第9話「がっちょ」
振り返る。部屋の奥…隅で小さくなって身を隠す明里。何を見たのかを確認したくて近づこうとすると"来てはいけない"と必死に手を振られる。そんな明里の慌て方は見たことがなくて
「ぅっ?」
ガシャガシャ、ガタガタとうるさい物音と共に僕達の間に割って入ってくる…侵入してきたそれが見えた。
「…爪?」
正確には手の先…指の2、3本を穴に突っ込んで掻き抉るような動作。
光沢のある爪は先端の鋭さが芸術的で、カーブしていて…猛禽類…いや、
「トカゲの類…!」
住居スペースを荒らす爪。僕が横たわったくらいの長さがある大きな爪。家具を破壊しまくってもそれがビビることはなく、
「創造の書を回収ってまさかこれ?」
必ずあるはずだという確信を感じる。こんな爪の持ち主…店に入る前に想像したものより大きい…!
「は、はは…借金取りみたいなもんだな。正直お前が来た時は驚いた…よくもまあ"アイツ"がいるとこを通って来れたなってな」
「正体を知ってる…?じゃあドアの傷は偽装じゃ」
「偽装じゃない。そうさ。店の中を自分でめちゃくちゃにして、いざ助けてくれって騒ごうと外に出たらアレと目が合った。ラッキーストリートがピッタリなんだよ。体の大きさ的に」
爪のインパクトがすごかったが、少しだけ"肉"の方も見えた。トカゲの類だと思えたのはワニみたいな皮膚感だったからで
「アイツはとびきり大きい"ヤモリ"みたいなもんだ。爪だけでも十分凶悪だが、音もなく忍び寄ってくる。目の前に出ていけば長い舌に巻かれて喰われるぞ」
「……」
ラッキーストリートを歩いている時、空気が生暖かい気がしていた。もしかして……天井に張り付いていた?吐息を浴びながら歩いてた?
「だから雰囲気が変わったように思えたのか」
「で、どうするんだよ。アイツは諦めないぞ。俺だけじゃない。ついでにお前らも喰っちまう」
「黙れ」
「っ…」
「秀爺の代わりに言う。今回限りだ。もう頼ってくるな」
「お前、」
「……考えよう。きっと」
解決策はある。でなければ死を覚悟して脱出に挑まなくてはならない。明里がいる。守らなくては。安全にここを出てさっさと帰る。
思考、思考、頭の中…記憶の引き出しを片っ端から開けていく。あれでもないこれでもないと騒ぎながら
「読んだことがあるはず。……答えはある」
「真くん!」
「明里は動かないで!すぐに…」
「創造の書を燃やして!」
「……あぁ!」
どうしても巨大な使者と戦うことばかりを考えてしまっていた。きっと皮膚は硬いだろうからヤツの爪をどうにか1本折ってそれを武器にするとか、もしかしたら寒さに弱いかもしれないからジョーカー・グローブで一気に冷却しようとか…
実際は簡単だった。どんなに強力な創造でも、創造の書を破壊されたら簡単に終わる。言ってみれば基本中の基本だ。
「燃やす!?馬鹿言うな!それが」
「何なのか、分かってる。だからやるんだ」
今手に持っているものを燃やしてしまえば、少なくとも外に待機している使者は目的を失う。出来れば肉体も失ってほしいところだが。
「やめろ真!それを失ったら俺は本当に無一文だ!生けていけない!」
「……知るか」
我ながら冷たいひと言。でも秀爺は僕以上に彼に振り回されていたはずだ。きっとそのほとんどが代行絡みだったことだろう。
…そんな調子じゃ、"あの"使者に殺されなくてもいつか殺られていたかもしれない。
焦げ臭い。
いつの間にか創造の書に着火していて、トシちゃんが力の抜けた声を出して絶望する。
「そ、そんなぁ…」
「……」
ジョーカー・グローブの効果を切り替える。熱するのではなく冷やす。ジョーカー・グローブだけを。
少し凍らせてグローブの破損を防ぎつつ、燃えている創造の書を調べるために。
考えてみれば、本の所有権が移動していないのに創造出来てしまうことがおかしかった。
ありのままを簡単に言えばトシちゃんはハメられたわけだが、
「破られたページに持ち主のヒントがあったのか…それともどこかにまだ書き込みが」
微弱な揺れ。小さな地震に慣れている日本人なら、この程度では焦らない。せいぜい震度2くらいだ。
「真くん!逃げていったみたいです!」
「…あ!!」
半分以上が燃えたページ。パッと見では読めない文字が並んでいる。
でも、
「今なら読める。……しっぽ切りのレヴィウド。その体は黒虹の鱗に守られ、高度な擬態能力を持つ。成長を続ける竜はいずれ」
いずれ…だめだ。燃えてしまった。
でもこれは関係してる。今外にいたであろう使者の情報だ。
他人に売った創造の書を回収してくる役目を持つ使者。金儲けと殺人を同時に行う…酷いやり方。
「…スキャン…だめか。…でも」
【しっぽ切りのレヴィウド】レヴィウドが名前なのは分かるが、わざわざしっぽ切りと付けたからには
「追いたくても追えない。考えられるのは」
文字通りしっぽを置いていく。自然界にもあるようなやり方で逃走する。大きな体に生えている大きなしっぽだろうから、意外と効果も期待出来るのかも。
もしくは、
「しっぽはこの創造の書のことかも」
もうおにぎりサイズまで燃えてしまった創造の書。燃やさなければ自分達が危険だったが、もう少しよく調べればよかったとも思う。
「1つの創造を複数の創造の書で共有する方法は多分ある。そうじゃなきゃ、貴重な1冊をこんな風に使えない」
………………………………next…→……
「………」
ラッキーストリートの外。
入り口から這い出てすぐに擬態能力で透明化するレヴィウド。それを見てお手上げとばかりに両手を少しあげてため息をつく男。
「やれやれ。まさかそう来るとは。欲深いやつに売ったはずだし、自分からあれを…?まさか。、そういえばさっき誰か入ってったな…」
その間にもレヴィウドは去っていく。音を消し、気配を消し、建物によじ登って上を渡っていく。
「ビジネスを邪魔されて黙って帰るわけにはいかないな。どれ、顔だけでも見ていってやるか」
ガサガサと擦れる音。上着が出す音だが、
「レヴィと同じ擬態能力持ち。見た目はなんてことないレインコートみたいなもんだ…おや、口癖がまたうつった…おっと」
黒迷彩の上着が透明化を開始する。次第にそれは着ている人間の全身にも能力を適用していって。
左の袖をずらし、腕時計を見る。
「怖いな。今日は秒針がイカれてる」
男の持つ腕時計は壊れていない。むしろ、世の中に存在する中で最も正しく時間を表示している。たとえ針が逆回転したり、停止したりしても。
「フードを被って…と」
完全に姿を消した男は、その場から1歩も動かずにラッキーストリートの入り口を見つめる。
「真くん、あの…トシちゃんさんのことは」
「放っておいていい。冷たいかもしれないけど、分かるでしょ?」
「…まあ。そうですね」
優しい明里でさえこの反応。それもそのはず。使者がいなくなったと分かって外に出ようとした時、トシちゃんは明里を見て言ったのだ。「制服コスプレか、悪くない。いくらで遊べる?」と。
最初、意味が分からなかった明里は遊ぶという言葉を間違って受け取った。首を傾げる彼女に「援交してそうな顔だな。可愛らしい」などと控えめに言って酷い発言。すぐに正面から顔を殴り、彼の髪を焼き尽くしてやったわけだが…それでも遅すぎたと後悔している。
「真くん。私は大丈夫です…」
「そんなわけない。あんな汚れた人間の言うことは気にしないでね。僕は」
「ありがとうございます。でも本当に、大丈夫です。代わりに殴ってくれたことも、ありがとうございます」
「……」
これで明里が今後男性を怖がるようになったら。その時は。
「お兄ちゃんみたい」
「え?」
「あ、いえ…」
「明里ってお兄さんがいるの?」
「いません。仲の良い友達がいるんですけど、その子のお兄ちゃんが今の真さんに似ていて」
「…」
「妹思いで。小学生くらいの男の子って好意を意地悪って形で表現するじゃないですか。それでちょっかい出された妹のために」
「お兄さんは怒った」
「はい。他の子が真似してそれがいじめになったらどうするんだって」
「明里もその場にいたの?」
「なかなか言い出せないで悩んでた友達の代わりにお兄ちゃんに告げ口したのが私なんです」
「なるほど」
気づけば少し落ち着いていた。明里のおかげだ。
「いえ。真くんは守ろうとしてくれてたんです。怒ってたわけじゃありません」
「帰りに文房具店に寄ろうか。色々見てみよう?」
「…はい!ありがとうございますっ」
ラッキーストリートの外に出て太陽に出迎えられるとすごく安心した。
立ち止まって、直視しない程度に見上げて。
「いい天気…」
「洗濯日和ですね」
「そうだね。…布団も洗っちゃおうか」
「……真くん。なんか、湯気出てませんか?」
「そうだね…え?湯気?」
ふと開いた両手を見てみる。薄い。本当に薄い。でも湯気だ。もやもやと僕の手から…
「体全体から出てます」
「…し、知らない。何これ。何これ!」
「落ち着いてください」
「だって…」
変なものに触ったか。とすれば"彼"くらいなのだが。ミコトの真似事をしてスキャンをしたから、その反動?
「風で流れてるような」
「え、」
湯気は確かに前方向に流れていっている。
「変なこと言ってもいいですか。もしかしてヴァンパイアになったとか」
「…ないない」
「でもそれなら話も分かるというか、体が焼かれてるような感覚はありませんか?」
「ないって、」
否定しながらなんとなく遠くを見る。湯気の流れていく先を目で追っていたせいだ。…でも、その先でこちらを見ている誰かがいることに気がついた。
「は?」
目を細める。視力が向上したような気になって、その人物をよく見る。するとどうだろう。口を尖らせていて…湯気を
「吸ってる。吸ってる!何あれ!」
思わず大声で騒いでしまった。それに気づいたのか、その人は走り去っていった。
「代行?もしかしてさっきのレヴィウドを創造した代行!?」
「追いかけますか?」
「…でもさすがに距離が、ね。待ち伏せされるかもしれないし」
今のは攻撃か?僕の体から湯気が出てそれを吸っていた…となると
「生命エネルギーを吸い取る、的な」
「私達もここを早く離れた方がいいですね」
「うん」
早歩きで行ってしまう2人を見送って。
「他にも代行が来てたか。乱闘も増えるかな。そうなれば誰が有利かは…さてと」
透明化を解除した男は上着の中から創造の書を取り出す。その表紙は薄黄色。ついさっき真に破壊されたものと非常に似ているが、
「6冊ある内の1冊が無くなっただけだ。まだビジネスは続けられる。でもその前に警告、」
((READ))
ドッペルゲンガー
対象と同じ姿をした使者を創造する。
「さあ行け。次、商売を邪魔したら今度はお前たちを狙うと伝えろ」
光の中から生まれる、真と同じ姿をした使者。男の指示を聞いて頷くと歩いて2人を追いかけていく。
「おっと。次の客との待ち合わせに遅れる…」
((READ))
「ソリュケー。急ぐぞ」
「グォォウ…クロロロ…!」
「よっ…大阪までなら5分もあればいいな。走れ!」
「グロロオオォォウ!」
続けて創造されるのは鮮やかな水色の毛を持つ見た目はネコ科の動物。ライオンなどと似た体格で、男が背中に飛び乗ってもビクともしない。走れの合図に咆哮で応えると、ソリュケーと呼ばれた使者は跳躍と共に走り出した。…陸ではなく、空を。
………………………………next…→……
普通、ほとんどの店は10時前後に開くことが多い。そんな中、家の近所にある"がっちょ文具店"は朝の6時から開いている。それは店主が早起きなのもあるし、学校で必要なものを買い忘れた子供が登校前に
「あれですか?」
 
「あ、そう。うん」
「すみません、邪魔してしまいました」
「大丈夫。でも久しぶりだなぁ…がっちょさんまだ元気にしてるかな」
「がっちょさん?」
「うん。買い物すればどういうことか分かるよ」
個人商店はやはり雰囲気がいい。一昔前な感じが、いい。
「ほいほい、いらっしゃい」
「おはようございます」
「ぁぃ、おはようねぇ」
失礼な言い方だが、まだ生きていた。よかった。
店主のがっちょさんはすっかり背も曲がって歩きづらそうにしている。今は何歳だろう。僕が子供の頃にはもうすでにお爺さんだったが。
「高校生?」
「あ、はい」
「そう…こっちのは子供っぽいからそっちのほう見てみて、」
店内。子供が喜びそうなキャラ物の文具が並ぶコーナーを見ていた明里を別のコーナーへと誘導するがっちょさん。
そこまで広くない店内だが、狭いからこそ物がぎっしり詰め込むように並んでいるのを見ると…ワクワクする。
ボールペンなんて30色近くある。そんなに細かく分けて何が違うのか…あ、でも
「く、草むら色?…綺麗かも」
試し書きが出来るのもいい。くるくると円を描いてつまらない試し方をしつつ、インクの鮮やかさに見惚れていると
「真くん。ちょっといいですか」
「うん」
「…これいいなって」
「ああー、水性のやつね。教科書に線引いたりする時によく使ってたかも」
「でも色鉛筆と迷ってて」
「そっか。…がっちょさん。これとこれ試し書きさせてもらえますか?」
「ぁぃぁぃ、いいよ。それ貸して」
「え?開けちゃうんですか?え、」
「買う時はまだ新しいのあるから。ほい、お嬢さん試してみて」
がっちょさんのすごいところ。新品のセット商品でも試したいと頼むと開けてくれちゃう。気に入ったらそれをそのまま客に売ればいいのに、彼はそれを絶対にしない。…そうなるともちろん開けたやつは簡単には売れなくなるわけだが
「自分で買って使ったらいいんだ。ひひひ」
いくらか損はするが、そのかわり客が安心して買い物ができる。信頼を得られる。固定客になったらすぐに損した分は取り返せる。…今の明里みたいに理解できなかった僕に秀爺が言ってたことだ。鉛筆や消しゴムが消耗品だからこそこの店に何度か来ていたが…
「あの時は全然買わなかったな…。1時間近く見てたのに消しゴム1個とか」
「何の話ですか?」
「ううん。なんでもない。それよりどう?」
「引っかかる感じがします」
「ん?」
水性ペン。僕も試してみた。言われてみると確かにスーッと引きたいのにクッと途中で止まってしまう。
「書きやすいのはこっちだ、ほい」
「あ、あ、すいません」
がっちょさんがまた別の商品を開けて持ってくる。申し訳なさそうに試す明里は
「…サラサラツルツル」
「呪文?」
「いえ。これすごいです。真くんも書いてみてください」
「…」
滑る。これだと必要ないところまで線が引けてしまう。
「…サラサラツルツル」
「ですよね」
「ふふ。そうだね」
「気に入った?今なら100円まけるよ」
「じゃあ、これと色鉛筆のセットもください」
「真くん?」
「これくらい別に」
ピンク、ブルー、イエローの水性ペンと24色の色鉛筆セット。それとノートを5冊。ついでにさっき試した草むら色のボールペンも買った。それでも2000円に届かない。相場は知らないが、安いとは思う。
「勉強なんて子供はみんな嫌がるから。それを自分からやろうって言うなら応援してやらないと。ほい、お釣り。ありがっちょ」
「あ」
「こちらこそ。ありがっちょ」
がっちょさんと僕を交互に見る明里。突然判明したがっちょ文具店のお決まりのやり取り…少し困ってから
「あ、…ありがっちょ」
顔を赤くして言った。恥ずかしそうにしてるのが可愛い。小学生くらいだと元気な声でがっちょがっちょとうるさいくらいに返事をするのだが。
「…いいお店ですね」
「また来ようね」
さっきまでの負の感情が吹き飛んでいた。
店の外に出て、まだ照れている明里をからかおうと…思って、え
「っ、」
「どうしたんですか立ち止まっ、」
だれ、だれ?え、誰?
目の前に立つ男。見覚えがあるどころか
「……僕?」
………………………to be continued…→…
僕あた豆知識。
がっちょさんは86歳。会計は今でも暗算でこなす。"ありがっちょ"を流行らせれば子供が集まってくると考え店名を改めた結果、長年愛される店となった。




