1 転生
見えない。動けない。俺は体をじたばたさせても、自力で寝転がることすらままならない。俺は誰かに縄で縛られているのか?
いや、俺はあの時確かに自殺に成功したはずだ。今思い出しただけでも身震いするほどの頭の激痛は記憶に新しい。一体、俺の身に何が起こったというのか?
しかし目や体の自由はきかなったが、耳だけははっきり周囲の声や音を捉えていた。だが耳に入ってくるのは、聞き覚えのない見ず知らずの他人の声。
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「でかした! さすが某の妻よ」
「いいえ、全てはあなた様のご助力があったからこそです……」
ついでにいうと、耳だけではなく、皮膚も触れているものの感触を捉えていた。
そして今、俺は何か柔らかく暖かいものに優しく包まれているのを直に感じている。最初は白い光に覆われた視界も徐々に明瞭になりつつある。そしてこの柔らかく暖かいものの正体とは――
(女性の――胸!?)
大きいな、オイ。
こんな富士山に勝るとも劣らない豊満な2つのお山を俺ごときが触っちゃっていいのか? げへへへへへ……。
といいたいところだが、この胸、デカすぎて巨乳どころの話じゃないぞ。この女性、そもそも体の大きさ自体が俺より遥かにデカい。俺は確か身長が170センチぐらいだったから、この女性の身長は目算で……ご、5メートル!? まさか俺、巨人族に連れ去られたのか?
「よ~しよし、私がお母さんですよー」
「某がお前の父親じゃ。すくすく育つ姿が、目に浮かぶのう」
そんな俺の戸惑いとは裏腹に、巨人族(?)2人は俺の体を優しく撫でていた。
俺の気持ちも知らずに、2人とも子供扱いにしやがって。俺はもう18歳だぞ、つまり立派な大人なんだぞ。酒やタバコはできないけど選挙には行けるんだぞ。なのに俺の精神はまだまだ子供だってのいうのかよ。
―――子供? 待てよ、この人たちは自分たちのことを、さっきからお父さんだの、お母さんだの言っているけど、2人の声のトーンを聞く限り嘘を言っているようには見えない。
それに、さっき俺は2人の身長を目算で5メートルって見積もっていたけど、それは俺の身長が170センチという前提があってこそ。
そうじゃないと仮定して、例えばもしこの巨乳の女性の身長が160センチ足らずとしたら……俺って50センチちょい? それって……赤ちゃんの大きさそのものじゃないか!
あと医学的見地から1つ。
俺は視力1.2くらいのはずなのに、目算で2メートルくらいしか離れていないはずの物体が、輪郭が判別できないほどぼやけて見える。とある医学書曰く、人間が成人クラスの視力を獲得するのはだいたい3歳前後だそうだ。つまり今はまだ、その領域まで俺は達していないらしい。
これらを踏まえてもう一度考えると、導き出される結論はただ1つ。
―――『俺は、転生したんだ』――――。
だがここで疑問。俺が赤ん坊となって転生したこの場所は一体どこなんだ?
最近のラノベ業界で流行っている異世界転生の定番といえば、もちろん「剣と魔法の世界」。俗にいう中世ヨーロッパ風の異世界だ(中世ヨーロッパと片付けるには矛盾のだらけの世界がほとんどだが)。
だけど、この狭い視界では些か判断しにくいが、父親を名乗るこのおそらく40代後半のおじさんの顔つきや、髷まげを結った髪型、そしていかにも武士が身につけそうな袴などを見ると、大昔の日本にタイムスリップ転生したとも思える。頭には月代もなく、烏帽子も被っていないところをみると、おおよそ戦国時代といったところか。
さらにぼんやりして判然としない視界ではあるが、よく目を凝らしても現代日本では当たり前のテレビやパソコン、冷蔵庫に電子レンジといった家電製品、もしくはそれらしき家具はどこにも見当たらない。
まあ、別に俺は両方のパターンの作品を読んできたことだし、転生したのが本当だとしてどちらの世界にも興味はあるから別に構わない。便利な家電がないというのもある意味テンプレだし、それはそれで良い。
それに、あんな腐れきった奴らから離れられただけで万々歳だ。転生したというのなら、この世界で自分のやりたいようにやってやるぜ!
とりあえず今はお言葉に甘えて、この女性の胸でぬくぬくと顔を埋めよう。それにしても人に愛されるってこんなにも心地良いものだったんだな……。両親が死んでから(俺の感覚で)3年、久しく俺に好意的に接してくれる人間なんていなかったもんな……。
「えっ、ちょっと……よしよし、いい子にしてくださいね」
俺は久方ぶりの親からの愛情を噛みしめて感動していると同時に、かつて前世で焼き殺された前世における両親のことも思い出しながら、目から溢れでんばかりの涙を浮かべた。前世の父さん、母さん。俺はようやく幸せを手に入れたぜ!
まさに理想の大和撫子と表現すべき現世の母親はーー歳の頃は20歳前後だろうかーー、俺がぐずったのかと勘違いしたのか、不慣れな手つきで小さな俺を必死にあやしている。嬉しい反面もどかしいことではあるが、この気持ちのすれ違いは俺が成人するまでしばらく続くことになるのだろう。
だがそれはいい。今は一時、長らく経験することのなかった幸せを、心ゆくまでじっくり味わっていこう。
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俺が転生の事実に気がついてから2週間が経過した。
俺は変わらず、あの武士のオッサンと綺麗な大和撫子のお姉さんの子どもとして、武家屋敷と思しき木造の家で慎ましやかに暮らしている。
慣れない土地というものは1日2日過ごすくらいであれば旅行気分でいられるが、さすがに2週間もいると郷愁からか、いい加減ホームシックでも発病するものだ。
転生した以上、この木造の武家屋敷こそが俺の故郷なのだが、現実はなかなかそうもいかない。「住めば都」とは言うけれど、現代日本の便利な生活に浸っていたこの身では、もうそろそろ精神も限界に近くなってくる。前世で里親に引き取られた時も同じ症状に罹ったことがあるが、今回はそれ以上だ。
そんな俺をよそに、この世界での俺の母は、相変わらず手間のかかる子どもの俺の面倒をよく見てくれる。
母親の精神力とは強いものだ。俺の世話をしつつ家事に勤しむ。それに俺には兄が4人いるらしく、彼らの世話もしている。まだ首もすわっていない俺だが本当に頭の下がる思いだ。
そんな母を見て、俺も彼女の手伝いをしたいとは思っているが、いかんせん赤ん坊の身。できることは何もない。
そのおかげで、生活に必要なことは誰かが必ずやってくれるのは良いのだが、この世界での父親である武士のオッサンが俺の顔に擦りよってくるのだけは勘弁して欲しい。良い人なのは分かっているが、本当にむさ苦しいことこの上ない。泣けばとりあえず止めてくれるのだが、自力で顔から離れられないのがもどかしい。
ところで、異世界転生の作品でよく出てくる転生させた張本人兼説明役の神様はいつになったら現れるのだろうか?




