守りたいって思うから
いつの間にか降り始めた雨と澱んだ歪みを前に、私は軽く身震いした。
一旦は合流した吹き溜まりの人々と別れ、ここにいるのは私とセアラ、そして、私が最も信頼するヴァンをはじめとする守護騎士達、全員で五人だけである。
領都から共にやって来た元・北領騎士団の面々には周辺の警備、そして、近隣に住まう人々への警告にあたってもらっている。
北領の黒い歴史として語られる、領主交代劇で起こった惨劇の結果、ここに次元の歪みが発生した。
長い歴史の中で、何度も解決にあたろうとした歴代領主達を嘲笑うかのように、歪みは決して消えることなく、北領の人々を苦しめてきた。
その歪みを私は糺すために、こうして集まった。どうして、こうなったかなんて誰にも説明出来ないだろう。もしかしたら、何らかの運命に導かれたと言っても過言ではない。
北領の歪みを糺すのは、このレーヴェンハルトを創造したレーヴェナータとキーラの末である私とセアラにしか出来ないことだ。本当ならば、その役目はエインさんに頼みたかった。しかし、時が許してはくれなかったのだ。
ただ、まあ。元々、私は幽閉された北領の姫であるセアラを救うために、この地にやって来た。とすると、やはり、こうしてここに立っているのが不思議な気持ちもしている。
「ナツキ様。外套を」
そう言って、ヴァンが自分のマントを差し出してきた。私も薄手のマントを羽織っているが、防水ではないので気を遣ったのだろう。
「ありがとう。でも、いいわ。あなたが風邪をひいてしまうでしょ。こんな小雨、降っているうちにも入らないわよ」
実際に霧状の雨でしっとり濡れそぼっている程度だ。私は、片手を振ってヴァンの申し出を断った。
「しかし…」
「いいから、気にしないで。ミグ姉さんに聞いたように、歪みの中は、まるっきり別の世界だというじゃない?暑くもなければ、寒くもない。ただの虚無の世界が広がっている…」
歪みの中を訪れ、そして、無事に生還出来たものはほとんどいないと言う。誰もが、虚無に魅いられ、魂だけの存在となって、数百年前から囚われ続けている怨念の集合体である歪みに取り込まれてしまうと言う。
ミグ姉さんが無事だったのは、初代領主の剣を運ぶ役目だったからに違いない。一緒にいた仲間達が次々と倒れていくのを、見ていることしか出来なかった無念は想像してあまりある。
彼女も同行することを希望したが、私が却下した。傷は癒されてはいても、出血自体が元通りとなった訳ではない。怪我の後遺症を心配したのだ。
歪んだ世界に入るのは、せめて健康体でなければ。そして、強い心が必要だ。
しとしとと、雨は降り注ぐ。私はアウルムの頭を一撫でする。
「アウルムもここでお留守番だよ。あんたはまだ、子供だからね」
すると、アウルムは不満そうに鳴いた。
「ギニャ!」
ブルブルと首を振って、雨露を払う。
あのね、滴が飛んできたんだけど?
見下ろすと、アウルムの不満そうな顔があった。本当に通じあった主と騎獣であれば、騎獣は主と離れることを嫌う。
そうか。私は、知らない内にちゃんとアウルムの主になれていたんだね。
『あたしは一緒だからね!』
アウルムにほっこりしていた私の顔面にセイラがぬっと現れ、そう宣言する。
「あー。はいはい」
『ちょっと!何よ、その態度は!もっと感謝なさいな!』
ええー。感謝って、そんな…。あんたは、私の魂の伴侶なのでしょ?
アウルムみたいに置いていくとか、そんな関係じゃないし。
『あんたに何かあったら、あたしも一蓮托生なんだからね!』
一蓮托生なんて、そんな難しい言葉、よく覚えたね?妖精の森の皆の、教育の賜だと感謝しかない。
『あたしが結界を張ってあげるから、あんたはあんたの仕事をちゃんとなさい」
セイラは、知識は膨大にあっても誕生して間もないから、出来ることも少ないけれど、着実に成長している。結界もそのうちの一つだ。
「ありがとう。頼りにしているね」
『フン!』
セイラって、基本、天の邪鬼なんだよねー。可愛いからいいけど。
ふと隣を見れば、初代の剣を抱いたセアラの張りつめたような横顔が見えた。
初代の剣は身を守る盾だ。私は、セアラに剣を持たせ、少しでも負担を軽減させようと図った。
もちろん、この先、彼女にもっと負担を強いることになるだろう。それでも、出来るだけのことはしておきたかった。
「セアラ。入る前からそんなに気負う必要はないわよ」
「ナツキ様…。でも、私にちゃんと務めが果たせるか、不安なのです」
「セアラは、しっかり剣を握りしめていれば、それでいいの。後のことは、私がやるから」
「は、はい」
実際、それだけでいいのだ。私がやるべきことは、ヒルダさんから教わった創造の言葉を唱えること。そして、セアラのやるべきことは、剣を掴んで離さないこと。二つとも言うだけなら、簡単だ。
しかし、抵抗がある。それが、中継ぎの領主が残した呪いである。
それこそが、このような次元の歪みを生み出した。たくさんの犠牲を伴って。
「私達がやるのは、解放だよ。この歪みに囚われた魂をあるべき場所に還してあげること。それが歪みを糺し、この地を元へと戻すことになる」
「はい!」
これこそ、歪みを発生させた後に、北領を継承してきた代々の領主達が、そして、北領の民達が長いこと願い続けてきた願だ。
それはまた、セアラの亡くなった父親の願いでもあった。
「さあ、行くよ」
私の掛け声にセアラが一つ身震いしたのち、大きく頷く。
「皆も無理はしないで。駄目だと思ったら、すぐに外に出てね」
私は、共に歪みの中へと行ってくれると言う三人を見渡しながら、そう言った。
彼らにはセイラの結界も初代の剣もない。しかし、共に来てくれると言ってくれた。
歪みに魂が囚われると言うから、心配だ。けれど、一緒に行ってくれると聞いて、心強く思ったのも確かだ。
「大丈夫です。自分達の身は自分達で守れます」
「そうですよ!俺達をもっと信用してください」
「…(無言で頷く)」
私の守護騎士達が笑ってくれるのを、私は頼もしく感じた。そして、コッソリと念を押す。
『セイラ。もしもの時はお願いね』
『分かってるってば!何度も同じこと言わないで!』
そう心の中で語り掛ける。これも新たに出来るようになったことだ。会話せずとも、心で通じあえる念話である。
三人は大丈夫だと言うけれど、彼らは私のためなら無茶をするのを厭わない。それだけ信用しているとも言えるし、信用していないとも言える。
私は、自分のために誰かを犠牲になどしたくない。これだけは絶対に守る。
もしも、犠牲が必要だと言うなら、それは私一人でいい。
それが私の決意であり、果たすべき使命だと思うから。ヒルダさんほどではないけれど、私もまた、この世界を守りたいって思うのだ。
読んでいただいて、ありがとうございます。前回から、丸っとひと月経過しましたが、何とか今日中にお届け出来ました。