気持ち悪い
私とラベルがウダウダやっているうちに、トールがお祖父さんを介して別邸を訪れる許可をもらい、早々に出発が決まった。さすが、私の仲間は仕事が早いね。
「言っておきますけど、グエン様とはお会いできませんよ?」
「分かってるわよ!疑り深いなー」
私は、トールの背を叩く。
「頼みますよ?」
はふう、とため息。
面と向かって会わせて下さいなんて、言うつもりはないよ?
でも、初めての場所で迷ってしまい、偶然、先代と顔を合わせてしまうのは不可抗力だよね?
こうして、嫌がるラベルを引き連れ、妖精の森を後にした。
《いってらっしゃいませ〜。お早いお戻りをお待ちしてます〜》
かわいく見送る妖精さん達に手を振って、別邸のある湖水地方を目指す。今回は騎獣での移動だ。
「わぁっ!」
眼下には大小様々な形の湖が至るところにある、草原地帯が広がっている。
東領の避暑地として、有名らしい。領主の別邸は奥まった一角にあるらしく、しばし、私は空からの遊覧を心から楽しんだ。
別邸というから、もっとこじんまりとした別荘みたいなものを想像していたけど、普通に立派なお屋敷だった。
美女ばかりを揃えていた領主館とはうって変わって、こちらではおじいちゃん、おばあちゃん世代の使用人ばかりだ。
「当家の使用人は、グエン様がご領主をなさっていた頃からお世話にあたっていたものばかりですから」
そう話してくれたのは、侍女頭として領主館で采配を振るったという、上品なおばあちゃんメイドだ。
彼女がティーポットから淹れてくれたのは、体に良いという香草を煎じたもので漢方の味がする。
「多少苦味はあるけど、体には良さそうですね」
四十代も半ばとなると、疲れがとれにくく、お医者さんに勧められた漢方薬を食前に飲むなどしていた私には慣れた風味だ。
しかし、鼻の効く獣人には嫌な匂いらしく、ヴァンなどは鼻をしかめている。
「あらあら、獣人の方には申し訳ないことをしましたね。何分、ここは年寄りと病人ばかりですから、こうした香草や薬草を日常的に使用しておりますから。坊っちゃまにも失礼いたしました」
鼻の上にシワを寄せていたラベルだったが、
「坊っちゃまは止めてくれと何度も言っているよね?」
むっとして、そう言った。
「ご結婚されましたら、旦那様とお呼びいたしますよ?」
てんで相手にされない。聞けば、幼いラベルの世話もしていたとかで、さもありなん。
「けれどこうして、セト様のお見舞いにいらっしゃって下さるなんて、どんなにお喜びになられますでしょう」
セトと言うのが病弱な次男の名前である。領都にいても改善されない体調を考慮して、こちらへと移ってきたのだそうだ。
そして、ここは両親を亡くしたラベルが幼少期を過ごした場所でもある。
「ラベル様が学舎へとお移りになって以来、お手紙を寄越されるだけで一度もお戻りにならず、セト様がどんなにお淋しかったことか」
「それはまあ‥、悪いと思っているよ」
モゴモゴと言い訳する。
「叔父様のことはずっと気にはなっていたけど、ここには‥」
お祖父様がいるから、来たくなかった。
「‥坊っちゃま」
レキといい先代領主といい、ラベルにとって身内は叔父であるセト以外、全員敵だったのかもしれない。
「とにかく、叔父様という人に会わせてくれない?」
お見舞いに来たのは建前ではあるが、キチンと挨拶はしたい。
おばあちゃんメイドさんに連れられ、私達が向かったのは別邸の敷地内にある離れだった。
大勢だと気詰まりだろうから、私とラベルだけだ。お見舞いにと妖精の森特産の蜂蜜を持参している。
「セト様、起きていらっしゃいますか?入ってもよろしゅうございますか?」
控えめに扉をノックし、メイドさんが反応を伺うと、
「どうぞ」
部屋の中から、細い男の人の声が答えた。
「失礼いたしたします。お客様ですよ」
「‥え?」
えって、もしかして私達が来ることを知らなかったの?
「サプライズでございますよ?」
サプライズって、あなた。おばあちゃんの割にはお茶目だな。
「僕に客って、いったいどなた?」
薄いレースの天蓋付きの寝台に半身を起こした男の人がこちらを見ていた。
「え?ラベルか?」
驚愕に見開かれた目がラベルを捉えた途端、隣にいた私は背中がゾワゾワするのを感じた。
うそっ。何これ?気持ちが悪い。まるで全身を毛虫にでも這われたような感触が襲う。
「ラベルなのか?久しぶりぶりだね!」
久しぶりに見た甥っ子の姿に喜びを隠せない。
「叔父上、ご無沙汰しております」
感動的な対面のはずなのに、私は言いようがない不快感に悪寒が押さえられない。
叔父との再会を喜びあっていたラベルであったが、いち早く私の様子が変なのに気付いてくれた。
「ナツキ様、どうかなさいましたか?」
急に声を掛けられ、驚いた私は蜂蜜の瓶が入った籠を取り落としてしまった。衝撃で瓶の蓋が外れてしまい、中身が床の上へと零れた。
「ああ!もったいない」
屈んでから、急いで蓋を閉じる。半分くらい零れてしまった。
妖精の森の蜂蜜は精霊達が花びらを寝床にしているせいか、魔力を持つ極めて貴重な蜂蜜なのだ。
「ごめんなさい、床を汚してしまったわ」
蜂蜜で手がベトベトだ。それに床の上もヒドイ有り様だ。
「あらあら、大変。雑巾をお持ちしますね」
掃除用具を取りに行ってくれたのを待つ間も、いたたまれなかった。初対面の人の寝室を汚すなんて。
私は惨状を見下ろした。穴があったら入りたい!
すると、蜂蜜のこぼれた床の上の、太陽を遮られて影となった箇所が、うぞりと動いたように見えた。
まるで生き物が苦しくて、のたうつように身をくねらせているようだ。そして、瞬く間に消えた。
は?何なの?
それはほんの一瞬の出来事で、私以外、誰も見てもいなかったようだ。
「そんなに気にしないで下さい。叔父上はこんなことで怒るような人ではありませんよ」
「もちろんですよ。折角お見舞いに来て下さったのですから」
二人して慰めてくれるけれど、私の頭に入ってこなかった。
思考は先程見た何かにとらわれていた。そして、それが見間違えではないとはっきりと断言出来る。
何故なら、私の震えが止まったから。さっきの悪寒はアレのせいだ。
アレが何なのか、絶対に突き止めてやると、固く心に決めた。