想いは繋がる
「地球と呼ばれる世界に太平洋という広大な海原がありますでしょう?かつて、そこにはレーヴェンハルトの大地が存在し、姉妹によって切り取られ、新しい世界として新たに構築されたのです。ゆえに、わたくし達は元々は同じ世界の人間なのですよ」
そう言ってヒルダさんは一旦、語るのを止めた。
何て壮大なお伽噺だろうか。けれど、それは現実に起こったことなのだ。信じる、信じないは別にして。
驚愕が過ぎると何のリアクションもとれないと言うのは本当だった。目を見開き、動けずにいる私をしり目に、ヒルダさんは慣れた手つきでカップへとお茶を注いでいく。
「香茶です。気分が落ち着きますよ。良かったら召し上がれ」
その言葉で私の金縛りはほどけた。勧められるままにカップを手に取り、一口、口に含む。
ふくいくとした香茶の香りが口一杯に広がる。それは地球で言うところの、フレーバーティーという種類に当たる香り豊かな紅茶だった。
「どうですか?お気に召しまして?」
「はい。好きな味です」
お酒の飲めない私は紅茶をよく飲む。常に二、三種類の様々な紅茶をストックしていて気分で選んでいる。
「花の香りがしますね」
桃の花のような甘い香りだ。
「あちらにもあるのではないかしら?元の世界から持ってきたものですから」
「ええ。多分、同じものだと思います」
私の目の前にいる、ここレーヴェンハルトの女性は元々同じ世界で生まれた祖を持つ者同士だと言う。
「…何故、私をこちらに呼んだんですか?」
それが一番の疑問だ。私が妹の子孫であることと関係があるのだろうか?
ヒルダさんは困ったように眉根を寄せた。
「それは…、あなたの命が今しも消えそうだったから」
「え?」
「魔力を持つ者は魔力の枯渇によって、時として生死を左右されると、先程、お話ししましたわね?」
「は、はい」
「あなたがまさにその状態に陥っていたのです。日々に疲れ果て、心の拠り所となるものもないまま、持って生まれた魔力の存在すら知らず、徐々にそれをすり減らしていった。
わたくしが転移によってこの地へと導かねば、あなたの命は失われていたでしょう」
「…っ!」
神経も体力もすり減らすように生きてきた私だが、死にたいなんて思ったことはない。そうした思いを抱くことは、若くして亡くなった両親に背くような気がしたからだ。彼らは死にたくなどなかったはずだ。
そう、私を一人残して。それくらいは私でも想像出来る。
「わたくしは、あなたの両親を守ることが出来ませんでした。だからこそ、残されたあなたを守りたかった。
あなたにとって異世界である、こちらへ転移させたことがたとえあなたにとって不本意であったとしても」
「不本意だなんて、私は‥」
「あなたと私は同じ血脈を継ぐ者同士。わたくしは姉の、あなたは妹の。
二人は別れたくなどなかったはずです。けれど、自分達の行いが真に正しいとも思ってはいなかった。
だからこそ、残ることを希望した人々と寄り添う道を妹は選んだ。残ることは茨の道を歩むと分かっていても。
事実、その通りであったようです。残された記録を見る限りにおいてはね」
魔力を持たない者達から隠れるようにして生きることを余儀なくされ、また、中世においては魔女の烙印を押され、迫害を受けた。
「姉のみならず、かの者の子孫が妹の子孫を見守り続けたのは、ただの自己満足であったのかも知れないけれど、わたくしはあなたのことを娘のように思って見てきたつもりです。
あなたの悲しみを、あなたの努力を、負けまいと歯を食いしばる姿をわたくしはずっと見守ってきたました」
決して押し付けがましくなどない、あるがままの想いが伝わってくる。
すると、私の胸に言いようもない感情が沸き起こった。両親を亡くして以来、失ってしまった激しい感情だ。
私を見てくれていた人がいたー。
事故で両親を失った私を、父方の親戚は経済的な理由や面倒を背負うことを厭って引き取ることを拒んだ。
母方の親戚は遠い異国の地で見たこともなければ、連絡先すら分からない。
私は一人ぼっちで、広い世界に取り残された。そう思って生きてきた。
それなのに、こんな遠い、世界すら違う場所で、私を見守ってくれていた人がいたことを知った。
頬を伝う、温かさに私は戸惑う。両親を失ったあの日、私は泣くまいと決めた。
泣いたら生きていけないと、幼いながら感じたからだ。
「あ‥。なんで、私‥」
戸惑い、うろたえる。
すると、ヒルダが言った。
「良いのですよ。泣いたっていいんです。誰もあなたを咎めたりいたしません」
聖女のような微笑みで笑う。
そんな彼女の姿に私は子供のような泣き声を上げた。堰をきったように涙があとからあとから溢れ出る。
大声で泣きわめく私を、ヒルダさんは黙って見守ってくれた。
まるでお母さんのようだ。
胸の辺りがぽかぽかと暖かくなるのを感じる。
この日、私は確かに生まれ変わった。見た目だけじゃない、心が変化したのだ。
それはまるで凍てついた水面が春の訪れによって、氷の表面がひび割れ、とけだしていく様に似ていた。
私の凍った心は、春の水面のように日差しを受けてゆっくりと流れ始めた。