そもそも、こっちの世界にはヨーロッパにあたる地域は存在しないから、ローマ神話とか北欧神話とかいう単語は使えない。
ここはやはり、俺が実はこの世界に”転生”されてやってきたことを正直に話すよりほかないか。本当はもう少し隠し通しておきたかったが、異世界との邂逅が戦争という形になって危急存亡の時を迎えている以上、打ち明けたほうがいいだろう。
こうして俺は、自分が実は『転生者』であることを正直に打ち明けることにした。
そして転生させた張本人であるミネルヴァやフレイアのこと、2人が登場する神話のこと、この日本自体も別の世界に転送させられていたこと、そして俺が女神たちから世界征服の使命を与えられていること。それらをかいつまんで説明した。
説明はしたが、周りの皆の表情は一様にキョトン顔。やはり突拍子もない話であることから、皆の頭がついていけていない様子であった。
それも仕方ない。そもそも彼らには知り得ない情報ばかりで、捉えようもないのだから。
現代日本みたいに二次元に精通した「オタク」がいるわけでもなければ、「インターネット」という情報交換システムも存在しないのだから当然だ。
「……ははは。面白い冗談を申すな、五郎は」
「……俺は別に冗談を言ったつもりはありませんが」
中には、冗談と決めつけて笑い出す者まで現れる始末。
でも、実際魔法は登場しているし、異種族のヒトも登場している。であれば、間違いなく、近いうちに異世界の地を踏まずにはいられない状況になる。
俺はとりあえず全てを話した。これ以上語ることはない。
「だが、三郎よ。虚言と断ずるには、上手く出来すぎておるような気もするが」
「父上は五郎を信じすぎです。年端もいかぬ弟の戯れですよ」
「とても兵部少輔殿の息子とは思えぬ。くだらん」
次々と俺を嘲り笑う広益のオッサンと光益。2人とも名前に「益」という文字が入っているクセに、全然俺のことを信用せず、俺に何の益をもたらしてくれない。
そしてとうとう俺は2人の発言にウンザリして、そっぽを向いてふて寝してしまった。
今に見ていろ! 俺の発言は本当だ。もうまもなく証明される。絶対に証明される! 思い知れ……思い知れ……!
俺はわけのわからない闘争心を燃やしながら、次第に深い眠りについたのであった。




