10 12年ぶりの女神たち
第2章、開始。
1560年(永禄3年)1月。元服の儀式の前夜、俺は夢の中で例の2柱の女神と再会した。
しかしいよいよ明日で「珍妙丸」という変な名前とサヨナラできるというタイミングになって、ミネルヴァは容赦無く俺に向かって珍妙な名前を連呼しつづけた。
『お久しぶり、珍妙丸くん。最近の調子はどう?』
「み、ミネルヴァ……」
『でも珍妙丸って、つくづく変な名前よね。この時代の幼名もなかなか奇抜なものが多いけど、さすがに珍妙丸はねえ……。あたしも連呼してて何だか恥ずかしくなってきたわ。ねえそうは思わない? 珍妙丸くん』
ミネルヴァまで俺のことを珍妙丸呼ばわりしやがって……。俺の心の痛みがわからないのか、この女神は?
『なにもそんなに怒ることないじゃない。そんなに珍妙丸って名前が嫌いなの? 珍妙丸……』
「だあああああああ! 何回も言うんじゃねえ、この女ああああああああ!」
『う、うわああああっ!』
「せっかく明日元服して、珍妙丸なんて珍妙な名前から抜け出せると思っているのに! 何度も何度もその名前を言うんじゃねえ!」
『わ、わわわわ悪かったから! ちょっと落ち着いてよ武親!』
『ミネルヴァさん、武親さんの幼名には触れないほうが良さそうですね……』
くそ、思わずキレてしまった。まさか最終日にしつこいほど黒歴史を振り返るハメになってしまうとは……。今後、「珍妙丸」などという名前をほじくり返す人間や神が現れないことを願うばかりだ。
「……で、今日は何の用だ?」
『最近、蝦夷地の西側で不穏な動きが確認されているとの知らせが入りました。近々、戦が始まるかも知れません』
「蝦夷地の西側? ということはアイヌが武装蜂起するとでも言うのか?」
『残念ながらそのようね』
アイヌが武装蜂起するなんて、にわかには信じがたい。1550年(天文19年)、季広はアイヌとの間に「夷狄の商舶往還の法度」と呼ばれる講和条約を結んでいる。それ以来、アイヌと蠣崎は良好な関係を保ってきたはずだ。
法度の内容はアイヌ居住地域での和人の立ち入り制限やアイヌへの関銭の支払いなど、アイヌ側にかなり有利なものとなっている。それなのに、何故アイヌが挙兵することになるんだ?
『私たちの調べでは、どうも世界が融合してきたことと関係があるようです』
「世界が融合したことと? まさか蝦夷地に異世界人がやってきたとでもいうのか?」
『そうじゃないわ。ただ、ミズガルズと融合するようになってから、ミズガルズの最北端にある山脈からカムチャツカ半島経由で蝦夷地の北部にかけて、強い寒気が押し寄せるになったわ。それで魚がとれなくなったり、獲物となる動物が減ったりして蝦夷地西部のアイヌが困窮するようになったのよね』
「つまり生活物資を求めて、蠣崎領に侵攻するということなのか」
しかし、アイヌは生活物資を俺たち和人や中国大陸東北部の遊牧民との交易で手に入れている。なのに俺たちを襲うということは、よほど彼らは困窮していることなのだろうか?
『今回、武装蜂起するのはアイヌの中でも余市アイヌと呼ばれる集団らしいのよね』
余市アイヌ。蝦夷地西部の積丹半島から小樽、そして留萌から稚内の沿岸地域を中心に生活しているアイヌの集団である。
蝦夷地のアイヌの集団はほかに、シュムクル(ハエクル)、メナシクル、内浦アイヌ、石狩アイヌ(イシカルンクル)が挙げられるが、余市アイヌはその中でも特殊で、文化的には蝦夷が島(北海道)のアイヌよりも樺太アイヌに近いと言われている人々である。
「それで兵の数は?」
『さあ?』
「さあ? っておま……」
『だって、まだ実際に蜂起したわけじゃないし、いくらあたしたちが神だからってわからないものはわからないわよ』
「ぐっ、確かに……」
兵の数は不明か。ただ、史実のコシャマインの戦いやシャクシャクインの戦いから考えると、最低でも2000から3000はいると見るべきだろう。
対して蠣崎の兵数は頑張っても1000に届くかどうか。劣勢に立たされるのは確実なようだ。
「そういやあ、前回の夢で会った時から疑問に思っていたけど、なんで俺を蠣崎家の領地に転生させたんだ?」
『いきなりどうしたのよ?』
「考えてみればおかしい話じゃないか? 戦国時代を詳しくない奴でも、天下統一を目指したのが織田信長で、実際に達成したのが豊臣秀吉なのは誰もが知っていることだ。普通に考えたら織田家に転生させるのが筋のはず。『不破』という苗字の成り立ちを考えてもそのほうが無理はないし、下手すると史実より何年も早く斎藤家を併呑できたかもしれない。なのになんで遥か遠い蝦夷地に……」
不破家の本拠地は本来、美濃国不破郡。現時点では織田信長のライバル斎藤家が治めている。美濃は織田家の領地である尾張の北隣であり、尾張であれば斎藤道三に追放された父が亡命するにもうってつけだ。
それでも、わざわざこの時代には日本扱いされていなかった蝦夷地に転生させたってことは何か理由があるのだろうか?
『ああ、その件ね。理由は簡単よ。蝦夷地が一番ミズガルズに近いから』
「え?」
蝦夷地とミズガルズが近い? 初耳だぞ、その情報。
『ミズガルズの地は前世の武親の世界でいうところの太平洋の真ん中に位置しています。そしてミズガルズにおいて最も海外進出を積極的に行っている国がミズガルズの西側にあります。つまりその国と最も近い場所が蝦夷地なのです』
『かといって、アイヌの人に転生させたら、アンタの名前もガラリと変わっちゃうじゃない? 単純にミズガルズとの距離を考えたら、本当はシベリア東部のカムチャツカ半島やチュコト半島のほうが近いんだけど、チュクチ人やコリャーク人に転生したところで元が日本人のアンタが活躍する余地は少ない。だからそれらを防ぐために、敢えて蠣崎家の家臣の家に転生させたのよ。オーケー?』
まあ、言われてみればそうだな。アイヌの名前は独特なものが多いし、シベリア原住民に転生しても俺としてはかなりやりづらい。
というか、「東アジアがまるごと異世界に転移した」といいながら、シベリアも一緒に転移していたんだな。もしかして異世界に転移した土地って、俺の想像よりも結構広いのか?
「でもさ、今のところミズガルズの人間が蝦夷地に来たところなんて見たことがないぞ?」
『単純に、まだ蝦夷地や日本の存在に気づいてないだけじゃない? 本来の北アメリカ大陸よりは近いところにあるけど、それでも何千キロも海で隔てられているし、そう簡単にたどり着かなくても不思議じゃないわよ』
「まあ、そうか」
『反対に考えてみれば、ミズガルズの人が蝦夷地を発見するまでは自国の内政や外交などに専念できるということでもあります。いきなり異世界人と接触するよりは幾分か余裕があるということになりますね』
フレイアの理屈ももっともだ。蠣崎家は弱小勢力、異世界と対等に付き合うためにも勢力は少しでも拡大しておきたい。そのためにも、まずは来るべきアイヌとの戦いに備えるとしよう。
『あたしたちが与えた能力の見せ所ね』
『ご健闘をお祈りしています』
「ああ!」
そして女神たちはゆらゆらと揺らめきながら、徐々に姿を消していったのであった。




