戦いの最中で
まるで別の世界、異空間にでも迷いこんだような錯覚に陥りながらも、私達は、はぐれることなく前へと進んでいった。
距離感はおろか、自身のいる位置を把握出来るような道標もなく、淀んだ空間の中をひたすらに歩いていく。
すると、前方に巨大な塊がうっすらと見えた。
まるで小高い丘のような…。でも、おかしい。領主館があったとされる、あたりはひどく抉られており、こんなものはなかったはず。
「あ!」
私は思わず、声を上げた。丘だと思っていたものは、小山のように巨大化した星熊様こと、カノンであった。
踞っていたせいで丘だと錯覚していたようだ。驚いていたら、それはむっくりと起き上がった。カノンは、日本で言うところの、二階建ての家屋くらいの大きさまで成長していた。
いや、成長とは違うだろう。闇に侵食され、膨れあがったと言っていい。
「ナツキ様、セアラ様。お二方とも後ろへとお下がり下さい!」
ヴァンが腰の剣を抜き放って、私の前に躍り出た。そこにセーランとラベルが加わる。
「ナツキ様…」
セアラが震えながら、私へと身を寄せてきた。震えながらも、両手にはしっかりと初代の剣を抱き抱えている。
「大丈夫よ。三人とも、とても強いもの。きっと、カノンを足止めしてくれるはずよ」
そうは言うものの、以前見たカノンとは様変わりした今の状況は楽観視など出来ない。
以前は己を失いそうになりながらも、かすかに意識が残っていた。しかし、今のカノンの瞳はどす黒く濁っており、焦点もあっていない。
《グル、グルグル》
まるで飢えた野生の熊のように、口から涎を垂らした、その姿は神聖な獣である星熊様とは程遠かった。
カノンの身を案じながらも、自分にすがり付く吹きだまりの子供達を置いていくことが出来ず、彼らと共に行ったアルバには決して見せられない姿であった。
「星熊様!アルバが慕った、気高く優しいあなたは一体、どこにいってしまったのですか!どうか、目を覚まして下さい!」
私の呼び掛けに、カノンが咆哮でもって答えた。
《グルアアアアア!》
狂気めいた唸り声に、さすがに胆が縮む。
「お前の相手はこっちだ!」
ヴァンが言うやいなや、渾身の雷撃を剣から放つ。
《グガア!》
カノンにダメージを与えたようだ。残る二人も畳み掛けるかのように、それぞれ攻撃を加えた。
「やああ!」
ラベルは水。
「…」
セーランは風だ。
うん。セーランは安定の無言だね。もうちょっとこう気合いとか欲しいなーって思うのは私だけだろうか。
三人の攻撃を受け、流石にダメージの色が濃い。動きが鈍くなったようだ。
でも、変だな。こんなに巨大化しているのだから、もっと攻撃力とか増していそうなのに、カノンからは何の攻撃もこない。
だが、それは思い違いであった。カノン、いや、彼の攻撃は目に見えるものではなかったのだ。
突如として、前屈みに倒れ込んだカノンから、それは沸き上がった。
暗く淀んだもの、そう、この歪みの元凶だ。
「…許さん。許さんぞ。この地は私のもの、私だけのものだ。誰にも渡さん」
カノンの口から黒い煙がたち昇り、声となって響いた。それは、かつて聞いたカノンとは異なる者の声だった。しかも、人が発する声と同じものとして聞こえながら、まるで死者が発するような声として聞こえてきた。
「誰にも渡さん…、新しい領主など認めんぞ」
その言葉に私はピンときた。
「もしかして、あなたはこの北領の館の最後の主、直系の血筋が途絶えた時に仮の領主となった人?」
初代の領主が北領家を興して以来の血筋が途絶えてしまい、レーヴェナータの直系で相応しい人間が成人するまでの中継ぎとして立った領主なのでは?
「仮などと!馬鹿にしおって!私はちゃんと北領家の血筋を継いだ領主だ!」
それは怒りであった。怒りと憎しみ、そして、彼からは認められなかった者が持つ、悲しみがあった。
周りの空気が変化し始める。おそらく、この場に歪みをもたらした張本人が覚醒したことで、初代の剣が戻ったことで、一旦は停滞した歪みが再び、広がり始めたのだろう。ここからは見ることが出来ないが、外の世界が危険なのは明らかだった。
吹き溜まりの皆が遠くに逃れていればいいが…。そんな不安が頭を過ぎる。
もはや、一刻の猶予もない。
「セアラ、すぐに儀式を行うわよ!」
私は、傍らのセアラにそう呼び掛けた。
セアラは初代の剣を鞘から取り出し、しっかりと両手に握りしめる。
私は、二メートルほど間を開けて、彼女の真正面へと立った。
小さなナイフを取り出し、プツリと手のひらの上をすっと一筋切り裂いた。鋭い痛みがあったが、辛うじて耐える。そうして滴り落ちる血を地面へと垂らした。
正面にいるセアラも初代の剣を使って、彼女は腕を切り裂いて、同様に血を地面へと垂らした。この後、両手で剣を構える必要があったので、私と同じ手のひらではなく、腕を切り裂いた。
まだ、幼い少女のセアラに自身を傷つけさせる行為は目に痛かった。しかし、彼女もまた、レーヴェナータの直系としてやり遂げなければならない。
そして、私は厳かに、ヒルダさんに教えられた通りの言葉を、創造の呪文を唱えた。
一言、言葉を紡ぐ度に地面の上へと滲んだ二人の血が、レーヴェナータとキーラの血を引く者にしか扱えない創造の魔法陣が地面へと金色の光となって、その形を現していく。
私達が儀式を行う、そのすぐ側ではカノン、いや、狂気に落ちた元・北領領主とヴァン達との死闘が繰り広げられていた。
今や、二本立ちとなった星熊の姿は圧巻で、その巨体と鋭い爪でヴァン達をなぶろうと両腕を振りかぶる。三人は、それらを巧みに避けつつ、剣や魔法で攻撃を繰り出していた。
カノンの、聖獣そのものが持つ力は彼には使えないようだ。力任せの攻撃しか出来ないが、りょ力は凄まじく、もし、当たれば一たまりもないだろう。
私は、そんな彼らを信じ、自分の為すべきことに集中する。
全ての呪文を唱えると、黄金に輝く魔法陣が出現した。それは地面の上から、私達の背を通り越し、上空へと浮かび上がった。
すると、それまでとは桁違いの魔力が体の内側から引きずり出されるような感覚に目眩がした。そして、それは絶え間なく続く。まるで、終わりのない拷問を受けているかのようだ。
セアラも苦悶の表情を浮かべている。私と違い、初代の剣を構えていなければならないのだ。それに年齢的に体力的にも気力の面からも私より劣っている。
このままではまずい。どうか、一刻でも早く、この苦行が終わりを告げることを、私は祈ることしか出来なかった。
カノンを乗っ取った元・北領領主に異変が生じたのは魔法陣が完成した頃からだ。
両腕で頭を抱え、狂ったように身を捩らせる。
「は…。どうやら、魔法陣の影響が出始めたようだな」
ヴァンが顎先から滴る汗を拭いながら、急変した敵を前に油断なく視線を後方に向ける。
そこには宙空に浮かんだ魔法陣を真ん中にして、ナツキとセアラが立ったいた。彼女らの顔には苦悶の表情があった。
すぐにでも駆けつけたい!、そんな焦燥感に苛まれながらも、自分が行ったところで何も出来ないことは分かりきっていた。
「辛いですね」
いつも無口なセーランがわざわざ、そう告げてきた。
「ふ。お前こそ」
ヴァンの言葉にセーランは笑顔で答えるのみだ。彼が自分と同じくらいには、ナツキのことを想っていることはとうに知っていた。
だが、彼は決して言葉にはしないだろう。彼女が、ナツキがそう望まない限り。
「俺達のやるべきことは、クマ野郎の足止めに専念することですよ!」
一番年若いラベルが、鼻息も荒く、そう言い放つ。
ヴァンとセーランの二人が、ははっと破顔する。
「ちょっ!何で笑うんですか!」
ほんの少し、緊張感が緩む。そんな三人の耳に彼らが主と恋慕うナツキの悲鳴が聞こえてきた。
「セアラ!駄目!剣から手を放してしまっては、魔法陣が消えてしまう!」
それは刹那の出来事であった。
セアラの幼い体がグラリと横へと傾いだ。両手に握る初代の剣から指先が離れようとしていた。
「駄目ーーー!」
すると突然、傾いだセアラの背後に新たな人影が立った。その人はセアラの両手に己の手を添えるようにして、初代の剣をしっかりと握った。
淀んだ歪みの中であっても、かすかになびく金髪は光を放っているかのようだ。その髪を襟足で一まとめにきつく結わえ、身に付けているのが例え騎乗服であっても、決して華やかさを失わない。
貴婦人然と佇む、その人が口を開いた。
「あなたは、まるで私の妹のヒルダと同じね。後先も考えずに真っ向から敵に向かっていって、後ろをかえりみない。無謀であるし、迷惑この上ない。あなた達は、あなた達のフォローをする人間の苦労も少しは考えなさいな」
「オ、オーレリア!?」
なかなかストーリーが降りてこないと思っていたら、案外、するすると更新出来ました!お読みいただき、ありがとうございます。次回も早めにお届けしたいものです。