第2話「ずんぐりむっくり」
「なんだろう、今の」
「今の?」
「ドアの小窓に、あ」
ドアの…と言いかけたところで凪咲さんは素早くドアに手をかけて大きく開けた。
そのまま1歩外へ、右…左、正面から上、そのまま我が家の上へ…その場でクルクルと回りながら怪しい者がいないか目で見て探す。
「気がつけなくてごめん。私そういうのは敏感な方なんだけど…」
「い、いえ…」
「何が見えた?」
「何かと聞かれると難しいです。一瞬のことだったので…」
彼女はドアを閉めて中に戻った。
でも閉まりきるギリギリまで外を見ていた。
「でも気のせいっていう可能性もありますよね?被害妄想とまではいかなくても、代行として命を狙われる立場になったわけですし」
普通の感覚ではない。
それこそ、どんな対策も意味を成さないほどのストーカーに付きまとわれているとか、明かりのひとつもないような山奥の暗闇で1人きりになるとか…誰が見ても危険な状態でなければ、周囲に過剰な反応を示すようなことにはならない。
…今の僕は、そういう意味で極限状態なのだろう。
鋭い爪を持つ化け物…使者スライサー・クライに秀爺を殺され、僕自身も生死をさまよった。
そのクライに再会したのだ。
しかもやつは自身を創造した代行を捨て置いて、創造の書のみを持って逃げた。
本さえ守れば生存出来る…そしてやつはそれを分かっている。
「良いこと教えてあげる。"気のせい"って、自信が無いから主張を取り下げただけで本当はその予感は正しいんだよ」
「……」
凪咲さんが"予感"について話す場合は、これ以上の説得力はない。
彼女が登場する小説には主要人物に役割が与えられる。
RPGでよく聞く勇者や魔法使いのそれだ。
その中で勇者が獲得する能力の1つに、自身が危険な場合にのみ発動する超短時間の未来予知がある。
通常の"嫌な予感がする"に鮮明な映像がついてそれが正しく起こることを知らせる予感の上位互換のようなもの。
「信じるべきですか…?」
「警戒ばかりだと気が滅入ると思うけど、無防備なまま殺されるよりいいでしょ」
「…おっしゃる通り…です」
そうだ。知らないから警戒出来なかった…なんてどうしようもない状況じゃない。
何も起きなければそれはそれでいい。
「気をつけます」
「臆病なくらいでいいから。それにソープも味方だもんね?」
「ニャァ」
彼女は猫の扱い方を知っている…というより、猫の方が彼女に一方的に身を任せている。
気持ちは分からなくもない。飼い主が凪咲さんなら喜んで…
「気をつけます」
「分かったって」
今のは意味が違う。自分への注意だ。
2階へ戻り、秀爺の部屋を整理する。
服などは圧縮袋に入れて収納へ。
家具なども一通り綺麗に拭き、申し訳程度に消臭剤を置く。
偶然にもせっけんの香りだ。
「あとはこれを…うん。終わり」
「え?」
「どうかした?」
「もう…?」
片付け終えたのか。
購入した服などが入っていた紙袋を畳む彼女。
確か2人で一緒に秀爺のものを整理していたはずでは?
いつの間に。
「私、結構掃除とか嫌いじゃないんだよね。お母さんもモモ姉も家事好きだし。おばあちゃんはずーっと助かってるっていつも言ってた」
「綺麗好きなんですね」
「全然。よく散らかすよ?」
「……」
「普通の人ではないから、私」
「あの…」
「あ、だから家事とか全然任せてくれていいからね」
「…ありがとうございます」
「ニャァ」
ソープが部屋に入ってきた。
キョロキョロと部屋を見回すあたり、猫にとっては大きな変化があったのだろう。
…だが、ふと僕と目が合うと
「……シャァッ!」
「え!?」
1度も見たことがなかった威嚇。
そして畳に爪を立てて、姿勢を低くし、重心を後ろへ。
「ソープ。僕が何かしたか?」
「猫に反抗期とかないよね?」
「そんなの聞いたことないです!」
僕達が動揺するのは、猫が激怒するにしても限度があるだろうと思うからだ。
ソープの状態は機嫌を損ねたとかそういう次元ではなかった。
「……真。動かないでね」
「凪咲さん、どうするつもりですか?危ないですよ」
彼女はゆっくりソープに近づく。
しかし立ったままで観察を続ける。
ソープはというと、凪咲さんを無視して僕にだけ全力で敵意を剥き出しにして
「大丈夫だよ。ソープ。よーしよし…」
ついに彼女が動いた。……が。
「凪咲さん!」
彼女の手はソープにではなく、部屋の隅に立てかけられている双剣のうちの1本へ。
「信じて」
「……シャァーーーッ!」
「ひっ!?」
そうこうしている間に、ソープは僕に突っ込んできた。
速い。ちゃんと抵抗すれば命を落とすようなことにはならないだろうが、爪と牙はもうこりごりだ。
身を守ろうと腕を前へ。
ダンッ!という音と共にソープが跳躍する。
引っ掻かれるのか、噛まれるのか。
「捕まえた」
僕の腕が犠牲になる直前。
彼女の言葉が聞こえて、猛獣に思えたソープは空中で静止していた。
「え…?これはどういう…」
「ごめんね。畳ダメになっちゃったけど」
言われたまま畳を見れば凪咲さんが手に取った剣をそのまま突き刺していた。
ただ、その行動のおかげでソープの動きが止まったのは事実だ。
「やらしいよね、黙ってずっと機会を伺ってたんだから」
「あの…状況が」
「真が何かを見たあと、私がドアを開けた時にソープの"影"に取り憑いたんでしょう?」
「へ?」
話についていけない。
が、凪咲さんの剣はただ畳に突き立てられたのではなく…あ、本当だ。
妙に色の濃い影だ。ソープの体から延びるその影はよく見てみれば"影とは何か"と問いたくなるほど別の形をしていた。
丸っこい…なん
「ーーーーーーー!」
「は?」
剣を突き立てられた影が分離した。
尻尾を残して逃げる蜥蜴のような鮮やかさだ。
影はスルスルと移動し階段の方へ。
「ンニャッ」
硬直が解けてそのまま落下した。
呆然と見つめる僕にソープは何か問題でも?と言ってるように見えた。
敵意なんてものは最初からなかった。自分の体を舐めているソープを見て思った。
気づけば凪咲さんの姿がない。
「追いかけていったのかな…」
ソープの影に取り憑いた…彼女はそう言っていた。
外部の存在がソープを操ろうとしたということになる。
……まさか。
自分の部屋へ行き、念のため自分の影に異変がないか確認してから創造の書を調べた。
…何も問題ない。よかった。
こんなこともあろうかと、凪咲さんと買い物に行った時に創造の書を守るためのケースを購入しておいた。それなりに大きく頑丈なものを…と求めた結果、ほとんど旅行で使うキャリーケースのような見た目にたどり着いた。
…頻繁に使用するわけではないからこそ、こうして本をしまって隠して守ることが出来る。
僕個人の考えでは持ち歩く方が危険だ。
ケースに鍵をかけて、部屋の隅へ。
使われないまま放置された結果部屋の背景に溶け込んだ…そんな風に見せるため、ケースの上に適当に物を置く。
こんなものかと納得したところで凪咲さんを追いかけることに。
ピロリン。
まさにこれからというところで彼女からメッセージが届いた。
"銭湯に逃げた"
どこかは分かる。
赤字が続いて廃業になってしまった銭湯だ。
取り壊しの工事が予定された立て看板はあるものの、そういえばまだ残っていた。
「ソープ。留守をお願い」
「ニャァ」
しっかり戸締りをして家を出た。
銭湯までは5分もかからない。
………………………………next…→……
「凪咲さん!」
「この中なんだけど…」
当然だが立ち入り禁止の貼り紙がある。
今がまだ人目につく時間帯でもあるせいで、無理やり中に入るのは抵抗がある。
「聞こえない?」
中にいるのは間違いない。
建物の中…浴場で暴れているのだろうか。
物音がする。
「これって、やっぱり使者…」
「真のこと狙ってたんだから当たり前でしょ?」
クライのこともだが、今回の使者は非現実的な力を持っている。
影に取り憑く…そんなこと思いつきもしない。
「"本"は無事です」
「じゃあ…あとは敵を倒すだけ…」
そう言って凪咲さんは銭湯から離れていく。
ついていくと、近くのラーメン屋と喫茶店の間にある裏道に入っていく。
「銭湯に入るんじゃないんですか?」
「入るよ?でもそのまま入れないから」
彼女が見つけたのは、喫茶店の裏口…なぜか鍵がかかっていないドアをゆっくりと開けるとそこには火事などで出番がある非常ベルが。
「真は先に銭湯に戻って。…鳴ったら自然に驚いてお店の方見てて」
「は、はい」
命を狙ってくる使者を野放しには出来ない。
が、この行為が許されるわけでもない。
…結局何も言えず従うしかないのだが。
銭湯の中では変わらず物音がする。
そして。
ジリリリリリリリリリリリッ!!!!
非常ベルが鳴り、道行く人がそれぞれ反応を示す。
僕もそれに混ざるように「なんだろう。なんだろう」と野次馬になりきろうと
「棒読みだよ。真は演技苦手?」
「あ…すいません」
非常ベルの音は想像よりも大きく、喫茶店が大騒ぎになっている。
その隙に僕達は銭湯の中へ侵入することが出来た。
昼間の明るさだけが頼りの木造の建物。
少し和製ホラーの雰囲気もある。
「あの…男湯と女湯ありますけど」
「分かれて探そうか、なんて言わないよ?2人で一緒に」
まずは男湯へ。
やはり使者は浴場にいるようで、物音が反響している。
そのおかげで正確な居場所が特定出来ない。
ガラララ…戸を開けると子供の頃に何度もここに来た記憶が蘇る。
「しっ」
従って静かにしていると、音は隣…女湯からだと分かる。
「準備はいい?真は自分を守ることだけ考えてて」
「は、はい」
そういえばいつの間に。
凪咲さんは僕が創造した双剣を両手に構えていた。
…ずっと持っていたっけ?
戸を開ける…前に、彼女は脱衣場にあるカゴを僕に持たせた。
「攻撃されたら頭から被る。接近されたらとりあえず振り回す。ね?でも投げ捨てたりしないで」
心の準備なんて悠長なことは言ってられない。
ガラッ!彼女は勢いよく戸を開けた。
「ーーーーーーー!」
僕達の登場に驚いて固まる。
それを…使者を見た僕の感想としては、"ずんぐりむっくり"だ。
不格好な雪だるま…と言えばもう少し可愛いか。
風呂桶を頭に被るそれは、頭や腕などのパーツは分かるものの、やはり色の濃い影だった。
影の生命体?意思を持った影?
「はっ…!」
凪咲さんが飛び出していく。
洗い場の蛇口を左足で踏みつけ、右足が鏡を捉えるとそのまま彼女は重力を無視した。
鏡を蹴りつけ、壁へ移る。
そのまま壁を走る…日本が世界に誇る"忍者"でもさすがにそこまでは出来ないはずだ。
「ーーー!」
使者はそれをただ見ている。
僕と同じで、ただ見てしまっている。
人間じゃない生物?でもこの光景は信じられないのだろうか。
「サイクロン…」
「待ってぇぇ!!!!」
彼女の剣が届くその時、浴場に声が響いた。
………………………to be continued…→…