西領 過去編①
「じゃあ、元気でな」
闊達そうな栗色の髪と瞳を持つ青年が手を振りながら、去って行く。そんな青年と同様に、腰に剣を帯びた兵士達が、続々と少年の目前を通り過ぎる。
ある者は短い別れの言葉を残し、また、ある者は少年の頭を一撫でして。去り際の所作は違えど、等しく言えるのは、全員が少年を残して去って行くという点だ。
歩兵の兵士達の姿が遠ざかっていくなか、最後に、この隊列を統率する指揮官であり、辺境砦の責任者でもあった部隊長が馬上から、少年へと声を掛ける。
「縁があれば、また赴任することもあると思うが、あったとしても、まあ、当分は先になるだろう。お前の年齢がもう少し上であったなら、従卒見習いとして雇うことも出きるのだが、さすがに幼すぎる。かと言って、ここを離れて領都の養護院で過ごすのも辛かろう。
獣人差別は昔ほどではないが、いまだに残っていて、養護院であっても肩身の狭い思いをするのは目に見えている。お前の成長を見守ってやれないことは心残りだが、これはもう、仕方がないことなのだ。すまんな」
壮年の部隊長が、西領に新しく創設された辺境砦に赴任してきたのは、今から十数年前のことだ。その最初の年に、少年は砦の前に捨てられた。
辺境砦との名の通り、周囲に民家はない。海からは魔獣が飛来してくる。戦う術を持たない平民に、この地方に住みたいと思う者がないのは当然で、この辺境砦がたてられるまでは、不毛な無人地帯であった。
それもそのはず、ここは先の『次元の大波』が最初に飛来した場所で、それまで海岸沿いには少なくない数の民家が点在していたが、魔獣に蹂躙され尽くされた。
それ以来、誰一人、住むもののいない土地であったのだが、時の領主によって魔獣対策のために辺境砦が建てられ、数十名の兵士が赴任してきた。
兵士だけでなく、料理人や下働きの者達まで全てが領都から新たに派遣されてきた者達で、彼らにも兵士と同じように任期があった。
「お前が何故、この砦の前に捨てられたのか、今もって謎ではあるが、それもまた、レーヴェナータ様のお導きであったのかも知れん。今は無理でも、そのうちお前は獣人として大きく強くなることだろう。そうなったら、この砦を守護する一員として励むといい」
辺境砦が建てられた年に赴任し、任期を終えて帰還する隊の部隊長として、その人はそう言った。
ジーグは、彼の言葉にコクリと頷く。そんな少年に満足そうな笑みを返し、その人もまた、去って行った。
捨て子であった少年にジーグと言う名前を与え、養育してくれた。ジーグにとって養い親に等しい、その人もこれまで去って行った大勢の砦の仲間達と同様にジーグを置いて、皆、行ってしまった。
砦を守る兵士達を統率する役目を、長年に渡って全うし、彼もまた、家族の待つ領とへと帰る。けれど、辺境砦こそが家であるジーグには、皆のように帰る場所も、待つ人もいない。ただ、去って行く者達を見送ることしか出来ない。
「おい。扉を閉めるぞ、さっさと中に入れ」
「はい」
ジーグにそう声を掛けたのは、今回、残留した兵士の一人だ。任期はまちまちで、大抵が五年、長くて十年だ。彼は今回の帰還の選に、もれた一人だった。
「ふー。さぶ、さぶ。海風は骨身に染みるぜ」
西領は気候が温暖な地域ではあるが、辺境となるとそうもいかない。ましてや、荒ぶる海岸線に建てられた辺境砦となるとなおさらだろう。
「お前は自前の毛皮があるから、いいよなあ。こういう時ばかりは、俺も獣人だぅたら良かったと思うぜ」
ニカッと笑って言う兵士に、ジーグはニッコリと笑い返した。
名付け親は帰ってしまったが、砦には大勢の兵士がおり、全員がジーグの面倒をみてくれていた。
「ま、そう気を落とすなよ。お前も兵士になれば、領都に行くことになる。そうすれば、また会えるさ」
「…そうだね」
ジーグは、そう答えるに留めた。
けれど、ジーグは知っていた。ジーグの周りにいた人達は誰一人として、ジーグを連れて行ってはくれなかったことを。名付け親である、彼ならばと、ほんの少しばかり期待していたが、そうはならなかった。
自分の家はここだ。ここにしか居場所はないのだと、ジーグは改めて悟る。
(ならば、守ろう。僕は大きく強くなって、兵士になる。そして、この砦から去ることなく、ずっとこの場所を、自分の家を守っていこう)
それはジーグの目標となった。そしてまた、願いでもあった。
それからまた、月日は流れて、念願であった兵士の任用試験にジーグは合格した。そして、西領の西領騎士団の一員として、新兵訓練を終えた。
彼の配属先は辺境砦となった。新兵の配属先が辺境砦であることは珍しくもないが、今回は特別だった。
と言うのも、西領騎士団の騎士団団長は誰あろう、ジーグの名付け親で、当時は部隊長であった人だったからだ。彼はジーグのことを覚えていた。辺境砦を去ってからも、新たに赴任する同僚に彼のことをくれぐれも頼むと毎回、依頼していた。
「やはり、決意は変わらないか?お前は優秀だから、俺の配下に欲しいと思っていたのだが」
ジーグとの縁が深く、騎士団団長であるユクスが残念そうな声音で話すのを、ジーグは、
「はい。申し訳ありません」
と、腰を折って謝罪した。
「お前のことはずっと気にかけていたのだ。ただ、我が家は女ばかりで、男の子を連れ帰ると、いらぬ憶測を呼びかねなかったので、連れて帰れなかったのだ」
彼には娘しかおらず、長年、辺境砦に単身で赴任していた男が男の子を連れ帰ると、隠し子であると邪推されかれない。だから、断腸の思いで置いて行くしかなかったのだと、ジーグは騎士の任官を受け、騎士団団長に再会してから、そうと知った。
もちろん、今さらと言う思いもあったが、彼が赴任してくる砦の責任者一人一人に自分のことを頼んでくれていたのは知っていたので、嬉しく思わない訳ではなかった。だが、辺境砦こそが我が家であると言う思いは強く、ジーグはそこ以外で働きたいとはどうしても思えなかったのだ。
「辺境砦は僻地ではあるが、海上からの防衛拠点であり、要となる場所だ。周辺に町や村もないから楽しみや娯楽もこれといってなく、若い兵士の精神を鍛え上げるために毎年、数名ずつ赴任させてはいるが、お前のように剣も魔法の腕も立つ新人を配属させるような場所ではない。お前なら、この先、精進すれば俺の跡を継ぐことだって不可能ではあるまい」
「過分なお褒めの言葉、誠に恐縮です。しかし、私が騎士団団長となることはありえませんでしょう。獣人を疎ましく思う者は無くなりつつあれど、一定数、存在しておりますので」
「まったく、困ったものだ」
ユクスが苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てる。
それは公然の事実であった。レーヴェナータが迫害を受ける魔力を持つ者達のために、このレーヴェンハルトを創造したが、獣人への差別は魔力を持つ者と持たざる者との確執以外で存在していたからだ。自分達と違う、ただ、それたけの理由。魔力の有無以外でも容姿の違いで、人は差別を行うのだ。
「軍部では獣人は人より体力面において優れており、評価されやすいが、それをまた妬む者どもがあることないことを吹聴して、差別が止むことはない」
説得に応じることなく部屋から立ち去るジーグを見送った後、ユクスは自身の側近にそう溢した。
「…仕方がないことなのでしょう。レーヴェンハルト創造から幾千の月日が経過した今もなお、変わらないのですから。地球での迫害を逃れて、皆が平等に平和な世界を築かんと、この地が創造されたはずですのに」
常日頃、ユクスの影となり自身を支えてくれている温厚な側近が珍しく、苛立たし気に唇を噛んでいる。
見た目には普通の人間にしか見えないが、彼もまた、祖父が獣人だったせいで理不尽な差別を被ってきた被害者であった。
そんな側近の思いを、ユクスはどうしてやることも出来ず、己の無力を噛み締める。
「我らが御女神のご意志とは欠けはなれた、な」
そう呟くと、太陽の光が差す窓から空を見上げる。
(我らが女神レーヴェナータ様とその妹君キーラ様が、魔力を持つ者と持たざる者との争いを憂えて、新たな、この世界を創造された。だがしかし、完全な世界など、この世にはどこにも存在しないのかも知れないな)
決して声にはだせない、そんな思いを胸にいだきながら。
今月に入って気付いたのですが、投稿を始めてから、先月で既に4年目に突入していました。
一月一回程度の、まったりのんびり投稿にも関わらず、読んでいただき、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願いします。