もう大丈夫
怒髪天を衝くって、ことわざが日本にはあるけれど、まさに今のヴァンがそれ。狼獣人らしく、精悍な顔を覆った毛並みがピンピンと総毛立っている。
「ごめんなさい。私が浅はかだったわ。あなた達に無断で他領に赴くなんて。主として失格でした」
そう言って、私は深々と頭を下げた。あの時は、ヴァン達に断りもなく、無断で出掛けることに何のためらいもなかった。けれど、今は違う。彼らの立場を考えたら、私がやったことは裏切りに等しい。彼の怒りは最もなことだった。
しばらく経ってから、頭を上げて見ると、ヴァンの表情から怒りの部分が薄れ(全く、無くなってはいない。当然だが)、かわりに悲しみの色をたたえていた。
「…あなたに理解出来ますか?相談どころか、何も言ってもらえないまま、置いていかれた我々の気持ちが…」
苦しげに眉根を寄せたヴァンの口から、絞り出すように漏れたのは、そんな言葉だった。それは私が彼らを信頼していない。否、信頼されていなかったことへの深い悲しみが込められていた。
「違う!違うよ!私が、ヴァンを信頼していなかったから、黙って出ていったんじゃない!」
私は、目の前に立つヴァンの両腕を両手で掴んだ。
「私…、北領で結局、オーレリアを死なせてしまって、ヒルダさんに嫌われてしまったのじゃないかって…。そんなことある訳ないのに、自信を失っていたの」
「あれは、あなたのせいでは…」
私はヴァンの顔を真っ直ぐに見ていられなくて、顔を伏せた。
「ええ。誰のせいでもない。代償を払ったのは、本当なら私だったはず。それをオーレリアが肩代わりしてくれたの。それなのに、私はオーレリアに謝ることもセイラに許しをこうことも出来なかった。私がヒルダさんに対して後ろめたいと感じるのは、きっとそのせいね」
私は、一息吸い込んでから、ヴァンの腕を握る力をほんの少し強めた。
「私、自分が選択した道を後悔なんてしていないよ。誰かが、やらなければならなかったことだもの。それがたまたま、私やオーレリアのいた、この時代だっただけ。私達がやらなければ、もしかしたら、セイラがその役目を果たすことになったかも知れない。あの子はそう言う子だもの」
私は顔を上げ、ヴァンの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「私は、私達は長い間、北領の民を苦しめていた呪いを打ち破った。後悔や、ましてや罪悪感を持つなんて、傲慢な思い上がりだわ。オーレリアも決して後悔なんてしていないはずよ。そうと納得出来るまで、随分とかかってしまったけどね。
だから、私はヒルダさんと対峙することから逃げるのではなく、直接、話をしようと思う」
言葉にすることで、ようやく、私は向き合う覚悟が出来たようだ。そうした決意が込もった言葉に、ヴァンが大きく目を見開いてから柔らかく微笑んでくれた。
「ああ。お前なら、どんなに迷おうとも、きっと、そう言うと思っていた」
そんなヴァンの表情と声に、私の動悸が大きく跳ね上がる。
いや、いや、いや。そんな顔するなんて、心臓に悪すぎる!ヴァンは、自分が精悍さの漂う美獣人?だと言う自覚をもっともつべきだわ。
すーはーと、心のなかで何度か深呼吸をしてから、私はヴァンの腕から手を離した。
「ところで東領にはヴァン一人だけで来たの?」
心の安寧のために、話題を変える。
「いや。残りの二人も一緒だ。ただ、領主館でおま…、あなたがこちらだと聞いて、飛んできた」
文字通り、鷹の騎獣に乗って飛んできた。
「あー!ナツキ様だ!って、隊長も!一人で抜け駆けなんてひどいですよ!」
賑やかな声のする方向を見ると、ラベルがセーランと共に花園の入り口付近に立っていた。
「妖精の森を騎獣で駆けるのは、本来、禁止されているんですからね!」
そう言う、ラベル達は徒歩でやって来たようだ。
「ぐ…。すまん」
「ホントですよ。東領の領主に嫌味を言われた俺の気持ちが理解出来ますか?」
「申し訳なかった」
ヴァンは上官だが、部下にも頭を下げることの出来る、出来た上官だ。
東領領主であるレキとラベルは叔父、甥の関係である。数年前までほとんど絶縁状態だったため、いまだに関係性が不確かなのだ。
「ホンット、あの人は嫌味たらしいと言うか、なんと言うか。こっちは大変なんですよ!」
「あら、何よ。レキから嫌味を言われたの?」
「ええ、まあ…」
私が問うと、ラペルが途端に口ごもった。
これは私に関する嫌味だなと察した私は、ラベルを問い詰める。
「で?何て言われたの?」
私の放つ、静かな圧力にラベルは最初は抵抗していたが、渋々、屈した。
「…そのう。聖領の巫女姫と言えば、神殿の奥深く、ひっそりとお暮らしなのが常。しかしながら、今代は随分と勝手が違うようだ、そなたらも自由気ままな主を持つと気の毒だな、と」
ムカつくー!レキってば、自分が嫌味たらしくて陰険なのを棚に置いてさ。ちょっと丸くなったかなーって、思ったのは間違いだった。
「ふ、ふふん。言いたい人には言わせておけばいいわ」
《ナツキ様。領主様と仲が悪いの?》
ちょっとぽっちゃりとした男の子の妖精が、心配そうな顔で私の服の袖を引っ張った。
基本的に妖精は人間の世界に関心がない。しかし、自分達の住む森が東領にあることから、東領の人間に好意的である。むろん、領主を含む。
「悪くはないわよ、悪くは!ちょっと方向性が違うと言うか、性格が合わないんだろうね」
慌てて、私は言い繕った。
《本当に?》
「もちろん!」
悪くはないのは本当。でも、到底、友人とかそんな風に仲良くは…、なれないだろうなあ。
《良かったねえ。薔薇姫様の魂の伴侶であるナツキ様に嫌われている人と契約なんか出来ないもんね?》
《あ!もうー!内緒にしてって言っただろー》
ほうほう。このぽっちゃり君は、レキと契約したいと思っている訳ね?
いや、まー。領主としても優秀だし、見た目も悪くないもんね。正体を知ったりしていなければ、私だって、うっとりしたかも知れない。
けど、知った今となっては。うん。ないね。
「まあまあ。妖精と人が仲良くなるのはいいことだよ。頑張って!」
《《《はあ~い》》》
私の言葉に、たくさんの妖精達から返事が返ってきた。
かつての薔薇姫がいた頃のように、このレーヴェンハルトのあちこちで、妖精の姿が目撃されるのも、そう遠くない未来なのかも知れない。
それは新しい時代の幕開けとも言え、私は、この世界がもっとずっと優しい世界になる予感めいたものを感じるのだった。
お盆休み、いかがお過ごしですか?今日は続きを書いてみました。今月中にもう一話、更新出来たらいいなーって思ってます。