幸せとは
ノアのお母さんは、なんて言うか想像と違った。夫を亡くして、泣く泣く子供を手放した、気の毒な女性をイメージしていたのだけれど‥。
「だってねえ。子供だって、あたしみたいな酒場の酌婦に育てられるより、綺麗な養護院で育てられる方がいいでしょうよ」
あっけらかんとしたものだ。
昼時だと迷惑になるだろうからと、時間をずらしてやって来た。店主に断りを入れて、しばし、彼女と話をする時間をもらう。
食堂の隅に席を設け、一般の客を近寄らせないようにと頼んだ。神殿の威光を存分に活用する。
まあ、神殿の騎士とはっきり分かる三人にむやみやたらと近づこうなんて命知らずは滅多にいるものではない。
「あ、けどね。赤ん坊を育てられる環境じゃないのは確か。あたしは夜も働いているから、ね?」
分かるでしょ?と派手な化粧をして、ヴァンに流し目をくれる。
「えーと。つまり、夜のお仕事をしていると?」
私の感覚だとクラブなんかのホステスさんをイメージしたのだが、どうも違うらしい。
「ほらぁ、あんまり大きな声で言えないほう」
ああ、なるほど。食堂兼酒場に二階へと続く階段があり、小さな個室がある。
ふんふん。それで?双方合意の上でそーゆーこともOKだと。
酒場で働く酌婦は納得して、いたしていると。
はあ!?ちょっとー!聖領でそういうこと、やっていい訳?
え?他領だと娼館が軒を連ねる歓楽街がある?聖領にはないって?
「えっと。あなたはそれを納得しているの?」
「もちろん。だって、あたしは旦那に請け出されるまで同じことをやってたんだもん。旦那もあたしの客の一人だったしね」
へ、へぇ。そうなんだー。
「旦那には本当に感謝してるんだ。同じ酌婦でも借金があるのとないのとじゃ、えらい違いがあるもの。
だから、いつかノアを引き取りたいと言ったのもホント。
この仕事もいつまでも出来るもんじゃないし。稼げるうちに稼いでおかないと」
そう言って笑う、彼女に嘘偽りはなさそうだ。
稼ぐ方法がアレだけど。
「もし、私が他の仕事を紹介してあげるって言ったらどうする?」
未亡人となった女性の救済に仕事の斡旋も視野に入れている私は彼女にそう尋ねた。
「多分、そのほうがいいんだろうけど。あたしは学もないし、礼儀作法だって、見ての通りだよ。
さっきからお付きの子があたしを睨んでるのも知ってる。でも、今さら変われないよ」
けど、あたしのためを思って言ってくれたんだよね。ありがとうと言われた。
私は改革だのなんだのと大きなことを言っていた割に、何も決まっていない現状で彼女にどうこう言えない。
「…ノアちゃんに会いに来てもらっていいですか?」
そう言うと、彼女が顔を歪めた。でも、それはほんの一瞬ですぐに笑顔になった。
「やめとく。会いに行っても仕方ないもの」
ごめんね。あたしはこれから夜の支度があるから、これでいいかな?と断ってきたので、これ以上無理は言えなかった。
「今日はありがとう。神殿の人達があたしらみたいな女のことまで気にかけてくれてたって知っただけで、あたしは十分幸せだよ」
そう言って、店の入り口まで見送ってくれた。
私達は店主に礼を言って、店を出た。
店主の中年男性は、それほど悪どい感じはしなかったが、そういう店をやっている人間特有の嫌なニオイがした。
借金がないから楽だと彼女は言っていたが、それを鵜呑みにするほど伊達に年を重ねていないつもりだ。
「彼女みたいな人間は珍しくありません。もっとひどい場所もありますから」
店を出て、しばらくしてからアリーサがそっと呟いた。
「…知ってる」
アリーサが何か言いたそうに口を開きかけたが、結局は何も言わなかった。
所詮、私のやっていることは高い場所から見下ろしているようなものだ。
彼女が最後に言った言葉が、いつまでも私の耳に残った。
十分幸せだと。
そんなのが幸せなら、私がぶち壊してやる。