第4話「懺悔」
「あぁ…」
「えー、嘘でしょ」
電車での移動中。乗り換えのミスに気をつけて次のを待っていたら。
どこかで聞いた声がして、続けて重そうに荷物を運ぶお婆ちゃんの姿が見えた。曲り宿駅まで荷物を持ってあげた人だ。
……誰にも助けを求めなかったんじゃないかと思う。だって、そうじゃなきゃとっくに目的地に着いているだろうし…
「…これも何かの縁、かな」
この後僕は友人関係を利用して1000万円を出してもらおうとしている。悪人もいいとこだが、一方で目の前のお婆ちゃんを助けてやりたいと思っている。こんな汚い人間に助けられるお婆ちゃんが可哀想だ。
頭の中で善悪の押し合いが開始される。それと同時進行で、現実世界では
「お婆ちゃん。また会いましたね」
「あらあら。お兄さん。こんなところでどうしたの?」
「移動中にお婆ちゃんの姿が見えたので」
「優しいねぇ」
「あの。お友達のところへはまだ…ですよね」
「ずっしりしてるからねぇ」
ニコニコしながら、みかんとりんごが詰まっていると言っていた荷物をポンポンと軽く叩いている。
「ちなみになんですけど。お友達はどちらにお住いなんですか?」
「お友達?三剣猫ってところでね。お兄さん猫は好き?いっぱいいるのよぉ」
「……」
目的地は一緒…
「あら、苦手?」
「いえ。家で猫飼ってますよ」
「そうなの」
「もしよかったら三剣猫まで一緒に行きますよ」
「悪いわよそんなに優しくしてもらっちゃ」
「いえ。僕もそこに用事があるので」
「…いいのかしら」
「遠慮しないでください。助け合いですよ。ここでお婆ちゃんのお手伝いをしたら、いつか僕は僕で違う誰かに助けてもらえるかもしれない。そうやって巡り巡っていくんです」
「いい子ねぇ。こんな可愛い孫がいたら、いっぱいお小遣いあげて甘やかしちゃう」
「いえ、」
ふとホームを見回す。ほとんどの人が下を向いてスマホを触っていて。……全員がそうじゃないことは分かるが、声をかけてはいけないような圧を感じる。お婆ちゃんは助けを求めたかったが遠慮してしまったのだろう。
「お兄さんは持ってないの?その…ねえ?」
「スマートフォンですか?……どうも好きになれなくて」
「機械に好き嫌いがあるの?」
「悲しい思い出があるんです。それで、あまり使いたくないっていうのがあって」
「あらあら…」
お婆ちゃんは僕の背中を撫でてくれた。
「ありがとうございます。…電車来ますね」
「重たいけれど、お願いしますねぇ」
1人で行くよりは、いくらか気持ちが楽になった。
お婆ちゃんは電車の中ではお喋りを封印し大人しく揺られていて、僕も黙って車内に流れるアナウンスを適当に聞き流して…
あっという間。
………………………………next…→……
四原津町。
真が離れた後の事務所。
「もしもし。……近々そっちの方へ行く。金は300万きっちり用意できる。ああ、いつも通り到着時に全額渡す。……分かった。また連絡する」
電話を切ったカジテツ。真に振った条件は1000万円だが、実際に要求される金額は全く異なっていた。
「700もあれば十分だ。…悔いはねえ」
差額は全て自分のもの。残りの短い人生をどう楽しむか、カジテツは脳内シミュレーションする。
毎日酒を飲んで、上手い飯を食って、
「……」
思考が強制停止する。心臓が悪い乱れ方をして、左肩から脇腹までがズキズキと痛む。右の脇腹はというと感覚がない…腐りきっていて、体に肉が付いているのが不思議なほど。
「治す?は。そんなもん」
カジテツは真の提案をすぐに断った。遠くまで蹴り飛ばす勢いでさっさと断ってしまった。それが悪い冗談だと思ったからだ。どうせ有名な医者がいる病院を紹介されて高額な治療費を請求され、長期入院の末…死ぬことになる。そう考えたから…。しかし、
「っぐ」
その肉体に残された時間。少なくなるほど辛くなる痛み。苦しめられ、冷静に考える時間がわずかに生まれる。
カジテツは分かっていた。真は観光目的でオラワルドに行きたいのではないと。何か別の目的があるのだと。それが何かとまでは…でも、
「もしあいつが体を治せるって、それが嘘じゃないなら」
もし新人類なら。疑っておくべきだったと後悔して、椅子に座るのに失敗し床に倒れる。
横になってひんやりした床の上で、今にも吐き出してしまいそうになるのを飲み込んで引っ込める。…吐いてはいけない。出してはいけない。きっと、間違いなく、
「し、ぬ…」
酒を飲みすぎて緩く咀嚼したつまみごと吐き出すのとは訳が違う。
頭では分かっている。
「ふ、…う、……うっ、……」
咄嗟に両手で口を塞ぐ。両肩がグチャッと変な音を出しても、嫌な痛みが駆け抜けても、
「………………」
耐え続けること、わずか1分。
カジテツには永遠に等しい苦しみの時間。それをどうにか乗り越え、浅く、深く、新鮮な空気で呼吸を行いリフレッシュする。
…………建物の外からトモヤスが見ていたとは知らずに。
………………………………next…→……
「よいしょっと!…ふぅ!」
構造上仕方ないのかもしれないが、全ての駅から階段をなくしてほしいと心から思った。
今はエレベーターやエスカレーターも珍しくないが、…設置されていない駅も存在する。しかも、そういう駅に限って年寄りに需要があったりして。
「力持ちねぇ」
「全然ですよ!?」
額に汗。背中も嫌な湿気を感じる。荷物を落とさないように階段を下りるのはとてもとてもキツい。足下が見えないし。
「でもお兄さんのおかげでやっと着いた…本当に、本当にありがとうございます」
「いえ。いいんですよこれぐらい」
「こんなに重たいもの持たされたら疲れたでしょう?」
「全然。お婆ちゃんの方こそ、僕と別れたあと1人でよく頑張りましたね」
「うふふふ。…お友達のとこ、温泉があるのよ。もしよかったらご一緒するのはどうかしら」
「え?」
「冗談よぉ、混浴はないから。でも温泉入ったら疲れも取れると思って」
「もしかして…お婆ちゃん、最初から旅館に行こうとしてました?」
「ええ、そうなのよ。珍しいことに従業員が全員若くて、すごくお客さんのこと考えてくれてね」
「はぁ…」
「特にダンさんっていう」
「オーナーですね」
「そうそう。1番偉くて…ほんとこんな歳になっても恋っていうの?…優しくされて」
お婆ちゃんのお喋りが復活した。三剣猫どころか旅館に行くところまで同じだとは思わなくて、
「最初から一緒に行動してればよかった」
なんてことを考えてしまう。四原津町に行ったことも重要だったはずだが、なんだか…最初から一緒に三剣猫に来ていたら色々とすっ飛ばして楽に展開を望めた気がする。
「あら。もしかしてお兄さん、ダンさんのこと」
「え?…あ、一応。僕も友達みたいなものです」
「そうだったの…!あの人の奥さんも美人さんよねぇ、名前は」
「ジュリアですね。…」
奥さん?…ああ、使者とは言えないからパートナーと紹介した結果そうなったのか。
「図々しいお願いになって申し訳ないんだけど、お兄さんも旅館まで」
「ええ。いいですよ」
「ほんとうに…!嬉しいねぇ…こんなに優しくされて」
「いえいえ。行きましょうか」
重い荷物を持った僕と何も持たないお婆ちゃんの歩行速度はいい勝負だ。2人で並んで歩いていると、本当にお婆ちゃんと孫の関係なんじゃないかと錯覚しそうになる。
…秀爺は代行だったせいで全然元気だったからこうはならなかったろうけど、
「お兄さん。あなたもお爺ちゃんお婆ちゃんいるの?」
「…いえ。お婆ちゃんは結構早く…お爺ちゃんは割と最近…」
「そうなの…ごめんなさいね」
「大丈夫ですよ」
「日本も変わってしまったわよねぇ……。人の繋がりが薄くなって、嫌な事件が増えてねぇ」
「…ですね」
「でも昔が良かったかと言うとそうでもないのよ。いつの時代でも良いところがあって、気に入らないところもある」
「……」
「大事なのは、いっぱい笑って楽しく生きて、家族に見送ってもらえること」
「…お婆ちゃん。まだ早いですよ」
「生き死にに早いも遅いもないわよぉ。いつお迎えが来てもいいように、お兄さんも後悔しないようにねぇ」
「…アドバイス、ありがとうございます」
一瞬真面目な話をしたかと思うと、話題は再び旅館へ。
客として利用したことは無かったが、相当サービスがいいらしい。
「大体はマッサージチェアに200円300円入れてやるんだけど、やっぱり人がやらないと力加減とかどこをやってほしいとか分からないから…逆に痛くなったりしてねえ」
「マッサージしてもらえるんですか」
「そうなのよ。若い女の子なのに、本当によくやってくれて」
「お婆ちゃんは旅館によく行くんですね」
「それしか楽しみがないのよぉ。若い人に囲まれて、少しだけ若くなった気になっていい気持ちで帰るの」
「常連さんだ…」
「それにこの辺は猫がいっぱいでしょう?たまに野良猫が旅館の中に入ってきてねぇ。ご飯食べてる時とか、人に慣れてるから膝に乗ったりして」
「うんうん」
「こっそり料理を分けてあげようとすると、従業員の子が猫用のご飯を持ってきてくれてねぇ。それをあげると美味しい美味しいって喋るみたいに鳴きながら食べてくれて」
「可愛いですね」
「そうなのよぉ」
…話をしていたら、旅館が見えてきた。三剣猫…この土地でも思い出がある…いくつも
「ああ、お兄さん。見てあれ」
「え?……」
旅館から出てきてこちらに歩いてくる。黒の着物姿の、…
「こんにちは。お電話を頂いていましたので、ずっとお待ちして…、」
「ジュリアさん、お迎えなんて…いつもありがとうねぇ」
「……」
「…柊木、様?」
黒髪の、ジュリア。
「こちらのお兄さんにずっと持っててもらったのよぉ。これ、皆にあげようと思って、みかんとりんごなんだけど」
「……、それはそれは。ありがとうございます。…」
彼女はお婆ちゃんに構っている余裕がない。ずっと僕を見ている。
「柊木様、もしよければ一緒に来ていただけますか」
「…うん。僕もそのつもりだったから」
「では、お荷物…預かります」
お婆ちゃんの荷物をジュリアに渡した。見た目では想像できないほどの力の持ち主だから、顔色ひとつ変えずに持ててしまう。
僕と彼女はどこか気まずく、お婆ちゃんは1人で楽しそうに…旅館へ向かって歩く。
「ジュリアさん。今日はどんなお料理が出てくるのかしら?」
「はい。今日は新鮮な」
「魚?」
「…なぜそれを」
「僕が来た理由はそれだから」
「あぁら、お兄さんは魚料理が好きなのねぇ」
「…柊木様、もしや緊急の用事では」
「もうトラックは来た?」
「まだです」
「受け取っても触らない方がいい」
「……了解しました」
ジュリア1人だけが早歩きになる。本当は走って戻りたいのだろう。
「お婆ちゃんのことは僕に任せていいよ」
「すみません」
「ジュリアさん、どうかしたの?」
「彼女はもらった果物を先に持っていくそうです。いっぱいですもんね」
「あぁ、そうねぇ。重たくて申し訳ないけど…お願いしますねぇ」
僕を見て小さく頷いたジュリアは走っていった。ほんと、空箱を持ってるみたいに軽そうに持っていく……
「楽しみだねぇ。魚料理」
「そ、そうですね」
残念だけどそれは叶わない。
………………………………next…→……
「お兄さん、本当にありがとうねぇ。そういえばお礼のひとつもしないで」
「そんな。気にしなくていいですよ。僕がしたくてやったことですから」
「そう言わずに」
「大丈夫です。ね、」
「ううん、」
旅館のロビー。
座らせたお婆ちゃんと"いやいや合戦"が始まった。ここは思いきってお礼をしてもらえば済むことなのだが、
「ほら、そこのお饅頭とか」
「いえいえ、本当に」
わざわざお金を使ってほしくない。経済状況に関わらず。
「なら、そのお守りは?」
「お婆ちゃん。気持ちだけで十分で…」
「真!」
ある意味いいタイミング。この旅館の主が小走りでやってくる。
「あぁら!ダンさんじゃなぁい!」
「…」
声のトーンが上がり、お婆ちゃんの"女"が出てきた。漫画やアニメなら目がハートになっていることだろう。
「ようこそ。…また後でゆっくりと挨拶をさせてください。今はこちらの友人と急ぎの用があるので失礼します」
彼は余裕のある態度は見せても丁寧なものはあまり見せなかった気がする。…僕が知らなかっただけか。
「それじゃ、お婆ちゃん」
「ありがとうねぇ」
今度こそお婆ちゃんとお別れ。
ダンの後ろをついて歩いていく。…彼も着物姿で、ジュリアとペアルック。いつもこの調子ならお婆ちゃんが言うように夫婦認定してもおかしくないか。
「久しぶりだ」
「……そうだね」
「ジュリアから聞いた」
「可能性の話だけど」
「今日まで特に仕入れたものから毒物が見つかったことはないが」
「毒…じゃなくて寄生虫とかだと思う。良いタイミングでそれが悪さをするんじゃないかって」
「……2ヶ月後か」
「見てたんだ、あれ」
目を合わせず、必要な会話をする。
「ここに入りたまえ」
案内された部屋には…誰もいない。
「まだお前の事情を知らない。少人数での会話の方がいいと思った」
「そう…」
ダンと2人きり。
入ってすぐのテーブルを向かい合うように囲んで座ると、彼はテーブルの上で手を組んで少し黙った。それから、覚悟を決めたように口を開いた。
「何から話すべきか」
「…」
「私に、何かを求めて来たのか?…それとも忠告のためだけに?」
「忠告は話の流れでついでだよ。…正直に言う。そうだよ。何かを求めてきた。何かっていうか」
「…なんだ」
「1000万円」
サラッと言えてしまった。無反応な彼と違って、無茶なことを言った僕の方が驚いてしまって。一瞬だけ肩が跳ねた…それを見られたのが、恥ずかしい。
「…分かった。すぐに用意しよう」
「自分で言っておいてなんだけど、普通理由くらい聞かない?」
「話したいなら聞く。わざわざ聞き出したいとは思わない。だが勘違いするな。お前に興味がないわけではない。…お前だからだ」
「…」
「私は大人の付き合いというのが苦手だ。顔色を伺って自分の利益のために相手を誘導する読み合いが好きではない。…今のお前のように、友好関係を利用しようとする顔は何度も見てきた」
「っ、」
「だが。私はお前に協力する。友となった日から、私達は互いに命を預けあってきた。その恩がある」
「……」
「あえて言うことがあるとすれば、1000万ぽっちで足りるのか?ということだ」
「……えぇ、」
お見通し宣言で冷や汗。しかし、それ以上に超お金持ち宣言が飛び出してちょっと引いた。嘘だ。がっつりドン引きした。1000万円をぽっち呼ばわりだなんて。
「もうジュリアに伝えた。金が届くまでの間、嫌でなければ話を聞かせてほしい」
「話?」
「お前は、柊木 真は、どうする」
「…は?」
「見たのだろう。リョーマンの宣言を。新人類の側につけば、誰かの機嫌を損ねないかぎり安全に生き続けることができる。今のお前ならどうするのか…知りたい」
「隠れてれば、どうにかなるかもって。考えたことはあるよ」
「そうか」
「でもこうして家の外に出て、なんなら代行の前に姿を見せてる」
「…ふっ、そうだな」
「僕の答えは…」
リュックからパンフレットを取り出し、彼に差し出した。
「…オラワルド」
「そこに行くのにお金が要る。今は入国制限があって、多分オラワルドが認めた代行じゃなきゃ入国できない。飛行機がダメなら船をと思ったけど、海には創造されたクラゲがいて」
「待て。お前は」
「1人の漁師が言うには、お金さえあればクラゲを操ってる代行を買収できるって。それで船に乗れる。向こうに行けさえすれば」
「……」
「ベダスを殺せる」
「な、」
「…え?変なこと言った?」
いや。殺害予告だ。十分におかしなことを言ってる。
「すまない。向こうの側につくのかと」
「ああ、そっち…」
「べダスか」
「知って…なさそうだね」
「突然姿を見せたからな。これまで代行があんなに目立つことをするというのは」
「でも今は違う。今後はもっと増えるよ」
「……どこまで知ってる」
「僕もそんなに詳しいわけじゃないけど。ドゥビマっていう蜘蛛の創造された生き物と戦ったし、創造した使者も見た」
「なんだと」
「言ってみれば、今度のは人前に堂々と姿を見せた終の解放者みたいなことなんだと思う」
「……く、そうか、」
顔色を伺って、読み合い。なるほど。言われてみればなんてことない表情に隠れるわずかな違和感が見えないこともない。問題はそれの答えが合っているかどうかで。
「ダンは、新人類の側になろうとしてるんだね」
それを口にした。すると彼はまっすぐ僕を見つめて、
「私は、安全を取ってしまった」
……懺悔した。
………………………to be continued…→…




