第9話「見て」
走り続ける車の中、僕は一旦会話から除外される。今彼らにとって大事なのはランヴィなのだ。彼が実際に見て体験した全てのことが、何よりも優先される。
「まさか自分達が所有する公式の建物の中にネジュロが潜伏していたとは…なぜバレないんだ」
「中での生活は?」
「"世話役"は朝4時に起床。身支度は5分以内で、それからすぐ朝食。食事は朝昼夕それぞれ15分以内。50〜100人の様子を見て回って、経過を記録し夜に提出と報告。何も問題が無ければただの忙しい介護施設のようなものだが、問題が起きれば自分が殺されないことを祈ることになる」
「ランヴィ。世話役以外のやつには会ったのか」
「ネジュロには会えなかった。でも幹部の1人には会えた。男で、聞いた名前は偽名だった。有名な俳優と同じ名前だなんて、信じる方がどうかしてる」
車内には僕とランヴィを含めて6人。車が大きいので狭いとは思わないが、前後に挟まれながら大人しくしているのはなかなかのストレスで。
迎えに来た4人は多分ドライバーも含め全員が何らかの武器を持っていて、なんだか嫌な予感がする。
地獄から逃げ出したらその先もまた地獄だった的な展開になりそうな気がする。
それでも適当に会話を聞き流しながら前方を見ていると、住宅街らしき場所をゆっくり走っていた。日本とは違う…下町と呼ばれる場所でもある程度整っているのに対しここはというと
「ここは金のないヤツらが暮らすとこだ。住む場所がないなんて大人も子供も当たり前。明日どころか今日のことさえ分からない。常に腹が減って喉が渇いて、何かを買う金はなくて。救いがない場所だ」
景色を気にする僕に気づいた助手席に座る男性が教えてくれた。
「だけどな、可哀想だからってここにいるヤツらに優しくしたり物をあげたりしちゃいけない。すぐ調子に乗って何もかも奪ってくる。…命もな」
多分、ここは日本人には向かない。そういう場所だと知っていても、関係ないとあれこれやって…被害に遭うんだろうな…。
「何にも持ってない連中でも、頭は悪くない。車が通っても誰も近づいて来ないのは、乗ってる人間が武器を持ってるって分かってるからだ。下手に怒らせたら天罰。それをよく分かってる」
……言われたことは十分に理解した…つもりだ。でも、道の端っこで壁にもたれて体育座りをしているやせ細った子供を見ると…なんとも言えない気持ちになる。
「お前、日本人だろ?日本にもああいうのいないのか?」
「…貧困層…とはいっても子供があんな風になることはあまりないかな…。大人だとホームレスになる人もいるけど」
「恵まれてるな」
その、良かったな…みたいな言い方が刺さった。もしかしてこの人も貧しかった過去があるのかもって、ひと言で分かった気がして。
「よし、到着だ」
しばらく車に乗っていたせいか少しお尻が痛い。
車が止まり、ドアが開く。すぐ近くに通り過ぎた貧困層が暮らす住宅街があってあまり良い雰囲気ではない場所…そこに、
「ここがバタフライの本部だ」
一滴の水とはまた別の組織、バタフライの隠れ家があった。
………………………………next…→……
「……」
「…あ、こんにちは」
「412。目が合ってもわざわざ挨拶しなくていい。向こうはこっちが銃を持ってるから警戒してるだけだ」
「ぁぁ、そういうこと?」
ランヴィが教えてくれなかったらこの先会う人全員に一方通行な挨拶をするところだった。
ここは日本で言うアパートのようなもの。でも、建物の造りが違う。
正面からは3階建てに見えて
「入口にドア3枚?」
「安全のためだ」
オートロックとは違うセキュリティ。3枚のドアを抜けるとまっすぐ通路が伸びていて、その先には中庭が広がっていた。
中庭の真ん中に立つと、色んなとこに階段があって部屋が分けられているのがよくわかる。ざっと数えた感じだと全部で14部屋くらいだろうか…。その中で、普通の人達だけが窓から僕達のことをこっそり見ている。8部屋から視線を感じる。
「普通の人間が住んでればそう疑われることはない。そんでもって、俺達は銃でここの連中を守ってやれる。良い関係なんだよ」
ランヴィの仲間達は皆服装が似ている。ジーンズと黒シャツか、半ズボンと黒シャツ。どうしても黒シャツ。顔は人によって隠したり隠さなかったりで…多分誰が誰なのかは覚えられないかも。
「ほらこっちだ。ついてきな」
多分…さっき車を運転してた人。その人に呼ばれて僕とランヴィがついていく。
建物の1階部分…最奥から手前の部屋、103号室。男性がドアを軽くノックする。
「ボス。連れてきました」
そう言ってドアを開ける…部屋の中は電気がついていない。やや薄暗いが、外の光をもらえば十分な明るさだと言える。奥からは音楽が聞こえてくるが…あまり詳しくないのでバーにいる気分だとしか感想が出てこなかった。
「入りな」
中へ案内される。当たり前に銃を持ってるような人達がボスと呼ぶのだから、自然と危ない人とか危ない場所だとかを想像していたが…とっても普通な部屋だった。
少しボロいってだけで家具も揃ってるし、床には花柄の絨毯が…なんだろう所々ピンク色の家具があって…ちょっとだけおばあちゃん家みたいな雰囲気がある。
「よお。戻ったか、ランヴィ」
「親父。なんとか戻ったよ」
奥の部屋から細いタバコを口に咥えながら出てきた男性。ベージュの半ズボンに黒のタンクトップ…黄色のサンダル。天然パーマっぽい髪はただボサボサなだけなようで、風呂にあまり入れていないのかフケがちらほら…。いや待て、親父?
「ランヴィのお父さん…が、ボス?」
「ああ。元軍人で、戦争で何百人も殺してきた伝説の人だ」
軽くハグをする2人を見ながら、運転手の男性に教えてもらう。
確かに強そうな雰囲気はある。特に右頬から額にかけて傷を縫ったような痕跡があって少し顔が歪んで見えるあたりが…。でも腕が特別太いとかはないし…現役を引退してからしばらく経っているのかもしれない。
「紹介するよ。412だ。彼がいなかったら逃げられなかった」
「そうか。お前も大変だったな。よくここまで来た」
「あ、どうも…」
ランヴィさんにはいつもお世話になっております…なんて日本っぽい挨拶は出なかった。軽く会釈してぎこちない笑顔を見せるくらいで。
「おい、ボノ。飯だ」
「分かりましたボス」
運転手…改めボノが部屋を出ていく。名前は多分すぐ忘れる。
「親父。412は超能力者だ。多分親父が言ってたやつで間違いない」
「…本当か?」
それを聞いてボスの目つきが変わった。まるでこめかみに拳銃を突きつけられたみたいに、ビビって体が硬直する。…これが本物の人間の威圧なんだ。
「待ってろ」
背を向けて奥の部屋へ消えていく…その後ろ姿。映画でよく見るズボンのとこに銃を差し込んで隠すあれを生で見た。すでに差し込んであって"待機中"な状態だったが、それを見て部屋に入った直後の大丈夫そうな印象が崩れる。
ちゃんとヤバい人だった。
「あの…ランヴィのお父さんって」
「今年で54になったよ」
「思ったより若いかも」
「そうか?でも親父が父親になったのは38ぐらいの頃だからかなり"遅咲き"だ」
「……」
遅咲き…というか、その計算だと
「ランヴィって…え、16歳?その見た目で?」
アラサーくらいで丁度いい大人な男性だと思っていた。だからとんでもなくショックを受けた。
「よく言われる。10歳で酒の味も女も知ったし、…まあ、俺も親父に似たのかな」
いやいや、そこは深く掘り下げさせてほしい。老けて見えるといってもさすがに実年齢の倍近いのは聞いたことがない。
「412…だっけか?いいのかお前そんな風に呼ばれて」
でもボスが戻ってきてしまって追撃は叶わない。
「名前は伏せたままでいいと思って。"あいつら"が412の家族を人質に取るかもしれないし」
「まあな。やりかねないというか、やるだろう」
ドン、
重たい音。雑に放り投げられてテーブルの上に着地したのは…あ?
「創造の書」
で、間違いないだろう。少し分厚い。表紙はボロボロで革の手帳みたい。外観からして…かなり状態が悪そうだ。
「お前、それを知ってるな」
返答に困る。即答はできない。いいのか、知ってるで通しても。このボスが代行なら仲間にも代行が…いや、でもランヴィは知らない…?
「どうなんだ」
「知ってる」
「よし、」
「親父。412は敵じゃない…」
銃を抜こうとするのを止めるランヴィ。でもそこはボスの固有の圧で黙らせ、今度こそ本当に僕に銃を向けてきた。
「お前もまだ若いだろ?撃たれた経験なんて無いだろうが、こいつは知らないままの方が幸せだ」
素敵な脅し文句だ。…だけど。
「銃を向けられても怖くない。少しもね」
僕の返事を聞いて少しニヤニヤしたボス。強がりだと思ったらしい。
「ならもう少し近くで拝ませてやる」
近づいてくる。もうあと1mくらいの距離で、銃口と目が合った。
「……試しに撃ってみる?」
暑い。嫌な感じがするのは決して銃のせいではない。あくまでもボスがすごい人なのだ。それでも恐れる様子は見せず、強気に出る。
「…へえ。良い目をしてる」
少しの沈黙の後、ボスは銃を元の場所に戻した。そしてテーブルの上の創造の書を指さして
「そいつはやっとの思いで手に入れた。言ってみれば切り札だ」
「切り札?」
「ネジュロを殺してあのクソったれなカルト共を解散させるためのな」
強い憎しみを感じた。聞いても、いいのだろうか。
「…何かされた?……例えばランヴィの母親に」
「黙れ。次聞いたら客でも遠慮なく殺すぞ」
「失礼しました」
今のは僕が悪い。でも反応を見ればそういうことなのだと分かる。
「なら質問を変えても?」
「慎重に言葉を選ぶんだな」
「ランヴィも含め、あなた達はその…一滴の水?とかネジュロと敵対関係にあるってことで間違いない?」
「…ああ。間違いない」
「あともう1個だけ」
「なんだ」
「……僕、結構面倒なことに巻き込まれた?」
「っっ、……くァ」
「え」
びっくりした。僕も、ランヴィも。
ボスが突然笑い始めたのだ。すぐに笑いはピークを迎えて、"腹筋崩壊"状態に耐えられず彼はソファに倒れ込み笑い続けた。
何に笑ってるのか分からない。あと、笑い声も映画に出てくる殺人鬼みたいな狂気的な感じでちょっと…引いちゃう。
「ボス、買ってきまし…た?」
そこにタイミング悪く戻ってきたボノ。…………あ、名前覚えてた。
………………………………next…→……
「いただきます」
「これが日本の挨拶だ。朝起きた瞬間から寝る瞬間まで、日本人は細かいところを気にする」
ランヴィの日本語解説。仲間達にドヤ顔で教えているが、なんだか誤解を招きそうな言い方で。
「今目が合っただろ?そしたらこうやって頭を傾けながら小さい声ですいませんって言う。このすいませんは信じられないくらいよく使う。道ですれ違った時も、部屋を出る時にドアのとこでぶつかりそうになった時も、何か物を渡されたり渡したりする時も」
間違っているようで…否定できない。丁寧さを追求するあまり、会釈やすいませんが増えるというのは割とよくあることだったりする。彼らからしたら、電話中に誰もいないのにペコペコ頭を下げてるとこなんて想像もできないだろう。
「…ぅま」
楽しそうに話す彼らを気にしつつ、僕は僕で食事を楽しむ。久しぶりのまともな食べ物だ。日本にもある有名なハンバーガーチェーンのそれとまさかこんなとこで再会するなんて。
しかも肉4枚のバーガーなんて初めてだ。これは日本にはないメニューだろう。ポテトも容器が違うし…全体的に日本のLサイズよりやや大きい。
「…コーラの味はそのままだ」
これは感動といってもいいだろう。酷い場所から抜け出して、こうして飲食できるだけでも嬉しいのに……僕の中の好きな食べ物ランキングに大きな変動が起きた。大革命だ。
「……」
そんな僕を少し離れた部屋の奥から見つめてくるのが、ボスだ。
話の続きは後で、ということになったが…さっきの大笑いといい…少し読めない。でも今後の僕の扱いは予想できる。
ランヴィと…彼らと共に一滴の水を…ネジュロを倒すことになるだろう。
拒めば…別の場所で死人が増えるだけ。でも、ランヴィにはきっと良くしてもらっていたからそうなるのは避けたいところではある。
「412」
「ん、…なに」
ハンバーガーに夢中で日本語解説コーナーが終了していたことに気づかなかった。
「ボスは…親父は悪いやつじゃない。ただ、今はこうするしかないってだけだ」
「…」
「さっきの。その通りだ」
「え?」
「俺がまだ小さい頃に、母親は一滴の水の信者になった」
「あ…」
「親父のことも、俺のことも忘れて。最初は自然を守るって」
ボスに聞かれないよう小さな声で話すランヴィ。他の仲間たちも、楽しそうに雑談してボスの気を引こうとしている。
「本当に最初はまだマシだった。よくあるデモ行進に参加したりとか…でも少ししてから変わったって聞いた。体に変なタトゥーを入れたり、毒蜘蛛をペットにしたり、変な薬をやったとか…。そこら辺までいった時にはもう家には帰ってこなくなって」
「…奪われたって思ってもおかしくないね」
「親父は諦められなくて説得しにいったりした。でも逃げられて隠れられて……しばらくして諦めるしかなくなって。そんなある日のことだ。……親父宛にビデオテープが届いた。俺も1回だけ見たけど…酷いものだった」
「聞いていいの?それが」
「どんな内容だったかって?…………母親が映ってた。地面の上で大の字になってて、空見上げながらぶつぶつ何かを唱えてて…それを他の信者達が囲んで。……皆手にナイフを持ってた。ほら、中国人が料理で使うような大きいやつを……それで手足を切って、」
「……」
「でも1回で切れなくてさ。何回も何回も振り下ろして…ズタズタにされても母親は顔色変えずに……」
「っ…うん」
食事中にそんな話をされたらさすがにもう食べられない。
「切った手足は森を失って暮らす場所が無くなりつつあった熊に投げ与えられた。その後、死んだ母親の残りの体は川に流された」
「……」
「嘘みたいな話だと思うだろうけど、本当だ。あんな…なんの意味もない殺人は…」
僕はふと彼の肩に手を置いた。悲しいことがあったんだね、無理に聞こうとしてごめんね、話してくれてありがとう…そんな意味を込めて。だけど
「ぁ」
「神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる神は見ていてくださる……」
近くに川が流れている。自然に囲まれた、素敵な場所。ここに集まった10人はこれから、皆で、すぐそこに大の字になっている彼女を。
「なにがはじまるの…?父さんはどこ?」
「大丈夫だよー。全部終わったらちゃんとお父さんのとこに帰してあげるからね。だから今はただ静かに見てろ。これからランフィが神の垂らす"一滴の水"になろうとしているのだから」
グチャ、ズチャ、
一斉に。だけど同時ではなくトトトン…とズレが生じる。それでも全員の刃が確実に彼女の体に切り込みを入れていて。
彼女のすぐ下の土や粒のような小石が血で赤く染まる。刃で叩く度に、小さな血飛沫。何度も、何度も。
1本の腕に、1本の足に、2〜3人が群がって刃を振り下ろし叩きつける。同じ箇所に当たればすぐに切り離せて早く終わるのに、皆狙いがバラバラで、ただただ切り刻んで痛めつけているようにしか見えない。
「神、は見て、見て、は、あ、見て、神…て、……っ、て、みて、」
肩までぐちゃぐちゃになりながらようやく左腕が切り離された。それでも彼女は表情を変えない。苦しそうな顔もしない。衝撃で仕方なく声が途切れたりはするものの。
「見て、見て、見て、見て、見て、見て、見なさい、ランヴィ、見て、こっち、を見て、」
ふと、目が合った。
………………もう、むり。
………………………to be continued…→…




