光は彼方へ
「な、何であなたがここに?」
予想だにしなかった人物の登場に、驚きよりも戸惑ってしまった。
「何故ですって?北領の家宝をおいそれと渡すとでも?むろん、監視が必要でしょうに」
「監視?わざわざ、あなた自ら?」
「レーヴェンハルト創造初期から伝わる、由緒正しい初代の剣ですのよ。これくらい当然です」
そう当たり前のように言うが、
「で、でも…」
と、納得出来ないでいる私に、オーレリアは氷点下級の冷たい視線を投げて寄こした。
「全く。そのような些末なことを考えている余裕があるのかしら?セアラ相手ならば、あなたにも余裕があったでしょうが、わたくし相手に余裕などあって?」
小馬鹿にしたように顎をくいと上げる。
「え?ちょ、ちょっと!」
確かにオーレリアの指摘正しかった。つい先程まで、セアラの方が私より魔力が劣っていたために生じていた偏りが、今度は一気に私の方に!
「くっ」
負けない!私は、改めて魔法陣へと意識を集中させた。すると、力の均衡が保てなかったセアラと二人だった時に揺らいでいた線が、くっきりとした光の線を描き始めた。
それはとても綺麗な光景であった。まるでキラキラとした星屑が、その輝きを放つかのような―。
私は、頭上に燦然と輝き始めた魔法陣が描く軌跡に、感嘆の吐息を吐いた。
自身の魔力を根こそぎ奪われるような感覚に恐怖していたのが嘘のような、とても神秘的で綺麗な光景であった。
セアラも同様に感じていたようだ。
「わ、あ…」
思わずといった風に、ため息をついた。
と同時に、背中に暖かさを感じた。その温もりは、長じてから、ついぞ感じることのなかった母親の体温であった。
こんな時なのに。私は、それを嬉しく思っている。
セアラは、そんな自身を恥じ入った。
しかし、母親はやはり、いつもの母親であった。
「セアラ、あなたも集中なさい。初代様の剣を持つのは、他でもないあなたなのよ。わたくしは、ただ、魔力を補助しているに過ぎないのよ」
普段と同じ、叱責にはっと我にかえる。
「は、はい!申し訳ありません」
母親の言葉に、セアラは己の役目を思い出す。
(これは私が果たすべき務めなのだ)
そう、己を叱咤する。
領主家に生まれた者として、幼い頃から、魔力の扱いの基本は修めていた。しかし、創造の魔法は守備範囲外である。これは聖領の神官長となるべき者が修めるべき魔法である。
本来ならば、私には分不相応なものだ。
「…あなたが何を考えているのか、わたくしには手に取るように理解出来ます。あなたが望むならば、神官長見習いとして聖領へと赴くとよいでしょう。
そもそも、わたくしに止める権利はないのですよ」
セアラの頭上で、そう母親は、低く囁いた。
「私は…。私は、神官長を目指してはおりません。私の目標は、この北領をかつてのように、東、西、南の三つの領主家と肩を並べられるような領地へと変えること。そのために、私は、領主であるお兄様をお助けするつもりです」
「…そう」
それはオーレリアの予想に反した答えだった。
(娘の揺るぎのない意思の強さは、かつてのわたくしにはなかったものだ)
オーレリアは思う。自分と違って、己の信念に従って生きる娘の姿は、何と尊いことか。
神官長の娘として生まれたが故に、自身もまた神官長になるべく、何一つ疑わなかった。
その夢が破れた時、わたくしには何も残らなかった。何故ならば、本来、あるはずの自分の意志がそこにはなかったからだ。
言われるがまま、流されるがまま、生きてきた。そして、この北領の地まで流された。
嫁いでなお、わたくしの心は空虚で頑なであった。義理の両親はもちろんのこと、夫にも心を許さない日々。
そして、それをさらに決定付けたのは、長子の誕生であった。生まれた時から、体内の魔力不足により、レーヴェンハルトで育つための器を持ち得なかった息子は、体は育てど、真の意味で大人になれなかった。
その子を守るために自分は罪を重ねてきた。
オーレリアは、息子にばかり目を配り、目の前にいる娘が見えていなかったことに悔いた。
(ああ…。もう少し早く、それに気付いていたら…。そうすれば、わたくしは、もっとこの子に色々としてあげることが出来たのに)
オーレリアの人生は悔いばかりだった。しかし、この場にこうして立つことが出来たのは、自分自身を褒めてあげたい気持ちで一杯であった。
創造の魔法陣を完成させつつある横では、違う死闘が繰り広げられていた。
「ぐうっ!」
ヴァンが亡者の攻撃を受け止めきれず、後方へと吹き飛ばされた。
「隊長!ご無事ですか!」
ラベルが敵から目を離さず、後へと声を掛ける。
「ああ。俺のことは気にせず、目の前の敵に集中しろ」
「はい!」
剣を支えにするようにして、ヴァンが起き上がる。
(くそ。あばら骨を少しやったようだな)
ズキンと左脇に刺すような痛みを感じたが、そんなものは些細なことだ。
ヴァンは、創造の魔法陣を宙空に展開しているナツキの姿に目を遣る。
オーレリアが現れたことには驚いたが、彼女が参加することで、光の線が安定した魔法陣は、とても美しかった。
そして、それを己が生涯、ただ一人と定めた主であるナツキが行っていることに誇らしさが募る。
(思えば、彼女との最初の出会いから随分と経ったものだ)
出会い頭、何とナツキは全裸であった。騎士として、極力見ないように務めたが、それでも視界にうつるものは致し方ない。とても他人には聞かせられない、衝撃的な出会い方であった。
地球―。それは元々、このレーヴェンハルトがあった場所だ。そして、ナツキはそこから転移してきた。
右も左も分からぬまま、彼女は時に傷付き、苦しみながらも、いつだって笑っていた。
ヴァンと自分の名を呼ぶ、ナツキの声が好きだ。守護騎士として一線を引こうとする自分に、ナツキは他人行儀だとふくれる。
少女の容姿のくせに、時折、大人の女性のような素振りを見せる。それでも根本は同じだ。誰にでも親切で、向こう見ずな、愛すべき唯一。
そんな彼女が精神を削るように魔力を行使している。ヒルダ様を間近に見てきたからこそ分かる。魔力は無限ではない。
それでも己の持てる全てでもって、この世界を愛するのがレーヴェナータの血筋だ。
そして、今世の巫女は歴代の巫女達と違って、ヒルダ様と同じ様に、この世界を、そして、そこに住まう人々を愛する。
時に、命すら危険にさらしながら。
だがもちろん、そんなのは絶対に駄目だ。我々、守護騎士は彼女を守るために存在しているのだから、彼女が心置きなく魔法を行使出来るよう、全力を尽くす。
「セーラン、ラベル!」
ヴァンが二人の名を呼ぶ。彼らは軽く頷いた。
(言葉にしなくても分かりあえるというのは、いいものだ)
ヴァンが己の持つ剣に全ての魔力を注ぎ込む。それに二人も習った。
俺達が守っているのは、希望であり未来だ!
そんな思いを胸にヴァン達、三人が渾身の攻撃を仕掛けた頃、ナツキ達もまた、ほぼ同時に魔法陣を完成させつつあった。
「ああっ!」
身体中の魔力が吸いとられ、指先が冷たく凍ったような感覚に思わず、声が漏れる。
未熟なセアラを支えるオーレリアの表情も辛そうだ。
けれど、魔力を途切れさせる訳にはいかない。魔法陣の完成まで、もう少し。
そして、それは起こった。三人が力を合わせて完成させた魔法陣が、一キロ四方にまで大きく広がり、世界を照らす。それは闇夜に浮かんだ星屑のような景色が一変し、まるで闇夜を切り裂き、突如として現れた太陽のような輝きであった。
それは全てを浄化する輝きであった。
『ぎゃあああああああああ!』
おぞましい亡者へと姿をかえ、ヴァン達と交戦していたそれは、ヴァン達三人の渾身の攻撃を浴びて弱った直後に目映いばかりの魔法陣の光を浴び、まるで砂塵が風によって散るように消失していった。
そして、それが消滅した後に無数の光の玉のようなものが出現した。
「ここはどこ?」
「私達、どうなったの?」
「子供達はどこかしら」
「お母さん、お父さん!」
大人達の困惑や子供達が親を呼ぶ声、そんな無数の声がそこかしこから聞こえてきた。
かつて旧領都が滅んだ際、巻き添えとなった人々だろうか。
「あれ?俺達、どうしたんだ?」
「何だか急に眠くなったまでは覚えてるんだが…」
「おい!皆、いるか!」
領都が滅び、呪われた地となってから、己の力を過信して踏み込んだ冒険者達だろうか。
辺りを覆っていた闇が、かき消され、次に現れた不思議な光景を前に、私は、力が抜けるかのようにガクッと膝を地面についた。両足が震えて、立っていられなかったせいだ。
セアラはと見れば、オーレリアの腕の中で眠っているように見えた。
オーレリアがセアラを抱き寄せ、まるで慈しむかのような視線を注いでいた。
「良かった…。二人とも、無事…」
突如、ドクンと心臓が早鐘をうち、言葉が途切れた。
ドクン、ドクンと心臓が締め付けられるように痛む。私はたまらず、右手で胸元をかしむしる。
「あ、ぐうっ」
痛みで呼吸すら覚束ない程だ。
「ナツキ!」
切羽詰まった声で私の名を呼びながら、ヴァンが駆け寄り、私を抱き寄せた。
「ふ、ううっ」
ヴァンの腕の中で、私はもがき続ける。
「く、苦しいよ。ヴァン、助けて…」
苦しい息のもと、私は彼に助けを求めた。
「隊長、これをナツキ様に」
セーランが永珠の実で作った薬が入った小瓶を差し出したのを、ヴァンが受けとる。
「さあ、これを飲むんだ。そうすれば、すぐに良くなる」
そんな彼にむかって、オーレリアが非情な言葉を投げ掛けた。
「無駄よ。どんな薬だろうとその痛みを癒すことは出来ないわ」
「何だと!それはどういう意味だ?こんな風にナツキが苦しむ原因を知っているのか」
本当の狼のように激し、咆哮するヴァンへとオーレリアは哀れみの視線を投げた。
「無知は罪であると知らないのね」
彼女はそう言い放つ。そして、腕の中のセアラへと寸時、視線を落とした。名残惜しそうに、そっとその体を地面へと横たえる。
それから、ヴァンの側へとやって来た。
「初代様の剣は諸刃の剣。空間どころか次元さえ切り裂く、レーヴェナータ様の使う創造の力とは真逆の、相反する力。それを扱う者は代償として、命を落とすと言われているわ」
「なっ!」
ヴァンの顔が蒼白となった。
「あなたはそうと知って、初代の剣をナツキに渡したのか!」
「ええ。北領家に代々伝わる、この剣とともに、その恐ろしさも伝えられてきたのだから」
「ならば、何故…。どうして、あなた方は何ともないんだ?同じ初代の剣を扱った者同士だろう?」
「それは私達が二人だったからよ。この度の魔法はおそらく、レーヴェナータとキーラの血を引く、それぞれに等分の負荷をかけたものであったはず。
それをわたくしがセアラが受けとるはずの負荷を補ったから…」
「そんな…」
ヴァンの腕に力がこめられる。そこでは私が苦しさから呻いていた。
ラベルもまた、すぐ側から覗き込んでいた。
「ナツキ様!しっかり!」
「効果は分からないが、とにかく薬は飲ませよう」
セーランにそう促されたヴァンが、私の口へと薬を含ませた。
しかし、効果はあまり見られなかった。私の苦しみは、いや増すばかりだ。
そんな三人を、オーレリアは冷めた心で眺める。
(こんな風に、わたくしのことを思ってくれる臣下…、いえ、仲間がわたくしにはいたかしら?)
宰相のザキはそれに近いが、彼はあくまで臣下である。彼らから感じる主従の絆とは、また違っているような気がする。
「ナツキ!しっかりするんだ!」
狼の獣獣人が必死な声を上げた。
「ナツキ様ぁ!」
犬の獣人が泣きながら、消えつつある己が主の名を呼び続ける。
美しい翼人は無言であった。しかし、その顔を見れば、心中に渦巻く焦りがわかりそうなものだ。
彼ら三人は、彼らの中心にいて苦しむ主に為す術がない。ただ、無為に時間だけが過ぎていく。
(彼らのような結びつきが羨ましいと思うのは、わたくしのエゴでしかないのでしょうね)
何故なら、わたくし自身がそう望まなかったから。それでも羨ましく思うくらいは、許されるだろう。
オーレリアは、感慨から意識を切り離すと、三人の騎士から守られるナツキへと、その白い指先を伸ばした。
「何を…」
オーレリアの意図が分からず、ヴァンが警戒したように私の体を庇うようにした。
「安心なさい。悪いようにはしないから」
そうして、オーレリアが私の心臓の上へと手のひらをかざした。
すると嘘のようにすっと痛みが和らいだ。
「私に、なに…を、したの?」
呼吸が楽になり、痛みが少しずつ引いていく。私は、真正面にあるオーレリアの美しい顔を見返して、そう問い掛けた。
こんな時だけど、本当に綺麗だわ。何というか、透けるような美しさ?
「セアラに負担を掛けないように、わたくしも魔力の大半を使いきってしまったわ。見た目はともかく、わたくしの寿命の大半が削られてしまったでしょうね」
「え…?」
「これはあなたのためなんかじゃない。ましてや、妹の…、ヒルダのためでも。わたくしは北領家の者として、その責任を果たすだけよ」
「オーレリア?あなた、まさか…?」
まさか、私の代わりに?
「そんな、駄目よ!セアラから母親を奪うわけにはいかないわ」
体のなかに鈍い痛みは残るものの、先程までの痛みはすっかり消え去っていた。
私は、ヴァンの腕を押し退けるようにして、オーレリアの方へと体を起こす。
だが、彼女は既に立ち上がっていた。その顔が見つめる先には、光の玉となってなお、囚われていた無数の人々の魂だ。
「さあ…、わたくしとともにいきましょう」
オーレリアは光の玉の方へと歩んでいき、すっと腕を差しのべた。
すると、光の玉が、まるで風に運ばれるかのように空の彼方へと飛んでいく。
「ああ…、暖かい」
安らいだような男性の声がした。
「何かしら?何だか、心地いいわ。まるで夢の中にいるみたい」
若い女性の声もした。
「あ!お父さんだ!お母さんもいる」
幼い子供の声が弾んで聞こえてきた。
「坊や!やっと会えた!」
再会を喜ぶ両親の声。
「あれ?お前ら、こん所にいたのか?さあ、今度はどんな冒険に行く?」
冒険者らしき者の声が、喜びで溢れている。
「あれ?俺、どうしたんだろう?」
「…う、ん。あたし達、眠ってたの?ねえ、ミグは?ミグはどこにいるの?」
まだ、幼い少女がナツキの知る人物の名を呼んだ。
「ここにはいないみたいだな。まあ、あいつのことだ。要領よく、どこででもやっていけるさ」
「そうね…。ミグはあたし達のお姉ちゃんだもんね。心配ないよね」
少年と少女らしき声、そんな二人の魂もまた、ふよふよと交わりながら、空へと還っていく。
「ああ…」
私は知らず知らず、涙を流していた。闇のなかに囚われていた魂が次々と解き放たれていく。
そして、それを為したのは非情だと思っていたオーレリアだった。
「オーレリア!あなたは嫌がるでしょうけど、やっぱりヒルダさんとあなたは似ているわよ!」
無償の愛―。
それこそがレーヴェンハルトを支える神官長たるヒルダさんの、ヒルダさんたる所以だ。
すると、オーレリアが心底、嫌そうに顔をしかめた。
「わたくし、あれと似ていると言われるのが一番嫌いだわ。あんな無鉄砲で向こう見ずな子、わたくしとは似ても似つかない」
私は、オーレリアの心底、嫌そうな顔を見て、思わず笑ってしまった。
けど、本当にそっくりだって思ったんだもの。
束の間の、穏やかな時間。闇が払われ、光が舞うなかでオーレリアの体がビクリと跳ね上がった。そして、後ろへと倒れた。
「オーレリア!」
私が思わず、叫ぶ。
すると、どこからともなく現れた一つの影が、オーレリアの体が地面へと激突する前に、その体を支えた。
「…お前、は」
「はい。私です。オーレリア様」
その声に答えたのは、北領の宰相であるザキであった。闇が払われたのと同時にこの場所までやって来たのだろう。ザキ同様、元・北領騎士団の面々がそこにいた。
「…誰の許しを得て、この場所にいるのです?お前には…都の留守を預けた、はず」
オーレリアの声が乱れる。おそらく先程まで私の身に起こっていたのと全く同じことが起こっているに違いない。
おそらく、いいえ、間違いない。私の代わりに、オーレリアがその命を代償としたのだ。
「私は…、オーレリア様の臣です。どこまでもお供いたします」
オーレリアの右手を自身の右手で下から包み込むようにして、ザキがそう告げる。
「馬鹿な…こと、を」
苦しい息のもと、オーレリアが詰る。
「オーレリア様!私もお供いたします。あなたはこの領都の闇を見事払って下さった。北領家に仕えた家臣として、お供をさせていただきたい!」
そう進言するのは、元、北領騎士団の要であった男だ。
オーレリアは覚えていた。有能で、正義感に溢れていたからこそ、騎士団から去らせたのだ。いずれ、自分が、今の北領家が滅んだ時に北領を支えるにたる人物として残したかったから。
「愚かな…。そのような戯れ言、聞くに耐えぬ」
オーレリアはザキの手を振り払った。
そして、渾身の力で立ち上がる。
「オーレリア様!」
「オーレリア様!」
二人の家臣が己の名を呼んだ。
(ああ…。わたくしにもいたのね。そんな者達が…)
ふらつく足で、それでも一歩踏み出す。
「置いていかないで下さい!」
かつて、オーレリアの背に言葉を投げた時に聞いた、全く同じ声音で、ザキが叫んだ。
(あの時は確か、置いていったら損をするのはアンタだと、そう言ったわね)
自分は有能だから、役に立つからと自分を売り込む振りで、本当は一人になりたくなかっただけのくせに。
(わたくしの周りにはわたくし同様、意地っ張りな人間がついてまわるのね)
それが可笑しい。
「お前はわたくしの代わりに、これからの北領のために尽力なさい。これはわたくしからの最後の命令です」
有無を言わせぬ、これは支配する側の声。それをあえて使った。ザキが、決して、それに抗えないことを知りながら。
まさしく、ザキはその場から動けなくなった。
オーレリアは歩んでいく。光となった魂と共に逝くために。
苦痛と、そして、置いていく者達への後悔とともに。
「あっ…」
地面のでこぼこに足をとられ、オーレリアの体がふらついた。そんな彼女を支えたのは、一つの光であった。
それは徐々に人の形へと変化していった。そして、オーレリアは見た。生前、決して心を許そうとはしなかった。けれど、心の奥底では愛していた人の姿を―。
「…あなた」
涙が一筋の滴となって、オーレリアの頬を伝い落ちた。
光のなかに、先代領主にして夫であったアランがいた。彼は微笑みながら、妻を胸へと抱き寄せた。そんな夫の胸へと、オーレリアは幸せそうに頬を寄せた。
そして、彼らは一瞬の光を放ち、跡形もなく消えた。
「…オーレリア、さま」
ザキが両膝を地面へと着いた。その顔には涙はなく、ただ、茫然自失であった。
「アラン様!オーレリア様!」
彼とは真逆に騎士団の面々は、男泣きに泣いた。
私にはオーレリアに寄り添う光が誰かなんて見えなかった。それは人の形を纏う、光にしか見えなかったからだ。
けれど、オーレリアの呼び声でそれが誰だか分かった。亡くなった先代領主、オーレリアの旦那さんだ。
「オーレリアが…、ここにいた皆が、この地を清浄化していってくれたのね」
私が行ったのは、次元の闇を祓うこと。この地を清浄化するまでの力はない。
それなのに無数の光が去った後、この地に清々しい風が吹いていた。
私は、泣いた。オーレリアのために、囚われていた無数の魂のために。そして、これからの北領の未来を思いながら。
こうして、オーレリアは伝説となった。希代の悪女であり、聖女として長く語り継がれた。
北領の地で長年の憂いであった旧領都が浄化され、新都から元々の領都のあった場所へと遷都が行われたのは、それから数年経った後のことだ。
それにともない、領主はその座を妹であるセアラへと明け渡した。過酷な北領を治める領主は、代々、男性に受け継がれてきたが、初めて、女性の領主が誕生することとなった。領主の座を譲った兄は、そのまま残り、北領の第二の都として機能する。
新領主とした立ったのは、成人すら迎えていない幼い少女であった。しかし、彼女は幼くとも聡明で、かつ、優秀な補佐役が彼女をよく支えた。
かつて、流浪する人々の集まりであった『吹き溜まり』として存在した一団から数名がセアラの側近となった。それにより、北領の農業は飛躍的に発展し、人々を飢えから救った。
そして、二代前の領主夫人であったオーレリアに仕えた宰相ザキもまた、後世にその名を残した。
彼は庶民出身であったが、幼い女性領主の信厚く、民の暮らしに寄り添った政治を行ったことで民衆に支持された。
才気あふれる有能な宰相としてザキはまた、終生、独身であることでも知られる。
常に女性領主に影のように寄り添い、名君主へと導いた彼の心の中には、生涯、ただ一人想い続けた女性があったと言うが、真相は誰も知らない。
それは歴史書には語られることのない、別の話である。
エピローグ部分を書いてから始まったため、結構な長さに。北領編はもう少しだけ続きがありますが、一応の区切りとなりました。あとは呑気に執筆予定です。良かったら、最後までお付き合い下さいね。