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異世界でもふっと婚活  作者: NAGI
第四章 北領編
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ヒルダ・追憶編①

当日の執務を滞りなく終えたヒルダは、一人、誰もいない神殿の最上階へと続く階段を昇っていた。そこは神殿の祈りの間以外で、真の意味で、一人になって考えられる場所だった。

寝所の前には見えなくても、扉の向こう側に不寝番の姿があったし、執務室では秘書や誰彼が常に側にいた。

そして、何よりも大事なのは、祈りの間にいる時のヒルダは、ヒルダ個人としてでなく、レーヴェンハルトを支える神殿長である。ただの一人の女として、息をつける場所は希少だ。この先には腹心の秘書も愛する騎士団長も、そして、今では己の半身のような存在であるナツキすら入ったことはない。


長い階段を昇った先に神殿の最上部、神殿長の秘密の部屋があった。ここに入るには魔力の登録がされてある鍵が必要で、歴代の神殿長が次代へと繋いでいった。

神殿長とは孤独なものだ。それは王国を維持する国王と似た、いや、もっと過酷なものかも知れない。何故なら、彼女らの意思一つで、この世界を終わらせることさえ出来るからだ。

だからこそ、神殿長に個人の意思などいらない。感情を持たない人形だったなら、どんなにか良かっただろう。そうすれば、今、この胸を占める痛みに苦しめられることもなかっだろう。


ヒルダは身長の二倍ほどある扉の鍵穴に手にした鍵を差し込んだ。すると、扉の一面に魔法陣が浮かび上がり、扉がゆっくりと開いた。そこには豪奢な家具も芸術品もない。ただ、何の変哲もない白い空間が広がっていた。だが、たった一つ、体を横たえることが可能な長椅子が1つだけポツンと置かれていた。


ヒルダが母親から受け継いだ、この部屋に最初は何もなかった。母親は、「私が死んだら、あなたの好きに使ったらいい」と言い、この部屋の鍵の在り方を教えてくれた。

最初、この部屋を使うことに何の意味があるのかと疑問に思うばかりだった。次代の神殿長に任命されたばかりの頃、神殿長としての責務が恐ろしく、しかし、何よりも誇らしかった。

次いで「神殿長であることが辛くなったら、使用したらよい」と、言った母親の真意には首を傾げるばかりだった。

だが、神殿長としての務めを果たしていくうちに、この部屋の有り難さが見に染みるようになった。


己の役割も、そして、時間も気にすることなく、真っ白な頭でいられることの、何と贅沢なことだろう。だが、このことは誰にも秘密だ。世界を支える神殿長が、自身の役目に膿むだなんて、誰にも知られてはならない。

ここは神殿のある世界とは、次元が違う。それ故に時間もない。だから、時間など気にせずに寛くことも出来るのだ。


いつもならば、長椅子に横たわって、心ゆくまで安寧を貪るのだが、今日は違う。

ヒルダは白い空間を己の魔力で満たし、跳んだ。そう、転移したのだ。聖領の中ならば、ヒルダはどこにでも行けた。しかし、滅多に使用することはない。多くの魔力を消費するためだ。不測の事態に備えて、いつでも万全の体調でいること、それも自身の務めである。

彼女が訪れたのは、聖領にある草原であった。神殿長候補として互いに競い合う前、姉であるヒルダとよく訪れた場所だ。


幼い頃に見た、色とりどりの花で一面を覆い尽くしていた草原は、今はもう、晩秋に近い季節で咲いている花も限られていた。

ヒルダはそんな数少ない花を自らの手で摘んだ。そして、両手で抱えられるほどになったそれを草原の端まで歩いて行って空へと放り投げる。すると、花々は谷を吹き抜ける強風にあおられて飛んでいった。


 それは遠い北領の地で、何一つ残さず、光となって逝ってしまった姉への手向けの花であった。


風に乗って飛んでいく花を見つめながら、ヒルダは声を出さずに泣いた。黄昏時、遠くまで見渡せる地上が暁に照らされるなか、神殿長としてではなく、ただ一人の人間として姉を思った。


お姉様、あなたはやはり、わたくしの生涯で最も手強かった好敵手であり、そして、一人の人間として尊敬出来るお姉様でした。


ヒルダは瞼を閉じた。すると、頭のなかでくっきりと姉のことがまざまざと思い出された。それは楽しくもあり、そして、悲しくもあった。遠い過去の記憶だ。それは世界を支える神殿長を母親にもった姉妹が、決して避けては通れない道でもあった。


 二人は物事付いた頃既に、聖領で生活していた。神殿長であった母親は、多くの夫を持つことが許される立場であったが、長く姉妹の父親一人を夫とし、多くの子供を産んだ。

だが、その関係は決して甘やかな関係ではなかった。彼女らの母親にとって、子供を残すことは神殿長である自分の義務であり責務であったからだ。

それは夫である父親が一番よく知っていた。父親は西領の領主一族で、母親とはいとこにあたる。普段、父親は西領で生活しており、年に数回、ここを訪れると姉妹の顔を見にやって来た。


「やあ。私のお姫様達のご機嫌はいかがかな?」

「きゃー!お父様、いらっしゃい」

屋敷の一室で、一人、お人形遊びをしていたヒルダは、父親の大きく広げた胸の中へと飛び込んだ。父親はそんなヒルダの体を易々と持ち上げる。

ヒルダは、年に数回、ひょっこりと現れる父親のことが大好きだった。

「お父様、今度は長くいられるの?」

「そうだね。いつもよりは長くいられると思うよ」

赤みがかった栗色の髪と瞳を持ち、青年と呼んでも差し支えないような若々しい外見を持つ父親が、幼い娘に優しく笑んだ。

「あれ?オーレリアはどこかな?一緒に遊ばないの?」

ヒルダは途端、しゅんとなって頭を左右に振った。

「お姉様は最近、お勉強ばかりでちっとも一緒に遊んでくださらないの」

「あー、そうか」

父親には思い当たるフシがあったのか、困ったような顔をした。

「なるほど、なるほど。オーレリアは次代様を目指して勉強中か」

「次代様って?」

ヒルダがキョトンと父親の顔を見返した。

「うん、そうだね。ヒルダにもお話しておこうか」

そう言って、ヒルダを抱えたまま、ソファまで移動した。父親はソファに座ると、自分の膝の上に横抱きにしてヒルダを座らせた。

すると、部屋の片隅に控えていた侍女達がさっとお茶とお菓子を並べた。父親は彼女らに目配せすると、侍女達が部屋から退室していった。


 部屋の中には父親とヒルダの二人きりとなった。それもヒルダには嬉しいことであった。まるで父親を一人占めしているような、そんな嬉しさでウキウキと両足をバタバタさせる。

父親はそんな娘の心情が分かってか、さらに笑みを深めた。だが、ヒルダは気付かなかった。優しい父親の笑んだ顔が痩せて青ざめていたことに。

それがどういうことか知ったのは、このすぐあとのことだ。ヒルダに神殿長である母親のことや聖領のことなどを語り聞かせた父親が、西領へと戻ってすぐに亡くなったと知らされた。聖領を訪れたのは、自分の体が病に蝕まれ、もはや助からないと知ったため、自分の妻と娘達に別れを告げに来たのだと理解するには、当時のヒルダは幼すぎた。

だが、父親との最後の一時はヒルダの心に今でも残る、優しい思い出だ。そして、姉との優しい関係が壊れたのも、父親が亡くなって少し経ってからのことだった。


ヒルダは神官見習いとして神殿へと入った。この数年前に姉が神殿入りしていた。神殿長を目指すにも、最初は神官見習いから始めるのだ。

当時、神殿には神殿長を目指す見習いがヒルダの他に数名いた。だが、次代の神殿長として有力なのは姉のオーレリアの他に、北領の領主一族であるミリアがいた。神殿に入ったヒルダの先輩として世話を焼いてくれたミリアは、神殿長になる気はないと早々に打ち明けてくれていた。


「だってねえ。何と言っても、神殿長様の血を継いでいらっしゃる、あなた達姉妹の方が断然有利じゃない?神殿長になるために必要とされるのは魔力の高さだもの」

北領の初代領主は、始祖様であるレーヴェナータ様のご長男である。統治するのが難しい領地を、男子のうちで最も魔力の強かった長子に治めるよう、強大な力を持つ宝剣とともに送り出した。故に四つの領地のうち、北領の領主家からは高い魔力を持つ者が多く輩出されている。

「え?でも、ミリア様の魔力もお高いと聞いていますけど…」

魔力の高さは目には見えるものではないが、高低は魔力を行使すれば、誰にでも分かる。

「あら?もちろん、私も低くはなくってよ?けれど、オーレリア様に比べたら、ねえ?」

ミリアとは同期にあたる姉のオーレリアは、見習いの中でも群を抜いていた。

「魔力はもちろんのこと、その美貌、知力においても抜群だもの。私はとうの昔に敗北を宣言いたしました」

そんな風に面白おかしく話してくれるのに、ヒルダはただ面食らうのみだ。

「でも、まだ見習いですもの。ミリア様も、そのうち魔力が伸びるはずですわ」

ヒルダはもちろん、ミリアもまだ子供だ。成人してしばらくすれば、魔力は頭打ちになるらしいが、成人前ならば、努力すれば魔力は伸ばせる。ヒルダはそう言った。

「ヒルダは真面目なのねえ。もう少し、肩の力を抜いた方がよくってよ。神殿長たるもの、もっと視野を広くしないと」

そうして、ポンと肩を叩かれた。何だか、肩透かしを食らったようでヒルダは釈然としなかったが、後年、ミリアの言葉の意味が理解出来るようになると、彼女は本当に聡い人なのだと改めて理解した。

オーレリアと自分の違いは、そこにあったと言っても過言ではない。


 神殿長の名を持つ者は、たった一人きりだけれど、一人では何も成し遂げられないと知らなければならない。


この頃のヒルダにはまだよく分かっていなかった。神殿で仕えるということ、神殿長のこと、ましてや、レーヴェンハルトを世界を支えることの意味を。ただ、決められたレールの上を歩いているに過ぎなかった。

そんなヒルダに、ある一つの転機となる出来事が起こる。長じて後に、自身が深く関わることになるとは思ってもいなかった出来事が。


その日も、いつもと同じ、何の変哲もない一日が始まり、終わろうとしていた。神官見習い改め、神殿長見習いとなったヒルダの仕事は、母親に付いて、神殿長の務めを学ぶことと言っていい。

その頃になると神殿長の候補は、姉のオーレリアとヒルダの二人に絞られており、交互に母親の執務室で執務の補佐を行っていた。今日はヒルダの番であった。

端から見ていても、その務めが激務であり、身体的にもまた、精神的にも心の負担は計り知れなかった。だが、母親が神殿長の務めに不平不満を漏らすこともなければ、疲れたと愚痴をいったこともない。己の務めに真摯に向き合う姿は、尊敬出来るが、どこか遠かった。


そんな母親の顔に初めて動揺が見られた。そして、その時、ただ一度きりのことだった。それは北領からもたらされた、一通の手紙であった。


  母親の執務室で自身も執務をとっていたヒルダは、「はい」と、扉を叩く音に返事を返した。

「失礼いたします」

そうして、入室してきたのは神官だけではない。一人の壮年の騎士を伴っていた。母親と同じ年の頃だろうか、ヒルダには見覚えはなった。

「あなたは…!」

母親のペンが机の上に転がった。

「お久しぶりでございます」

騎士は母親の前に片膝をつき、騎士団の礼をとった。男のマントは薄汚れ、鎧も年代ものなのか、いささか輝きが鈍い。しかし、手入れはよくされているようだった。

「本当に…。よく、来てくれました」

母親が応える声が小さく震えていた。しかし、男はそれには気付かない振りをして、懐から大事そうに一通の手紙を取り出すと、両手で捧げ持つようにして、母親へと掲げて見せた。

「あれの…、妻が神殿長様にあてた最後の手紙です」

その言葉に母親の顔が蒼白となった。そんな顔、ヒルダは、ただの一度も見たことはなかった。父親が亡くなった時でさえ、母親は動揺しなかったと言うのに。

まるで自分の半身を失ったかのような、そんな喪失感を母親の表情はたたえていた。


(一体、誰なんだろう?この人の妻だと言うことだけれど、私は、この方すら知らない)

ヒルダは母親の白い顔を横合いからそっと眺めた。好奇心は身を滅ぼす―、それは、神殿長が守らなければならない戒めの一つだ。

「そう…ですか。あの子は苦しまずに逝けましたか?」

「ええ。病弱であったのは元からですが、あれは孫や大勢の仲間達に見守られて、幸せそうでした」

「そう…」

「つきましては、長年のご温情によって拝命しておりました騎士の座を返上させていただきたく、こうして私自ら、こちらへと参りました」

「それは…。そなたにはよくしてもらいました。このまま、聖領の騎士としていてくれても構わないのですよ?」

「いいえ。私は、とうに騎士とは言えない立場の者でしたが、妻が生きている間は彼女を守るために必要でした。しかし、その名分も失せてしまいました。ですから、どうか、お聞きいれくださいますようお願いいたします」

男が頭を垂れるのを、母親は少しだけ悲しそうに見つめたが、すぐに了承した。

「では、こちらをお返しいたします」

男が腰に提げた剣を差し出したのを、

「いいえ。それは受けとる訳には参りません。その剣は、わたくしがそなたにあの子を守るようにと託したもの。あの子が亡くなったとしても、それは永久にそなただけのものです」

と、きっぱりと断った。

男はそれに対して、

「…感謝いたします」

と、ゆっくりと頭を下げる。


それから、すぐに男は退出していった。母親が騎士団の方に顔を出しては?と告げるも、自分はもはや騎士ではありませんと、男は断った。

そうして去っていく男の背中を、母親が見送った。それからすぐに、娘にこう告げた。

「わたくしはこれから部屋に籠ります。あとは頼みましたよ」

部屋とは、神殿長の隠し部屋のことだ。

「承知いたしました」

ヒルダは母親が部屋から出て行ったあと、すぐに行動を開始した。

そう、先程の男の後を追ったのだ。自身の守護騎士にさえ伝えず、ヒルダは神殿の外へと出た。

すると、拍子抜けするほど、男はあっけなく見つかった。

「やあ。あなたが追って来ると思ってましたが、本当にそうするとは思いませんでした」

と、何やら矛盾する言葉をヒルダに投げ掛けた。

「あちらは、まだ使えたはずですが…」

そう言って、ヒルダを神殿から程近い場所へと案内してくれた。


 そこは結界が施された、小さなあずまやだった。

「ここでよく、神殿長と妻は二人で語り合っていたものです」

懐かしそうな色をたたえ、男はあずまやを見上げた。しかし、それは一瞬で直ぐさま、ヒルダの方へと向き直った。

「それで?あなたは、何が知りたいのですか?」

雪焼けだろうか、浅黒い肌をした男がヒルダを見て、不敵に笑う。

ヒルダは内心、男の纏う覇気のようなものを感じていた。

(まるで彼は、自分の領地を持つ領主のようだわ)

ヒルダは、男から四人いる領主と似た匂いを嗅ぎとっていた。だが、そう思っていることを気取らせないように虚勢を張りながら、

「そうね。まずはあなたが誰なのか教えて下さる?」

と、男の名を尋ねた。

「北領に留まると決めた時に、親からもらった名は捨てました。皆からは別の名で呼ばれてますが、あなたにはそう。ナタクと、そう呼んでいただけますか?」

「ナタク…ですか?」

ヒルダが口のなかで、そう呟く。

すると、男は小さな子供を見るような目付きで、ヒルダのことを見つめ返した。





一つの章にするか、まだ迷ってます。数話で終わるようなら幕間としますが、作者なのに未定です。すいません。


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