別れ、そして
私が悲しかった日は、嫌になるくらいに晴天だった。今日だって雲一つない。
こんなにも明るい日差しを浴びていても、私の心は降り止まない、土砂降りの雨のようだった。
《アオー!》
《長、やだよ。置いていかないで》
大樹の根本に精霊達が集まり、そこからやや離れて花畑を囲うようにたくさんの動物達が落ち着かない様子で群がっている。
精霊の森で今、一つの命が終わりを迎えようとしていた。
「アオ…。アオ、私のことが見える?」
昨夜からアオの目が見えなくなった。透き通るような青い瞳は開いていても、その目はもう何もうつしていない。
《ごめ…、なさい。もう、私には見えな、い》
大樹の花の蕾から精霊は生まれ、そして、その根本で精霊は大樹に抱かれながら、無に帰っていく。亡骸は残らない。
精霊にとってこれは「死」ではなく、新たな「生」への回帰なのだ。
皆がそれぞれ想いを込めて摘んだ花に埋もれるようにしてアオがその小さな体を横たえている。
私は、アオのすぐ側で昨夜からずっと見守り続けた。時折、襲ってくる睡魔と戦いながら。
アリーサが何度か横になって眠るようにと促したが断った。
彼女をはじめとする、仲間達も私に付き合って静かに見守ってくれている。
ごめんね。でも、もしも、私が眠っている間にアオが旅立ってしまったらと、気が気でなくて眠ってなどいられなかった。
そう、これは旅立ち。
悲しんだり、嘆いたりすることではない。
「…アオ」
《は、い…。何ですか、ナツキ、さ…ま》
「呼んだだけだから、無理して答えなくていいんだよ」
溢れそうになる涙を堪え、私は笑う。
アオにはもう、見えていなくとも。
《この、世界は美しい…、ですね。薔薇、姫に…、もう一度、見せて…あげたい》
大きな瞳を細め、吐息のような囁き声で呟く。
うん。そうだね。あの怒りんぼでお寝坊さんにも見せてあげたいね。
《ナツ、キ…さ…》
アオが小さな手を私へと伸ばす。
私は間違えなかった。
アオの額に額を寄せる。
信頼の証ー。
私は触れた額を通してアオに私の見る、この世界を見せてあげた。
《あ…ぁ。なん、て綺麗…》
ほうと感嘆の声をあげるアオにもう一つ、
一人の少女の姿を。
真紅の薔薇の花のような、かつて、アオを通して見た薔薇姫の姿をアオへと送った。
《…ー姫…》
誰よりも大切な人。アオが微笑む。
アオの瞳から一滴の涙がこぼれ落ち、そしてー。
キラキラキラキラと、光が泡となって消えるようにアオの体が空気に溶けていった。
《わああああー!長ー!》
《やだよう。いかないでー!》
《いやあぁ!》
精霊達が泣きながら、薔薇姫の代わりに親とも慕った、大切な仲間の旅立ちを見送った。
集まった動物達も切なそうな鳴き声を上げる。
誰もが悲しみ、嘆いているというのに、私はやっぱり泣けなかった。
泣きながら花のしとねに精霊達が仲間と一緒に抱き合って眠りに落ちた頃、私はテントから外へと出た。私の仲間達も眠りについている。
外敵もなく、悪意あるものの侵入を許さない、意思ある森の中で警戒など必要ない。
東領の領主は例外で彼の意であれば、森の守りは開かれるが、レキは敵ではない。盟友となった。
私は一人、大樹の前へと立った。
精霊達とずっと寄り添い、見守ってきたこの樹に抱かれるようにして、アオの魂は眠っているのだろう。
私は何千、何万と生きてきたであろう大樹に身を寄せた。耳を澄ますと、コポコポと地面から大樹が水を吸い上げる音が聞こえてくるようだ。
そんな私の耳に風にのって、小さな声が届いた。
《ナツキ様》
私は振り返る。
「アオ?アオ、どこなの!どこにいるの!」
アオの声だった。もちろん、そんな訳はなく、ただの幻聴だったのだけど、私は狂ったように名前を呼んだ。
そうすれば、再び、会えるかも知れないと一縷の望みを抱いて。
けれど、奇跡なんてそうそう起こらない。
何度も呼び掛け、喉が乾いて疲れはてた頃ー、
私は号泣した。
わああ、わああと、子供が泣き叫ぶように手放しで泣き声を上げた。
会いたい、会いたいよ!
大好きだった両親、大好きだったアオ。
かつて住んでいた地球では、私の大好きは両親だけだった。好きな人はいても、失うのが怖くて、もっと奥の感情までどうしても踏む込めなかった。
この世界に転移してから、私には大好きなものがたくさん増えた。
ヒルダさん、アリーサ。ヴァンにセーラン、ラベルにトール。私の仲間、新しい家族だ。
そして、契約こそ交わさなかったが、アオは私の魂の伴侶と言っても差し支えないくらい、大切な存在だった。
声を上げ、魂がすり減るくらい私は祈った。
会いたい!と。どうか、彼に新しい命を、と。
突如として、私が背を向けていた大樹が夜だというのに、まばゆく光った。
まるで陽の光のように。
妖精達が朝と勘違いして起き出すほどに。
《う、にゅ。朝なの?》
眠たそうに目を擦る。
私は大樹を見上げた。大きく枝を広げた幹と葉。薔薇姫を失ってから、咲くことがなかったという大樹に1つだけ、花の蕾が出来ていた。
純白の、その蕾は私達が固唾を呑んで見守るなか、ゆっくりと開き始めた。
外側は純白であったけれど、内側はうっすらと赤みがかかっていた。
大きな繭のような、その蕾がどんどんと花開く。
そして、満開となった花の中央にくるんと丸まった、精霊が一人いた。
「ーっ!」
私は絶叫しそうな唇を両の手で押さえつける。
新しく誕生した、その人は真紅の髪と薄く透ける赤い羽を持っていた。
私達は彼女ー、そう、新たな薔薇姫が目覚めるのを今か今かと待ち続ける。
ふるると小さな体が震えた。ゆっくりと羽が持ち上がる。
萎れた花が再び生気を取り戻すかのように、よれよれとなった精霊の羽がリンと空気を震わせた。
彼女がゆっくりと起き上がる。
瞼はまだ開かない。
白磁の肌、真紅の髪の毛。いや、生え際に一筋だけ青い色が混じっている。それはアオの色だった。
そうして半身を起こし、彼女の瞳が開いた。
薔薇姫の赤、精霊達の女王が悠久の時を超え、再び、精霊の森へと誕生した。
この日、レーヴェンハルトの魔力が高い者達は、深夜、光輝く命の煌めきを東方から感じ、目を覚ましたという。
薔薇姫が、この世界を光で満たしたのだった。




