第3話「追いかけて、追いかけて」
ガチャ。…ギィィィ……!!
回ったドアノブ。
薄く開かれたドア。
隙間から差し込まれる鋭い鉤爪。
「ンハァイ…!」
人の形をした別の何か。
獲物を見つけ、ついに襲う。
爪が我が身に届くまでの一瞬。
そのわずかな時間に選んだ行動。
2階にいる孫への警告。
避難命令。
たったの一言、それだけでいい。
口を開いて、腹部から上がってくる勢いをそのまま…喉を通して外に吐き出せば。
声は…出ただろうか。
世界がくるりと反時計回りして、床に倒れたかと思えばそのまま床を見つめてしまう。
体が動かない。
すると、床から視点が変わり、自分の身長とは違う高さになった。
…鮮やかな切れ味。ということか。
不意打ちに対処出来ず無抵抗なまま爪の餌食になった。
その結果、自分が首を狩られたと気づかないまま、まだ死んでいないと勘違いしていた。
倒れただけだと。まさか、首を抱えられて持ち歩かれるとは。
階段を上がっていく。
お前だけでも逃げてくれ。押し入れの中でもいい。
どこでもいい。見つからなければ。
頼むから、情けなく死んでしまった私の視界に入らないでくれ。
……許してくれ。
「…うわああああああっ!!!」
飛び跳ねるように上体を起こして目覚めた。
熱くて寒い。
今の自分を鏡で見たくない。
僕は、誰だ。
彼女が僕の両頬を手で包み、声をかけている。
僕の膝の上に柔らかな体毛の白猫がちょこんと乗った。
耳鳴りがする。彼女に縋ろうとする手が震えている。
僕は、誰だ。
これは夢か。今は現実か。今が夢か。分からない。
分かってしまいたくない。
全てあやふやなまま、もっと別なものを…
「真」
「はぅ」
耳元で発せられた声。
彼女の温もりを感じる。
抱きしめられ、無理やり体の震えを止められて、…現実に…戻って…
意識していなかった胸の鼓動。
気づけばゆっくりと落ち着いてきて、自分が正気に戻っていくことを教えてくれた。
「凪咲さん…僕は…」
「悪い夢を見たんだよ、多分ね」
「夢…」
夢。夢なのか。これは悪い夢…なのか。
悪夢…そんな表現が正しいとは思えなかった。
あれは、僕の想像にすぎないのだろうか。
いくつもの本を読み漁って築き上げた想像力のせいであれだけの夢を見たのだろうか。
あの視点は、想像でたどり着けるものなのだろうか。
「まだ怖い?」
「…はい」
「しょうがない。じゃあ私が真をお世話してあげる」
「…はい」
「ニャア」
放心。心にポッカリと穴がある感覚。
ぼーっとして、虚無。虚無感。
着替えさせられ、お湯で湿らせたタオルで簡単に体を拭かれ、口に歯ブラシを突っ込まれ。
椅子に座らされると、彼女が隣で「はい、口開けて」と半ば強引にスプーンで口をこじ開けて食事を放り込む。
「熱くない?」
「……」
咀嚼する様子を見て、次のひと口を用意する。
…食事が終わると、僕を別の部屋に移動させた。
白猫を僕に抱っこさせて、
「ソープ。お願いね」
「ニャア〜」
僕のお守りを猫に任せた。
柔らかい。温かい。
良い香り。
愛くるしい姿で、胸をくすぐるような声で、僕に甘えてくる。
……………どうして、この部屋は仕切りが無いんだっけ。
本能的に触れてはならないと分かっている。
でも、気づいてしまった。
白猫を撫でる手が止まり、フラッシュバック…。
「秀爺…!!」
なんて事を。
出来れば2度と感じたくなかったあの日の衝撃。
何もかもを上書きしていく。
スライサー・クライ。
僕は、あいつを、ころ「ニャア!」
「んむ」
唇に猫パンチ。
威力はない。どちらかと言えば押さえつけるのが目的だ。
脳が疲れている。
それは、メインとは別にいくつも違うことを考えていたからだ。
夢の仕組み、想像の影響力、メッセージ、僕の本心。
色んな考え事が同じ結論に至った。
【スライサー・クライ】を探し出して、殺したい。
そして、叶うのであれば僕の家族を奪ったであろう他の使者を、代行を、殺したい。
父親も母親も…尊い生命を奪ったのは…きっとそいつらだから。
「…えっ!?なんで!?ちょっ、ちょっと!真!」
掃除機を引きずりながら凪咲さんが僕の前に慌ててやってきた。
…創造した時と同じ制服姿で。
「どうしたんですか?」
「え、いや、服が急にこれになっ…え?」
「着替えたんじゃなくて、ですか」
「そうだよ!だってあれはボロボロになってたし、いつか直すつもりでほらここに…」
無い。
「私着てない」
「そもそも、創造の書のことはまだ全てが明らかになったわけではありません。もしかしたら、使者には何かあるのかもしれないです」
「何か?」
「ルール…みたいなものが」
「というか、真…もう大丈夫なの?普通に喋ってるけど…」
「はい。もう大丈夫です」
「そ、そう…」
綺麗な制服。元通りだ。
服が元に戻った。しかも勝手に使者に着せられていた。
僕は動いていない。誰かが侵入してきたとしても、服を着替えさせるという行動は謎。
「でも…不思議。なんか制服の方が気合いが入るかも」
「それって、戦闘服…みたいなことですか?」
「制服が?」
それはちょっと。という顔だが、凪咲さんは気合いが入ったらしい。
「外に出ましょう」
「どこに行くの?」
「使者を探しに」
………………………………next…→……
昼間。
凪咲さんと横に並んで歩く。
これで僕も制服を着ていれば、青春の1ページが更新されただろう。
「真。戦いたいってこと?」
「どちらかといえばそうです。僕が見た夢は、殺された秀爺の視点でした。知りようのない視点なのに、正しく思えた。…目覚める直前に見た僕自身の姿は、ひどく怯えていた」
「……辛いね」
「例えば。ゲームでもなんでもいいです。因縁の相手を倒すことで成長する、という展開は想像出来ませんか?」
「割とよくあると思うけど」
「今の僕は、きっとその状態なんです。あの悪夢に思えた夢は、僕に成長するためのヒントを教えてくれたんだと考えています」
「…じゃあ、じゃあだよ?今探してる使者って」
「はい。"スライサー・クライ"です」
「そっか…でも、探すのは大変かもね。何も情報が無いし」
「……ですね」
僕自身がやる気になった。これは大きな変化だ。
凪咲さんと2人でなら、クライにも勝てる。
きっと、あの日のことを本当の意味で乗り越えられる。
でも気持ちが急ぐばかりで現実がついてこない。
歩き回って、歩き回って、気づけば隣町まで来ていた。
「時間も時間ですから、あ、あのお店で昼食でも」
ふと見つけた洋食屋。
それを指さして提案すると凪咲さんも賛成してくれた。
店の前に置かれた看板にはおすすめメニューとランチメニューが書かれている。
入口付近にはショーウィンドウがあり、食品サンプルが並べられていた。
「ちょ、ちょっと待って。…何にしようかな」
凪咲さんの目が輝いてる気がした。
「洋食が好きなんですか?」
「うん。特にオムライスとか…あ、こっちのもいいかも」
メニュー選びを楽しむ彼女。
僕は彼女の選びたかった料理を注文しようと思った。
それを分ければ彼女は満足出来る。
自動ドアが開いた。
食事を終えた客が出てくるのかと入口から離れるように下がると、中から男が走って出てきた。
全速力で逃げていく。
続けて、店から出てきたのは
「…あっちか。警察…」
男性店員だ。焦っている。
「何かあったんですか?」
問いかけてみる。
「食い逃げどころかレジの金まで持っていかれたんだ。食い逃げ強盗だよ」
余計なハイブリッド。
それを聞いて凪咲さんがメニューから目を離す。
「でも今通報してももう逃げ切られちゃうかぁ…困ったなぁ…」
「真。どっち?」
この"どっち?"は、メニューの話ではない。
犯人が逃げた方向の話だ。
目を合わせ、彼女が頷くと2人で走り出した。
「ちょ、ちょっとー!」
店員の声を置き去りに、犯人を追う。
「その人の特徴は?」
「一瞬だったので!でも、特徴がないのが特徴かもしれません!」
「そういうのはいいから!」
とにかく走る。
僕は精一杯だが、凪咲さんはそこそこ力を抜いている様子。
「追われると分かっているはずです!逃げる側の気持ちになって探しましょう!」
路地裏、建物の中、とにかく人を避けて息を整える時間がほしいと僕は考えた。
一方で凪咲さんはひたすら遠くを見ている。ある程度逃げ続けて距離を稼ぐと考えたようだ。
確かに、走っている背中さえ見えれば…。
「いたっ!何すんのよ!あっ自転車っ!」
「うるせえ!このっ!」
走りながら左を向いた時だった。
駐輪場の柵の奥、男が女性を突き飛ばして自転車を奪っていた。
…走るのは疲れるから自転車に。それが答えか。
「凪咲さん!」
「うん!」
男は別の出口から出ていく。
駐輪場の中に入り同じように走って追いかけていく。
とはいえ、さすがに自転車に追いつくのは難しい。
「凪咲さんだけでも先に!」
「………電話にいつでも出られるようにしておいて!」
少し迷ってから凪咲さんは加速した。
遠ざかったところで右に曲がってしまうと姿が見えなくなった。
我慢の限界だ。
「はぁっ…はぁ…はぁっ」
全速力で、なるべく息を乱さぬようにして、会話も挟んだ。
もう走れない。
地図アプリを起動し、電話がかかってきたらすぐに向かえるように準備をする。
…課題ばかりだ。創造のために読書をしないといけない。
こういう時のために、体力作りもしなくては。
時には凪咲さんだけでなく僕も戦うことがあるだろうし…
凪咲さんが見えなくなった所で右に曲がる。
もちろん彼女の姿はもうそこにはないのだが。
「………あれ?」
赤髪。ポニーテールの警察官。
あの人は【ずんぐりむっくりおばさん】の時の…
走る気力は無い。でもなるべく急いで歩こうと努力する。
今は凪咲さんを追いかけるべきだが、なぜか好奇心が勝った。
彼女の姿がふと消える。道を曲がったようだ。
遅れて同じように曲がると裏道に出た。
雑居ビルの搬入口だったり、一軒家の裏口だったりに面している…あれ、彼女はどこに…
「あ…」
見つけた。でも警察官の格好ではなくなっていた。
上下が黒くて…下はピチッとしていて、上は革ジャン…。
ロックな印象…もしくは、バイカー。そんなところか。
服が変わっても赤髪のポニーテールは変わらず。
後ろ姿の感じからしても別人ではなさそうだ。
…にしても、なぜ追いつけないのか。
僕は早歩きだ。軽く走るのと近い速度だ。
なのに距離は縮まるどころか開いていく。
彼女は普通に歩いてるというのに。
僕がそんなに遅いのか。
………………………………next…→……
今度は見失わないよう、ひたすら彼女のことを見ていた。
足下への注意力が欠けて転びそうにもなったが耐えた。
距離はおよそ50m…だろうか。
彼女は左右を確認すると、関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉の奥へ消えていった。
そこで僕は我に返った。
ここはどこなんだ。凪咲さんは?
スマホに着信はない。まだ追いかけているのだろうか。
「…南裏富第2工場」
壁にかかる白い看板に書かれていた。
さっき彼女はこの工場の中に入っていったのか。
ここは工場の正面入口ではなさそうだ。
「………」
いやいや、凪咲さんと合流しなければ。
今からでも来た道を…どこから来たのか分からない。
夢中で追いかけていたのがよくなかった。
となると…
「入る…べきか…」
口に出した迷いの言葉に対して、僕の手は積極的だった。
カチャ。
ドアノブを回し、手前に引く。
「………え」
………………………to be continued…→…




