内なる決意を秘めて
ナタクが亡くなった後のことは、事情を伝えに戻ってきたミグから聞いて知っていた。シュウは、ナタクの遺体をその場に放置し、先に行った皆の後を追った。彼にとって、それは苦渋の決断であったことだろう。しかし、ナタクの遺志を継いだ者にとって、最優先すべきは出来るだけ多くの者を安全な場所へと逃すことであって、遺体を運ぶことではない。ナタクもそれを望まないと知っての決断だったはずだ。
残された彼らは走った。苦しみと悲しみの両方を背負って。その時の気持ちを思うと、私は、同じように上に立つ者として、最大限の敬意を示すしかない。
そんな中で、またしても足手まといとなったのはセアラであった。ナタクが亡くなったのは自分のせいだと責め続け、足どりも止まりがちであった。最後尾に辛うじて付いていけたのは、ミグの加勢があったからだ。彼女はセアラを守りながら、殿を務めた。そこに再び、魔獣が襲ってきたのだ。
「ミグ、ミグ姉さんが、私を庇って!」
私の胸にすがって、自分の愚かさを責め続けるセアラに私は背後を振り替えって、こう告げた。
「うん。聞いたよ。でもね、あそこを見て」
セアラが顔を上げた。私の背中越しにミグが立っているのが見えたはずだ。
「あ…。ミグ、ミグ姉…」
セアラがミグに向かって走る。
「良か…、良かった」
大きなミグの体に小さなセアラがしがみつく。ミグは小さな妹を見るような、暖かな眼差しでセアラを見下ろし、柔らかな少女の髪を何度も撫でた。
「あ、あんなにひどい怪我をしていたのに!領都に行くなんて!わた、私、ミグ姉さんにまで何かあったらって、ずっと心配で!」
ミグの怪我は、それほど深手ではなかったが、立て続けに色々なことが起こり、精神面でまいっていた。その怪我も私の持っていた薬でほとんど癒えている。
「あんなのはかすり傷さ。さあ、もう泣き止んで。あんたにしか出来ないことをやらなけりゃいけないよ」
「私にしか出来ないこと?」
ミグが私の方を見て、頷いて見せた。
「ええ、そうよ。セアラにしか出来ないことをやってもらいてくて、私達はここに戻ってきたの」
「ナツキ様?」
セアラがミグにしがみついたまま、私へと顔を向けた。
「…歪みを糺すのですね?」
涙で汚れた、幼い顔が、領主の娘のそれへと変わる。
彼女にも旧領都を元に戻す方法は伝えてあった。レーヴェナータとキーラの血筋を受け継ぐ者二人が揃って初めて、北領家に伝わる初代の剣をもって次元の歪みを糺すことが出来ると。
「それでは、初代様の剣はここに?お母様はすんなり渡して下さったのですか?」
セアラは半信半疑であった。自分の母親のことはよく分かっている。初代の剣を得るために、たくさんの冒険者達を巻き込み、たくさんの犠牲を出して、それを成し遂げた。それなのに、こうもあっさりと渡すものだろうか。
「ええ。私も拍子抜けしたものよ。最終手段として、盗みに入ろうかと思っていたくらいなのに」
「ナツキ様!」
「もう、冗談よ。ヴァンったら、そんなに怒らないで」
「冗談でも言っていいことと、悪いことがあります。神殿の巫女が盗むなどと」
私が否定したのに、まだブツブツ言っている。もう、本当に頭が固いんだから。
「ほら、これよ」
私は背中に背負った剣を両手で持って、セアラへと掲げて見せた。
「ま、あ…。これが初代様の…」
兄が領主を継いだ式典で遠目に見て以来、彼女はこんな風に間近に見たことがなかったらしい。
「なんて、神々しい…」
豪奢な布に包まれていたそれははぎ取られ、私の手のひらの上に真の姿を晒している。黄金に輝く鞘を通して、大きな力が溢れ出しているのが分かる。
「そうか。闇の広がる速度がぐっと落ちたのは、その剣が戻ったせいなんだな」
地面の上で蹲る、吹き溜まりの人々の間からシュウが姿を現した。
「そうなの?だから、こうして休んでいられたのね?」
闇の広がりは急速で、瞬く間に周囲を呑み込んでいたと聞いていたのに、先程、私が見た限り、谷間に闇が澱んではいたが、急速に広がっているようには見えなかった。
「おそらくそうだろう。俺達は休む間も無く、走りどうしだったんだが、広がりが治まったのを確認して、こうして休んでいた所だ」
吹き溜まりの人々の半分は女子供である。彼らは全員、疲れているように見えた。
「アリーサ」
私はアリーサに指示する。
「はい」
彼女は騎獣から大きな荷物を降ろすと、ラベルらと一緒にそれを運んで行った。
「さあ、元気を出して。少ないですが、食料を持ってきましたよ」
ミグから着の身着のまま逃げ出したことを聞いて、水や食料を確保してきたのだ。
暗い顔をしていた人々の顔に笑顔が戻る。私は、そんな彼らを眺めながら、シュウにこれからの動向について尋ねた。
「休息がとれたら、あなた達には当初の予定の通り、進んでもらいたいの」
「…」
「確かに闇の広がりは落ち着きを見せてはいるけど、この先の試みが成功するかどうかはやってみないと分からない。だから、あなた達はこのまま、領都を目指して欲しい」
失敗したときの反動がどうなるか、誰にも分からない状況だ。これ以上、犠牲者は出したくなかった。
「分かった。休息後、俺達は出発する。あんた達の試みが成功することを祈っている」
そう言って、シュウが右手を差し出してきた。私は、彼の手を握り返し、
「ありがとう。ナタクさんに恥じないよう、全力を尽くすつもりよ」
と、今は亡きナタクに代わる、新しい吹き溜まりのリーダーにそう約束する。
「ふっ」
常に強面のシュウの笑い顔に、私もつられたように笑う。
そんな風に笑えるんだ。私は、彼の笑った顔をまた見てみたいと思った。
手を離すと、シュウが背中を向け、後ろ手で軽く手を振った。彼の歩む先には、弟のバレンやヨウタといった仲間達、そして、トキら女性や子供達が待っていた。
彼らの顔には不安は残る、しかし、新しいリーダーへの信頼がそれを大きく上回っているのが見てとれた。
うん。彼らは大丈夫だ。けど、念のため、元・北領騎士団の何人かを彼らの護衛に付けた。
そして、私達は数百年に及ぶ北領の呪いを断ちきるために立ち上がる。
「行くよ、セアラ」
私は、私のすぐ側で一緒にシュウを見送っていたセアラに声を掛けた。
シュウは最後まで彼女を責めたりはしなかった。ナタクが自分自身で選択し、命をかけて守った少女だ。ナタクが北領の未来を託した、それで十分だ。
「はい。ナツキ様」
そこには己の不甲斐なさに泣いていた少女の姿はなく、一人の戦いを内に秘めた少女の姿があった。
セアラには大叔父であるエインが大怪我を負って、すぐには戦えないために連れて来れなかったこと。その彼に代わって、レーヴェナータの血を引く者として、協力してくれるよう話した。セアラは全く躊躇することなく、協力することを申し出てくれた。
危険を伴うことは、承知の上で。
絶対にここで終わらせるんだ。それが大勢の犠牲者を出しながら、他領の問題であると見て見ぬ振りをしてきた私達、神殿の者からの、せめてもの償いだ。
レーヴェナータもキーラもそう望んでいるはずだ。そして、ヒルダさんも。
「遠くから見ていて下さいね」
私は側にいない、姉とも母とも慕うヒルダさんへと呼びかけた。
お待たせしました。今月中に更新できて、良かったです。このまま、今年中には北領編を終わらせたいですね。よろしければ、お付き合い願います。