第5話「クソジジイ」
「はーい、おはようございまーす」
「……」
おはようございます。それを聞いて今が朝だと知る。いつの間に夜になって、いつの間に寝てしまったんだろう。
「では、番号412。毎朝恒例の健康チェックをします」
体はベッドに預けられたまま。マットレスが体に合わないのか、腰と背中が少し痛い。
「起きますねー」
ベッドを囲む私服姿の5人は、分かりやすい作り物の笑顔を僕に見せてくる。気持ち悪い。特に、5人中3人の歯がボロボロなのが。歯並びが悪いは程度によっては気にならないが、不自然に1本だけ短いとかセロテープを切り離すあのギザギザみたいに歯が削れてるのとか……さすがに歯医者に行くべきだと思うのだが。
「よっ、」
30代後半くらいの男性が隣に来て、僕の背中とマットレスの間に手を入れる。そこから力任せに体を起こされると、
「番号412。体に不調は?どこか痛いとか、吐き気とか頭痛とか熱とか」
「……」
それよりも、寝起きで機嫌が悪い。ものすごく怠くてやる気が出ない。
「無し…、不安は?何か心配なことは」
聞いてくるのはやたら声が高いおばさん。50近いか、もう少し上の印象だ。額と眉間のシワが目立つ。早口なのがちょっと不快。
「何も無し…、特に問題ないみたいだからサプリだけ飲ませといて。他の様子見てくるから」
仲間に残りの仕事を押し付けて部屋を出ていった。"出来る人アピール"を強く感じた。問診票らしきものを手渡す時に小さく頷いてみたり、喋りながら出ていったりするところが。
残った3人の内、1人がポケットから小瓶を取り出す。中には赤白のカプセル……サプリというか薬の見た目をした錠剤が入っていて。
「では、飲みますねー」
さっきから1人だけ音を伸ばしたがるのは、立ってるだけで何もしない若い女性。眉毛が太くて1週間も放置すれば繋がりそう。半袖から見える腕は男性と同等レベルで濃い毛が生えていて…ん、女性……?いや、女性だ。自信はないが。
それにしても飲みますねーってなんだ。飲んでくださいとか飲みましょうねとか選択肢はあったと思うのだが。
「水、」
隣にいる男性はあまり喋らない。必要な言葉を伝わる範囲内で可能な限り短く切っている。でもこれがなぜか悪くないと思う。
中身が不明のカプセルを2錠。……それを口に含み、水で流し込む。こういう時いつも喉に引っかかったような気がして、気が済むまで水を大量に飲むのは僕だけだろうか。
「はーい、これ朝ごはーんですねー」
やっと動いたと思ったら、黒い袋からサッと取り出しただけだった。……一部が変色したパンと、虫食いのような小さな穴がいくつもある茶色いリンゴと、唯一マシに見える皮が黄色になりかけのバナナ。
言ってしまえばどれも食べたいとは思えない。
「412。またお昼に様子見に来ますねー」
2人が出ていく。少し片付けで手間取ったようだ。
「……」
ベッド横の小さなテーブルに置かれた怪しい食べ物たち。なんとなくバナナに手を伸ばし持ってみた。見た目からは想像できないほど軽い。1円玉数枚くらい。重さからは持った感触が得られない。バナナの形があってようやくといったところだ。
「……」
皮を剥いてみる。……そこに見慣れた可食部位はなく、綿のようなものが詰まっていた。……バナナでは、ないのか?
一旦テーブルに戻し、今度はリンゴを手に取る。すると…少しリンゴが動いた気がした。
気になって手のひらに乗せて観察すると、やはりリンゴは動いている。見逃すほど小さな揺れだが間違いない。ならば動くのはなぜか…それを知るにはきっとリンゴを床に投げつけて砕くのがいい。
「……っ、」
実際にやってみると、リンゴは簡単に砕けた。食べ物を粗末にするなと注意されそうだが、それは"食べ物"だったらの話だ。これを食べ物と呼ぶのは…僕には無理だ。
中には虫と機械が入っていた。小さな音で動く機械はどうやら熱を出すのが目的らしく、その機械に蛹がくっついている。
残るはパンだけだが……カビが見える時点で触る気にもなれない。
「……」
まあ、食欲が無いから別にどうでもいいけど。
「ふわ……ぁ、……」
大きなあくび。なんだか瞼が重い。寝足りないのなら、やる事もなさそうだし…このまま眠ってしまおう。
………………………………next…→……
「はーい、お昼ですよー」
部屋の電気がついて明るくなる。また5人でベッドを囲んできて、また声の高いおばさんが
「はいはい。うん、大丈夫大丈夫」
僕の顔にベタベタ触って何かを確認する。触れた指は酸っぱい系の悪臭がして不快だった。
「水、」
さっきもいた男性が最初に水を差し出す。ペットボトルに入った、濁りのない透明な水。綺麗に見える水。受け取り、黄色のキャップを回すと新品だと分かる。
「412。あなた食欲は?何も食べてないんじゃない?」
おばさんがうるさい。水が飲めれば十分だ。
「ひぁ、ぁ、……ぁ、」
目を向けるとそこには顔の前で両手を大きく震わせている女性がいた。10代後半くらいだろうか。目には涙が…何を怖がっているのか分からない。
「…食べ物、」
そんな中、やはり男性はブレない。取り出したのは小袋の菓子のようだった。スーパーにいくとよくお菓子の小袋が3〜4個繋がったパックが売ってたりするが、大きさはそれに近い。パッケージを見た感じだと、スナック菓子のようだ。これは素直に受け取る。
「はーい、じゃあごはっ」
「きゃあああああああっ!?」
「…っ」
騒がしい。10代の女性が悲鳴をあげて泣きだした。飛びつくように男性が女性を抱きしめ部屋の外へ退場、すぐに戻ってきた男性は無言で素早く後片付けをして部屋を出ていった。
誰もいなくなってから、菓子の袋を開けてみる。
匂いは微妙だが不味くはなさそうだ。
「…」
サクっ。軽い食感。歯で噛まずとも舌で押し潰せるくらい柔らかい。味は焼きとうもろこしみたいで塩気と香ばしさの後にほんのり甘みが追いついてくる。…悪くない。量が少なく食べた気にならないが。
誤魔化すために水をがぶ飲みする。
こんなに飲んだら…あれ、今日はまだトイレに行ってないな。尿意は特にないけど。
でも一応。
ベッドから離れてすぐ、床が少し汚れているのに気がついた。赤い汚れと茶色い汚れ。…ただ、パッと見では部屋に掃除道具は無いしティッシュも見当たらない。
ベッドがあるのが南としたら、部屋の中央から東の位置に短い廊下がある。その先にドアがあるのだが、どうせ開かない。廊下の途中にある小部屋がトイレと洗面所のようだ。
「……」
部屋の西側には申し訳程度の家具がある。特に使う予定はないが。
北側には特に何も。経年劣化を感じる元は白かったであろう壁紙がよーく見えるだけ。
…この部屋には窓も無ければ観葉植物もない。とてもつまらない部屋だと分かった。
……やることがない。寝よう。
………………………………next…→……
「んぽん、」
………………………………next…→……
「夜。健康確認、食事」
体を揺らされ起きた。いつもの男性だ。
彼は床に黒い袋を置くと、服の下から別の紙袋を取り出した。そこからテーブルに出されるのはコッペパンの形をしたパンに具材を挟んだ…ベーコンレタストマトサンドイッチ。良い匂いだ。ちゃんと調味料も使ってるらしい。
そして、水。昼にも出されたペットボトルのやつだ。
「……」
男性は掛け布団を捲ってみたり、僕の顔色を見たり…状態を見ている。問診票らしきものに書かなくてはならないようだ。
「何も問題ない」
「…、」
ふと言葉を発した。彼に協力した…というと違うのだが、手間を減らしてやった。
それを聞いた男性は僕と目を合わせてから深く頷くと、さっさと部屋から出ていってしまった。
「…あぐ、……」
とりあえず、サンドイッチをひと口食べてみる。咀嚼の途中でパンを捲って中を確認すると、マスタードが味付けの主軸だと分かった。まあ…ケチャップの主張が強いよりは飽きにくく食べやすい。
「…ぷは。…ぁぐ……」
不十分に咀嚼したのを水で流し、さらにひと口。
さて、これを食べ終えたら何をしよう。娯楽は何もないし、部屋の外には出られないし、出来ることといったら…体を鍛えること…くらいか。
これではまるで刑務所の中の囚人みたいではないか。まあ、檻の中よりは住み心地がだいぶ良いが…。
「…………」
食べ終えたのとほぼ同時に尿意に襲われた。
トイレへ向かう途中。ぺたぺたと自分の足音が聞こえて、なんだか楽しくなった。
しかし……トイレが終わったらやっぱり寝るくらいしか…ない。
起きていても何もないから、寝る。
これが続くようなら僕はそのうち我慢の限界を迎えるだろう。そうなったら無理にでも部屋の外へ飛び出すかもしれない。
「……ふぅ」
…とりあえず今は寝るけど。
………………………………next…→……
「……」
真っ暗。でも目が覚めた。
眠気は微妙で寝直すのは難しい。…仕方ないので起きることにした。でもベッドで横になったまま。何をするわけでもなく、ぼーっとして。
あまりにも静かで逆に耳鳴りがしたり、ごく稀にネズミか何かが天井裏を走るような音が聞こえたり…ひたすらに退屈だ。
このまま眠くなるまで起きていたら朝を迎えてしまいそう。
カチャ。
ふいに、物音がして身構える。暗い部屋に弱いながらも光が入ってきて…人影が見えた。
「ぁ…んぽんぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽんぽんぽん、ぽんぽんぽん」
は?
奇声だ。地声と裏声を行き来しながらぽんぽんと発する謎の声。でも、嬉しかった。退屈すぎたから、どうしても退屈だったから、突然舞い込んだこの危機感がたまらない。
「ぽんぽん、ぽんぽんぽんぽん」
「止まれ。殺されたくなければ」
絶えず声を出しているから位置が分かる。部屋の中央までその声が移動したタイミングでベッドを飛び出し床の上を転がり、背後を取った。背中に手を押し当て、危機感を贈り返してやる。
「…んほ。やられた」
声は老人のもの。少し高めで、冗談を言う明るい性格が似合いそうな声だ。
パチン…指を鳴らしたような音がして部屋が明るくなる。
「……ぅ」
目が明るさに対応できず、眩しさで一瞬怯む。
「ほぅ?」
その隙にピンポイントでへそを指で軽く突かれた。……怯んだのは一瞬だ。そのわずかな時間で…突いたのか。反転してこちらを向いた上で、突いたのか。
「早いか。ひょひょい!」
ようやく見えた相手の姿。浅黒い肌、低身長、白髪で綿あめのようなふんわりした縦長な髪型、白いTシャツにベージュの短パン、ピンクにカラフルな水玉模様の…健康サンダル。体はやせ細っていて、
「んお?」
酔っ払った陽気なジジイ…これが1番しっくりくる印象だ。
僕を見てなぜか嬉しそうにしていて、もう少しで爆発しそうな笑顔のまま小刻みなステップで奇妙な踊りを始めた。
「んるっとぅとぅ、とぅるっとぅんぽんぽんぽ…っとっとっ」
不規則なリズムと音程。既存の歌ではないであろうものを口ずさみながら1人で盛り上がっていて、隙だらけ。なので。
「…死ね」
「わんぉ!?」
右手を老人の顔に向ける。踊りは中断され、両手をあげて無抵抗をアピールしてくる。
「オイラの名前はネジュロ」
でも少しも怖がっていない。目を見れば分かる。"攻撃の意思を見せられたから仕方なく対応を変えた"とかだろう。
…名乗られた。
「よん、いち、に!」
少しカタコト気味に、そう呼ばれた。
「オイラはネジュロ。アナータはよん、いち、に!」
名乗れと、そう言いたいのか?
「とぅくとぅくとぅくとぅくとぅく……、アナータはよん、いち、に。それでいい」
日本語でならいやいや…とかいいからいいから…とかだろうか。名乗る必要がないことだけは分かった。
「よんいちに。今日は何人殺したか?」
「あ?」
質問の意味は分かる。でもなぜそんなことを聞かれたのかが分からなかった。僕は誰かを殺したのか?殺したいと思うことはあっても、実際に殺すかどうかはまた別だと思うのだが…
「11人ダヨ?」
「…」
いつ?今日だけでそれだけ殺したのなら覚えていないはずがない。
「皆の者が怖い怖い。よんいちに殺すから。あなたは殺人マシーン」
「…その喋り方、わざとか」
ネジュロの左手へ。不意打ち。
「っっおぉ…う…んん、」
中指から小指までが消し飛んで、激痛で沈む。しゃがんで左手を右手で覆い隠して強く握って押さえて…痛みに耐えようとしている。
ちょうどいい高さに彼の頭があったので、右足を持ち上げて勢いよく蹴り上げた。
「んふぉっふ」
こちらを向いた顔。蹴られた衝撃で口から飛んだ唾が顔にかかって、ものすごく不快で。
「くたばれクソジジイ」
「ウワーヤッベェ助けてぇ!?」
裏声を使った高音の奇声。助けを求めたのか、悲鳴の一種なのか、ふざけているのか。どれにしても関係ない。このまま頭を消し飛ばして終わりにして
「待って」
「ん…ぇ、」
部屋の外に仲間が待機していたのか、すぐに声が割り込んでくる。…でもその声は……僕にとって特別な声で。
「な、なぎ…」
「んっひゅぉおいい!!」
「う"っ"」
声の主の姿を見て、つい…その名を呼ぼうとした。その時だ。下から強烈なアッパーが飛んできたのは。
停電したみたいに視界が暗くなって、力が抜けた。
………………………to be continued…→…




