帰ってこないヴァン
私がヴァンから里帰りの申請を受けたのは、お忍びで東領に行って帰ってから、数週間が過ぎた頃だった。
一緒に連れ帰った新米妖精達は、自分達の暮らし方にそれぞれあった場所で楽しく過ごしている。サシェルは神殿で、ルシェルは騎士舎で、ミシェルは幼稚園で。むろん、羽を持つ妖精なので、色々な所に好き勝手に移動しているが、他人に迷惑をかけない限り、黙認している。
時々、自分達の生活について報告に来るようにとセイラを通して伝えてあるので、神殿にもちょくちょく現れる。報告を聞く限り、自分達の生活を楽しんでいるみたいで何よりである。
「西領にある、ご実家に?」
ソファへと腰掛けた私の対面に座るでもなく、ヴァンは立ったままだ。私の座るソファの後ろに、アリーサが控えている。
「はい。申し訳ありませんが、しばらくの間、お側を離れるご許可をいただきたく」
朝一番で、神殿にある客室での面会を希望したヴァンが、私にそう言って、頭を下げた。
神殿内の私室は男子禁制である。そなため、神殿の礼拝堂付近に客人をもてなすための客室が幾つか用意されている。その一つ、あまり大きくない部屋に私達はいた。
「急なことだけど、何か悪い報せでもあったの?」
実家の家族が病気になったとか、亡くなられたとか。
「…この所、寝付いていた祖父の容態が悪化したと、昨夜、報せが参りまして。遅くであったため、ご報告に上がるのもはばかられ、このような朝早くから申し訳なく」
「まあ、お祖父さんが?それは心配ね。わたしのことはいいから、早く帰ってあげて」
「おそれいります。なるべく早く戻れるようにいたします」
再度、頭を下げる。
「気をつけてね」
私は急ぐようにと、ヴァンに退室を促した。
ヴァンが去っていくのを見届けてから、私は隣で控えていたアリーサに問うた。
「ねえ。ヴァンのお祖父さんって、もしかして、領主一族だよね?」
「もしかしてとは何ですか?ヴァンは、一つ前の西領領主のお孫さんですよ」
あー、やっぱりか。随分と前にそんなことを聞いた気がする。
「西領の現領主の末の妹君が、ヴァンのお母上にあたります。この方が早くに亡くなられたので、ヴァンはご実家に引き取られ、養育されたそうですよ」
「ん?お父さんはどうしたの?奥さんが亡くなったからって、母親の実家に任せるのはどうかと思うけど」
「ご存命ですが、この方は元々、西領騎士団の騎士で身分が低く、そのあたりも関係しているのでは?」
さすがにお家の事情まで踏み込んではいないようで、そのあたりは分からないようだった。
「…お祖父さんに何事もなければいいね」
私は、部屋に一つだけある窓から空を見上げた。空は晴れ渡り、カナンで西領まで飛んで行くのに不都合はないだろう。
そんな風にヴァンを送り出したのだけれど、まさか、そのままヴァンが帰って来なくなるとは、その時は思いもよらなかった。
ヴァンが聖領を離れてから数日後、神殿に西領の先代が亡くなられたと言う訃報が届けられた。
「…そう。残念ね。ヴァンは亡くなられる前に会えたのかな?」
「ぎりぎりですが、間に合ったと思いますよ」
「それならいいけど」
せっかく帰ったのに死に目に会えないなんて、かわいそうだもの。
「私は西領に行ったことがないから、存じあげないのだけれど、先代はどんな人だったの?」
「申し訳ないのですが、私が見習い中に領主を辞された方なので存じ上げないのです」
アリーサも知らないのか。
「あっ!それじゃあ、ピアさんはどうかな?ヒルダさん付きだし、会う機会も多かったんじゃないかな?」
ヒルダさんの側近であるピアレットさんは古参の神官である。レーヴェンハルトの神に等しい、常に忙しいヒルダさんに聞くよりは聞きやすい。
「それなら昼食の席にお招きいたしましょう」
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
私が食事会を催すために押さえた部屋へと入ってくると、先に席に着いていたピアレットが立ち上がり、一部の隙もなく、完璧な所作で丁寧なお辞儀をして見せた。
「こちらこそ、お忙しいのにごめんなさい。急な招待だったけど、ヒルダさんは大丈夫だった?」
私が尋ねると、
「問題ないですよ。今日は、街の有力者と会見を兼ねた昼食会が催される予定で、給仕など、私がいなくても大丈夫ですし。かえって肩がこる席に同席しなくてもいいのでありがたいくらいです」
そう言って、朗らかに笑って見せた。
そっか、良かった。けど、逆にヒルダさんには恨まれそうだな。
アリーサに案内された私が、ピアレットと食卓を囲む。普段は神官用の食堂で食事をとるのが常で、あまり個室のテーブル席を利用することはないのだが、内輪の集まりに使ったりはする。食事の給仕はアリーサで、席につくのは私とピアレットの二人だけだ。
料理が神官見習いらの手でワゴンに乗せて運ばれて来ると、アリーサが段取りよく、テーブルの上へと並べていく。食事中は当たり障りのない近況報告や何やら、お互いに情報提供を行い、食後のお茶の時間になってから、私はおもむろに話を切り出した。
「すでに聞いていると思うけど、私の護衛騎士のヴァンが西領に行ったきり帰ってこないの」
「やはり、その件ですか。私も心配しておりました」
ピアレットが、口をつけた紅茶のカップからソーサラーへとカップを戻すと、私へと心持ち身を乗り出した。
「非常に言いにくのですが、ヒルダ様の出身地である西領の領主家では跡継ぎを巡って争いが起きているそうなのです」
「え?現在の領主が亡くなったのではなく、先代でしょ?なのに跡継ぎって?」
私の頭の中は、完全にクエスチョンマークである。
「…色々と入りくんでいるのてすよ。まず、最初にお伝えしておきますが、先代が亡くなられたことで、現領主には娘が三人いて、男のお子様がいらっしゃらないこともあって、西領領主家の直系の男子がヴァン一人きりとなったのです」
「…はい?」
まるで頭の上に、爆弾が落とされたかのような衝撃発言に目が点となる。
「ヒルダ様が神殿長となり、間を置かず、オーレリア様も北領へと嫁がれました。その時、西領家にはそれなりの数の一族が存在しておりました。
しかし、数十年後に西領を襲った次元の大波によって、人数が激減してしまい、今では北領に次いで、深刻な跡取り不足となったのです」
西領編開始です。まだ、全体の構想がまとまっていので更新は不定期です。今と変わらないですけどね!気長にお付き合い、いただけると嬉しいです。