オーレリアの真意
ナツキを送り出した後、オーレリアはいつものように私室で政務を取った。北領など、滅んでも構わないと思ってはいても、日々の政務を放っておくわけにはいかない。次々と処理しつつも、先程交わしたナツキとの会話が、頭のなかで渦巻いていた。
「…全く。らしくないこと」
知らず知らず、苛立ちが募った。
オーレリアの執務室は、歴代領主の執務室とは異なっていた。自身の執務室を中心にして、右側の扉は居間となっており、限られた人間との会談に利用している。ナツキとも半分、私的な謁見と言う意味でそちらを利用した。
そして、その反対にある左側の扉は、彼女の息子が政務を取る部屋へと続いていた。政務と言っても側近の言うとおりに署名をするだけだ。そんなもの、幼い子供でも出来る。だが、それさえも補助が必要だった。
それもそのはず、現領主である我が子は、姿は大人であっても思考は子供のまま止まったせいだ。
息子は早産で、生まれた時から障害があった。赤ん坊の頃は分からなかったが、長ずるとそれは顕著となった。
夫の祖母はそれに気付くや否や、幼い息子に毒を盛ろうとした。それを防ぐために、オーレリアは先手をうった。逆に彼女を毒殺したのだ。
まだ幼い息子の命を守るために―。
そうと知った夫は泣きながら、オーレリアの腕にすがりついて詫びた。
「すまない、すまない。二度と君にこんなことはさせない。私はもっと強くなって、君を守るから。どうか、許して欲しい」
そう、何度も繰り返しながら。
わたくしは謝罪など、欲しくなかったけれど、夫はそれ以来、わたくしのすることに一切、口を挟まなくなった。
ただ、時折、わたくしを悲しそうな瞳で見つめていた。
それをいいことに、わたくしは自身のしたいように振る舞った。息子を排除しようとする者達をことごとく退け、わたくしのすることに都合のよい者達を代わりに据えた。愚かで無知な者達だが、その分、操りやすい。
そこうこするうちに娘のセアラが誕生した。元気な女の子だ。それに賢い。姿はわたくしには似なかったが、それ以外はわたくしにそっくりだった。才気溢れ、向上心も強い。時としてそれは、傲慢で利己主義な性質へと転じやすい。わたくしがそうであったように。
そうなる前に、息子の地位を守るためにセアラを幽閉した。あの子を領主にと担ぎ上げようとする者から遠ざける意味合いもあった。
息子には子供を残せる能力はない。婚約者にとあてがったのは、東領からついて来た、わたくしの忠臣の孫娘だ。彼女は全て、承知の上で妻となることを承諾してくれた。
いずれ、セアラは年頃になったら、他領に嫁がせればよい。ただ、懸念材料はあった。と言うのも、神殿長であるヒルダに娘がいないことだ。
セアラが神殿長見習いに召し上げられる可能性は否定出来ないが、それこそ、ケチのついた北領の娘を神殿長にするなど、他領が承知すまい。
そうして北領を、わたくしの代で終わらせるのだ。
そんな風に過去を思い出していたオーレリアの思考は、ノック音によって妨げられた。
「入りなさい」
自身の執務室の扉を叩ける者は数少ない。オーレリアによって、予め、排除されているからだ。おそらくザキだろう。
身分の高い夫人が自ら応答するのは、あまりよろしくはないが致し方ない。長年、この部屋の片隅でオーレリアを見守ってくれていた忠臣が亡くなってしまったせいだ。今さら、彼以外の人間を側に寄せ付けようとは思わない。
孤独には慣れた。そうしないと、本当に大切なものは守れないと学んだからだ。
オーレリアの声に答えたのは、果たして、宰相のザキであった。
「執務中に失礼いたします。火急の用件につき、ご報告に上がりました」
「何です?お前自ら、報告など」
オーレリアはペンを置いて、男を見た。
「はい。先ほど、聖領の巫女とその一行、並びに元・北領騎士団員と思われる一団が旧領都へと飛び立って行きました」
「何ですって?叔父…エインはまだ、こちらにいるはずでしょう?」
「はい。午前中に癒士による診察を終え、午後には館から出る手筈でした」
「あれは初代の剣を使うために北領家の人間を、エインを連れに来た。そのはずでしょう?」
「私より、主がご存知のはずです」
「そう。そうね。わたくしがお前に教えたのだから、間違いないわ。なのに何故?」
オーレリアは眉間に皺を寄せた。不吉な予感が胸をよぎる。
「私の放った犬によれば、旧領都の歪みに異変が生じたとそうです」
「何ですって?」
ザキが、吹き溜まりの頭であるナタクの周辺に密偵を忍ばせているのは知っていた。彼らは烏合の衆だが、それ故に強固な繋がりもあったため、危険視していたからだ。
「歪みが広がった?そんなこと、かつて一度もなかったはずよ。それが今になって、どうして…」
「推測になりますが、よろしいでしょうか?」
「許します」
「おそらく初代様の剣が失われたためかと思われます」
「あれが?しかし、あれを取り戻してから数十年は経っていますよ?」
「初代様の剣は、破邪の剣。結界の役割を果たしていたとしても不思議ではありません。それが失われたことによって、少しずつ綻びが広がっていったのでしょう。そして、それが限界を迎えた」
彼の話すのは全て憶測である。しかし、可能性としては十分だ。
ならば、責は自分にあった。オーレリアは歯噛みする。いや、考えようによっては滅びの速度が早くなっただけのこと。このまま、待てばよい。そう考えた矢先、一つの懸念が首をもたげた。
「剣は…、初代の剣はどうなったのです?義母上の館に置いていったのですか?」
ナツキ達がいないとなれば、イリューズ商会の警備は手薄なはずだ。それともまさか―。
「初代様の剣は巫女がお持ちになったようです」
「―っ!」
オーレリアの口から、声にならない悲鳴が漏れた。
何故と、考えるまでもない。聖領の巫女は、あれを使うつもりなのだ。エインがいない旧領都で、あれを扱う資格があるのは娘のセアラしかいない。
「すぐに追っ手を!いえ、騎士団の準備をなさい。歪みがどうなったのか、確認が必要です」
オーレリアは立ち上がると、ザキへと命じた。
「畏まりました」
扉の向こうに姿を消したザキを見送ると、オーレリアは崩れるように椅子へと腰を下ろした。
(何て馬鹿なことを―!セアラにあれが扱えるはずもないと言うのに!聖領の巫女は、己も死ぬつもりか?)
初対の剣が食らうのは、レーヴェナータの血筋のみ。だがそれも正しく発動すればこそだ。
中途半端な魔力しかないセアラの力を補うためには、巫女の命を捧げる必要がある。
「そんなことになれば、北領はただではすまされぬ」
ヒルダが、レーヴェンハルトの調和を司る神殿長が巫女をみすみす死なせた北領家を許すはずかない。いや、それよりも神殿長と対となる巫女を失った、この世界がどうなるのかも分からない。
オーレリアは北領家の滅亡を望んだが、世界の滅亡を望んだ訳ではない。
だが、自分がここでいなくなると、残された息子はどうなる?あの、いとけない子供は―!
苦悩するオーレリアの耳に、再び、控えめに扉をノックする音が聞こえてきた。今度は息子のいる執務室からだ。
「母上様?」
返事も聞かずに顔を除かせたのは、自分と面差しがよく似た、金髪碧眼の麗しい青年だ。
「何かあったのですか?」
息子が不安そうにオーレリアの方を見る。肩にかかる金の巻き毛は綺麗に櫛けずられ、金糸で刺繍を施された長めの丈のサーコートを身に纏い、領主に相応しい装いだ。
一見、何の瑕疵もないように見える。美しく健康そうな若者だ。他領の領主一族に何ら、引けをとらない。
「エマが騎士団が戦の準備をしているって。怖いって言ってます」
だが、その声はたどたどしくて、どこか幼い。
そう、息子は大人になっても中身が子供のままなのだ。
「エマには何でもないと言いなさい。心配は入りません」
エマと言うのは、息子の婚約者の名前である。普段から政務の補佐をしているのだ。
いつもなら、「はい」と素直に自分の部屋へと帰っていくのに、その時は違っていた。
「どうしたの?まだ、何か聞きたいことでもあるの?」
オーレリアは優しく尋ねる。
「あの、あのね。母上様は大丈夫なのかなあって、そう思って」
「…どうして、わたくしが大丈夫なのかと思ったの?」
「だってね。悲しそうなお顔をしてるから。父上様が亡くなった時も、テオドールが亡くなった時も、そんなお顔をしていたの」
一生懸命、言葉をさがして息子はそう訴えた。
「…」
テオドールとはエマの祖父。オーレリアの腹心の部下、いや、家族同然だった男の名前だ。
「僕、僕ね。父上様とお約束していたの。母上様が悲しそうなお顔をされた時は、こう言って差し上げなさいって。
僕、テオドールの時は悲しくて思い出せなかったの。でも、今なら言えるよ!」
「アランは…、父上は何とおっしゃったの?」
「あのね。えっと…あなたのつみ?ええと。罪は全部、自分が背負います。だから、えっと。今度こそ、間違え…。ううん。間違えないで欲しいって!」
息子が両腕を曲げて拳に握りしめ、やりきったぞと言う態度を見せる。さながら、幼い男の子のようだ。
どれだけ年月が経とうとも、決して大人になることはない。悲しくて、愛しい我が子。
オーレリアは思い出す。息子を手にかけようとした、夫の祖母を殺害した時のことを。
夫は泣きながら、二度とこんなことはさせない。自分が守るからと言った。それなのに年下の夫は自分よりも先に、あっけなく逝ってしまった。
なのに、こんな時に今さら、そんなことを言うの?わたくしにどうしろと?
「母上様?」
何も分かっていない顔で小首を傾げる息子に、オーレリアは笑顔を向けた。
「思い出してくれて、ありがとう。父上もきっと、喜んでいらっしゃるでしょう」
その言葉に、息子は満面の笑みを浮かべる。
「良かった。母上様、笑顔になった!」
素直に喜ぶ我が子に、涙が零れそうになった。息子は、本当に幼いのだ。
「さあ、お夕飯まで、お仕事の続きをなさい。それから、エマの言うことをよく聞くのですよ?」
「はい!」
そう元気に返事をして、息子は隣室へと戻っていった。
エマがいれば、息子は何とかやっていけるだろう。たとえ市井に身を落としたとしても。
オーレリアは普段、決して開けない執務机の引き出しを開けた。そこには夫、アランが残した遺品があった。自分の指のサイズよりも大きな結婚指輪。
本来なら、夫とともに埋葬されるはずだった。だが、どうしてもオーレリアはそれを残しておきたかった。
政略結婚で、お互いに心から望んだ婚姻ではなかった。けれど、そこには確かな絆のようなものがあった。それに気付いたのは、夫を亡くしてからのことであったが。
オーレリアは指輪を手に立ち上がる。今度こそ、間違わないと亡き夫に誓いながら。
二日連続投稿です。連続投稿なんて、なろうを書き始めた頃以来ですかね。やりきった感で一杯です。