第2話「ツルツルとトム」
「……さみ…」
体が震えるような寒さで目覚め、視覚で得られる情報を少しずつ整理する。
半透明な壁…天井……その向こうでは魚の群れが過ぎていったり…時にはちょっとした大きい魚も…
「でかいな…タイか…いや、タイって舌伸ばして他の魚を射抜いたりしないよな…ぇ、きも」
新種は新種でもダメな方なやつ。そんな評価をして、ふと頭を掻きながら体を起こした。
「…はあぁ…ふわあああ〜」
謎に2段階式のあくび。長めに口を開けっ放しにしながら、意識がハッキリしてきて、気づく。
「あれ…、あれれ?あれれれ〜…おっかしいな…俺ってアフロだよね?もっとこうゴワゴワモサモサっつうか、あれ…なんでツルツル?え、」
痒いところに直接指が届く。好きなだけ掻ける。なんなら、力加減を間違えて少し痛いくらいに。頭皮に直接触れている。しかし、そこには何も無い。
毛が、無い。
「だからつまり、"怪我"、無いってか。…………」
誰もいない部屋で1人、違う意味で寒くなる。
「切り替えてこ。な?大丈夫。あんなに生えてたのがごっそり消えたくらい別に…また、な、芽が出てくるって。…よし、…すぅ〜…よし、」
どれだけ自分に言い聞かせても、冷静さは取り戻せない。仕方なく、別のものに興味を持つことにした。
「うわーすっげ。俺の体、包帯ぐるぐる巻きだよ。ガッツリ入院患者って見た目だ。でも不思議と体は痛くない。あれかな、美人の看護師さんが丁寧に俺の…あぁ…裸も見られたのか…一応、腹筋も割れてるし…惚れ惚れしちゃったんだろうなあ…俺の体見て照れてるとこ見たかったぁ…!!かーっ、夢じゃねえもんな。現実だもんなこれ。……は、これ現実か」
現実。自分の言葉に反応し体を跳ねさせる。そして改めて部屋の様子を見れば。
「おかしいだろこれ!!…触ると冷たい。やっぱりそうだ、これってオラワルドの……ベダスの氷だぞ!?」
壁に触れた手を見つめて、本気で自分の記憶を整理する。順番に間違いはないか、何か幻覚を見てそれを信じてはいないか…。
「でもオラワルドにこんな部屋はなかった。水中…いや、海中に部屋を作るなんて。今が幻覚ってことはないだろ?なら…どうなってる。ベダスって…いや、だって」
誰と戦ったか。誰と共に戦ったか。自然と思い出していくうちに、突然…"直前"の記憶が割り込んでくる。
「しまった!!ユキ!!」
正確には他にも名を挙げるべき人が数人いるのだが、この瞬間は代表して1人を呼ぶ。ベッドを飛び降りて目の前の氷の扉を両手で押し開こうとして…
「こいつだけ透けてねえってなんとなく思ってたけど、シンプルに分厚いのかよ…っ!!」
プライバシーだプライベートだとそれっぽいカタカナを並べたくなるような開放的な空間。その中で唯一白が濃いこの氷の扉はなかなか開いてくれない。体が45度に傾いて、必死に両足で踏ん張っても…扉はビクともしない。
「この野郎…これじゃあ監禁してるようなもんじゃねえか!!……っ」
"やる気"になって扉から離れる。しかし直前の記憶通りの場所には探しているものはない。そして部屋中を見回したところで…気づく。
「俺の…創造の書が」
ない。
一気に頭の中が真っ白になって、脳が慌てろと指示を出す。すぐに色んな感覚が冴えてきて…
「それはダメだろ、なぁ」
氷の扉を蹴り、
「っうわあ!…びっくりした…君、」
「なにっ!?」
「は、…はげ」
「おーい、なんか起きたぞー」
倒した。
破壊した後で知ったのは、この扉は押し引きするのではなく横に動かすタイプのものだったというもの。ドアノブが付いていなかったことに気づければ、もしかして、もしかしたかもしれない…が、今はそれどころではない。
「誰だお前ら…新人類か?」
おそらく彼らはたまたま部屋の前を通過しようとしていただけ。驚き方からして見張りはいない。扉が頑丈だから見張りを用意する必要がないと判断したか、創造の書を取り上げたから無力だと決めつけたか。何にしても、
「ユキ達はどこだ」
「だ、だれ…!?」
聞き出さなくては。とりあえず白衣を着ていた男を捕まえ、左手で額を押さえる。場合によっては握力を最大限に発揮して頭部にダメージを与えてやってもいい。多少乱暴でも、今はそうするべきで。
「ユキだ。俺と一緒に連れてこられた女の子達がいる。どこにやった」
「し、しらないしらない!そもそも担とぅ!?」
「ふざけんなよ。俺はともかくあの子達に指1本でも触れてみろ…お前ら皆殺しにするからな」
冷たい氷の空間。その中で体内に炎を秘めている。熱くて、熱い。自分自身のことなのに火傷しそうなほど。誰に似たのか…そんなことをふと考えて浮かんでくるのは、まさかの人ではなく猫。飼い主をパートナーと呼び、時には娘…妹…
「ちっ、」
とにかく親密な関係であると主張する。そしてその人に何かあれば。例えば転んで地面に足をぶつけて怪我をしようものなら、その猫は地面に向かって激怒する。そんな、熱い馬鹿が伝染していた。
「ちょっと、君」
「あ?」
そこに走ってきて声をかけてくる男。若い見た目だが服は落ち着いている。30目前のパパ感のある彼は、
「ドクターを離してくれ。君の案内は僕がしよう」
優しく2人の間に入って、白衣を着ている…ドクターを守った。
「ミハル。大丈夫だよ、全員無事だから」
「気安く呼ぶんじゃねえよ…」
………………………………next…→……
目覚めてすぐに"問題を起こした"ということもあり、ミハル達2人が通路の真ん中を歩くと…それを阻む者はいなかった。皆が2人のために端に寄って道を作ってくれる。
「僕は横橋トム。国籍上は日本人で、父が日本…母がアメリカのハーフで」
「聞いてねえ」
「最低限の自己紹介をしたまでだよ。ここは一応日本。関東付近の海の中に、とある創造を使っていわゆる秘密基地を創ったってわけだよ」
「とある…ね」
「言っておくと、ここに新人類はいない。でも代行はいる。多くはないけれど」
「…」
「ヒューマンライフプロジェクト。新人類に立ち向かうために、元からいた人間達が立ち上げたんだ。同じ力を持って対抗しようって」
「で?」
「勝手に君達を保護しておいてすまないけど、…もう分かっているよね」
「……」
「今彼女たちは手伝いをしてくれてる。すごく慣れてるんだね、怪我をしている人、小さな子供、老人、妊婦…保護はしたけどお世話が少し大変な人達を」
「ユキ達を連れてく。今すぐに」
「いや、その前にリーダーのとこに案内するよ。君は代行だから…"あれ"を預かってるのもリーダーだからね」
「……」
そして歩くこと数分。なかなか広いこの海中基地の最奥の部屋に案内されたミハルは、ついに対面する。
「おはよう。ミハル君」
「なんでどいつもこいつも気安く名前呼んでくるんだよ」
スーツ姿の老人。パッと見でミハルはその人が政治家であると考えた。
「彼がこの基地のリーダーだよ」
「"この基地の"ってのがウザい。所詮ここは支部ってことかよ」
「まあ、ね」
「よければそちらに座って。話をしよう」
部屋には一応、リーダーを守るためのボディーガードが3人いる。分かりやすく腰には銃のホルダーをぶら下げていて、
「馬鹿だな。そんなんじゃ代行じゃないってバレバレだ」
「言ったろ。代行はいるけど少ないんだって」
「改めて…初めまして、ミハル君。鋼 浩太郎と」
「自己紹介なんて要らねえって。早く返せよ俺のもの。あとユキ達も解放しろ」
「…彼は一応日本のトップでもあるんだよ…!あまりにも態度が」
「一応…」
「あっ、すみません」
「日本のトップ?首相?それがなんでこんなとこ逃げ込んでんだよ。ったくこれだから…」
「必要だからここに来てもらってるんだよ」
「自分の身を優先して、国民を守っていない。見捨てたのか。そう言いたいようだ」
「いや、決して彼もそこまで悪気があって言ったわけでは」
「何か?違うのかよ」
「君は知らないようだから話そうか。私はこの立場になってまだ日が浅いんだよ。前の首相は数日前に亡くなったばかりでね…なんと言ったっけ…」
「ミヌ、キカヌ…ですね」
「何それ」
「そうそう。2人組の代行でね…酷い殺され方をしたと聞いた。もちろん、彼だけでなく他の大事な役職を任されていた人達も皆殺されてしまった。それで…今に至るわけだ」
「つまりあんたは仕方なく選ばれた総理ってことか…へぇ」
「代行ではない人間達は例え核兵器を用いたとしてもこの戦いには勝てない。だからこうして、」
「代行に頭下げ…てはねえよな。ここのリーダーってことは明らかに顎で使う気満々だろ。くっだらねえ」
「ミハル…!」
「現在この基地にいる代行は全員、他国の協力によって力を得たいわば"養殖"。君のような"天然"と比べるとどうしてもまだ力が劣っている。……」
「ちょっ、首相!!」
「…ん?」
「私なんかが頭を下げたところで何の価値もないのは分かっている…けれども、お願いだ。ミハル君…力を貸してほしい。本物の代行が1人いるだけで状況は大きく変わる。それは君の強い体を見ればすぐに分かるよ…!」
土下座。しかも、ちょっと勢いがついてしまって氷の床にまあまあ強めな頭突きをするくらいの。すぐに半透明な氷の床に薄い赤が広がって、それを見たボディーガードが無線で連絡…
「安く見られたもんだな。知ってるか?創造の力ならあんたを土下座させるくらい簡単なんだってこと」
「すぐに医療チームを!」
「ぶつけてちょっと血が出ただけだ。死なないし、しばらく痛いだけだろ。俺達代行が背負ってるもんとは訳が違う」
「そうだとも。訳が違う。私1人のためじゃない。むしろ私はどうでもいい。どうにもできない…国民を守る力が無いから…既に多くの人を亡くしてしまった。これは私達の責任だ。こんなにも大きな問題が迫っていたことに少しも気づかなかった。今の状況に比べれば、まるで小学生の喧嘩のように小さなことを毎日毎日ダラダラと」
「頭を上げてください!怪我を見ます!」
「いいんだ。このまま話をさせてほしい。…お願いだ。ミハル君。私に出来ることならなんでもする…代行である君にお礼と呼べるだけのことができるかは分からないが」
「そうか。じゃあまず答えろ。俺の髪を刈り取った馬鹿はどこのどいつだ?」
「…髪?」
「ミハル。それは医療チームの誰かだよ。君は頭部にも傷があって…今じゃ手術痕も分からないほど回復しているようだけど、運ばれてきた時は本当に酷い状態で」
「そうか。そいつ殺す」
「なっ…」
「当たり前だ。アフロは俺のソウル。魂なんだよ。それを許可なく、削るどころか全刈りとか舐めきってる。さっきからお前の親切でしてやったみたいな態度も気に入らない。助けを求める側がなんでお願いする相手の大事なもん奪うんだよ。なあ?なんで俺の創造の書を取った?馬鹿か?それがどんだけ喧嘩売ってるってことか分かるよな?」
「いや、」
「出せよ俺の。おい!」
「…申し訳ない」
土下座を中断しゆっくり立ち上がる。その時ふいにミハルと目が合って…その怒りの熱を知った瞬間、
「おぅ…」
「首相!!」
「ビビりが…」
気絶。その場で倒れてしまう。ミハルはすぐに立ち上がり、額が血で汚れている彼を右足で軽く蹴飛ばして退かす。
「……っ」
これにはついにトムもボディーガードも言葉を失った。本来であれば国のリーダーが危険な状態にあるなら守るために動かなければならなかった。ボディーガードは腰の銃を抜くべきだし、"養殖"であるトムも武器を取るべきだった。
しかしそれができない。してはいけないと、本能で感じてしまった。それが今のミハルが発する熱。ただ者ではないという証拠。大きな責任を担う人間ですら、目を合わせただけで気絶させてしまうほどの圧。
首相のテーブルや棚を漁って目的の物を見つけたミハルは、それが無事か確認する。
「……1ページも破ってねえな…コピーもしてねえ。カメラとかで撮影もしてないとすると………指紋も表紙んとこだけか」
「…もし君が新人類だった場合はあれこれされたかもしれない。でもそれが分かるまでは何もしないと決めていた」
当然のようにミハルがペラペラと喋るその創造の書の管理状況。まさか見た目には分からない、知りようがないことまで把握できるとは思わず、トムは驚いていた。
「ユキ達のとこまで案内しろ」
「言う通りにするよ…」
そして改めて要求される。誰がどういう立場なのか、誰が優先されるべきなのかを見せつけられた上で。
………………………to be continued…→…




