11 コタンシヤムの決起
アイヌ語は資料が多くなく、今作に登場するアイヌ語の単語は方言などをあまり考慮せずに採用しています。アイヌ語に関して何か情報を持っている方は、情報提供していただければ幸いです。
1560年(永禄3年)8月23日、余市。
蝦夷地西部、積丹半島の付け根に位置する余市川沿いのこのアイヌの集落はかつてない苦境に立たされていた。
「長老、あの家の中でやせ細った同胞の家族が死んだ状態で発見されました」
「また、か……」
「ええ。もうこれで5件目です」
アイヌの集落は基本的に5~7戸から構成され、和人の村と比べても小規模なのが特徴である。余市の戸数は9戸とほかの集落に比べて多かったが、そのうち5戸で家族全員が飢え死するという異常事態に陥っていた。
「まさか、集落の家の半分が空になってしまうとはな……」
「このところ、鮭や鹿、熊など様々な獲物が捕れづらい状態が続いていましたが、今年は特に酷い。聞いたところでは、とある集落では人が皆飢え死にして全滅したなどという話もあります」
「それにここ最近は夏なのに寒い日が多い。このまま冬になれば、去年のように凍え死ぬ同胞がまた出ましょう」
「先日行ったイランヌッパも全く意味を成していない。我らの苦しさがカムイにはわからぬということなのか……」
イランヌッパとはアイヌ独特の慣習の一つであり、身内に不幸があるとアイヌが信仰する精霊であるカムイに抗議するというものである。アイヌにとってカムイはアイヌと対等な存在であり、身内の不幸はカムイがアイヌを守る義務を果たさなかったために起こったと考えられていた
このイランヌッパは、長いときには数日間に及ぶこともあり、今回のコタンシヤムらによるイランヌッパも数日間に渡って行われた。しかし効き目はなく、日を追うごとに各集落のアイヌは次々と飢え死していく事態となっていた。
「このまま座していては我々もいずれ同じ目に遭う、か……」
一同が落胆する中、コタンシヤムの家に彼の弟であるヌクリが、ヨイチに来ていた和人商人との取引から戻ってきた。
「兄貴、今戻ったぜ」
「ヌクリか。和人の商人との取引、首尾はいかがであった?」
「それがよ、連中、こちらが獲物が少なくて強気に出られないことをいいことに、交易品の交換比率を吊り上げてきやがった。これまで米一俵に対して干し鮭100本だったのに、いきなり干し鮭200本ないと交換できないって言ってよ」
「なんと! それはあまりに酷な話ではないか!」
「こちとら、寒さに震えているうえに鮭100本を捕るのにも苦労しているのに……」
「それだけじゃねえ。俺も商人連中に脅しをかけて『これ以上要求しやがったら取引を止めるぞ』って言ってやったんだ。そしたら連中、『我々は蝦夷と取引できずとも困りませぬ。交易を止めるなら、どうぞご随意に』なんてぬかしてきやがった」
「おのれ和人どもめ! どこまで我らをコケにするつもりだ!」
和人の商人が提示した交換レートに憤慨するアイヌたち。もちろん、連年続く異常気象とそれに伴う獲物の減少は世界の融合が原因だが、そんなことは露知らないアイヌたちは、その怒りの矛先を和人にぶつけていた。
「どうやら、立ち上がるべき時が来たようだな」
「コタンシヤム様……」
「かつて我々は、和人の暴挙に対抗すべく幾度となく立ち上がってきた。虐げられた同胞を救うため、同胞の生活を守るため……。数年前には一度和睦が結ばれ、交易は我々が優位に立ったが、結局生活は苦しくなるばかり」
淡々と語るコタンシヤムであったが、その言葉には静かな憤りの気持ちが込められていた。それは彼の言葉に耳を傾けるアイヌたちも同じであった。
「者共! このまま黙っていてよいものだろうか! 我々はもう一度戦うべきではないのだろうか!」
「お、おおおお!」
「その通りだ! 我々は立ち上がらなければならない!」
「よく言った皆の者! 我はこれより近くの集落に挙兵を呼びかけに向かう。他の者は武器を持って支度せよ」
「はっ!」
コタンシヤムの言葉に乗せられ、ついに挙兵を決意したアイヌたち。こうして、後にコタンシヤムの戦いと呼ばれるアイヌと和人の戦いの火蓋が切って落とされたのであった。
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呼びかけを始めてから数日後、挙兵に賛同したアイヌたちが続々とコタンシヤムの元に集まり、その数は4000に達していた。
「こんなに同胞が集まるなんて……。苦しかったのは他の集落も同じだったということかよ」
「その通りのようだな。皆、和人の横暴に苦しんでいたと言っている。つまりここに集う者は我らの同志ということだ」
ヨイチの集落を埋め尽くさんばかりのアイヌの軍勢。そしてコタンシヤムは高らかに号令を下した。
「皆の者! 我らはこれより和人の討伐を行う! 我らの苦しみにつけ込み、法外な取引を持ちかける和人をこの神聖なるアイヌモシリから駆逐せん!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
こうして、コタンシヤムは弟のヌクリとともに4000の兵でヨイチを出発。渡島半島に割拠する蠣崎家の領地を目指して日本海側沿いに進軍した。
道中、アイヌ兵は和人の家を手当たり次第に攻撃し和人を殺害、もしくは人質として捕らえていった。
さらに彼らに賛同し、または彼らに脅されるなどして参加を決めたアイヌが次々と合流し、乙部(現・北海道爾志郡乙部町)を過ぎた頃には5000を超えるアイヌが和人討伐のために進軍する形となった。
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8月30日。
蠣崎領に侵入したアイヌ勢が最初の攻撃目標に定めたのは、蠣崎領の西端に位置する勝山館であった。勝山館は小高い夷王山の中腹にあり、城代として季広の娘婿である南条守継が任命されるなど、蠣崎家にとってここは一大拠点であった。
さらに当時は城代の守継は季広の命で徳山館に来ており、ちょうど不在であった。そのため館内には留守居役として、蠣崎家臣の下国師季とその息子の重季が100人足らずの兵とともに駐屯していた。
「で、伝令! 蝦夷の大軍がこの勝山館に押し寄せておりまする! 物見によれば、その数およそ5000!」
急いで緊急事態を報告する伝令兵であったが、館内にいた下国重季は全く真剣に受け止めていなかった。
「何をおかしなことを言ってるのだ。蝦夷とは何年も前に二度と戦はせぬと約定を交わしているではないか。この館には蝦夷の長も1人暮らしている。なのに、今更5000の兵を差し向けてくるわけがないだろう」
「しかし! あの服装はどう見ても蝦夷のそれです! 手には槍や弓を握っている者ばかり! この勝山館を襲う以外の理由で、左様な出で立ちの蝦夷が大挙することがありましょうか!」
「虚言は良くないぞ。単に蝦夷が貢納しに来ただけやもしれん」
差し迫る危険もどこ吹く風、重季は伝令兵の報告にまともに取り合おうとしない。そもそも重季は和人とアイヌの抗争を知らない世代の人物であり、アイヌの脅威をいまいち認識できていなかったのだ。
だが、彼の父下国師季は違った。齢80近い師季は、既に鎧兜を身につけ臨戦態勢に入っていた。
「親父、なんだその格好は……」
「それはこっちの台詞じゃ! 蝦夷の兵はもうそこに迫っておるのじゃぞ!」
「親父まで……とうとうボケてしまったのか?」
「ボケとるのはお前のほうじゃ! 外を見よ!」
顔を合わせて早々、喧嘩腰になる師季と重季。重季は師季が50歳を過ぎてから誕生した待望の跡継ぎであったが、父親との折り合いは悪く、事あるごとに対立する仲であった。今回の勝山館の留守役も、季広に懇願されて渋々承諾した御役目であった。
そんな重季は、師季に説教され嫌々ながらも窓から外を見る。
「な、なんなのだこの数は……」
勝山館の手前、夷王山を登る道には、既に夥しい数のアイヌ兵が館を落とそうと一気呵成に駆け上がっていた。
対する勝山館の守備兵も矢で応戦するが、彼らの進軍を押し止めるには全く本数が少なく、逆にアイヌの矢を受けて櫓から次々と守備兵が落とされる始末であった。
「なんて勢いなんだ……」
「ともかく! 儂らは越中守より勝山館を預かった身。蝦夷の軍を迎え撃とうぞ!」
「馬鹿なことを言うな。蝦夷の兵は5000、対してこの勝山館の兵はわずか100。気迫も向こうのほうが優っている。まともに戦って勝てる道理がない」
「何を申すか! この館は夷王山の上に立てられた堅牢強固な館。援軍が来るまでの数日なら凌げようぞ」
「親父! 耄碌した人間の意見は聞いてない! ここは直ちに館を捨てて撤退するのが上策だ。敵の勢いは凄まじい。応戦したところで蝦夷が本丸を落とすのは時間の問題だ」
「臆したか孫八郎! お前、それでも下国家の人間か! 下国家の者なら最後まで己の誇りのために戦えぃ!」
「うるさい! 昔、自分がいた茂別館は簡単に捨てた癖に、偉そうな口を叩くな!」
「な……」
師季は若い頃、茂別館の主であった。だが、1512年(永正9年)のアイヌの武装蜂起を受け、茂別館を放棄。松前の蠣崎光広を頼って落ち延びたという過去を持っていた。そのため、師季は重季に対して何も言い返すことができなかった。
「皆の者! 館を出るぞ! そして松前のお館様に助けを請うぞ!」
「な、ならぬ! ここを任された以上、最後の一兵まで戦おうぞ!」
「ぐぬっ!」
「ぐぬぬぬぬっ!」
存亡を賭けた場面でも声を荒げて反発する下国親子。おかげで兵はどう動けばよいかわからず、ただその場に立っているほかなかった。
「……ちぃ! だったら勝手に戦ってろ! 俺は館を出る! 親父なんて蝦夷に討たれてしまえば良いのだ!」
結局意見は一致せず、重季は少数の兵とともに館を去っていった。
「ふん! お前こそ、外で蝦夷に襲われてしまえば良いのじゃ! 松前には加兵衛もおる。お前の代わりは居るのじゃからな!」
「やれやれ……間に合わなかったか。相変わらずじゃのう、お主らは」
「西夷尹……」
残された師季の前に現れたのは、蝦夷地西部セタナイ(現・北海道久遠郡せたな町)の首長ハシタイン。彼はアイヌの中では親和人派であり、蠣崎家との和睦後は勝山館に移住していた。また、蠣崎家の人間からは西夷尹と呼ばれている。
「ふん! あのバカ息子が、儂の話を素直に聞いていれば良いものを……。あやつには下国家の人間としての誇りはないのか……」
「お主らの話、聞いておったが、さすがのワシも今回ばかりは重季に理があったように思うぞ。たかだか100人足らずで同胞の兵は防げまい」
「西夷尹まで左様なことを申されるか!」
「じゃが、ワシも集落の長。苦労して結んだ和議を簡単にフイにされては、ワシの面目が立たん。どこの誰が率いておるか知らぬが、こうなったからにはワシも戦わせてもらおう」
そしてハシタインは弓を構え、窓から外のアイヌ兵に向かって矢を放つ。矢は見事に城下のアイヌ兵に命中した。
「ハシタイン、参る!」
こうして師季はハシタインとともに勝山館でコタンシヤムの兵を迎え撃った。しかし衆寡敵せず館は陥落、結局2人は捕われ地下牢に入れられることになってしまった。
そして遅れること半刻、重季もまた森の中でアイヌ兵に見つかり、師季らとは別の牢に閉じ込められることとなったのであった。




